鶫の春?
ついに、鶫にも……!?
「ウイっす、おはよう鶫」
「おはよう、ムク」
ムクが消えるリミットは夏休み。先日、組織側とそう取り決めをした。ここから先の約一ヶ月が、ムクが南椋哉として生活する最後のひと月だ。
臨時休校明けの初登校日。思いがけない連休の後の登校日に関しては、教室や廊下がやけに静かだ。
その理由は単純明快。今日が中間考査だからだ。
中三にもなると、考査当日に馬鹿騒ぎをしている連中は、多くなくなってくる。元々それなりに勉強に力を入れているという校風も相まっているが、恐らく他中に比べると、考査当日は穏やかな方だろう。
「ねぇねぇ、聞いて聞いて! 私、休み中マジで勉強してなーい! マジ、終わったんだけど! ヤバい!」
まぁ一部、こういった馬鹿もいないわけではない。
俺は肘を突き、横で騒ぎ立てる馬鹿女に目をやる。
絵に描いたような、お手本のようなセルフハンディキャッピング。
失敗が予測されるときに、その言い訳になるような外的条件を準備して、自尊心を保とうとすること。
今回は勉強をしていないと周りに流布することで、試験の結果が思わしくなかったときに周囲と自分自身を仕方ないと納得させることができる。反対に、仮に試験結果が望ましいものであったときには、勉強をしていないというハンデを背負っているにも関わらず、能力が高いということを誇示できる。
もう一度、彼女の全身を見る。
ゴテゴテでキラキラなアクセサリー、前髪をピンで止めて、大きく露出させたおでこ、短く折られたスカートに、腰から離れない手。
これほどまでに醜悪な自尊心の塊も珍しい。思わず、口角が上がってしまった。
よくここまで醜い自尊心を肥大化させたものだ。一冊本が書けるんじゃないか?
「……フスゥーッ……フスゥーッ……」
俺の右斜め前の男子の呼吸がさっきから怪しい。背もたれに深く腰掛け、虚な目で天井を見つめて、何か溶けているような印象だ。
「なぁ、望月。お前、さっきから、その何というか、ヤベェぞ? 大丈夫か?」
「……終わり申した……」
一応声を掛けたが、力ない返事が返ってくる。
そう、本当にテスト前に終わっている奴というのは、こういう奴のことを指す。
もはや付け焼き刃の知識など、要らないとでも言わんばかりに、教科書類には一切目もくれず、ただ天井の一点を見つめている。
何があったかは知らないが、こいつにはあとで何か奢ってやろう。
いつも聞いていた始業のチャイムが鳴り、一日が始まる。
そして、特に変わったこともなく終わった。
今日配布された問題用紙と筆箱を鞄にしまう。
結局、臨時休校の理由については一切触れられなかったな。
何かしら生徒に対しても、学校側は説明を行うと予想していたが、何も動きなし、か。
あらかた、職員全体に箝口令でも敷かれているのだろう。
俺は鞄を肩に掛け、教室を後にしようとした。
「鶫くん、ちょっといいかな」
「どうした、水瀬」
女子が俺に、このタイミングで声を掛けてくるのは凰花くらいしか、思い当たらなかったが、予想と反して違う人物で、内心焦りを覚える。
水瀬か。今年、初めて同じクラスになった女子だ。小学校も部活も委員会も係も違うから、正直あまり面識がない。今話したのも、3回目くらいだ。
「か、帰る前にちょっといいかな!」
「あ、あぁ。別にいいけど……」
手を引っ張られ、教室近くの視聴覚室に二人で入る。こいつ意外と大胆だな。
特別教室の性質上、少し薄暗いし、あまり使われていないのか、少し埃っぽい。
俺は意識的に呼吸を浅くすることで、可能な限り、埃を肺に取り込まないようにするが、水瀬はポニーテールを激しく揺らし、咽せている。
浅くテーブルに腰掛けて、水瀬の呼吸が整うのを待った。
水瀬は、胸の辺りを拳でトントンと、自分の呼吸が正常に戻ったことを確認して、口を開いた。
「ごめんね、急にこんな所に呼び出して。少し、話がしたくってさ」
