41.なんだかやるせなくなって
わたしは彼に背を向け、階段を上がる。
自室に戻って部屋着に着替え、それからパソコンを立ち上げる。
喫茶店で書いたノートを開きながら、それらの文字をパソコンに打ち込んでいく。
別に、いまやらなくてもよかったことだったけれど、わたしはそうした。
その後の作業まで、わたしはやり続けた。
実のところ、原稿を仕上げたばかりのこの日、わたしは仕事をする気はなかった。
一応とはいえ、ひとつのことを完成させたのだから、今日ぐらいは、家に帰ってから久しぶりにテレビでも見てのんびりしてみようかと思っていた。
テレビの好きなカナタのことでも考えながら。
だが、その想いは裏切られた。
いや、カナタが裏切ったかどうかはわからない。
裏切られたのはわたしの勝手な想いだけだ。
彼とはそもそも何の話もなかった。
わたしは彼を車でひいてしまい、様々ないきさつがあって彼と共に暮らしているだけだし、別に深い関係ではない。
彼を大事に思っていたのは確かだし、彼もわたしのことをそう思ってくれている。
そんな風に考えていた。
だけどそれは、わたしの一方的な思いこみでしかなかったのかもしれない。
気づけば、普段決めている仕事の時間を遙かにオーバーしており、十一時を回っていた。
この一週間で予定していた短編は、すでに第一稿を書き終えてしまい、雑誌の編集者にメールで送信していた。
これでもう、本当にやることがなくなってしまった。
そう考えたとき、部屋の外から声がした。
「トウコ」
階段の下から、わたしに呼びかけるカナタの声だった。
返事をせずにいると、少しの間の後、階段を上がってくる音が聞こえた。
彼が二階へあがってくるのは、珍しいことだった。
いくつかの足音の後、彼の声が続いた。
「ねえ、トウコ。少しいいかな」
わたしの部屋の扉の向こうから、カナタがそう声をかけてくる。
わたしは少し迷った後、机の前から立ち上がって部屋の扉を開いた。
「なに」
「トウコ。ぼくのいない間に、何かあったの?」
彼は心配そうな顔でわたしのことをのぞき込んでくる。
何かあったの、か。
その言い草に、頭の奥が急速に冷える。静かな怒りを覚える。
一つため息をつき、わたしはその強い心の動きを抑えた。
「ううん、そんなことない。普段通りで、問題はなし」
「だけど、今日のトウコはなんだかおかしい」
おかしいのは誰のせいだ。
再びそう反応しかけてから、胸の中で募るその反感をぐっとこらえる。
自分がカナタのせいでおかしくなった、そう考えるだけでもなんだかいらいらとした。
別に、ただの同居人が、しかも宇宙人が、急に三日間家を空けて、どこで何をしていようとわたしには関係ない。
その間に一緒にいた相手がなぜか若い人間の女子高生で、なおかつ美人だったとしても。
そんな風に改めて心の中で唱えて、心を静めた。
「おかしくなんかないよ。カナタは知らないかもしれないけど、こういう日もあるってだけ。実は、帰ってくる途中で、喫茶店で仕事をやりかけたら、なんていうかこう、集中しちゃって……」
「本当に?」
「本当だって。明日になったら普通になるから、今日は放っておいて。じゃあ、おやすみ」
カナタはじっとわたしを見てから、さびしそうに言った。
「おやすみ」
わたしは扉を閉じた。それから、目を閉じた。
少しだけ、罪悪感が心を貫いた。
ゆっくりとカナタの足音が階段を下りていく。
彼が廊下まで降りきったそのときに、わたしは部屋の扉をもう一度開け、顔をのぞかせて彼にたずねてみた。
「ねえ、ところでカナタは今日、何してたの?」
彼は声をかけられたことに少し驚いた様子だったが、やがてわたしを見上げながら、申し訳なさそうに言った。
「ごめん、詳しくは話せないんだ」
「……そう」
じゃあ、おやすみ、と続けてわたしは扉を閉じた。
なんだかやるせなくなって、両方の拳を握って頭の上まで振り上げた。
が、どこにも下ろすところはなかった。
やむなく息をゆっくりはいて、力を抜き、それからベッドに倒れ込んだ。




