ささやかな願い
願いと言えば神などに祈ることが多く、その多くは自分の利益になるようなことが多い。
祈られる神もそれぞれに祈った者にご利益となる力を持つ。
しかし、神でも全ての人の願いに応えることできない。
そのような事をしてしてしまえば、誰も彼もが神に頼ってしまい努力はしなくなるだろう。
悲しい事に一部の人は神のご利益を受けることができるが、多くの者は己の力で願いを叶えるしかない。
だが、己の力を湧き立たせるのも、ご利益かもしれない。
そう考えると神に祈るのは、自分の願いを叶える為の後押しをしてもらうものでもあると思える。
とは言え、神に祈らなくても良いのだ。自分の願いは自分で叶える。自分の力で叶えるものだ。
人に頼るのも良い、誰かの力を借りるのも良い、他人にその分のお返しができるのなら。
その行為も自分の願いを叶えるための努力となる。そんな願い、ささやかな願いを叶える為に翻弄された者の話を今回しよう。
・ ・ ・
10月下旬
祐は天と天野原市のメインストリートにあるファッションショップにいた。
先日、指摘されたファッションについて天がコーディネートをしてくれると言ったのだ。
「ん~、普段の仕事着がスーツですから、ポロシャツとかどうですか?」
「え? 俺に聞くの? う~ん、シャツが好きだからなぁ。なんかシャキーン、とした感じがしない?」
天がふむふむっといった感じで、横の棚に掛けられているシャツを探っている。
しかし、それなりの服を買うにはなかなか値が張るものだ。コーディネートも嬉しいが、財布との相談も必要だ。
「いつも白のシャツですから、色つきのストライプが入ったシャツなんてどうですか?」
「ああ、なんか良い感じだね。これなら違和感なく着れそうだ」
そう言って値札を見る。唸り声を上げたくなったが、せっかく色々と考えてくれたのを無下にはしたくなかった。
そんな事を考えていると、かごの中に服が積み重なっていく……。これは財布が絶叫を上げることになるだろうと思った。
ランチを済ませると、天がサークルの友人から遊びの誘いがあったと言ったので、誘いを優先するよう言った。
大学のサークルで作られる友人の輪も必要だと思ったからだ。俺にはなかった経験をしてもらいたかった。
そんな少しの寂しさと大量の服を抱えて、幸に事務所に行くと連絡した。
事務所の近くの契約駐車場に車を停め、服は事務所には必要ないと思い車に置いて事務所に向かう。
丁度、事務所に向かう曲がり角に差し掛かった所で誰かとぶつかった……。
・ ・ ・
仰向けに倒れている事に、気付き慌てて立ち上がった。
誰とぶつかったのか? 周りを見ても誰もいない…もしかして物取り?
そう思い、財布を確認するが…ない。いや…服の色が違う?
