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言の葉の鎖

 人は言葉を発することができる生き物である。

 言葉には、その言葉の意味を伝える為だけのものではない。


 誰もが言葉によって様々な感情に変えられる。

 良い気持ち、悪い気持ち、楽しい気持ち、悲しい気持ち……。


 人は自分にも言葉を掛けることができる。

 それも前向きなこともあれば、後ろ向きなものもある。


 そんな人に前に進む力を与える言葉もあれば、後ろの闇に引きずるような言葉もある。


 言葉は人に様々な影響を及ぼす。その為、人々は言葉には力が宿るという。

 それを言霊と呼び、言葉は大事なものだとよく言われる。


 しかし、誰もが言葉に宿る力を認識している訳ではない。

 むしろ何も考えずに言葉を発している人が大半ではないだろうか。


 人だからこそ作り出すことができる、言霊。

 そんな言霊が人に何を与えるのか。今回はそんな話をしよう。


    ・   ・   ・


11月初旬

 俺の名前は守屋もりや たすく。探偵を生業として、今日もハードボイルドに生きている。

 ブラインドカーテンを指で少しだけ広げた。多分、かっこいいはず。


 「今日も暇そうですねぇ」

 自分が悦に浸っているところに、水をぶっかけるような言葉を気怠そうに口にした女性は、福空ふくそら みゆきだ。

 それほど大きくない、この事務所には不釣り合いなソファベッドの上で、寝転がりながら本を読んでいる。


 「幸ちゃんよりは暇じゃないはずだよ」

 苦し紛れに、精一杯のお返しの言葉を投げつけた。


 「そうなんですねぇ」

 こちらに目も向けず幸は生返事をした。

 言い返す言葉もなく、所長席に情けなく座る。


 幸を横目で見る。

 けっして不細工ではない。目も大きく、パッチリ二重、唇も色気があるように感じる。

 が、彼女の怠惰さと、毛玉まみれのだらしない服が色々と台無しにしている。

 男の気配がないのもこのせいだろう。女の気配がない自分が語るのもどうかと思うが……。


 そんなアンニュイな時間を吹き飛ばすかのように、電話が鳴る。即、取る。

 「はい!守屋探偵事務所でございます!」

 勢いよく取ってしまったのは、仕事の依頼に喜び勇んでしまったからか。


 「ハードボイルドの欠片もないですねぇ」

 幸が何か言ってるが、耳を傾けている場合じゃない。


 後日、依頼者と細かく話しをする。

 依頼の内容は、妻の浮気調査であった。身入りは良い方だが、気持ちの良い仕事ではないのであまり気が乗らない。

 とはいえ、仕事が来たのである。きっちりこなして、報酬をいただこうじゃないか。


 調査に必要な望遠カメラやレコーダー、集音性マイクなどの道具をまとめる。

 最後に喪服のように黒いスーツに、緩く絞めた細い黒ネクタイ。自分のスタイルを決めて街に出かける。


 仕事に行くのは1人ではない。自分には優秀な部下がいる。式神である。

 紙片でつくった人の形をした、人形ひとかたに術を掛け人間そっくりの式神を作りだすことができるのだ。


 式神は指示を出すことで、その指示に従い動く。術士の力量が高ければ、その精度などが高まる。

 これがあるからアシスタントが幸だけで済む。


 先ずはターゲットである依頼主の妻の行動パターンを把握するために、式神と共に依頼主宅に車で向かう。

 白黒のコントラストが綺麗な外観のマンションに到着した。こんな家で専業主婦とは羨ましい限りだ。それなのになんで……。


 そんなことを考えていると依頼主の妻が家を出た。まだ、朝方である。

 メイクも整え、服も普段着とは思えない綺麗なものだ。これは早々に良い証拠が得られるかもしれない。


 向かう先はどうやら駅のようだ。すぐに式神をおろし、自分はコインパーキングに車を停める。

 式神をつけてはいるが、不足の事態に備えて2人で動いたほうが良い。


 式神と合流しようと走っていた時、駅ですれ違ったサラリーマンの体に鎖が掛かっているのが見えた。

 周りの人には見えない鎖。その鎖の色が気になり、その男に近づくと、鎖には悲痛な顔が錠前のようについていた。


 「…助けて…お父さん……」

 薄い緑色の鎖から微かに聞こえた、その声はとても悲痛なものだった。

 だが、父親と思われるこの男には届いていないようであった。


 鎖を掛けたサラリーマンに気を取られ、依頼主の妻を見失ってしまった。

 式神と連絡を取って合流した。ありがたいというかなんというか…。早々に依頼主の妻が、浮気相手と思しき男と会っているのを撮影できた。

 

