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最終章 ダイヤモンドは砕け散り

 レンタルビデオも取り扱っている大型書店の駐車場に車を駐める。

 時間は午後六時。会社や学校帰りのお客で、店内が最も賑わう時間帯だ。エンジンを切り、ハンドルを離した理真(りま)は、シートベルトを外して車から降り立つ。襟を立てた上着にサングラス。長い髪は帽子の中に押し込んである。そんな変装のような出で立ちで書店の入り口に目をやる。


 今日は作家、安堂(あんどう)理真の新刊の発売日だ。初動の売れ行きを見るため、理真は新刊の発売日には、必ず何件かの書店を偵察して回る。私はいつもそれに付き合わされる。数日かけて、新潟市内の主要な本屋を巡り尽くす。暇なときはさらに日数をかけ、市外の本屋にまで遠征することも。私は理真しか知らないけど、他の作家さんもみんなこんなことやってるのかなぁ?


「行くわよ」


 理真はバッグ片手に、速い足取りで書店へ向かって歩き出す。私は努めてゆっくりとあとを追う。案の定、理真は途中で振り返り、早く来いと手招きする。怪しい、怪しい人がいるよ。


『私とネコと秘密の王子』安堂理真新刊発売。雨振る夏の昼下がり、一匹の黒猫が巡り合わせてくれたあの人は王子様だった? 心躍るハートフルストーリー


 案内のポップが平積みされた本の中央に踊っている。作者の写真付きで。

 理真が変装している理由はこれだ。県人作家ということで、県内の大抵の書店では、理真の新刊発売の際には、こうして大々的にコーナーを設けてくれる。ありがたいことだ。普段は当たり前のように素顔で利用している本屋のくせに、なぜ偵察時だけ変装しようと思うのか。誰も気づきゃしないって。気づいても、わざわざ声をかけたりしないから。それよりも、


「あれ? タイトル変えたんだ」

「うん、最後まで抵抗したけど、結局変えられた」


 理真は苦々しげに口元を歪めた。いや、変えて正解だと思う。

 理真は雑誌を立ち読みする振りをして、自著のコーナーを監視し続けている。私はもう飽きたので、店内を見て回ることにした。


 テレビゲームコーナーの前で立ち止まった。この書店では、レンタルビデオの他にゲームソフトも売っている。普段は用事のないところだが、正面の棚に置いてあるゲームに目が止まったのだ。『サイキ大戦キリン』私はパッケージを手に取る。(そう)とこのゲームを遊んでいた日に、事件は始まったのだ。これを目にしたら、事件のことを思い出さずにはいられない。


 西根友美(にしねともみ)は自首し、取り調べにて全面的に犯行を認め、逮捕された。

 彼女の語った通り、物的証拠はなかったが、証言内容だけで十分起訴できると検察は踏んだのだ。殺害動機もはっきりしている。しかし、新潟県警は友美の証言に沿って、(たもつ)を刺した包丁を探すべく、阿賀野川(あがのがわ)の川さらいを実行した。絶望的と思われていたが、奇跡的に凶器は発見された。投げ捨てた橋のすぐ下に先端を突き立てた状態で川底に刺さっていたため、流されることなく留まっていたのだ。包丁には血の付いた友美の指紋が付着していた。血液は保のものだった。


 友美の病状はかなり進行していたため、東京の警察病院に身柄を移され、そこに拘置されることになった。勝巳(かつみ)は医院を閉め、佐枝子(さえこ)と共に警察病院近くのアパートに引っ越すことになった。


 西根樹実彦(きみひこ)は入院を続けていたが、友美が逮捕されたその日、様態が急変し、一晩意識を失ったまま帰らぬ人となった。娘が殺人犯だったと知ることなく旅だったのは、不幸中の幸いと言えるかもしれない。

 通夜には私と理真も出席したが、勝巳や佐枝子と言葉を交わすことはなかった。


 時坂藍子(ときさかあいこ)は東京の父親のもとへ引き取られていった。

 お手伝いさんの福田好子(ふくだよしこ)も一緒に。引っ越しの日取りは私にも理真にも知らされることはなく、いつの間にかいなくなっていた。引っ越しが完了してから、理真に福田から電話が入った。藍子は元気でやっているので心配はいらないという内容だった。


