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勿忘草(忘れな草)

 人の記憶は脳に蓄積されているものである。


 その昔、記憶は魂にあるものと言われていた。

 そう言われると必ずしも脳にあるだけではないのかもしれない。


 記憶を忘れていくことで、人は生きていけるという。

 全てを記憶することは脳に多大な負荷を掛け、普通であれば失くしていく記憶からストレス等を受け続けるためだ。


 忘れたい記憶、忘れたくない記憶、忘れて欲しくない記憶……。

 記憶したからには、その記憶がどうなるのか……。我々に選択はできない。


 しかし、願うことはできる。記憶をどうしたいかを……。

 例え、その願いすら記憶から消えてしまっても、その記憶は魂に刻み込まれているのかもしれない。


 人の中に残り続ける記憶、忘れていく記憶、失くしていく記憶……。

 記憶が魂に刻まれていることを祈っている男について、今回は話をしよう。


    ・    ・   ・


4月中旬

 祐は本職の探偵業に勤しんでいた。


 とは言っても、もはや式神の司令塔になっている感じである。

 それを認めたくない、ちっぽけなプライドがあり素行調査を直々に行っている。


 素行調査も面白いものではない。結婚相手や雇用主、様々な人から大小はあるが疑念を抱かれて依頼されるのだ。

 何も問題がなければ調査された本人には何もないが、裏では疑念を抱かれていたことは覆せない。


 まあ、調査される側にも問題があることも多いが、なかなかに目ざとい人もいるものだ。

 結婚相手の部屋が前と少し違う、身に付けているアクセサリーが今までの趣味と違っていたなど、よくそんなことを記憶できるものだと感心することも多々ある。


 記憶力が高いのは羨ましいが、嫌な記憶を消す力があればそっちが欲しい気がする。

 俺の恥ずかしい記憶は思い出す度に悶えるものだ。


 今回の調査相手は白のようだ。あとは優秀な式神に任せるとしよう。

 式神に調査続行の指示を出し、事務所に戻る。


 人通りの少ない裏道を車で走っていると、救急車が停まっているのが見えた。

 歩道に横づけしているので、歩行者に何かあったのか?


 自分が何かできるものでもないと思い救急車の横を通り過ぎた時、大きな何かが闇の中に消えていったように見えた。

 停まって調べて見るのも良いかもしれないが、得体の知れないものに近づくのも危険と判断し、そのまま車を走らせた。


 「ただいま~」

 事務所に戻ると、幸だけがいる光景に少しずつ慣れてきている自分に気付く。


 萌香も大学が始まり、授業が遅い時間まであるのもあるため、その日は出てこなくて良いと言ったのだ。

 正直、大学生活をエンジョイしてもらいたい気持ちがあるのも確かである。

 高校とはまた違った、広い世界が待っているのだから。


 「祐さん、お疲れでぇ~す。どうでした、式神ちゃん達? 本物以上の活躍っぷりですよねぇ」

 幸の言葉を邪推すると、俺は式神以下と言われている気がしてならない。


 「ま、助かるよねぇ。人件費は掛からないし、疲れ知らずだしね。

 でも俺は疲れるんだよ? そこは労う所じゃないの?」

 式神を人間型にし、それを自立的に行動させる。

 これはそれなりに力を使うものだ。人件費を考えると安いかもしれないが……。


 「いやぁ~、祐さんはえらい子ですねぇ。頭なでなでしましょうかぁ?」

 本を読みながら言う幸から労いの気持ちは感じないし、頭も撫でてもらう必要もない。


 いつも通り幸とどうでもいい会話をしていると、事務所のドアが勢いよく開いた。

 何事かと思えば、天であった。遊びにでも来たのか?


