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魔人と狼は幸福を求めない  作者: 澱粉麺
追憶、翠玉の森
24/26

眠りの雫



二人が出会って、しばらく、経つ。



『ルーチェ。今は話せるか』


「おう、イヌ。どうした」


『……犬扱いはやめろ。腹が立つ』


「なら変に気を使うのもやめてくれ。

僕だって自尊心みたいなものはある」


思い出すのは、そんな憎まれ口が多い。それはきっと、そんな口調ばかりをしていたということもある。そしてまた、そうしていた事が、その時々に悪い思い出ではなかったということ。


『飯を出せなどとは言わない。ただ、何か食料の気配が無さすぎるぞ。あんた一体何を食べてる?』


「飯?ねえよ。要らないよ僕は。どちらにせよ死なねえんだ。そんなのに拘う理由はないし、時間を使う必要もない」


『……』


「なんだ?それならお前がメシを作るか?なーんて。ははっ、無理無理その可愛らしい獣の手じゃなぁ」



…


……



「おえええっ、まっず!馬鹿かお前!意地になったからってよ、こんなのを人に出すか、普通!?」


『…すまん』


「逆に聞きてえよ、どうやってこんなん作ったんだよお前は!…はぁ!?……そりゃこんなんもできるわ。いいか、まず下拵えはなあ!」


…結局、それ以来。食事を、再び始めたのだ。誰かが作ったもので食の楽しみを知った、などという美談ではない。あまりにも不味いものを食べて、それならもう作ってやるよ、という一種の反抗から、作ったのならついでだからというきっかけで。



…


……



「ようカリナ。さっそくだがおつかいだ」


『今回の標的は?』


「人魚の雫…まあ簡単に言うと猛毒だ。それを、安楽死の為に処方して渡した英雄がいるんだと。で、それをお前が代わりに殺して、それを奪えばいい。簡単だろ?」


『…ああ…』


「なんだ、不服そうだなやっぱり。

どうにも無辜の人を殺すのは気に食わないってか?」


『……』


「何も言わないんだったらさっさと行け。

お前と違って僕は忙しいんだからな」


『なら言わせてもらおう』


「ん?なんだ」


『碌な死に方しないぞ、あんた』


「はっ。言うようになったな?」


そんな会話も、あった。

結局その後も、何も変わる事はない。カリナはただその場から走り去り、その夜に魔人に言われた通りのことをして、その雫を奪い去った。

そうして、狼はそれをルーチェに献上した。きっとそれが正しいことではないとわかっていても、ただそれをした。



…


……



『…ディオニソスの欠片、だったか。なんとか、回収はしてこれたが…』


「おう。お疲れ様。相当時間がかかったろう、それ。おつかいも今回で4コめくらいだが…さすがにお前も疲れてそうだな」


『……ああ。さすがに、くたびれた…』


「お疲れさん。ま、後はゆっくり寝ておけ。次はだいぶ先になるし、下僕のお前にだって休息くらいは与えてやる」


「……」


「…今度はなんだよ。今更、下僕呼びが気に食わないのか?」


『…いや。少し前から思っていたことだが…

あんた、いつ寝ているんだ?』


「?寝るなんてしてない。する必要だってない。だって、そうしなくても死なないんだ。当然だろ」 


『……』


「…なんだ。また急に黙って…うわっ!」


『俺の毛皮を使わせてやる。だから寝ろ。…生きるためとかじゃない、そうしなければ人はおかしくなるんだ。女児であるなら特にな』


「はな…離せ、クソうざいぞッ、離せっ!これ以上僕に干渉するな、何を図に乗ってるんだてめぇッ!」


いつか、そんな風な会話もした。その時はまだ、何か他の生き物に触られることがおぞましくて、嫌いだった。ルーチェとして、カリナという存在もこの時点ではまだきっと、嫌いだったのだろう。



