31.嫌な予感
結局その日、わたしは夕食までまともに仕事をせず、時間だけが過ぎ去った。
カナタがその日作った夕食は、カレーライスだった。
これだけはもう、わたしは決してカナタにかなわないことをよく知っていた。
わたしにできるのはせいぜい、ルーの箱の裏側に書いてあるレシピ通りの作り方だけだったが、インターネットの様々な作り方に影響を受け、スパイスや隠し味にこだわったカナタのカレーは、絶品だった。
それでも、夕食の席は、はじめは静かだった。
いつものとおりテレビもつけられていないので、カレースプーンと食器があたってする、カチャカチャという音や、付け合わせのサラダに入っている、キュウリやレタスを噛む音だけが鳴っていた。
だがわたしは、カナタのカレーがお腹に収まっていくにつれて、徐々に、先ほどまであった戸惑いの角が取れていくように感じていた。
カナタにだって、外出したいときぐらいあるだろう、と思えてきた。
だいたい、それで何か問題があるわけじゃあない。わたしとよく、外に出歩いているわけだし。
それをわたしに黙っていたのが気にかかってはいるが、あえて言っておくことでもない、とカナタがそう判断しても不思議じゃない。
「やっぱり、カナタのカレーって、美味しいね」
しばらく続いた沈黙を破って、わたしは言った。
それからカナタの顔へ目を向けた。
彼は普段のようにほほえみはしなかったが、それでも小さく顎を引いて、答えた。
「ありがとう。今日はまた少し、レシピを変えてみた。普段のと、どっちがいい?」
実はさっぱり違いがわかっていなかった。
カナタ自身には明瞭なのだろうか。
「こっちかな」とわたしは適当に言った。
「そうか。面白い」
カレーのレシピに面白いも面白くないもあるのか不思議だったけれど、そこは料理にあまりこだわりのないわたしには、よくわからない領域だ。
カナタが面白いというのなら、そうなのだろう。
それからわたしは、いま、聞いてしまおうと思った。
聞けるのは、今が最適だろうと。心も落ち着き、カナタと一言かわして妙な空気も振り払えたいまなら、カナタは何のために外出をしていたのか、それを自然に聞くことができるし、カナタも言うことができる。
それで、今回の件は一見落着だ。
そう決意し、口を開きかけたそのとき、カナタがわたしに先んじて言った。
「実は、トウコ。話がある」
珍しく、神妙な面もちをしていた。
わたしのうちに来た当初はよくしていたが、今ではあまり見なくなった顔だ。
普段は穏やかでリラックスしている彼が、今は口を堅く結んで、わたしを見つめている。
嫌な予感がした。