 「祐さん! お話があるので、プレシャス・タイムに行きましょう!」

 こちらに近づいてくるなり、すごい勢いで言ってきた。

 有無を言わせぬこの感じに飲まれて、事務所を後にした。


 「いらっしゃいませ。おっ、天ちゃん。とお前か…」

 いつも通りの三善の歓迎の言葉を受ける。

 それに対しても天は軽く挨拶をするだけで、2人掛けの席に座った。


 三善も普段と様子が違う感じがしたのか、こちらを気にしているようだ。

 何か圧迫面接でも受けるような気がしながら、天の前に座る。


 今日は桔梗がシフトの日のようだ。相変わらず注文の時は素敵な笑顔だ。

 注文を済ませると気になるのは何の話をされるのかだ。依頼だとしたら、かなり深刻そうだ……。


 「祐さん……。萌香ちゃんとお泊りに行ったのは本当ですか?」

 は? 言葉に出なくて良かった。天は何の話をしているのか? お泊り? そんな大胆なこと……。あの仕事の時か……。


 「いや、あれは仕事でね。どうしても1日じゃ解決できなかったんだ。まあ、2日も泊まることになるとは、」

 「2日!? 2日も2人でお泊りしたんですか!?」

 天の言うことは間違ってないが、声が大きい。あらぬ疑いを掛けられたくない。


 「天ちゃん、ちょっと声が。いや、泊まったといっても何もやましいことはないよ。

 何? 萌香ちゃんから愚痴られたとか? いびきがうるさいかったとか?」

 誓って言おう、俺は何もしていない。むしろ何かできる根性が欲しいぐらいだ。


 「いびきがうるさい……。一緒の部屋で寝たんですか……?」

 そこが問題か? と思ったが、天がうつむいている。いったい何があったのか。


 「萌香ちゃんとはお泊りするのに、何で私はどこにも連れて行ってくれないんですか!?」

 なんでこんな話になるのだ。天は自分と遊べと言っているのは分かるが、萌香のは仕事だ。完全なる仕事だ。


 「二股ですか……。いつの間にか、変なところの根性はついたみたいですね?」

 桔梗の声だ。視線が怖くて、顔を上げられない。

 でも2人に対して、身の潔白を証明する必要がある。


 「天ちゃん、桔梗ちゃん。誤解だ。萌香ちゃんの件は完全に仕事だ。

 それに俺に何かができる根性があると思っているのかい?」

 完全に恋人に浮気がバレそうになったときの弁明のようになっているが、事実は変わらない。

 そう、俺は無実だ。二股なんてとんでもない。


 その言葉に納得したのか、桔梗は注文の品を出すとホールに戻って行った。

 「確かに祐さんには、ヘタレなところもあります。

 それは置いといて、私もどこかに連れて行ってもくれても良いんじゃないんですか?

