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天国白書  作者: 凛1129
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18章 那由他のとびら (3) 不死牢

挿絵(By みてみん)


「適合の可能性があった」

「――それだけだ」


 白嶺の声は静かだった。


「なぜ、悠の脳……私の脳を移したのですか」


 モニカが息を呑む。


「先生……」


 なゆたは、白嶺を見つめた。


「愚問だ」


 短い言葉だった。


「植物状態だった。脳幹反応は残っていたが、回復の見込みはほとんどなかった。記録上は、生きているだけの子。それが私の子だ」


 白嶺は動かない。


 なゆたは腕を組み、白嶺を背にして話した。


「――科学者として」


 白嶺は、静かな声でさらに問う。


「……」


 なゆたは答えず、天井を見ている。


「母として……息子を救いたかった……」


 モニカは声を震わせ、言葉にした。

 左の頬に、一粒の涙がこぼれた。


 なゆたは続ける。


「そこへ、悠・ベレナール・松永の遺体が来た」

「日雇いで養護教諭を行い、私は被験体を常に探していた」

「まさか、適合するであろうと仮説を立てた子どもが、事件に巻き込まれるとは、思いもしなかったよ」


 なゆたは不敵な笑みを浮かべ、話し出す。

 室内の空気が変わる。


「司法解剖の名目だった。だが、身体の損傷は致命部を除けば限定的だった。若く、健康で、神経系もまだ柔らかい」


 白嶺の眉がわずかに動く。


「児童の身体は、本来なら成人脳を受け入れられない。神経密度も、成長相も、内分泌も違う。普通なら拒絶する」


「なら、なぜ」


「普通なら、だ」


 なゆたは薄く笑った。


「脳の接続自体は、AIでもできる。血管、神経、免疫抑制、細胞補正。そこまでは機械の方が正確だ」


 なゆたは培養槽に手を添えた。


「だが、身体には記憶がある」


「記憶……?」


 モニカが呟く。


「脳の記憶ではない。細胞の記憶だ。成長の癖、痛みの残響、神経の受け入れ方、自分が自分であるという感覚」


 白嶺が小さく言った。


「零層」


「勉強してるじゃないか」


 なゆたの口角がわずかに上がり、目が細くなる。


「意識の核」


「AIには見えない。数値化もできない。だが私は、そこに触れられた」


 なゆたは初めて白嶺を見る。


「悠の脳は、お前の身体を拒絶しなかった」


 部屋の時間が、しばらく止まる。

 わずかな機械音が大きく聞こえる。


「なぜですか」


 白嶺はうつむき、呟くように話した。


「悠が、お前が、まだ母を求めていたからだ」


 モニカの表情が固まる。


「最期まで、テレシアを呼んでいた。抱きしめてほしいと願っていた。その身体には、母を求める記憶だけが深く残っていた」


 なゆたは淡々と言った。


「そして、お前も同じだった」


 白嶺の指先が震えた。


「お前も、私を求めていた」


 静寂が落ちる。


「植物状態では、零層にアクセスしても、本当に意識の核が働いているか証明はできない」


「だが繋がった」


 なゆたは、自分へ言い聞かせるように言った。


「倫理ではなく、理論でもなく、もっと原始的なもの」


「母を求める身体と、母を求める脳」


「その二つが、たまたま噛み合った」


 モニカは口元を押さえた。


「そんな……そんな理由で……」


「そんな理由だから成功した」


 なゆたの声は冷たかった。


「人間は、思っているほど高尚な生き物じゃない」


 白嶺は、ゆっくり口を開いた。


「――では、私の……」


 白嶺は一度、言葉を止めた。


「悠の身体は……リオ・ヴァレンへ――」


 なゆたの目が、わずかに揺れた。

 モニカの涙はもう止まらない。


「リオは金を出した側だ」

「資産家」

「正確には、その背後にいる者たちだ」


 なゆたは白嶺を見る。


「悠の身体は、白嶺、お前を一度救った。そしてその後、別の脳を受け入れる器として売られた」


 モニカが一歩後ずさる。


「じゃあ……リオさんの身体が、テレシアさんの声に反応したのは……」


「主語がない」


 なゆたは指摘するように言うが、少し目線を左に向ける。


「――おそらく中枢化の話か?」

「悠の身体だったからだ」


 なゆたは答えた。


「脳は違う。人格も違う。だが身体は覚えていた」

「母の声を」


 白嶺は目を閉じた。


 テレシアの子守歌。

 白界で揺れた指先。

 リオの沈黙。


 すべてが一本に繋がっていく。


「では、あなたは」

 白嶺は目を開いた。


「オリジナルではない」

 なゆたは笑った。


「オリジナルの栗山なゆたは、もういない」


 その言葉を聞いた瞬間、培養槽の少女たちが、ただの予備ではなく、殺された女の残響に見えた。


 モニカが息を止める。


「とっくに国が抹殺したよ」


 なゆたは、あまりにも淡々と言った。

「だが技術は殺せなかった。だから私は作られた。再現された。必要な部分だけを残し、不要な部分を削られてな」


 なゆたは自分のこめかみに触れる。

「今の見た目が中学生くらいなのは、それが理由だ」


「自害は何度も考えた」


 モニカの顔色が変わる。


「この身体には、最初から逃げ道がない」

「自己破壊衝動に関わる神経回路の約八割が抑制されている」


「だから最後の一歩だけが踏み出せない」


 なゆたは培養槽を見た。


「これが、死神と契約を交わした代償ってわけだ」

 なゆたは不敵な笑みを浮かべている。


 白嶺は静かに尋ねた。

「誰が管理している」


 なゆたは答えた。

「神代だ」

 その名が部屋に落ちる。


「海外の要人、王族、軍、企業家、死を拒む者たち。彼らは表向きクローン技術を禁止した」

 

 なゆたは笑う。


「だが禁止されたのは、公表だけだ」

「裏では続いている」

「日本はその保管庫だ」

「神代は、その管理者だ」


 モニカが震える声で言った。


「子どもたちは……」


「わかるだろう」

「金持ちのじいさんやばあさんの器だよ」


 なゆたは、笑いながら言った。


「児童の身体は成長する。神経可塑性が高い。成人脳を無理やり載せても、まだ作り替えられる余地がある」


「子どもだった悠の脳を、お前の身体へ移した時に比べたら、簡単なものだ」


「金を持つ老人たちに」

「死にたくない権力者たちに」

「若い身体を欲しがる者たちに」


 モニカの目に怒りが浮かぶ。


「そんなものを……救済なんて呼ぶんですか」


「救済……?」


 なゆたは笑いながら言う。


「これは禁呪だ」

「救済ではない」

「延命でもない」

「人間が、死を受け入れられなかった結果だ」


 白嶺は焼け爛れた左腕を見た。

「止める方法は」


 なゆたはしばらく黙った。


「零層で見ただろう」


 白嶺の目が止まる。


「殺せ」


 なゆたは静かに言った。

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