 住人がいなくなった西根家と時坂家の邸宅は、取り壊されることになるだろうという。久慈村(くじむら)が殺された倉庫も、藍子が監禁されていた小屋も、ご馳走を振る舞われた居間も、友美の部屋、一緒に入ったお風呂も。全てが近いうちに消え失せてしまう。


 友美の不可能犯罪というダイヤモンドは砕け散った。その欠片ひとつ残さないで。砕け散った瞬間、ダイヤは氷に変化してしまったかのように蒸発して消えた。ダイヤの欠片はどこへいってしまったんだろう。あんなにも禍々しく、しかし美しく輝いていたのに。


 理真の新刊が店頭に並ぶ数日前。理真は友美と藍子に一冊ずつその本を送った。それぞれに手紙を添えて。どんなことを書いたのか、理真は私に話すことはなかったし、私も聞くつもりはない。理真が手紙に込めた想いが、二人に届いたと信じるしかない。


 私はゲームのパッケージを裏返してみた。そこにはメインスタッフの名前が書いてある。その中に、馴染みの深い名前が。『原案・シナリオ:相模健(さがみたける)

 友美と同じく薬害の被害者。しかし、彼は裁判に訴えることも、友美のように復讐に走ることもせず、ひっそりと自らの命を絶った。


 もしも、もしも、友美が相模と出会っていたら。時々私は、そんなありえない事を考えてみてしまうことがある。いや、それは決してありえない話ではなかったはずだ。

 相模が自殺という道を選ばなければ。友美が復讐の炎に身を焦がすことがなければ。二人とも、薬害被害者として声を上げ、正当に加害者に立ち向かっていれば、おのずと二人は引き合わせられたはずなのだ。同じ苦しみを持つもの同士、互いに助け合い、支え合って生きていくことが出来たなら。内向的な作家崩れのゲームシナリオライターと、明るい性格の本好きのOL。私の想像は、そこに無邪気な少女藍子も加わる。


 ぽん、と、肩を叩かれた。振り向くと理真が小さくレジのほうを指さしている。大学生らしき女性が、『私とネコと秘密の王子』を手にレジに並んでいた。作者は満面の得意顔だ。分かった、分かったよ。もう何冊も本を出して、新人作家というようなキャリアでもないだろうに。でも、そういうものなのかな。自分の書いた本を誰かが読んでくれる。それは作者の頭が生み出した想像の産物に、読者が自分の時間を削ってでも読みたいという価値を認めてくれたということだ。私は理真が羨ましくなることがある。そんな幸せな気持ちになれるのは、作家という職業だけの特権なんだと思う。『必要とされたいから』理真が探偵を続ける理由にも関係があるのかもしれない。


「さて、次だ」


 理真は(きびす)を返して出入り口に向かう。自著が一冊でも売れるところを目撃したら満足するのだ。逆に言えば、誰かが本をレジに持って行くまで、この張り込みは続くということだ。いつだったか、今日と同じように夕方に来て、閉店間際まで張り込みをする羽目になったことがあった。普段はこらえ性のないくせに、こういうときだけは異様な粘りを見せるから困る。


 私もゲームのパッケージを棚に戻し、理真のあとを追った。出入り口の前で振り返る。パッケージに描かれた西条麒麟(さいじょうきりん)が、勇ましい表情で私を見つめていた。


 明日は、宗がまた理真の部屋にやってくる。今度こそ『サイキ大戦キリン』のエンディングを見ると鼻息を荒くしているのだ。あのあとすぐに事件が発覚し、私は理真と一緒に事件に介入することとなったが、宗は律儀にもエンディングは私と一緒に観ると、キャラクターのレベル上げに専念していてくれたらしい。かわいいところがある。