 コネクトでも、色々とメッセージくれるじゃないですか?」

 ヘタレは事実だが、置かれても困る。要は彼女のわがままか。

 でも、俺と遊びたいという思いを持ってくれたんだ。それには答えたい。


 「分かった。今度の休みにどっかに遊びに行こう。今回は俺主導になるけど構わない?」

 「はい。よろしくお願いします。予定は空けときますので、都合が良い日を教えて下さいね」

 急に笑顔になった。天使のわがままも、この笑顔の為なら叶えたくなるものだ。


    ・    ・   ・


 夜、いつも通る道。今日もこの道を通って彼女を家に送り届ける。


 今日見た映画、食べたご飯、他愛のないことで話が広がっていく。

 これを幸せと感じる。これが幸せじゃないなんて思えない。


 だが、この幸せも新しい幸せに変わるのだ。この幸せも、新しい幸せも続いていくように、守っていけるようにしてみせる。


 今日は寄る所がある、と彼女は言った。彼女の家の途中で別れることになる。

 そうだ…行ってはダメなんだ……。そっちに行くと……。


 彼女を追い掛ける。なのに、その距離は縮まらない。大声を上げる、止まって欲しくて。


 そっちは危険なんだ! 彼女…しおりに迫る影が見える。赤い5つの目をした手足が6本の何かが、俺を見て栞に体を向ける。

 やめろ! やめろ!! 何度叫んでも、化け物の動きは止まらない。彼女に近づき、吸い出している。魂を。栞の魂を……。


 「やめろぉぉぉ!!」

 三善は布団を跳ね飛ばすように目を覚ました。


 嫌な汗をかいているいることも、息が荒れていることも分かっている。またあの夢を見たのだ。

 時々、夢で見てはこうして起きる。夢なのに、変えようのない夢。

 夢だけでも何とかできないものなのか……。そう思わずにはいられない。


 開店準備の時間には早いが、もう一度眠る気にもなれず、プレシャス・タイムに行こうと思った。


    ・    ・   ・


 祐は約束の時間前に待ち合わせのコンビニに到着していた。


 「相変わらず、約束時間の前に到着するんですね。乙女は準備に時間が掛かるものですよ」

 こちらが到着した少し後に、天がやってきた。

 天も約束の時間前に来たのに、この言われようはなんだろう。


 「女性を待たせるのは、悪い男だろ。どれだけ待っても、今来たところ、っていうのが良い男ってもんさ」

 自分の中で思う良い男論を語る。他の人からしたら、どうなのかは別にして。


 「悪い心がけじゃないですね。それに早く会えたら、それだけ長く一緒にいられますからね」

 そう言う天の笑顔はやはり天使のような笑顔だ。相変わらず照れくさくなる。

 こういうところがヘタレなのかとも思ってしまう。


 「今日はどこに連れて行ってくれるんですかぁ? 結構、期待してますよ」

 天は少し意地悪な顔をして聞いてきた。確かにテーマパークのようなアトラクション三昧ではないが……。


 「まあ、それはお楽しみってことで。楽しみはその時に感じるのが一番でしょ。そこまでは内緒だよ」

 そう言って、大人の余裕さを見せる。実は自分の好きな所に行くから、自分も楽しみなのだ。


 「じゃあ、見るまで楽しみにしてます。それまでは会話で楽しませてくださいね」

 なかなか無茶な要求をしてきた天に苦笑いしか返すことができない。


 楽しい一日とは、このことだろう。好きなドライブに、楽しい会話、移動が本当に楽しい。

 開放感が欲しくて、天野原市から2時間近く掛けて、自然が豊かな所に行く。


 馬の放牧場に行き、餌を与え、馬に乗る。

 天の驚きから楽しい表情に変わっていくところが、見てて気持ちが良い。


 しゃれたロッジで昼食にする。ここの肉は絶品で、2人して笑顔になりながら食について語る。

 食後のデザートと言って、美味しいパフェを食べに行く。ここでも2人して、その味を堪能する。


 最後は雄大な景色が見える展望台で、夕日を見る。

 1人で楽しんできた1つの楽しみを共有できたかな? そこだけが心配だ。


 「すっごく楽しかったです。祐さん、もっと引きこもっているのかと思ってましたが、こんなに楽しいことしてたんですね」

 満足したように天は笑顔で語った。でも、引きこもり扱いは心外である。


 「日頃のうっぷん晴らしかな? 人の少ない所に行って、大きく息をする。街中ではなかなか味わえない楽しみなんだ」

 確かに、と言った天の言葉は感心しているようである。人が多いと息が詰まる気がする。

 しかし、人がいるから出会いもある。それも楽しみではあるだろう。


 「さて、祐さん…何かここでするところではないんですか? 女の子に言わせるのもどうかと思いますが?」

 その天の言葉に昔の思い出が蘇る。もしや、今度はこちらから?