…


……



『おつかい』が終わるにつれて、だんだんと、緑色になっていく眼の色。それと共に、ルーチェは眼鏡をかけることが増えた。

それらのことから、カリナも、自分が手に入れたものが彼女の身体を何か変容させているということはわかった。また、それ以上にもっと、彼女の目的の為に何か力がついているということも。


少女の身体は、そう大それた年月が過ぎずとも、目を見張るほどに大きくなっていく。それはきっと、自分が子を成すことがあればこんな状況に陥らなくとも得られる体験だったのだろうが。



「……フウ…」


カリナはそんなことを、彼らを狙って来た刺客を初めて始末してから思っていた。銃を持ち、近現代的な装備を用いた彼らは閉じたコミュニティにしか属さないカリナには中々に刺激的なものだったが、なににせよ制圧には手間取りはしなかった。

そうした制圧の直後、魔人にそれを伝える。

もう出てきても危険はないはずだと。

そう、しようとすると。


「…ついに、僕のやってることがバレたらしいな。銃ってことは送って来たのはブレイズか。くくっ。ついに、あいつまで僕を殺しにくるか…僕は、悪か…」


そう、伸びた髪をくるくるといじりながら、嗤っているのだか、哀しんでいるのだかわからない声を一人ごちているのを一度だけ聞いた。


「そいつは旧知の仲か?」


「…ただの独り言を盗み聞くな。マナーが悪いぞ。ああ、レディの会話を勝手に聞き漁る不審者がペットとは、落ちぶれたもんだ」


「レディ、ね…」


初めて自分を、淑女であると名乗ったのは、確かそんな時だった。冗談めかして、自分の置かれた状況を皮肉ったその物言いで、ようやく自らの身体の状況を受け入れ始めたのだろう。


「…何においても、僕の心にメスを入れんでいい。お前はお前だ。ただ僕を守っていればいいしそこに気遣いなんてくだらないものはいらない」


「気を遣っているわけではない。ただ俺は」


「俺は…なんだ?」


ここで、きっと。何やら相手の心を気遣うような言葉を出せば、ルーチェはこの狼を蔑み、二度と話すこともなければ心を閉ざしていただろう。だけれど、そこでカリナはただ、自分の利己を優先した。