横のガラスを見るとナイスミドル、とまではいかない歳の男が鏡に映っている。
体を動かすとガラスに映る体も動く……。
確認のために一度、ガラスに映らない所まで下がり、ガラスを覗きこむ感じで見るとやはり男も同じように顔を出した。
違う違う、そうじゃない……。こんな事が起こる訳がない。
しかし、あり得ない事があるのだ。先ずは幸に聞くしかないと思い事務所に走った。
事務所のドアを勢いよく開けると、ソファベッドに寝転んでいた幸が体を起こした。
「ああ~、すいませ~ん。所長は今外出中でぇ。もう少しで来ると思うので、そこのソファでお待ちを~」
「幸ちゃん、俺だよ俺。守屋 祐だよ! 顔が違うかもしれないけど俺だよ!」
幸は目を細くして俺を見ている。それはそうだ、いきなり訳も分からない男が俺の名前を語るのだから。
「祐さんはそんなにイケメンじゃないですよぉ」
「酷っ! いや、この体はそうだけど、本当の俺はイケメンじゃないぞ!?」
心にヒビが入りそうな言葉に何とか耐えて言葉を返した。
また幸は俺を見ている。先ほどとは少し違う気がする……。
「では問題でぇす。あなたの彼女は?」
「亀寿島 天ちゃん」
ふむといった表情をして幸は俺を見ている。これで届け……。
「では第2問でぇす。前に彼女に浮気の疑いを掛けられた女性は?」
「縁間 弥生ちゃん」
ふむふむという感じの表情に変わった。
「では第3問でぇす。彼女から疑いを掛けられた魔法協会の女性は?」
「稲光 更紗さん」
ふむふむふむと小さく頷いている
「では最終問題でぇす。あなたの天使は?」
「……天吹 円ちゃん……」
「えっ!? 聞こえませんけどぉ!?」
「天吹 円ちゃん! 幸ちゃん、これはあんまりじゃない!? 俺で遊ばないでよ!」
幸が顔を逸らして口を押えて笑っている事から、どこかで気付いていたのだ。
「…おはようございます。…あ、お客様ですか……? どうぞこちらへ……」
「萌香ちゃん、その人、祐さん、です」
まだ笑いが治まらない幸がありがたいことに、萌香に俺が俺であることを教えてくれた。
萌香は信用できないのか俺を見ている。
「…第1問……」
「もうそれしたから! なんなんだ!? 俺の緊急事態なんだぞ?」
「…確かに祐さんの…反応ですね……」
「まあ、信じてくれたんなら良いよ……。とりあえず幸ちゃん、この現象をどう思う」
そう言う前からか幸は本棚を漁っていた。
・ ・ ・
「祐さんが遭ったと思われる怪異はこれですね。『意思換ェ士』です。呼んで字の如く、人の五感や記憶、思考、意識などを交換します。
とは言っても怪異を介して入れ替えているので、いわば電話交換手みたいなもんですね。
祐さんの体が変わったように見えても、怪異によってそう見えるようにしています。記憶なども本当の体と繋がっているので記憶されていきます」
「…祐さんの頭の上から…一本の細い線が見えます……」
そう言われて、俺も上を見てみるが……見えない。
「祐さんには見えないでしょうねぇ。体自体はその人のままですから。あくまでも五感や記憶、思考、意識だけです。
解決方法は簡単ですよ。『意思換ェ士』を倒すか、祐さんの元の体に触れる、あとは数日後には線が切れますので自動的に」
自動的に切れるにしても、このままでは不味い。家や車の鍵等も俺の体にあるのだから。
「このままだと困るなぁ……。幸ちゃん、『意思換ェ士』はどうやって探すの?」
「萌香ちゃんに辿ってもらえば、見つかると思いますよ。その線の先に浮かんでいるだけですから」
「じゃあ、この怪異は何の為に存在しているの? 何を食べる怪異なの?」
ただ五感や記憶、思考、意識を交換しても意味がないのでは…ない訳ではないか?