 いや、でも、それはもっと親密な仲にというか、なんというか。


 俺が慌てふためいているのを見て分かったのだろう。天がため息をついた。


 「やっぱりヘタレですね。でも、それは人のことを安く考えてないから悩んでるんで良いことでもあります。やっぱり優しいですね、祐さんは」

 優しい顔をした天はそう言うと、こちらに近づいてきた。


 「仕方がないですね。ハグだけで今日のところは勘弁してあげます。祐さん、はい、どうぞ」

 俺の顔を見上げながら、天は言ってきた。勘弁といわれても、とは思うが、その気持ちに答えたい気持ちもある。

 仕方がないと思い、軽く抱きしめることにした。


 抱きしめる為に少し屈んで抱きしめようと近づくと、急に天が背伸びした。

 気付いた時には唇を重ねていた。押し返す訳にいかず、少しだけ…少しだけ…そのままでいた。


 「またキスしちゃいましたね。どうですか、気持ちは? 私はハッキリ言って、ドキドキが止まりません」

 赤くなった顔のまま天が言う。こっちはそれ以上にドキドキしている。顔が熱いぐらいだから、よほど赤くなっているのだろう。


 「気持ちって言われても。そりゃ…嬉しいけど……。いや、正直に言うと俺もドキドキが止まんないよ。

 でも正直困惑もしている。こういうのって、恋人同士でするものじゃないのかって」

 キスなんて天としかしたことがない。でも恋人ではない。じゃあ、何かと言うと…なんて言えば良いのか、正直分からない。


 その言葉に天は、今日2度目のため息をついた。

 「祐さんはヘタレだから、押せ押せでなんとかなると思いましたが……。まあ、良いです。

 祐さんの中で答えが出るのを待つとします。あ、それでも色々と遊びに連れて行ってもらいますよ」

 最後は笑顔であったが、少し幻滅させてしまったかもしれない。

 なぁなぁで済ませて良いものではない事は分かっている。


 「天ちゃん……。俺達の関係はまだ何とも言えないけど、必ず考える。

 今まで考えなくて、ごめん。しっかり考えるよ、そして答えを出す」

 けじめというものは大事だ。特に自分に思いを寄せてくれているのなら尚更だ。

 ここでしっかり考えなくてどうする。


 「祐さん、意外にカッコいいですよ。じゃあ、しっかりと考えて下さいね。

 それが何であれ、私は後悔しませんから」

 微笑みながら口にした天の言葉から覚悟が感じられた。

 俺も同じように考えて覚悟を決める……。それが彼女に対する礼儀であろう。


 天を待ち合わせに使ったコンビニに送り届ける。

 帰りの車の中も暗くなることなく、楽しい話しができた。

 お互いに今を楽しもうと思っているのか? 考えるのは後で良い。


 今回は車から降りて、見送る。

 笑顔で大きく手を振る天の姿が見えなくなるまで見送り続けた。


 その時、何かが闇の中を跳躍して行ったのが見えた。天の方角だと思った時には駆け出していた。


 絶対に良いものではない。

 天に何かがあってはならない。あって欲しくない! 住宅街を抜け、天の家に向かって走る。

 見えた! 天の姿、そしてその近くの家に張り付くようにしている化け物が見えた。


 「天、しゃがめ! 群青百足!」

 天は俺の声に気付き、自分を狙っていると思われる化け物に目を奪われた。


 群青百足を化け物目掛けて、飛び掛からせる。その化け物…怪異がまた跳躍して別の家に移動した。

 その間に天の元にたどりついた。天は恐怖に体が捕らわれてしまって、動けないでいる。


 「天、守るから安心しろ。やつには指一本触れさせない……」

 百足を俺の周りを取り囲むように配置する。攻防一体の構えである。

 これなら、やつの攻撃も防御でき、すぐに反撃できる。


 怪異との睨み合いが続く、お互いが隙を狙っている。

 しかし、どちらも動かない。怪異は分かっているようだ、百足の力を…。攻撃するのは危険であることに。


 睨み合いは怪異の逃亡という形で終わった。

 じりじりと前を向いたまま闇に消えていく怪異は、かなり慎重なやつであることが伺えた。


 天がしゃがんだまま、まだ震えている。

 怪異を直に見てしまったのだ。しかも自分を人に見せるほどの凶悪さを持っている。


 「天ちゃん、終わったよ。大丈夫、もう大丈夫だから。怖かったね」

 天を抱きしめ、声を掛けながら安心させるように言った。


 「祐さん…あれはなんですか? あれが怪異なんですか? あんなに怖いものなんですか……?」

 恐怖が去っても、目にした記憶が離れないのだ。その記憶にまた恐怖を与えられる。


 天が落ち着くのを待ち、家に送った。普段は笑顔の天が強張っていた。

 しかし、どうしようもない。やつが狙っていたのか、たまたま遭遇したのか。どちらにせよ、やつは危険だ。


 だが、あの怪異はなんなのだろうか。

 事務所に帰ってから、幸に聞くしかない。そう思っていると、少し離れた所から救急車のサイレンの音が響いてきた。

 嫌な予感がする。確認した方が良いと思い、走り出した。


 救急車に近づき、人ごみをかき分ける。一番前に出ると、救急車に運ばれていく人物を見えた。


 目だった外傷もない。しかし、精気を感じない。顔も土気色になっている。

 もう死んでいるのか、救急隊員も残念そうな顔をしている。何があったのか……。


 しかし、死んだとしても、すぐにあそこまで精気を感じないものなのか。

 勘だが、おそらくあの怪異が何かしたはずだ。早く事務所に戻って調べねば。


    ・    ・   ・


 事務所に駆け込むように帰ってきた。幸は!? なんでいない!? こんなときに……。

 行くとしたら、プレシャス・タイムしかないと思い。階段を駆け下りる。


 店のドアを開けると、三善と幸が話しをしていた。時々ある光景だが、今は先ず幸だ。

 幸の隣に座り、ホットコーヒーを注文する。幸に今日遭った怪異の話しをしなければ。