 夕方、妻がマンションに戻るところまで確認し、式神を残し事務所に戻った。

 依頼主へ今日の報告をし、写真を印刷しておく。


 「浮かない顔ですねぇ、残念な結果ですかぁ?」

 俺の顔を見ながら幸はソファベッドに横たわり話しかけてきた。

 浮気調査は順調なことと、鎖が掛かった男の話をした。


 「で、浮かない顔はその鎖が掛かった人のことなんですねぇ?」

 幸は怠惰ではあるが、勘が良い。


 「鎖が掛かっていることは珍しいことではないし、もっとドロドロしたものを持っている人もいる。

 だけど、あんなにか細く助けを求める鎖は滅多に見ないんだ」

 そう。悲痛さを叫ぶのではなく、必死に絞り出したような声が頭から離れないのだ。


 「行っちゃったらどうですぅ? あとは式神ちゃんたちに任せてぇ。電話くれれば適当に指示はしますからぁ」

 ありがたい言葉を口にした寝転んでいる幸を見ながら思う。幸の適当は本当にテキトーの時があるから怖い、と。


 追跡用に、また式神を作り出した。何体も作り出すのは、結構な力を持って行かれるが仕方がない。

 先日、鎖を体に掛けた男を見かけた時間に駅のホームで相手を待つ。

 対象は同じ時間に現れた。鎖は掛かったままだった…。


 浮気調査と並行しながら、鎖の男の調査をするのには骨が折れた。

 結果として、鎖の男の正体が先に判明した。

 と言うより鎖の男の家を調べると、あとは近所の奥様方からの情報により、おおよその事情が確認できた。


 鎖の男はみやこ 純一じゅんいちと言い、妻と娘の3人暮らし。

 純一は仕事人間で帰りがいつも深夜だったり、帰ってこない日もあるそうだ。


 妻は子育て・教育を一手に任されていたが、かなり厳しいものであったようだ。

 純一が家庭よりも仕事を選び、さらに没頭していったことにより、妻は前にもまして娘に厳しく当たっており、今では新興宗教にまで手を出しているという話まで出てきた。


 寒さが増してくる季節の中、人もまばらな深夜の駅で最終電車を待っていた。

 「悲惨な家庭環境だなぁ…。家族なのにバラバラかよ……」

 独り言をつぶやき、到着した最終電車に乗り込む。


 ここまで来たら、やることは一つ。

 純一と話して、その鎖の正体と思われる娘を解放したい……。


 最終電車なのに純一はさほど疲れていないようだ。ナイスミドルとはこの事かと思う顔立ちをしていた。

 こんな時間まで仕事をしたのに、顔からは疲れを感じさせなかった。

 そのタフさは昭和のビジネスマンを彷彿とさせる。ただ、それが良い事ではなかったのだ。


 さっさと話を済ませる為に、純一の横に座る。

 がら空きの車内で急に男が隣に座ってきて、少し驚いている様子だった。


 「面倒な前置きは省かせていただきます、私の話を黙って聞いてください」

 有無を言わせぬ強い口調で、純一の開きかけた口を閉じさせた。


 現在の家庭環境、妻と娘の関係、新興宗教へのすがり、そして鎖のことを。

 知っていることを全部話す。最後に……。

 「娘さんがあなたに助けを求めています」


 車内に沈黙が流れる。沈黙を破ったのは、当然純一である。

 「にわかに信じがたい話だ…が、急にそんなことを話されても理解できない!君は何がしたいんだ!?」

 冷静に処理しようと試みたが、後半は感情が爆発してしまったようだ。純一は困惑を隠せない表情となっている。


 「何がしたいですって? 助けたいに決まっているでしょう!」

 処分屋としての仕事の開始だ。


    ・   ・   ・


 純一は理解が早くて助かった。タクシーを使い、早速、純一宅に向かう。