「諸説はありますが、基本的には自分ではできない事を他人に換わってするって所ですね」
「幸ちゃん…それってかなり不味くない? 俺の体で何かするかもしれないって事だろ?」
「ああ~……。まあ、大した事はできないんじゃないんですかぁ? あっ、ただ天ちゃんは問題かもしれませんねぇ」
幸が俺のポテンシャルをバカにしたことは置いておく事にして、天に連絡しなければ。
「萌香ちゃん、すぐに天ちゃんに連絡して! 何かある前に!」
これで何かあったら済まさない。必ず見つけ出してやる、萌香が。
「…あ、天ちゃん? …ちょっと大変? な事があって…祐さんが祐さんじゃないの……」
大変大変、大ピンチだよ。しかも、何か伝わりづらい言い方だし。でも、声も違うだろから電話を変わるのも…。
「…うん……うん……うん…そうなんだ。…分かった。ありがとう……」
「萌香ちゃん、それで終わり!? ほとんど会話らしい会話なかったけど?」
「…天ちゃんに連絡があったらしく…一緒におもちゃ屋さんに行ったみたいです……。
天ちゃんもおかしいと思ってたみたいですが…真剣に色々と聞かれたみたいで……」
「え? おもちゃ屋? 天ちゃんもおかしいって気付きながら何かしたの?」
「小さなぬいぐるみ付きのキーホルダーを買ったそうです」
萌香の言葉を受けて頭の中が疑問符で埋め尽くされてしまった。
「何故に? 俺の体を使って、そんなのを買うの?」
「…らしいです。悪さをしているようでは…ないみたいです……」
参った……。じゃあ、何を考えているのか分からない。
悪さをしない? 人によっては美味しい話かもしれないのに……。
「祐さん、さっきの続きになりますが。この怪異は苦悩の感情が好物のようです」
「苦悩? じゃあ、悪い怪異って言えば悪いか……」
何に悩んでいたんだ……? 怪異はそれを食い物にしていることから悩んでいたのは間違いない。
仕方がない。悪い人じゃなくて、悩んでいる。そこを怪異に付け込まれたんなら被害者でもある。俺の体探しついでに調べて見よう。
・ ・ ・
先ずは手持ちの物から、この人物を探ってみるしかない。
「萌香ちゃん、とりあえず俺の携帯に電話をしてみて。多分、出ないだろうけど」
萌香が頷くのを確認してから、改めて自分? の体をチェックする。
スーツの内ポケットの中に財布があった。これで大きなヒントが得られる。
ここは探偵の伝手を頼るしかない。手帳から情報屋の連絡先を確認し、電話を掛ける。
「あいよ、服部だ」
「相変わらずドスの利いた声ですね、服部さん」
電話の相手は服部という情報屋の元締めだ。依頼をしたら大抵の情報は手に入る。
「今日は事務所からかい? にしても守屋、声が違いすぎるぞ? 風邪か?」
「喉風邪でして、だいぶおかしいかもしれませんが…調査をお願いします」
意外に服部も優しいなと思ってしまった。まあ、口調で分かってくれたのだろう。それなりの仲だし。
「そりゃ、お大事にだ。一応、暗号を頼むぜ、そういう決まりだからな」
「分かってますよ。…4946BB」
「了解した。で用件はなんだ?」
「服部さん、この暗号変えません? シクヨロベイビーって時代が…まあいいです。
ある人物の身元調査です。名前は『一条 一馬』です、住所も言いますね……」
服部に必要な情報を与え、電話を切る。これで、大きな事があればすぐに連絡が来る。
「…祐さん…やっぱり出ないですね……」
「だろうね。自分が掛けようとした相手に掛ける感じだろう。
天ちゃんが選ばれたのは俺が一番電話を掛けていたからだろうね」
「…ですね。…携帯のロック画面も…天ちゃんとの2ショットですから……」
「何で知ってんの!? これは…まぁ、半ば強制的に、だね……」
携帯のディスプレイを必死に見られまいと努力してきたのに。女子のネットワークは恐ろし過ぎる。
いや、そんな事よりも一条本人を探すのも必要だ。本人から情報を聞き出せば済む話だ。
