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天国白書:2Re:Light  作者: 凛1129
序章
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出会い

【プロローグ】


 午前八時二十九分。


 文明局救済課――通称《天国センター》の執務室で、ライラ・モニカ・サントスは、本日付で着任する監察官の人事情報を眺めていた。画面を上から下まで二度ほど流してみたものの、どうにも人物像が浮かんでこない。経歴には妙な空白があり、写真に映っている黒髪の男も、愛想がいいのか悪いのか分からない顔をしている。


「遅刻かなぁ……」


 時計が八時三十分へ切り替わった瞬間、自動ドアが開き、写真と同じ男が「おはようございます」と、ふらりと入ってきた。


「あっ! おはようございまーす♪ 初めまして!」


 モニカはすぐに椅子から立ち上がり、両腕を広げて駆け寄ると、そのままムギュッと男を抱きしめた。身体が一瞬だけ固くなったのを感じ、慌てて離れる。


「あっ、すいません。私、こういう挨拶なので。嫌でした?」


「いえ。少し驚いただけです」


 そう答えるわりに表情はほとんど変わっておらず、何事もなかったように執務室を見回している。


「私、ライラ・モニカ・サントスです。モニカでいいですよ」


「よろしくお願いします、モニカさん」


 男はそれだけ言って空いているデスクへ向かってしまった。


「あの、お名前は?」


「人事情報にありませんでしたか?」


「ありますけど、自分で言うところじゃないですか?」


 少し考えてから「確かに」と頷く姿を見て、モニカの中で早くも第一印象が決まった。


(変な人……)


 その時、執務室に短い警告音が鳴り、赤い映像が空間へ展開された。


『緊急連絡――第七処置室より天国センターへ。中枢化予定者一名の所在が確認できません』


「えっ!?」


 新任監察官のことをひとまず後回しにして映像を手前へ引き寄せると、本日午前十一時に中枢化を予定している六十八歳の男性の情報が表示された。国内でも有数の企業グループを率いる会長で、十二億円の費用は既に入金され、契約と医学的検査も完了している。残されているのは処置直前に行われる本人の最終意思確認だけなのだが、その本人がいない。


 記録を遡れば、午前七時五十二分に病室を出て、八時三分には東側通用口から一人で施設外へ出ていた。


「止めてくださいよー! 今日、中枢化する人ですよ!」


 モニカが第七処置室へ文句を言っている間に、新任監察官はいつの間にか対象者の資料を開いていた。


「逃げたんでしょうね」


「まだ逃げたって決まってませんよ?」


「そうですか」


 否定するでもなく読み進める男の横で、モニカも改めて申請内容を確認する。


 十二億円で申し込まれた《天国》は、現実では到底実現できないほど豪華だった。肉体を捨て、脳を中枢化して意識を仮想世界へ移せば、そこでは老いも病もなく、若い身体を選ぶことも、世界中を一瞬で移動することもできる。空を飛ぼうが宇宙へ行こうが、想像力さえあれば本人にとっては現実と変わらない。


 今回申請されていたのは、若い身体に地中海を望む邸宅、世界各国への旅行、かつて所有していたクラシックカー、それだけではなく宇宙旅行まで含まれていた。


「十二億ですよ。私なら絶対戻りますけどね」


「この希望は、本人が出したものですか?」


「もちろん……」


 モニカは詳細を開き、そこで指を止めた。


《希望環境申請者――親族》


「あれ?」


 隣を見ると、男は既に前日の行動履歴へ移っている。午前中に最終検査を受け、家族と面会したあと、院内売店で水、おにぎり、スニーカーを購入。その中から男はスニーカーの記録だけを拡大し、続けて対象者の私物情報、移動履歴、電子決済、過去の勤務先、所有していた不動産を次々と表示させ、最後には何十年も前の航空写真まで呼び出した。


 何の関係があるのかモニカにはさっぱり分からない。男は説明もせず、数秒見ては映像を閉じて別の記録を開き、年代の違う地図まで重ね始めたため、途中から追いかけるのを諦めた。