 「娘はいつごろからか体を動かすことが難しくなった。妻に治療を任せていたのに……何で……」

 純一は頭を抱えながらつぶやいた。独白なのか、自己弁護なのか…。何にせよ、今更だ。


 「家の前に知らない車が止まっている!誰がこんな時間に!?」

 純一は困惑しているようだ。仰々しい車から、だいたいの察しはついた。


 「顔が拝めるかも知れませんね。奥さんの信じる教祖様に」

 そう言って思う。せめて、助ける力を持っている人間であれば良いのだが。


 家に入るなり、白装束を来た2人の人間が客間と思しき所のふすまを閉ざすように立っていたのが見えた。


 「誰だ、あんたたちは!家で何をしているんだ!?」

 純一の問いに、表情を変えず首だけをこちらに向けた。


 「これから悪霊を退治する儀式に入ります。何人たりとも入れられません」

 その目から伝わる。この人達は教祖のことを心から信じているのだろう。悪いことではないかもしれない。

 そうだからこそ、説得の言葉など通じないだろう。ここは実力行使させてもらう。


 「群青百足ぐんじょうむかで……」

 俺の右側の首筋から、群青色をしたうねる生き物が浮かび上がる。

 自分の顔ぐらいの横幅を持ち、その姿形は正しく百足である。

 霊力を抑えている為、その姿が見えるのはこの中では自分だけであろう。


 群青百足、これは術や魔法などではなく「禍ツ喰らい(まがつくらい)」の血を持つ自分の固有能力である。

 いや、固有の呪いのような、生まれ持っての宿命の力とでもいうべきか。

 怪異を喰らう化け物。浄化するのでもなく、解放するでもなく、喰らうための力。


 信者と思しき2人には百足に軽く魂を噛り付かせる。

 糸が切れた人形のように倒れる。2人を見て、純一は困惑しているようだ。


 ふすまに手を掛け、一気に開ける。何の抵抗もなく開け放たれたということは封印も結界も張ってない。

 力など持っていない偽物。いや、詐欺師と言ってもいいだろう。


 「何だお前は!神聖な除霊中であるぞ!我が信者はどうした!?」

 白装束に偉そうな金で装飾された法衣を着て、ハゲ頭に肥満体、尊大な物言い。

 ここまでテンプレ通りのような教祖様だと逆に感心した。


 仏間には白装束の母親と布団に横たわっている娘がいた。

 目についたのは、娘の服がはだけていることだ。

 その光景に血液が沸騰しそうだ。冷静さを取り戻すために、教祖様に問いかけた。


 「この娘に何をしようとしていた? どのような方法で彼女を救うつもりだったんだ?」

 「教祖様とまぐわってもらい、その神聖なお力を体の中に入れてもらうのよ!」

 純一の妻が血走った目を見開て、叫ぶように教えてくれた。

 髪が乱れ荒れていることが余計に狂気を感じさせる。


 百足を目の前に動かしても、誰も見えていないようだ。

 霊力を抑えて薄くはしているが、霊力があれば見えるはずだ。


 こうなると、なぜ彼女が横たわって動けないのか、自分以外には分からないのだ。

 教祖様が何かを騒いでるが、耳障りなので百足で押さえつける。

 カエルの鳴き声のような声を出し這いつくばった姿を横目に、早速準備を始める。


 「何をしているのよ!? 教祖様にしか娘は治せないのよ!」

 純一の妻は叫ぶ。そんな言葉を無視し、準備の手を緩めない。


 「あなたの娘さんがどんな状態か見えるようにして差し上げてるだけですよ」

 香を焚き、特製のろうそくに灯をともし、電気を消す。

 一時的に霊力のない人間にも怪異が見えるようにする準備は整った。


 「もう少ししたら、見えてきますよ。彼女を縛っているものが」