 「幸ちゃん、教えて欲しいことがあるんだ。今日、天ちゃんと遊びに行ったんだけど」

 「ほほぉ、それはお楽しみでしたねぇ。さぞかし顔をニヤつかせていたんでしょお?」

 言いたいことを言えなかった自分もダメだが、幸の言葉も酷いもんだ。


 「ごめん、言いたかったのはそこじゃない。ドデカい怪異に襲われたんだ。デカい目が1つに、小さな目が4つはあったと思う。大きさは、」

 「祐! そいつ、どこで見たんか!? その話はほんまか!?」

 三善が会話に割り込んできた。声を荒げるのは珍しいし、動揺しているようだ。


 「三善、本当だ……。天ちゃんを襲ってきた。

 狙ってきたのか、偶然なのかは分からないが。かなりの強敵であることに違いはなかった」

 思い出すだけで、やつの力の大きさを感じる。

 しかし、思い当たる怪異はない。あれだけの力を持つのに……。


 「祐! そいつは、6本の手足やなかったか!? 赤い目をしとらんかったか!?」

 「三善、その通りだ。なんでそれを知っているんだ?」

 「…すまん……。話しを遮ってもうて。幸ちゃんの話を聞かんとな。すまん……」

 自分を落ち着かせるように、三善は言った。慌てる様子の三善に動揺してしまった。


 幸には、遭遇した怪異の外見と、近くで起きた精気がなくなって死んだと思われる人がいたことを言った。


 「う~ん。その外見からはなんとも言えませんが、精気を吸う怪異ならばいます。

 『吸魂餓鬼きゅうこんがき』というものです。

 これは名前の通り、魂を吸い取る餓鬼です。人が飢餓などで飢えたことによる苦しみから生まれた怪異です。

 普通の姿は人の外見に似てますが、目は赤く、痩せ細り、下のお腹だけ出ている。そんな見た目です。

 それに通常はそこまで脅威ではありません。

 せいぜい、人の魂の一部を吸うぐらいで、吸われた人は酷い倦怠感や軽いうつ症状にはなりますが、死ぬほどのものではありません。

 しかし、例外もあるようです」

 例外がある……。どのような例外なのか、幸の話しを黙って聞くしかない。

 もし、天に何かあるようなら、急いで何とかしなければならない。


 「例外とは、その魂を過剰摂取するものもいるそうです。ですが、あまり例がありません。

 餓鬼の本能なのか、隠れていることが多いですし、姿が見えないのが通常です。

 しかし、この過剰摂取、暴食型とも呼ばれていますが、これは人に見える形で現れます。

 凶暴であり、精気を吸い尽くす。ただ、普通の『吸魂餓鬼』と同じく人の見えない所に隠れます。

 だから、人に見つかりづらい所で襲撃します。なので、こんな街中で見かけることがあり得ないんです。

 いえ、あり得ないから怪異なんですよね。

 ここからは私の所見なのですが、暴食型が誰にも退魔されず、もしくは撃退されてしまったのかも。

 そしてどんどん魂を吸い続けて成長し、餓鬼と同じく空腹に耐えかねて人が多い所に来た。

 そう考えると、大体の辻褄は合うかと思います」

 幸の話から察するに、自分の食欲以上に魂を摂取し成長し続けた怪異ということだ。


 三善が険しい顔になっている。珍しいことが続いている。

 しかし、幸の言う通りなのだとしたら…このままいけば手当たり次第に襲いかねない。


 「幸ちゃん、これは依頼ではないけど、処分しないといけない。あとは、どこに隠れているかだけど……」

 処分しなければならない。このままでは天だけでなく、萌香や自分にとって大事な人も巻き込まれることになるかもしれない。


 「祐……。わいもやる…やらなあかん…。頼むわ…これは、けじめでもあるんや……」

 三善のこの顔…けじめ……。あの件に繋がるのか……。ならば、尚更だ。


 「三善、分かった。と言うか、お前がいないと倒すのも難しいだろうから頼む……。一緒にやるぞ!」


    ・    ・   ・


 探す場所、あの6~7mはある巨体だ。どこにいるか。探偵の腕のみせどころだ。


 先ずは刑事の神尾にお願いする。外傷のない状態で死亡した者が見つかった場所を教えてもらう。

 神尾らしく素早く、的確に教えてくれた。神尾も怪異絡みだと思ったのだろう、何も聞いてこないのは助かる。


 次にその死亡した人達の場所からやつの行動パターンを読みだす。

 餓鬼の習性上、人目に付く時間や場所などは避ける。


 そうなると、被害者の場所、人目に付きづらい場所、そしてあの跳躍力。それらを考慮してみる。

 最後に式神を総動員して、聞き込みや夜の人目に付きづらい場所を探してもらう。


 しかし、地図に書き出してみても、被害に遭った人は人目に付きづらい場所ではあるが、その場所は東西南北、バラバラである。

 夜でも暗くならない場所を避けて行ける状態ではない。確か屋上などを飛んで行けば分かりづらいかもしれないが、あの巨体である。

 何がしかの情報が出てきてもおかしくない。


 式神からもこれといって目撃証言も、目撃したとも連絡が入らない。

 隠れる場所、現れる方法は少ないはずだが……。そう考えていると神尾から電話が掛かってきた。


 内容はまた同じような変死体が河川敷で見つかったとのことだった。お礼を言い、見つかった場所を地図に書き込んだ。

 悩んでいると、萌香が事務所に入ってきた。今日は出勤日だったことを完全に失念していた。


 「…お疲れ様です。…その地図はなんですか……?」

 萌香にも知っておいてもらおう。事件の内容を理解してもらい、早めに帰れば安全なはずだから。

 今回の怪異の件を伝え、その凶暴性をしっかりと伝えた。その上で、地図に現在の調査状況を書いたことを教えた。


 「…天ちゃん、そんな怖い目に……。この怪異は…羽とかあるんですか?…空中を飛んでいくような……」

 天のことも心配だが、他の人に危険が及ぶのも嫌なのだろう。萌香が質問してきた。