「テストも終わったし、時間には余裕がある。それで、話って?」
「その、話っていうのは……」
水瀬が俺から目線を外し、口籠もる。
結局、水瀬は俺に視線を再度向けることなく、口を開いた。
「……少し、というか、結構気になってる……かも」
「何が?」
「……鶫くんが」
「それは恋愛的な意味で捉えていいのか?」
「……うん」
俺も馬鹿じゃない。この場での、このような発言は連れてこられた時点で、ある程度予期していた。それに俺は残念ながら、彼女いない歴=年齢の童貞だ。男子中学生として、余計にその辺はアンテナを高くしていることが多い。
だけど、なんでこのタイミングで、俺なんだという疑問が残る。
「どうして俺なんだ? 決して、自己評価が低いつもりはないんだけど、他にももっと良い奴がいるだろ? ムクとかさ」
「……何でかは上手く説明できないんだけど、鶫くんが良くて……強いて言うなら、落ち着いているところとか?」
水瀬は俺を落ち着いていると言ったが、そんなことはない。確かに他の同級生に比べたら、口数は少ない方ではある。だが、いつも心の中では相当に騒がしい。
「そうか、ありがとうな」
「うん……」
上手く対応できたかは、正直よく分からない。それでも、何とか返しづらい返答によく答えたと自分を自分で褒めてあげたい。この話は、この辺りで留めておく方が良い。
それでも、理性とは裏腹に、聞いておきたいことが口から漏れ出る。
「なぁ、一ついいか?」
「何かな?」
キョトンとして顔で首を傾け、俺に問う水瀬。
「今日の試験の合間の休み時間、水瀬はやたら勉強してないアピールをするあの馬鹿と一緒にいた印象が大きいんだが、同族か?」
「え?」
いけない。知らぬ間に心の奥底でフラストレーションが溜まっていたのかもしれない。つい、罪の無い水瀬に少し強く言い過ぎた。ひどく気分を害したかもしれない。すぐに謝ろう。 謝ろうと、俺が口を開き掛けた、その時。
「違うよ。鶫くんには一緒に見ないで欲しかった」
「……それは悪かった」
普段からどこか優柔不断で、弱々しい印象な水瀬だが、険しい顔つきで力強く声を放った。
「そ、それじゃ、また学校で!」
「おう、また明日」
そそくさと自分だけ荷物をまとめて水瀬は部屋から出ていった。
一人取り残された俺は、椅子に腰掛け、天井に向けて、先ほどの自分の行いと許可なくこの一連の流れを見ていた傍観者に、ため息を着いた。
「趣味が悪いぞ」
「いや、ごめんごめん。丁度、帰りに話しかけようと思ってたところだったから、偶然だよ。本当に、ねぇ凰花さん?」
「私以外に、そこまでデレデレしないのは合格ってところかなぁ。これから先も、今みたいなハニートラップが幾度となく来るかもしれないよ?」
「あんな一生懸命に来るなら、俺はいつでも大歓迎なんだけどな。いかんせん、初かもしれなくて戸惑った」
水瀬と入れ違いで、視聴覚室に入ってきたムクと凰花はそのまま座っている俺の正面に並び立つ。
「大丈夫。水瀬は俺たちの障害にはならない」
ここから先の話の流れを汲んで、俺が先に言い切る。
ムクと凰花はお互いに顔を見合わせ、不思議そうな顔をしている。
「あれ、違ったか?」
「いや、特に違わないけど。鶫がそれ言うんだ、と思ってさ」
「どういうことだ?」
俺とムク、凰花の間で話が噛み合わない。まさか、この2人がこのタイミングで、本当に中学生らしい他愛もない雑談を吹っかけてくるとは考えづらかったからこその、さっきの発言だったのだが。
「……水瀬如きが、鶫の枷になるわけないだろ?」
俺は床を見て、自嘲的に笑った。何だ、そういうことか。
「悪かった。神樹祭の話をしようか」
今日は謝ってばかりだ。今後はもう少し深く考えて、発言するように再度心掛けよう。いつ、どこで、誰に足元を掬われるか分からない。
顔を上げて、ムクと凰花を見た。
みんな怖ぇよ。