 実は私は、事件の途中で手掛かりとして攻略本を見るうちに、エンディングの内容までほぼ知ってしまった。もちろん宗の前では、初めて見るような顔をするけれども。


 悲しい話しか書けないといわれていたシナリオライター相模健。『サイキ大戦キリン』のラストは、全面的なハッピーエンドでないにせよ、十分希望に溢れる終わり方だった。続編を匂わせるような展開もあった。しかし、このゲームの続きが作られることはもうない。メーカーが別のライターを起用して続編を作ったとしても、それはもう別の作品だろう。相模が書いたシナリオで、また麒麟たちに再会したかった。


由宇(ゆう)ー」理真の声が聞こえた。


 私は店を出る。自動ドアが閉まる音を背中に聞きながら駆け出し、理真がハンドルを握る車の助手席に飛び込む。

 明日、事件が終わる。『サイキ大戦キリン』のエンディングを見終わったとき、私の中でこの事件は本当に終わるのだと感じた。



「一番星」


 理真がハンドルから片手を離して、車のフロントガラス越しに指をさした。夕闇の空に星がひとつ、ぽつんと輝きを放っている。その星は、私に見つけられるのを待っていたかのように瞬いた。


「……ダイヤモンドの欠片だ」


 私は思わず呟いた。


「ん?」

「ううん、何でもない」


 理真が顔を向けてきた。私は恥ずかしくなって視線を外す。


「由宇……それ、次回作のタイトルにもらうわ」

「え? もう次の構想があるの? いつになく早いね!」

「うん、次はね、ちょっとミステリっぽい話を書こうと思うんだ。人が死んだりしない、怖くないやつだからね。主人公は姉妹みたいに仲がいい二人の女の子。ひょんなことから不思議な事件に巻き込まれて……」


 理真は次回作の構想を語り続けた。紅い夕暮れを西の彼方に押しやった、夜の(とばり)に輝くダイヤモンドの欠片の下で。

 お楽しみいただけたでしょうか。

 本作は私が初めて書き上げた長編ミステリということもあり、とても思い入れ深い作品です。

 密室殺人の機械トリックは、考案した当初からあれこれ改良を加えて今の形になりました。

 私は、ミステリにおいてのトリックは、「ウルトラマンや仮面ライダーの怪獣、怪人のようなもの」と捉えています。怪獣、怪人が出てこなくてもストーリーは成立する、(「ウルトラセブン」などには、着ぐるみとしての怪獣、宇宙人が出て来ない名作が多くあります)でも、出てくれば嬉しい。

 ミステリも、トリックなしで成立し、楽しめる作品は数多くあります。でも、出来ればトリックはあったほうが楽しい、しかも、そのトリックがストーリーやドラマに密接に関わっていれば、なおいい。(そのトリックだけを取りだしても、そのまま他作品に流用出来ない)これが理想なのではないかと考えます。(怪獣、怪人の話に戻すと、平成仮面ライダー作品に顕著ですが、出てくる怪人がコウモリでもクモでもストーリーに影響しない。というのは寂しいものを感じてしまうのです)


 本作の密室殺人トリックも、ストーリーや被害者のキャラクター性に関連付けて設定しました。成功したかどうかは読者の皆様のご判断に委ねたいと思います。


 最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。



主要引用、参考文献


「白い僧院の殺人」カーター・ディクスン(著) 厚木淳(訳) 創元推理文庫

「女には向かない職業」P.Dジェイムズ(著) 小泉喜美子(訳) ハヤカワ・ミステリ文庫

「僧正殺人事件」 S.Sヴァン・ダイン(著) 日暮雅通(訳) 創元推理文庫

「獄門島」 横溝正史(著) 角川文庫

「ブラウン神父の童心」 G.Kチェスタトン(著) 中村保男(訳) 創元推理文庫

「密室の行者」 ロナルド.A.ノックス(著) 中村能三(訳)

 (「世界短編傑作集 3」 江戸川乱歩(編) 創元推理文庫 収録)

「人の殺され方」ホミサイド・ラボ(著) データハウス

「医薬品クライシス 78兆円市場の激震」 佐藤健太郎(著) 新潮新書

「医療事故はなぜ起こるのか」 押田茂實 上杉奈々(著) 晋遊舎新書

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