住所も押さえているので、服部からの連絡は幸に任せた。
俺は萌香と一緒に一条が家に帰ってくるのを張り込んでいた。
「…祐さん…温かいお茶とおにぎり…買ってきました……」
「萌香ちゃん、ありがとう。しかし、式神が使えないと張り込みも大変だよ。夜の寒さが身に沁みる季節になってきたしね」
「…そうですね。…だいぶ冷えてきましたね……」
萌香の言葉を聞いて思った。寒くなってきた夜の中、流石に女の子1人で帰すのは不味いのではと。
「萌香ちゃん、あまり長い時間いなくて良いからね。
おそらく最終電車から数十分して帰って来なかったら、今日は外れだろう。
俺の持ち銭も少ないしビジネスホテル辺りに泊まるだろうから、今日は無理かもね」
「…最終電車…ですか……。祐さん…少しだけ良いですか……?」
改まった萌香の言葉に少し身構えてしまった。
・ ・ ・
「…もうすぐで1年になります…祐さんに助けてもらって……。私、お礼をちゃんと言えてなかったと…思います……。
あの時、お父さんを引っ張るようにして…動いてくれたと聞いてます……。見捨てることもできたのに……」
萌香の言葉を遮る必要はないと思った。彼女が自分の思いを伝えようとしている。
「…それなのに助けてくれました…本当にありがとうございました……。多分、事務所で働きたかったのは……。
祐さんが好きだったから…いえ、好きです。…だから、一緒にいたかったんです……。
今でもその思いはあります……。それに祐さんと一緒にいることで多くの事を学びました……。
人を助ける事の勇気…その大事な一歩を教えて貰いました……。それ以外も多くのことを…教えてくれました…私だけじゃ見る事のなかった光景……。
事務所で楽しく話し合う…そんな日常が本当に幸せです……。今でも思うんです……一緒に傍にいたい…もっと一緒に……」
振り絞るように言い切ると萌香は俺の胸にしがみついてきた。
俺も離したくなくて抱きしめた。この行為は天に対しては裏切りだ。でも、今だけは許して欲しい。
「何言ってんのさ……。萌香ちゃんの声が聞こえたから、助けに行ったんだよ……?
俺も好きだ……。俺も君のいる日常がとても幸せだ……。離さないさ……。
君が嫌になるまで連れまわす……。2人で辛いことも乗り越えてきたじゃないか……。
これからもきっと大変なことに遭うかもしれない……。でも、俺が君を守る。離したくないから……」
最後に力を少し込めて萌香をもう少しだけ引き寄せた。
彼女の思いと俺の思いは変わらない。その思いを萌香の体から確認し、その身を離した。
「今更、助手が嫌なんて許さないよ? もう俺より優秀なんだからさ。俺も努力しないと……。
萌香ちゃんの傍にいられないじゃないか。行こうよ、2人で……。見たことのない光景が俺にも多い。
俺だって萌香ちゃんが好きだからさ……。そんな2人だから、もっと多くの人を助けることができる。
多くの人の笑顔が見れる。だから、傍にいる人の笑顔の大事さも分かる。そして、自分も笑顔になれる。もっと笑顔を作って行こうじゃないか、2人でさ。
…ああ、忘れてた、幸ちゃんも含めてかな。って、この体と声じゃ伝わらないよねぇ」
改めて思い出せば、これは一条の体である。困ったので右手を頭の後ろに当てて乾いた笑いをした。
「…伝わりました……。誰の体でも祐さんは祐さんです……。
…私も頑張ります……。私も笑顔が好きだから……。私も守ります、祐さんを。…離れたくないですから……。
もっと多くの人を笑顔にして行きましょう、2人で。……すいません…幸さんを忘れてました……」
萌香の言葉に、どちらともなく笑い声を上げてしまった。
2人が同じ方向を向いている。一緒に歩いて行ける、萌香となら。お互いで支え合える、萌香となら……。
・ ・ ・
応接用のソファで目を覚ました。
幸のソファベッドを羨ましげに見つめたが、そんなものは通用しなかった。