 娘の服を整えながら、純一夫妻に告げた。


 「ひぃっ!」

 怯えた声を上げたのは、純一の妻だった。


 娘の体に無数に絡みつく鎖。

 錠前のように見えるのは顔で、それぞれの顔が声を上げている。

 すべてが自分と同じ顔、同じ声で……。


 「この顔、この声、この言葉に覚えがありますよね?」

 純一の妻の目を見て問いただす。ここからが正念場だ。


 「私は悪くない…この子のためを思って…この子が立派な人になるように…」

 純一の妻は自分の行いを肯定するかのようにつぶやく。

 その間にも、鎖の顔からは娘に浴びせてきた言葉が部屋に響いている。


 「なんでこんなことを言ったんだ!? これが子育て? 教育方法だと思っているのか?」

 純一は妻の声を発する鎖を見ながら、声を荒げて問いただした。


 「あなたが悪いんでしょう!子育てはお前に任せると言って、家にも寄りつかず!」

 夫婦での不毛な責任の擦り付け合いが始まった。


 「そんな言い合いをしても、娘さんは助かりませんよ」

 この言葉で仏間に静寂が訪れた。続けて言う。


 「お分かりになっていると思いますが、奥さん…娘さんの鎖は、あなたの言葉によるものです」

 この言葉に純一の妻は黙ったまま話を聞いていた。


 「言葉を発してしまえば、少なからず言霊となり人に伝わる。悪い言葉や責める言葉などは心に刺さったり、体に鎖のように巻きついたりします。

 娘さんは……奥さん。あなたからの言葉が、言霊が鎖になって巻きついていることで、体が重くなり、動けなくなっていったんです」


 「じゃあ、どうしろっていうのよ…私だけが悪いの!? 夫も、この子も悪くないの!?」

 純一の妻は認めたくない気持ちが、まだどこかにあるのだろう。憤った表情をしている。


 「そう、あなただけのせいではありません。家族全体の問題なんですよ」

 彼女の…純一の妻であり、娘の母である彼女の言葉を肯定した。そう、1人だけの問題ではないのだ。


 「娘さんを助ける方法は単純です。夫婦で話し合い、娘さんへ掛けた重荷を降ろしてあげるんです」

 要は関係の良好な家庭を築くことが解決のまず一歩なのだ。


 「今一度言います。お2人の悪かった所を認めあい、娘さんに対する言動を謝罪するんです」

 これができなければ、強行な手段での解放しかないが安全は保障できない。


 沈黙を破ったのは、純一であった。

 「家庭を省みなかったこと…申し訳なかった……。逃げていたんだ、仕事を理由に。

 君にも、萌香もえかにも寂しい思いをさせているのも心のどこかで思っていたのに……」

 娘を名前で呼んだのを初めて聞いた。そんな些細なことが嬉しかった。


 「ごめんなさい…あなたが家族のために頑張っていることは分かっていたの……。

 でも寂しくて、相談できなくて、1人で答えを出したつもりでいて。あなたに萌香を立派に育てたことを見せたくて……」

 妻は今まで我慢してきた涙と共に謝罪の言葉が溢れだした。


 少し、ほんの少しではあるが、夫婦の抱えた苦しみやわだかまりが解放された。

 「萌香、ごめん。全然、話を聞いてやれなくて。あのとき玄関で話しかけてくれたときも、言葉を遮ってしまって。

 思えばあの時に、お父さんに助けを求めていたんだろう? 今さらだけど、ごめんなぁ……」

 純一は最後には涙声になりながら、萌香に謝罪をする。その顔は最終電車で見たサラリーマンの顔ではなく、父親の顔だった。


 「私も…ごめんなさい。寂しさからきつく当たったり、お父さんに負けたくなくて、あなたをお父さんよりも立派な人間にして、見返したかったの。私のわがまま。本当にごめんなさい。」