 「いや、空中を飛ぶような羽はなかった。戦いになった時も、ジャンプしながら移動してたから、その可能性は薄いかも」

 空中を舞うことができれば、こちらが大きく不利になる。しかし、それはなかった。ならば飛べない可能性が高い。

 でもこれだけバラバラの場所で襲撃しているとなると、そう思いたくもなる。


 「…地中を掘るとか…はどうでしょうか……。怪異ですし、そんな力があっても…おかしくないのでは……?」

 地中か。可能性はゼロではないが、コンクリートで道は敷かれているし、地下ケーブルや水道管も異常があるようなニュースは聞いていない。


 それにそんな穴がもしあれば、誰かが気付くはずだ。6~7mの巨体なのだ。

 いや手足を細めれば、小さい穴になるか。しかし掘ったとして、次に出る場所が必ずしも土な訳ではない。


 小さな穴になる……。地図を広げてみる。今までの被害者と思われる者の多くは人目に付きづらい場所。

 しかしその場所はバラバラ、何でバラバラに出現できる……。


 …今回の犠牲者の件で分かった。やつは下水道の中を移動している可能性が高い。

 天野原市はゲリラ豪雨などに備えて排水溝など、大きめに整備された場所も多い。


 都市ダムとまではいかないまでも、大量の排水が来た場合はためる貯水槽もあったはず。

 普段から隠れるにはぴったりの場所だ。


 「萌香ちゃんありがとう。答えが見えた気がする。今日はもう帰っていいよ」

 そう言っても、萌香は返事をしなかった。まだ何か気になることでもあるのだろうか。


 「…祐さんのお手伝いは…できないんでしょうか……?」

 こちらを真っ直ぐ見て話してきた。この目には弱い。

 覚悟というか頑固というか、意思の固さが伺えるからだ。ただ今回はダメだ……。


 「萌香ちゃん、ごめん。今回はダメなんだ……。この戦いは三善の為でもある。

 もちろん君に危険な思いをさせたくないのは事実だ。ただ、俺たち2人でやるべきなんだ」

 萌香は何かを察したのか、それ以上踏み込んでは来なかった。そうしてもらえるのは助かる。


 萌香は頭を下げた後、事務所を去っていった。


 「萌香ちゃん、帰しても良かったんですかぁ? 私より全然捜索に関して、勘は良さそうですけどぉ?」

 今まで存在を消していたとしか思えない幸が言ってきた。

 幸はオカルト専門ではあるが、確かに萌香の方が色々付いて来ている分、経験は豊富だ。


 「早めに帰ってもらると安心して臨めるからね。後顧の憂いを断つってやつさ」

 そう言って、プレシャス・タイムに向かった。

 店のドアを開けると、いつも通りとは言わないまでも、平静を装っている三善の声が聞こえた。


 「三善、おそらくやつの場所が分かった。下水道を使って街中を移動していると思う。俺はこれから式神を使って下水道内を探ってみる」

 「祐、それはわいも手伝わせてもらうわ。そもそも陰陽術を教えたのは、わいやからな。わいの方が探せるかもしれん」

 確かに三善の言う通りかもしれない。できれば式神は力をあまり使わない程度のもので調査しようと決めて、店を出た。


    ・    ・   ・


 夜も更けた頃、人が入れそうな所は人の式神を、難しい場所には猫を潜りこませる。三善も同じことをしているようだ。


 それぞれに捜索範囲を決める。もし、式神が消えればこちらにも伝わってくる。

 問題は連絡ができない人でない式神である。戻ってくるまで、その蓄えた情報は分からない。


 人の形をした式神から連絡が入る。そのポイントに×印を入れていき、三善にも連絡を入れる。

 もしいなければ、またどこにいるか考えなければならない。


 その時、携帯が鳴った。三善からの連絡だ。やつを見つけたと……。


 予想通りという訳ではないが、やりづらい場所に陣取られたもんだ。

 集中豪雨やゲリラ豪雨用の貯水エリアを寝床にしていたのだ。


 範囲こそ狭いが、水の勢いを殺す為のコンクリートの支柱が多数あり視界の邪魔をしている。

 怪異の6本の手足を使えばかなりのスピードで、この空間内を飛び回るだろう。


 どうやら、やつも気付いたようだ。こちらに対して威嚇するような唸り声を上げている。

 牙の間から漏れるよだれが、余計に実体である生々しさを伝えてくる。


 「祐、すまんのやけどサポートに徹してくれや。…あいつはわいがやらなあかんのや! 歳殺神さいせつしん!」

 三善の呼び声に応じて、三善の影から歳殺神が現れてくる。

 やつも歳殺神の力を感じたのか、更に怒りを増したように感じる。


 歳殺神と吸魂餓鬼の咆哮が、戦いの開始を告げた。


 三善に言われた通り、こちらはサポートに徹するため群青百足を自分の周囲に配置して、吸魂餓鬼の動きに注視する。

 しかし、支柱が邪魔してなかなか姿が追えない。


 それは三善も、歳殺神も同じであった。歳殺神の破壊力はとんでもないものだ。

 だがこの空間の中を跳ね回られると、その破壊力は空を切るだけで相手に届かない。

 それに対して怪異のヒット&アウェイによってじわじわと、削られていく。


 簡単にやられる歳殺神ではないが、三善自身も守らなければならないので、動ける範囲も限られる。

 サポートと言えど下手に手を出せば、手痛いしっぺ返しを食らうかもしれない。


 防戦一方の状態……。せめて俺が戦闘に加わればと思い三善を見た。

 こちらの視線に気づいたのか、三善は拒絶する目を返してきた。

 『これは俺の戦いだ』、そう言わんばかりの目をされれば、俺でできることをしよう。三善を信じて……。


 焦った方が負け、それを吸魂餓鬼も理解しているようだ。歳殺神に攻撃しては、支柱を使ってまた隠れる。

 完全に歳殺神に攻撃を任せれば何をするか分からないからこそ、三善は未だ自分で動かしている。


 支柱を何本か折れと思うが、このエリアが壊れてしまって逃げられでもしたら、それこそ水の泡だ。