そもそも寝るためのものではないので体が少し痛い。軽くほぐすために準備体操をしていた時に、事務所の電話が鳴った。
「はい。守屋探偵事務所」
「おう、服部だ。…って、まだ風邪は酷ぇみたいだな」
それはそうだろう。体は入れ替わったままですもん、とは言えなかった。
「ええ、こじらせてしまったのかも。で、お電話されたということは何か分かったんですね?」
「まったく…。おう、分かったぜ。分かり易くて大変そうだったな。お前さんの嫌う話だが……」
服部の言葉に眉間にしわを寄せて、電話口の声に耳を集中させた。
服部からの情報でおおよその事が掴めた。おそらく今日動くことも。
「…おはようございます……」
「萌香ちゃん、おはよう。早速で悪いんだけどさ、俺の為に一緒に動いてくれない?」
昨日の今日なのに恥ずかしいという気持ちが湧いてこない。だからこそ、一緒にいたいのだろう。
萌香は少し微笑み、力強く頷いた。
「あれぇ、皆さん早いですねぇ……。じゃあ、もうちょっと寝ますぅ……」
「起きたんなら起きる。店番よろしくね」
幸は不服そうな体の動きをしたが、一応手は振ってくれたので大丈夫だろう。
車が使えないのでタクシーに乗る。場所も決まっている、対象者が来る時間も分かっている。
「…祐さん、元の体に戻れるんですか……?」
「うん。でもね…いや、2人での協力が必要かな? 萌香ちゃんの役割を説明しとくね」
目的地に到着するまでに、必要な話を済ませた。
これも俺1人ではできない事だ。
目的地のマンションの近くに到着すると、電柱に身を隠すようにしている俺の背中が見えた。
「待ち伏せするなら、もうちょっと見つかりづらい場所でやるべきだと思わない?」
「…逆に目立ちますね。…では、作戦通りに……」
2人とも頷き、動き始めた。
萌香が俺の体にいるやつの横を通る。遅れて俺も、後から付いて行く。
先を行っている萌香がやつの少し斜め前を通ったときに、俺も少し斜め後ろで止まった。
「一条さん…、探しましたよ」
その声に驚いたのか俺が狼狽している顔があった。
なるほど、俺は今まで散々おちょくられる度にこんな顔をしていたのか。新しい発見をしたように思った。
「あ、あ、あ、その、お願いです。もうちょっとだけ。もうちょっとだけ、この体を、」
「ああ、大丈夫。その件については構いませんよ。私共は…私の名刺も見ているでしょうから省きます。
依頼さえいただければ、あなたのしたい事をサポートしますよ?」
彼が苦悩している原因。それを取り除くための……。
「…依頼、ですか? 何をするのか知っているんですか?」
「大体の事は、ね。なので、依頼をしてください。あなたの願いのお手伝いをします」
・ ・ ・
対象者と接触する為に、俺と萌香、あと一条をそれぞれ別の位置へ配置する。
いつもであれば、この時間に出てくるはずだ。……来た。部屋を出る。あとは道に出たところで確保だ。
2人に目配せをして、対象者が出てくるのを待つ。見えた、道に出てくるまで…………。
「雪江、ちょっと話があって来たんだけど、2人で良いかな?」
「あ、あんた……。一馬、あんたは接触禁止令が出ているのを知っているんでしょ? もう、この子には自分の所為で会えないだからね」
少し濃い目の化粧にキツめの顔をしている雪江の後ろに、小学生高学年ぐらいの女の子が立っていた。
「待てよ、雪江にちょっとだけ話があってここに来たんだ。さくらには、玄関のロビーで待ってもらいなさい。
悪い話…まあ、人に聞かれたくない話だから、ちょっとだけさ」
雪江は娘のさくらに言い聞かせ、俺の所に来た。少しだけ離れようと言ってマンションから少し遠ざける。
「ちょっと一馬、いい加減にしてよ。どこに行くのよ?」
「う~ん、まあ、この辺で良いかな? 探偵さん、出てきてもらえますか?」
その言葉に雪江は慌てた顔をして周囲を見始めた。
道の角に隠れていた萌香が姿を現し近づいてきた。
