32.しばらく、急な旅立ち
「なに?」
「実は、しばらく、この家を出る」
しばらく。
その言葉を聞いて、すぐに頭に浮かんできたのは、彼らのタイムスケールだ。
カナタたちは、時間感覚がわたしたちとは違う。
出会ったばかりの頃に聞いたその話は、今でもわたしの心に強い印象を残していた。
「……どうして?」
「外出する用事が出来たんだ。詳しくはいえない。聞かないで欲しい。ただ、ぼくはしばらく不在になる。こればかりは君に言っておこうと思っていた」
「いつから?」
「明日」
明日? わたしは、頭の中でその言葉を繰り返した。
突然のことで、理解が追いつかなかった。
明日から、しばらく、カナタがいなくなる?
「なんでそんなに……」
急に言うの、という言葉を最後まで絞り出せなかった。
カナタは視線を落とし、ただ一言、ごめん、と謝った。
わたしもテーブルの上のカレーに目を落とした。
カナタが作ってくれたカレー。しばらくはこれを、食べることが出来なくなる。
カナタのいう、しばらく、とはどれほどの長さなのだろう。
「だからさ」というカナタの声が聞こえ、彼は少し申し訳なさそうな顔で続けた。「ぼくがいない間、料理も掃除もトウコに任せきりになるけど、頼むよ」
そんなの嫌だ、と答えたかったけれど、そうすることは出来なかった。やむなくわたしはうなずいた。
「……うん」
「食材は冷蔵庫にまだまだあるし、掃除も今日の午後、結構念入りにやっておいたから、あまり負担をかけることにはならないと思うけど」
「……うん?」
そのときわたしはそのカナタの言葉に違和感を覚えた。
食材や、掃除?
彼の生きるタイムスケールでは、そんな些細なことが問題になるはずがなかった。
「ねえカナタ、聞いていなかったけど、しばらくって、どのくらい?」
ついさっきまで怖くて聞けなかったその質問は、今度はものすごく知りたいものになっていた。
「一週間ぐらいかな」
わたしはじっとカナタの目をにらんだ。
カナタは戸惑ったような表情で、どうかした? と聞き返してくる。
わたしはそれに答えは返さなかった。黙ってカレーを食べおえて、それからカナタが洗い物を終えるのを待って、話し合いの場を設けることにした。
その話し合いは、いったいあなたの時間感覚はどうなってしまったのか、しばらくって最低でも数年とかそんな長さじゃなかったのか、とわたしがクレームをつけるところからはじまり、カナタはすっかり人間社会になじんでしまった、と弁解をして終わった。
そうして、最後に、先ほど触れられなかった話題にも触れた。
「ねえ、カナタは、外出して、家の外で何をしてたの? 明日からしばらくいなくなることと、それは関係があるの?」
カナタはじっとわたしの目を見た。やがて、彼はうなずいてみせた。
「関係あるといえば、ある。この周辺を歩いていたのは、記憶を探していたからだ。君とはじめて会った時のように。だが、明日からの用事は、少し違う。そうして、これ以上は、君には言えない」
「でも、ちゃんと帰ってくるんでしょ?」
少しの間があった。
だが、カナタは微笑んでみせた。
「ああ、その点は大丈夫。トウコに家事をさせっぱなしにはならないよ」
そんなカナタを見て、わたしは安心をした。
結局、カナタの用事とは何なのかはわからない。
が、彼がそう言うのならば、必ず帰ってきてくれるはずだ。
その会話を終えた後、わたしは自室に戻り、仕事に手をつけた。
午後、書いていなかったせいか、やけに仕事がはかどった。
感情のアップダウンが多かったその日は、そうして終わりを告げた。