故にこそ、二人は共犯者でいられた。



「俺は、俺の為にあんたの元にいることが最適だと思った。あんたの元にいることで、情報を得られる。力を得られる。

俺は俺の復讐の為に、ここにいる。『侵食』と呼ばれていた男を殺す。ただただ、それだけの為に生きている」


「…そうだ。俺が今生きているのは、それだ。生き汚く存在している理由はそれなんだ。だからその為にあんたが消えられては困るんだよ。くだらない理由でな」



「復讐」

その言葉を耳にしたルーチェが、耳しげく反応した。毒蛇のようなその目をぴくりと歪ませて、そうして初めて。

狼はその瞬間に少女の笑顔を見た。嘲りのためだけの笑いではない、心からの笑み。愉快に思ったか、はたまた自らの感情との同調か。ただ少なくとも、笑ったのだ。


「…なんだ。お前ったら、まったく喋ろうとしないんだものな。そしてめずらしく話したと思えば、そんな自分語りかよ。くく、あはっはは…」


「いいじゃないか。なんだ、お前復讐者かよ。

僕と同じなら、理解できるじゃあないか」


カリナは、急に笑い始めたそれをただ気色悪く、遠巻きに眺めていた。だが今となればわかる。それは、その感情は。

全てを信じられなくなった、その魔人は、ただ自分にある感情だから故に。復讐心に焼かれた者だけは、理解と信用ができると思ったのだ。


「おいカリナ。犬の姿になれ」


「…犬ではなく、狼だ」


「いいから、ほら』


そうして、狼の姿になった毛皮にぐいと身を沈めて。

ルーチェは目を瞑る。


「嫌なことがあったもんでな。

僕は少しふて寝する。そのまま毛布になっておけ、駄犬」


『……』


一度前に、毛皮を貸す、と言った手前それを拒むことは出来ず。狼はそうして、釈然としない様子で口を開けたきり、動けなくなった。



…


……




「いい加減におつかいも慣れてきた…ってとこだな?なら手短に終わらせてきてくれよ。早く来た分だけ、温かいメシが食えると思え」


「……わかった」


「クク、やっぱり飼い慣らすには餌付けが一番だな。それじゃあ頼むぞ。あまり、レディを待たせるなよ」


「前々から思っていたが」


「あん?」


「淑女を自称するくらいなら、少しはそれらしくしろ」


「なんだお前、少女趣味か?やめてくれよな、確かに僕は可愛いかもしれないが、そんな目で見るのは」


「……」


気がつけば、いつだっただろうか。

魔人は、それでもその口調が柔らかくなり。

狼はよく、喋るようになった。



…


……



「ルーチェよ。

また、刺客らしい者が来たぞ」


「またか。最近ずっとだな…

クソッ、この場所もそろそろ潮時かもな。そうなると早めに計画を進められるように…ああ、その為にはまだ僕の身体の馴染みが足りないか。ある程度の力はようやく使えるようになったが…」


「まあ、大丈夫なはずだ。

俺は、何にせよあんたを守るぞ、ルーチェ」


「…なんだ。随分、犬らしくなったな」


「別に…自分自身のためだ。

それといい加減に犬呼ばわりはやめろ」


「はいはい、悪かったよ狼クン。

…くああ、疲れたな。カリナ、体貸せ」



狼は、いつからか魔人の、その偽名をちゃんと呼ぶようになっていた。その身を、守ろうとするようになっていた。

魔人はそうして睡眠を取るようになった。寝るたびに見ていた悪夢も、その毛皮に包まれている時は見ずに済んだ。



…


……



遠く、遠く夢を見ていたようだ。

初めに彼らが出会ってから、数年。翠玉の森は変わらずの威容を誇り、だからこそ、変わったものは、ただ二人の内面だけだろう。


「カリナ」


魔人はある日、そう話を切り出した。


「お前は、僕の用事が終わったらどうする?

僕は、お前の利用するこのおつかいの期間が終わったのなら、お前をこのまま、僕の元から逃してやってもいいと思っている」


「…随分…らしくないことを言うな」


「ふうん?僕らしい、ってのはどんなんだ」


「少なくとも俺を一生こき使って肉の盾にしてからボロ雑巾にしてからまだ再利用してから捨てる、くらいはするものかと」


「失礼だなお前は。…すっかり忘れてそうだが、一応僕はお前の命の恩人なんだからな?」



共にいた期間が長く、長く。すっかり、口が回るようになった元、無口だった狼は返答を聞き流すようにして続ける。


「俺は、あんたと共に往くつもりだ。恩返しや情などじゃない。お互いの利益のために、俺にとっての復讐のために、だ」


くくっ。

そう、言うことをわかっていたように。

満足げにルーチェは笑った。


「オーケー。ならば、もう下僕とは言わないようにしよう。カリナ、お前はこれから僕の共犯者だ。僕はお前を利用するし、そして…」


「俺は、あんたを利用する」


「ああ。そういう方がわかりやすくていい。

それくらいの方が、お前と手を結びやすい」


「ああ。あんたを相棒と出来るなら、心強い」


「相棒、か。馬鹿め。十年早いよ」



…


……



そうして。

魔人と、狼は幸福を求めぬ旅に出る約定をした。


求めない理由は、ただ。

その日々が、幸福に近しかったからなのかもしれない。


…


……



……微睡は、晴れていく。

翠玉の森は、焼いて消えて久しい。


そして微睡が晴れたからこそわかる。

追憶の中は、照明をしてくる。

いつから、のことだろう。

どれを期に、ということもわからない。


それは狼姿になって話をし始めた時か。

食事を取り戻した時だろうか。

軽口を叩いた時だったか。

睡眠を魘されなくなった時か。

信頼を再び抱いた時か。

仲間を得た時だったか。


きっと、心の痩せ細った少女は、その時から。




「なあ?カリナ」




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