「…探偵事務所の者です。…一条さんから依頼を受けました……」
萌香の言葉を聞くと、雪江が思いっ切り敵意むき出しの目で睨んできた。
「おいおい、怖い顔するなって。まあ、そう言うことでさ。何をしたのか、大体知っているよ。
出張が多いことを利用して男を連れ込んだ事。まあ、今でも同じ男みたいだから一途っちゃあ一途だ。
そんなんだから離婚も、腹立たしいが理解できる。同情を引いての調停での離婚だが、まだ分かる。
だけど、さくらに関しては許さない。浮気相手が暴力しているのを見て見ぬふりをしているんだろ?」
そう。一条の苦しみはここから始まっていたのだ。
「適当な事を言わないでよ。浮気とかしてないし…さくらには教育の為よ!」
「なるほど……。実は面会日の時に気付いたんだ。見えない所に青あざがあることをね。
だから、面会日以外でも調べたかった。さくらが可哀想だったから。…養育費の為だけに連れて行かれた、あの娘がね」
怒りで赤くなっていた雪江の顔が、青くなっていくのが分かった。後は萌香の出番か。
「…あなたの大抵の事は分かっています。…直近の話なら、あなたの彼氏が深酒をして、今でも寝ている事。
…酷い話なら、一条さんが面会日以外にさくらちゃんに会おうとした事で…すぐに弁護士に頼み接触禁止の依頼をした事……。
これは、あなたの家計が火の車であるため。…だから、さくらちゃんは手放せない。…自分の生活のために……」
萌香の情報は服部からもたらせられたものだ。流石は情報屋の元締めだ。
聞いた時は胸くそが悪くなったが……。
「探偵さん、ありがとうございます。…と言う訳だ。慰謝料も払い、子供まで奪われた。
愛してやまない娘が養育費を搾取するためだけに……。そして、男の暴力まで見逃す。親のすることじゃないよ」
一条にとってはお金よりも、娘が傷つけられ、利用されていることに苦しみを募らせていたのだ。
「だから提案がある。今のままで過ごすつもりなら、児童相談所に連絡する。証拠もあるからバッチリさ。
あとは調停に持ち込んで、さくらの親権を俺に変える。ただ、そうなるとお互いにとってもデメリットも多い。
そう言う訳で養育費の10年分を払うから、親権を俺に譲れ。あとはその金で好きなようにやればいい」
そろそろ限界かな、時間稼ぎは十分できたと思うが……。
ありがたい事に雪江は黙ったままだ。打算計算を頭の中でフルスロットルさせているのだろう。
「…急に言われても困るわ。こっちにだって都合があ、」
「こっちは気が気じゃなくてね。娘が痛い思いをしているんじゃないかと思うと、それだけで発狂しそうなんだ。
下手に人生にケチを付けたくはないだろ? お互いにとって悪くない話だと思わないか?」
頭の中の計算を更にあおるような物言いをする。
「どうだ? 前倒しで養育費を貰えるんだからさ。それがある内に、身の振り方を考えれば良いさ。
まあ、彼氏と相談しな。悪い反応はしないんじゃないかな?」
そう言うと、雪江はうつむいたまま、しばらく考えていた。まあ、今の状況から考えればお金に目が眩む。
これは一条との取り決め通りだ。娘を救う為に一条のできること……。その思いを少しでも後押ししたい。
「ま、考える時間は…あんまり長くないか。早い内に決めてくれよ。毎日、悩ましくて今にも動きそうなんだから」
雪江は、分かった、とだけ言い残してさくらの元へ帰って行った。
雪江の歩く反対方向から俺、もとい一条が走ってくる。
「守屋さん、すいませんでした。あんなに長い時間をいただいて」
「いえいえ、依頼をいただいたのですから。どうでした? 首尾よく行きましたか?」
「ええ。やはり、見えない所に…大きなあざが幾つも……。ちゃんと写真も撮ってきました……」
沈痛の面持ちとはこの事だろう。一条の顔を見るのが辛い。
自分の娘がどんな思いで過ごしているのか、考えるだけで涙が出るだろう。
「では、そちらの証拠を基に更に揺さ振りを掛けましょう。ま、今のままでも行けそうですけどね。