 仕方がない。一度だけ、注意を引いてみる。そう、一度だけ……。


 「三善、一度だけサポートする。後は頼むぞ!」

 そう声を上げ、支柱の影に潜む吸魂餓鬼を探し、群青百足を飛びつかせる。


 さすが複眼。こちらの動きに気付いていたのか、別の支柱に飛び群青百足を避け、こちらに突撃してきた。

 群青百足の伸び切っていない分でガードしようとしたが、そんなものでは防げない程の一撃を腹にお見舞いされた。


 口から鮮やかな血を吐き出した。

 完全にノックアウトだ……。だが、この時間稼ぎが反撃の時間稼ぎになる。


 「歳殺神、爆風扇や!」

 歳殺神は腹に手を突っ込んで、長い柄のついた大きな扇を取り出した。

 吸魂餓鬼は俺に一発お見舞いした事で、1人始末したと安堵していたのか、歳殺神のその行動に対して、すぐに支柱の奥に逃げた。


 そんな吸魂餓鬼の行動を気にもせず、歳殺神は爆風扇を横に構えて、勢いよく振った。

 奥を狙ったであろう突風の余りがこちらにも少し届いた。肌が焼けるような熱風だ。

 離れていて、この熱さなら奥にいる吸魂餓鬼にはかなりの痛手だろう。…遠くを見ると光る粒のような物が見えた。


 「さぁて、景気よくいこか! …爆散!」

 爆風扇の熱風が届いたことを確認し、爆風扇の柄の下にある龍の飾りと思ってたものから炎が出た。

 その瞬間、目が眩む光と、鼓膜が破れるかと思うほどの爆発音によって視覚と聴覚が麻痺した。


 どうやら、この空間で爆発が起こったことだけは確かだ。

 吸魂餓鬼が悲鳴を上げたのを聞くと、かなり手痛いものだったであろう。それならば……。


 攻撃をされ、それが予想以上に手痛いものであれば、一旦引くのが本能である。

 吸魂餓鬼も類に漏れず、この空間から逃げ出そうとした。これを待っていた。

 この為に、一発食らって死んだふりをしていたのだ。


 逃げようとした吸魂餓鬼の腹に百足が飛び掛かり、背中まで貫いた。

 また耳に響く悲鳴を上げて、吸魂餓鬼は初めて地面へ落ちた。


 「祐、おおきに……。流石はわいの見込んだ男や。あとは任しときい」

 言いたい事は山ほどあるが、今は何も言わないでおこう。けじめをつけるときなのだ。


 うめき声を上げている吸魂餓鬼に、歳殺神がその剛腕を何度も叩きつけていた。

 もはや頭部付近以外は残っていない状態となっていた。


 「お前…お前も人の苦痛から生まれた怪異やっちゅうことも知っとるし、人の魂を吸わんと生きていけへんちゅうのも分かる。

 けど…けどや! やられたもんの苦しみも分かれや! いや、分からんか……。…ただ、わいのけじめの為や、往生せぇ……」

 三善が静かに言い終わると同時に、歳殺神がその拳を振り下ろした。


 「祐…ほんま、おおきにな。すまんかった、わいの為に手伝どおてくれて……」

 百足に吸魂餓鬼の死骸を喰わせていたら、珍しくしおらしい顔をして、三善が礼を言ってきた。


 「気にすんな。こっちとしても助かったし。って、あの武器こっちも大変だったんですけど? あまりの熱さにパーマになるかと思ったぞ!?」

 「ああ、まあ細かいことは気にすんなや。修復されるんやから問題なしやろ? 意外にパーマ似合うかもしれんで?」

 いつもの三善とのやり取りになってしまった。いや、そうしたかった。一応のけじめはつけたのだ。暗い話を引きずるのも良くないと思った。


 「あ、お前、天ちゃんとデートに行ったらしいやんか? なんやぁ、やるようになったやないか? で、どないやったんや」

 ああ、これは三善からしばらくいじられる話題になるんだろうと思った。

 しかし、これはこれで好きな自分もいるが、それは見せないでおこう。


    ・    ・   ・


数日後

 三善は朝から出かける準備をする。今日は行かなければならない場所があるからだ。


 店も臨時休業にしてある。早いうちに行くものでもないが、どうしても気持ちが逸る。

 家を出ると、そこには祐の姿があった。片手にビニール袋をぶら下げて。


 「よ、そろそろ出る頃と思ってさ。行くんだろ? これ、持って行ってくれ」

 祐は持っていたビニール袋をこっちに差し出してきた。

 「ああ、すまんなぁ。おおきに。じゅあ、行ってくるわ」


 車を運転していると、道沿いに気になるものがあった。車を停め、拾い上げる。

 これを見ると、どうしても思い出してしまう。でも大切な思い出である。忘れたくない記憶なのだ。


 車に戻る。思い出が少しは自分に力をくれたのか? それとも、けじめをつけることができたからか?

 いつもとは違う気持ちで車を走らせた。


 毎月行っているのに……。慣れた場所なのに、なぜか緊張してしまう。目的地の早瀬家に到着した。

 インターフォンを押すと、栞の母親の声がした。三善であることを伝えると、すぐにドアを開けてきた。


 「遊人くん、毎月ありがとう。あの子も喜ぶわ。さぁ、中に入って」

 促されるまま、家に上がる。何度も来ている家、今更中を眺めてどうする。


 思えば、初めてこの家に来たときは栞と結婚の話をしに来た時だ。

 あれから、まだ2年も経っていない。いや、もう2年かと思う。

 仕事や皆と話していて楽しいと感じた時、たまに心が痛む。


 「遊人くん、どうしたの? こっちこっち」

 栞の母に招かれるまま、部屋に入っていく。

 そこはダイニングだ。お茶を用意する、と言って栞の母は俺に背中を向けた。


 ダイニングからはすぐにリビングだ。

 南日の差す暖かな雰囲気のリビングがそこにはある。吸い込まれるようにリビングに向かう。

 心地よい風にレースのカーテンが揺れている。そんな綺麗な空間に彼女が…栞の姿があった。


 「あ、お兄ちゃんだぁ。遊びに来てくれたのぉ?」


 「うん、そうだよ。栞ちゃん、元気にしてた? お母さんから怒られるようなことしてないよね?