 母としての謝罪の言葉。許しを乞う言葉。娘を助ける為のお膳立ては整った。ここからが処分屋としての俺の出番だ……。


 父母の言葉が言霊になり、萌香の鎖が緩んでいくことが分かった。

 「これで終わりではありません。本当の解放は、彼女が自分自身を許さなければなりません」

 少し驚く純一夫妻の前で、左手に力を入れる。少しだけ光を放っている。


 「天よ…この者にまとわりつきし、悪しき力に抗うためのお力をお与えください」

 そう唱えると、左手から柔らかい光が溢れだしてきた。天からの力を左手に宿した。

 その手を娘の胸に当てる。弱りきった心と体に活力を与えるために。


 萌香が体を起こしたのを見て、純一夫妻が体を支えにすぐに近寄った。

 2人は萌香の体調を心配し、また謝罪の言葉を掛けていた。


 「今までの話しは聞こえていただろう? きついかも知れないけど、あとは君が自分のことを許すんだ。

 鎖をきつく縛り付けた、もう一つの要因……」

 あえて含みのある言い方をした。彼女に理解してもらうために。


 「…私は…頑張った…精一杯……。お母さんに褒められたくて……。怒られるのも、できない私が悪いから……」

 まだ体に力が入らない中、絞り出した言葉。


 「できない自分を責め続けてはいけないよ? 心が縛り付けられてしまう。頑張ったんだよ、君は」

 自分を責めることは悪いことではない。しかし、責任に囚われてしまえば、自分を縛り付けることになる。


 「君は悪くないよ。頑張った、十分すぎるぐらい頑張ったんだよ。だから…君は悪くない……」

 俺の言葉が萌香に届いたのか責任感による縛る力がなくなっていき、鎖が体から緩み落ちていった。

 あとはもう一度、左手に光を宿し鎖を完全に処分する。辛い思いが生んだ鎖を、ここに残しておくものではない。


    ・   ・   ・


 言霊が作り出した人を縛る鎖は、光の中に散っていった。


 萌香は疲れきったのか、また布団に横たわった。活力を与えたといえ、かなり辛かったであろう。

 一仕事を終え、達成感の余韻に浸っている中、耳障りな声が聞こえてきた。


 「娘が助かったのは、わしがここにいたおかげじゃ!そいつはわしの力を利用しただけの低能力者だ!」

 低能と霊能を掛けたのかと一瞬思ったが、笑う気にはなれない。

 この光景を見ても尚、まだこれだけ威勢を張れるのは、さすがは教祖様だと呆れるしかない。


 せっかくだから、こっちのエセ宗教の教祖様にはお仕置きをしておくか、と蔑んだ目をし見下ろした。

 持ってきた鞄から小さな鏡を出し、教祖様に見せる。


 そこには、教祖の肩の周りにネバネバしい黒い塊が乗っかっていた。

 更に足元を見せると、赤黒い錆びついたような鎖が囚人のように固定されていた。


 「あんたの周りにまとわりつくのは、あんたに金や人生を奪われた人たちの怨念だ。

 そして、足に固定されているのは死んだ後にあんたを地獄に引きづりこむための鎖だよ」

 教祖様の恐怖する顔を確認して、話しを続ける。


 「10億円払えば解放してやるよ。散々巻き上げてきたんだろ? 嫌なら今まで信者から巻き上げた金を返していけ。謝罪も合わせてな」

 「そんなこと、できるわけないだろう!…分かった!お前を副教祖にしよう!金も女も不自由しないぞ!だから、この気持ち悪い物っ!?」

 話の途中で、教祖様の顔に足を乗っける。聞くに堪えなかった。


 「お前が気持ち悪いと言ったのは、お前のせいで人生が狂わされた人たちの思いなんだよ……。

 自分でまいた種だろう?自分で最後まで責任を持てよ」

 必死に堪えた。処分屋は感情を殺して向かい合う。その信念が激情を抑えた。


 「うぅ…、なぜわしがこんな目に……」

 教祖様が被害者面でつぶやく。ここまで来て、こんな顔が出せることに更に呆れた。


 「何もしない…それでも構わない。だが、その呪いは必ずお前の体を蝕む。

 簡単に死ねると思うなよ。そして、足の鎖の色と大きさから地獄行きは避けられないだろうね。

 地獄は楽しいぞ。何度も死の苦痛を与えるために、悪魔共があの手この手でおもてなししてくれるからな」

 そう言い放ったことにより、教祖様が怯えきった顔になったことを確認して最後にもう一度だけ言う。


 「自分の行ってきたことを省みな。反省し、許しを乞え。

 あとは善行を重ねれば、もしかしたら地獄行きを回避できるかもな。まぁ、結局はあんた次第だ」

 言い終わると、設置した香や、ろうそくなどをさっさと鞄にしまい都家を後にした。


 家に帰りたかったが、式神からの調査報告も聞かねばならないので、疲れた体を押して事務所に戻ることにした。

 処分が終わった、処分屋としての仕事は終わったのだ。


 憐れみ、同情、怒り…。様々な感情がこみ上げてきた。

 信号待ちの車の中で、こみ上げてきた感情をまとめて消し飛ばすように大声でぶちまけた。


 事務所に帰ると幸がいつも通り寝転がって本を読んでいた。

 「ただいま~……」

 「お疲れでしたぁ。式神ちゃんたちが報告しに来ましたよぉ。机の上の書類を見ておいてって」

 幸が寝転びながら口にした労いの言葉も早々に、仕事の話を聞かされて疲れが増していくのを感じた。


    ・   ・   ・


数日後

 浮気調査が無事と言っていいのか分からないが終了した。

何故か夫婦の話し合いの場に呼ばれてしまい、物を投げつけられるハプニングはあったが、とりあえず調査は終了したのだ。


 紙だけで結婚したことになり、紙だけで離婚となる。

 しかし、気持ちが切れた段階で、夫婦として、家族として終わっているのではないか?