あと、さくらちゃんへの誕生日プレゼントとあなたの気持ち…そして、願いを伝えることができましたか?」
一条が大きく頷いた。あの娘をどれだけ愛しているか、そして、必ず助け出す。その事を俺の体から伝えたのだ。
「それでは一条さん、お話の通りにお願いしますよ」
右手を一条、もとい俺の体に差し出すと、俺の体が手を握ってきた。…処分完了である。
・ ・ ・
一条からは何度も頭を下げられたが、結果的に依頼を受けたので良しとする。
こちらが提示した内容に対する雪江の反応を伝えると、少しだけ引き締まった顔になり笑顔を見せて去った。
「いやぁ、やっぱり自分の体が一番だね。やっぱり、こっちの方がしっくりくるでしょ?」
「…そうですね。私はそっちが好きです……。イケメンではないですけど……」
「手っ厳しいね~。ま、その言われようにも慣れてるけどさ。…どうだい? せっかく戻ったんだし、昨日のようにハグするかい?」
萌香に向かって大げさに手を広げて見せると、少し恥ずかしそうに顔を背けた。まあ、俺もそうだ。苦笑いをした。
「だね。俺たちにとっては、これが一番似合うのかもしれない」
そう言って、萌香に向けて右手を差し出す。
「…ですね。それが一番かも……」
萌香もそう言うと、右手を俺に差し出して握手をした。
彼女の少し力強い握手は、意志の固さを感じさせるものであった。
事務所に帰ると幸だけじゃなく天もいた。
「ただいま~。天ちゃん、心配してきてくれたの? ありがとう」
「…ただいま帰りました……」
2人で帰ってくるのも珍しいことではないが、目ざといやつがいた。
「お帰りぃなさいまぁせぇ~。ん、何か距離が近いですねぇ。何かあったんですかぁ?」
「言わな~い。ま、人間色々とあるもんだよ。ね、萌香ちゃん」
そう言って振り返ると萌香も笑顔になっていた。しかし、これこそが地雷だった。
「祐さん、何が色々あったんですか? 人が心配して事務所まで来たのに」
「あはは、ごめんねぇ。ホンットに厄介な事件だったんだよ。いやぁ、でもイケメンに変わるのも何か不思議だったねぇ」
そう言いながら、萌香と一緒にそれぞれの椅子に座りに行った。
「完全に話を逸らしましたね。萌香ちゃん、何かあったらすぐに連絡してね?」
「…うん。天ちゃんに連絡するから……」
そうだ。ここのネットワークが一番怖いのだ。細心の注意を払わねば。
「っていうかさぁ、萌香ちゃんは俺の情報流し過ぎじゃない? 半分裏切り者だよ?」
「祐さんが悪いんでしょ。色々と秘密が多いこと多いこと。他にもやましいことがあるんじゃないんですか?」
ぐうの音も出ない。いや、言い忘れていることも多いんだが……。
萌香に目を向けると、笑顔を返してくれた。
その笑顔がとても愛おしい。思わず笑顔になってしまう。
「ん? 祐さん、萌香ちゃんと何を目を合わせて嬉しそうにしているんですか? まさか!」
「…大丈夫、天ちゃん。…そんなことはないよ……」
「そうそう。パートナーにしか分からない、アイコンタクトってやつ? ま、半分裏切り者だけどさ」
「なんか、それはそれで悔しいですけど……。萌香ちゃんが言うなら大丈夫なんでしょうね」
天の少し不満そうな声を聞いて、一番に俺が笑ってしまった。つられて萌香も、そして天も。幸も少しだけ微笑んでいる。
これが俺の、萌香の幸せな光景なのだろう。
昨日の事を思い出して見ると、萌香も俺も恋愛感情ではない。それでも一緒にいたい。
ただ、2人の思いが一緒だったことが嬉しい。もう俺の背中を追う少女じゃないのだ。一緒に傍に立てる女性なのだ。
そのことが堪らなく嬉しい。
ずっと1人だと思っていた。そんな俺に家族や友人、恋人……そしてパートナーができた。
これだけで満足してしまいそうだ。
だけど、まだまだ先は長い。今の繋がりをもっと強くし、更なる出会いに心躍らせる。
そうなることを願ってやまない。