 ああ、あとこれ。お兄ちゃんの友達からのプレゼント、栞ちゃんの好きなのがあるといいね」

 自分でも気持ち悪いと思うが、普段と違う話し方で喋ってしまう。

 そのままで良いのだろうが、何故かこうなってしまう。


 「ああ~! このおかし、栞、大好きなんだぁ。

 あ、これも、これも、い~っぱい好きなのがある。おか~さ~ん、お兄ちゃんからいっぱいおかしもらったぁ」

 栞は母の元に、お土産のお菓子を持って行った。

 祐はお菓子が好きだから、子供の好みも把握しているのかもしれない。


 彼女が幼児退行してしまったのは、吸魂餓鬼によるものだ。

 ギリギリのところで止めることができたが、目覚めたら子供になっていた。その年齢以降の記憶を忘れて……。


 栞はお菓子をもらったことで満面の笑みを浮かべながらリビングに戻ってきた。

 「こんなにいっぱい食べれるかなぁ? お兄ちゃんも食べるでしょ? なにがいい?」

 無邪気に栞は聞いてきた。昔は年下なのに、俺に、遊人くん、って呼んでいたくせに。

 年下だけど俺よりしっかりしているから、って言ったくせに……。


 「お兄ちゃん、だいじょうぶ? どこか痛いの? おくすり飲む?」

 心配そうに栞が聞いてきた。感傷に浸りに来たわけじゃない。

 今回はどうしても伝えないといけないことがあるんだから。


 「栞ちゃん、大丈夫だよ。ありがとう、心配してくれて。…栞ちゃん、前に話してくれたよね。夢の中で怖いお化けが出てくるって……」

 その言葉に栞の表情が曇った。幼児退行する程の恐怖を与えたものが、夢に出てきたら怖くない訳がない。


 「栞ちゃん、もう大丈夫だよ。お兄ちゃんとお菓子をくれたお兄ちゃんでお化けをやっつけたんだ。すごいだろ~。お兄ちゃん、カッコよかったんだぞ。

 だから、もう栞ちゃんの夢には出てこないよ。出てきても、お兄ちゃんとお兄ちゃんのお友達がやっつけるから。もう怖くないんだよ……」

 お化けを叩くような動きをして明るく言った。そう、怖いものは倒したんだ。

 もう心配することも、怯えることもない。記憶から消していいんだ。


 「ほんと? もう栞、こわい夢みない? 夢をみても助けてくれる、お兄ちゃん?」

 栞は暗く不安な表情をしている。やはり、まだ夢に出てくるのだ。

 怖い思いは続いていたのだ。でも、それも終わったんだ……。


 「うん。もう見ないし、見たらぜっっっっったい助けに来るから。すっっごく強いんだぞ、お兄ちゃんは。あとついでにお兄ちゃんの友達も助けにくるよ」

 祐が聞いたら、ついでとはなんだ、って言いそうだが。彼女の前だ、それぐらいの見栄は張らせて欲しい。


 「遊人くん、お茶が入ったから飲んで頂戴。栞、お菓子の食べ過ぎはダメだからね」

 栞の母からの呼びかけに、栞は少し不満げに返事をした。

 お茶をいただこうかとダイニングに向かうため腰をあげた。


 「…遊人くん、ありがとう……」

 栞の声、栞の俺に対する呼び方。

 振り返ると、栞は昔の微笑んだ顔で俺を見つめていた。

 子供の時の顔ではない。昔のまま微笑んでくれた……。


 …気付くと、子供の栞に戻っていた。白昼夢でも見たのだろう。

 けじめをつけたことで、自分の中で良くなった願望でも持ってしまったのだろう。しかし、栞はまた違っていた。


 「お兄ちゃん…なみだがねぇ…止まらないの。なんで……? 痛くもないよ? でも、なみだが止まらないよ……」

 気付くと栞を抱きしめていた。彼女の中で何かがあった。きっとあったんだ。怖いものがいなくなったから……。


 「お兄ちゃん、ありがとう。わからないけど、ありがとうって言わないとダメな気がするの。だから、お兄ちゃん、ありがとう……」

 「ええんや、俺こそ、ごめんな。辛い思いさせてもうて…ほんま、ごめん。それに、ありがとな。

 栞がいてくれて、本当に幸せをいっぱいもろたんや。今度はわいがいっぱい渡したるから、しっかり受け止めてな」

 栞も俺も泣きながら言った。きっと栞の言葉は、昔の栞の魂に刻まれた思い、記憶が少しだけ蘇ったんだ。

 俺も自分の思いが少しでも彼女の魂に届くように、本当の気持ちを伝える為にしっかりと言葉にした。


 ひとしきり泣いて、涙も枯れた。栞もそのようだ。涙の後には笑顔が待っていた。

 子供の笑顔。でも、昔の笑顔を見せてくれる日がきっと来る。


 「そうだ、栞ちゃんクレープ好きだったよね。今から食べに行こうか? 美味しいらしいよ?」

 この言葉に栞は更に笑顔になった。ハイテンションのまま、母に話しに行って戻ってきた。


 「あ、忘れてた。栞ちゃん、花は好きかな?」

 明るい顔をして栞は大きく頷く。


 「じゃあ、はい、これ。お兄ちゃんも好きな花なんだ。栞ちゃんも好きだと良いんだけど」

 「わぁ~、小っちゃくてかわいい~。…きれい」

 花を見る栞の横顔を見て思い出す。栞はこの花が好きだった。


 花の名前は勿忘草(忘れな草)、花言葉は「真実の愛」「私を忘れないで」

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