 では途切れてしまった気持ちは? 容易ではないが、きっと結び直すことはできるはずだ。


 事務所のドアをノックする音がした。

 「どうぞぉ~。いらしゃいませぇ~」

 幸の気怠い声で迎え入れたのは、都一家であった。


 誰かさんのソファベッドのせいで、狭くなってしまった応接スペースに都一家を誘導した。


 「この度は、私たち家族を救っていただきありがとうございました。

 あれから皆で話しを何度もしました。こんな短期間で溝が埋まるとは思っていませんが、守屋さんのお陰で、今一度家族について考えることができました」

 純一は晴々とした顔で言った。


 「本当にありがとうございました。私も自分のしたことを反省することができました。

 萌香に与えた苦痛がこれだけで癒えないでしょうが、精一杯家族としてやり直したいと思います」

 純一の妻は少し疲れた顔ではあるが、目はしっかりしていた。


 「お礼がてらになりますが、謝礼をお渡ししたく参りました」

 純一が分厚い封筒を目の前に差し出してきた。


 おもむろに封筒を受け取る。枚数をざっと見て、20枚ほど抜き出した。

 残りのお札が入った封筒は純一の前に置いた。


 「守屋さん、これは? このお金はあの教祖が返したものです。あなたにすべてを受け取っていただきたい」

 純一は困惑した顔で、再度こちらに封筒を差し出してきた。


 「いえ、そもそもあなた方のお金です。私は今いただいた分で十分です。

 お金のために動けば、欲でしか動けなくなりますから。必要経費と多少の色を付けた分だけで良いんです」

 自分の信念を伝えた。あの人の受け売りであり、引き継いだ思いである。


 「どうせなら、そのお金で旅行などに行かれてはいかかですか? 家族でゆっくりすごすのも、今の都さん達には必要なことですよ」

 一緒にいる、一緒に感じる、家族として共有する思い出を作って欲しかった。

 その思い出が家族を結ぶものになる。心を癒してくれるものになるから……。


 「守屋さん、本当によろしいのですか?」

 純一は再度、確認してきた。


 「ええ。あと娘さんへのアフターケアも含めての金額をいただきましたので、また後日、予定を確認するお電話を差し上げます」

 純一の問いに微笑んで頷き、必要なことを言った。

 アフターケアを完了することで、本当の仕事完了である。


 その言葉に今までほとんど反応を示さなかった娘、萌香が顔を気持ち上げた。

 「…アフター…ケア……?」

 無表情で、間が開いた喋り方で萌香は問いかけてきた。


 「そ。怪異と接していると、霊感が過敏になってしまう人もいるんだ。

 そんな状態だと、別の怪異に憑りつかれたりしてしまう危険性があるから、過敏になっている霊感を鈍化させるのがアフターケア。」

 辛い思いを蘇らさないように、できるだけ明るい口調で話した。


 不謹慎だが、この娘もとい萌香はなかなかの美人になりそうな顔だ。

 伏し目がちではあるが、目鼻立ちはスッキリしているし、髪も少し癖っ毛ではあるが緩やかなパーマを掛けた感じだ。これは成長が楽しみではないか……。

 思わずニヤけてしまうのを我慢して、萌香の反応を待つ。


 「…あの…よろしく…お願いします……」

 萌香の了解が取れた。あとは両親がどう思うか……。


 「こちらからも、よろしくお願いいたします」

 両親も疑問に思うことなく、早々に了承してくれた。杞憂で良かった。


 まだ謝礼について純一は色々言ってきたが、十分の一点張りで事務所から追い出すようにお帰りいただいた。


 「毎度のことで申し訳ないんですがぁ、もうちょっと多めに貰っていただけると、私の蔵書が増えるんですけどぉ」

 相変わらず寝転がったまま幸が自分本位の考えを言ってきた。

 幸の気持ちは分からないこともないが、完全に私欲である。


 「自分の欲望は自分で叶えなさい。俺は怪異についてはこの考えは変えないよ」

 「浮気調査の報酬はキッチリいただいてますよねぇ?今回の報酬と合わせれば、魑魅魍魎大全が、」

 「買わせねぇよ!?」

 間髪いれず、釘を刺す。下手をすると勝手に買ってきてしまいそうだ。


 事務所の下のカフェに入っていく都一家が見えた。

 「家族かぁ……」

 「家族ですかぁ……」

 俺のつぶやきに、幸の生返事が少し心地よかった。


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