表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
X⇔Yシフト ~2050年から来た者だが、2030年に全人類の性別が裏返るので生き残り方を置いていく~  作者: 団田図


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/38

レポート10 貨幣経済

[INITIATING PROTOCOL: CHRONOS-V4]

[AUTHENTICATING USER CREDENTIALS... VERIFIED]

[FILTERING BACKGROUND NOISE... APPLYING REDUCTION ALGORITHM]

[BYPASSING FIREWALL... OK]

[STATUS: CONNECTED TO HISTORICAL NETWORK ARCHIVE / TEMPORAL SECTOR-2026]

[TIMESTAMP: 2050-06-29T3:48:7.529-UTC]


---


現在、私の膝の上では「個体番号01(老猫)」が丸まり、完全な球体となって眠っている。

その無駄のない骨格の曲線、体温を逃がさないための完璧な姿勢、そして周囲の環境変化に対する圧倒的な適応能力を見るにつけ、私はこの四足歩行の生命体の設計がいかに美しく、合理的であるかを絶賛せざるを得ない。


それに引き換え、我々人間の肉体という「ハードウェア」はいかに脆く、致命的な欠陥品であったことか。社会というOSの前提条件がたった一つ書き換えられただけで容易にバグを起こし、自滅していく哀れな群れ。それが、事象発生から1週間後に私が観測した、人類の醜悪な姿であった。


2030年7月1日を境に、すべての交通・物流インフラが物理的に死滅したことは前回述べた通りだ。

事象発生から数日が経過し、都市部から食料や日用品が完全に消滅した。コンビニエンスストアやスーパーマーケットの棚からは食料が根こそぎ奪われ、極端なインフレ、いや、インフレという経済用語すら生ぬるい「貨幣価値の完全な死」が訪れた。


人々は財布の中に数万円、数十万円の札束を抱えたまま、空っぽの棚の前で立ち尽くしていた。国家の信用という「幻想のソフトウェア」で成り立っていた現金の価値は、物理的な「飢え」の前に一瞬にして無に帰したのである。1万円札の束を提示しようが、泥にまみれた菓子パン1個すら買えない。彼らは現行のシステムが完全にダウンしたことを理解できず、ATMの列に並んではエラー音に喚き散らすという、無意味なループ処理を繰り返していた。


パニックに陥り、食料を求めて暴徒化する彼らをよそに、例外者である私自身がどうしていたか。

結論から言えば、私は極めて安全な場所から彼らの自滅を観測していた。私は平時からあらゆるシステムのエラーを想定する、極度の合理主義者だ。仕事においてデータのバックアップを物理的・論理的に何重にも取っていたのと同様に、自身の生命維持装置(自室)にも、常に不測の事態に備えた「物理的なバックアップ」を構築していた。


具体的には、プロテインバーやフリーズドライ食品、飲料水などの高カロリーな長期保存食を、独身の私が消費するには多すぎる量を、常に備蓄していたのだ。これにより、私は事象発生後、一歩も外に出ることなく最低でも3ヶ月は食糧に困らないという、圧倒的な生存のアドバンテージを得ていた。


しかし、そんな周到な私でも、想定外のバグに直面することになる。

「ゴミの排出」である。


当然ながら、社会インフラが停止している以上、自治体のゴミ収集車が来るはずもない。だが、私の抱えた問題は衛生面ではなく、純粋な「セキュリティリスク」であった。

マンションのゴミ捨て場に、消費したレトルト食品の空き箱や、ツナ缶の空き缶を捨てればどうなるか。それは飢餓状態にある周囲の住人たちに対して、「この部屋の人間はまだ食料を隠し持っている」とシステム上の強烈なフラグを立てるのと同じ行為なのだ。


当時のマンション内には、急激に強靭な肉体(男性体)を手に入れ、その暴力的な膂力をコントロールできない元女性たちが飢えに苦しんでいた。もし彼らに私の備蓄が悟られれば、ドアの鍵など物理的に破壊され、略奪されるのは明白だった。

ゆえに私は、空調の止まった夏の密室で、食事を終えるたびに発生するゴミを二重、三重の密閉袋に入れ、自室のクローゼットに溜め込み続けるしかなかった。異臭と戦いながら、息を潜めて缶詰をすする行為。それは私の合理的な計算すらも嘲笑うかのような、人間の生理的システムの屈辱的な弱点であった。


私が自室で異臭に耐えている頃、貨幣経済が死に絶えた外界では、生存者たちがより原始的なシステムへと退化し始めていた。「物々交換」の市場の形成である。

この時期、路上や闇市で最も価値を持った基軸通貨は、金塊でも宝石でもなかった。それは「サイズの合う服」と、瓦礫を歩くための「安全な靴」である。


X⇔Yシフトにより、元男性(現・女性)のクローゼットには、自身の縮んだ身体には巨大すぎるメンズの服が大量に余っていた。一方で、元女性(現・男性)の家には、膨張した肉体には絶対に袖を通せないレディースの服ばかりが溢れていた。

この強烈なミスマッチが、現金に代わる新たな決済手段を生み出したのだ。


すれ違う見知らぬ者同士が、互いの体格を値踏みする。ブカブカのワイシャツを着た華奢な女(元男性)と、弾け飛んだブラウスの残骸を胸に巻いた筋骨隆々の男(元女性)が、互いの手持ちの衣類を路上で無言で交換する。

彼らは、互いの喉から発せられる「外見と全く合わない声」に強い嫌悪感と恐怖を抱いていたため、極力言葉を交わさず、まるで不良品を返品し合うかのような冷たく事務的な取引を行っていた。


金銭という共通言語を失った人類が、己の生存を懸けて「ただの布切れ」を最高位の価値として扱い始めた光景は、私にとって極上のブラックジョークにしか見えなかった。


---


[WARNING: TEMPORAL CONNECTION UNSTABLE]

[REWRITE STATUS: SUCCESSFUL / HORIZON SAFE]

[DISCONNECTING FROM DOMAIN_2026...]

[AUTO-PURGING LOCAL CACHE... DONE]

[PACKET LOSS EXCEEDS CRITICAL THRESHOLD]

[REWRITE STATUS: COMMITTED TO TIMELINE_ALPHA]

> TERMINATING SESSION...

[CONNECTION CLOSED]

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