 十分ほど経った頃、すべての映像が閉じられた。


「モニカさん、お昼はまだですよね」


「はい?」


 時計は、まだ午前九時にもなっていない。


「まだに決まってるじゃないですか」


「では行きましょう」


「どこに?」


「お昼です」


「早すぎますよ!」


 それでも男は立ち上がり、本当に執務室を出ていってしまう。


「ちょっと待ってくださいよー!」


 モニカは慌ててバッグを掴み、その後を追った。



   ◇



 連れてこられたのは、施設から数キロ離れた河川敷だった。


 空には無人輸送ドローンが行き交い、川向こうには高層建築が並んでいる。それでも川沿いだけは時代から取り残されたように土手と水辺が残り、朝の散歩を楽しむ人の姿がちらほら見えた。


「本当にいるんですか?」


「おそらく」


「おそらくで連れてきたんですか!?」


 何度聞いても似たような返事しか返ってこないため、モニカが呆れていると、突然男が足を止めた。その視線を追った先、土手の下に一人の老人が座っている。


 安物のシャツとズボン姿で、おにぎりを食べながら川を眺めており、足には先ほど購入履歴で見たものと同じ真新しいスニーカーを履いていた。


「……あっ」


 思わず声が漏れる。


 老人も二人に気づいたらしく、面倒そうに眉を寄せた。


「文明局か」


「そうです! もう皆さん大騒ぎですよ。十一時から処置なんですから、戻りましょう」


 モニカが近づいても老人は立とうとせず、残っていたおにぎりを食べ終えると、包みを丁寧に畳んでポケットへ入れた。


「嫌だと言ったら?」


「えっ?」


「十二億も払った。家族も喜んでる。俺が死ななくて済むってな」


 老人は川へ目を向けたまま、昨日になって急に怖くなったのだと話し始めた。若い身体も、地中海の家も、宇宙旅行も今はどうでもいい。ただ最後に、自分の足で好きなだけ歩きたくなったらしい。


「こんなことを言ったら、家族には怒られるだろうがな」


 少し照れたように笑いながら、新しいスニーカーの爪先で地面を擦る老人を前に、モニカは何と言えばいいのか分からず隣の男を見た。


「戻りましょう」


 老人が諦めたように顔を上げる。


「やっぱり連れ戻すのか」


「いえ、私たちがです。モニカさん、お昼にしましょう」


「今ですか!?」


 男は腕時計を確認すると、処置まではまだ二時間ほどあると言う。


「でも、この人を連れて帰るために来たんじゃないんですか?」


「見つけに来たんです」


「同じじゃないですか」


「違いますよ」


 男は端末から中枢化規定を開き、本人の最終意思確認に関する項目をモニカの前へ表示した。


「ここから先は、この方が決めることです」


 老人が男を見上げる。


「十二億はどうなる?」


「返金規定は契約書をご確認ください」


「そこは冷たいな」


「私のお金ではありませんので」


「ぶっ!」


 思わずモニカが吹き出すと、老人も一瞬ぽかんとしたあと声を上げて笑った。


「兄ちゃん、面白いな。名前は?」


「二時間後に戻って、それでも嫌なら断ってください」


「名前を聞いたんだが」


 それには答えず、男は老人の足元へ目を向けた。


「それまでは、好きに歩けばいいと思います。そのために買ったのでしょうから」


 老人の笑顔が消え、モニカもつられるように視線を落とす。白かったスニーカーには、河川敷の土が薄く付いていた。


 男はそれ以上何も言わず、老人へ軽く頭を下げて来た道を戻り始める。モニカも慌てて、その後を追った。



   ◇



「ちょっと待ってください!」


 河川敷を離れたところでようやく追いつき、モニカは隣に並んだ。


「どうして、あそこにいるって分かったんですか?」


「昨日買った靴が、今朝の外出で初めて使用されていました。施設を出てから公共交通機関も電子決済も利用していませんから、徒歩圏内でしょう」


 男は端末を開き、先ほど見ていた二十七年前の航空写真を表示した。河川敷の近くには、今はもう存在しない小さな工場が建っている。


「この方が最初に所有した工場です」


「だから、ここに?」


「その可能性が高いと思っただけです」


 モニカは古い工場の写真を覗き込み、それから男の顔を見上げた。


「なんか先生みたいですね」


「何の先生ですか?」


「分かりません。でも、さっきから色々教えてくれるから先生♪」


「監察官です」


「先生の方が呼びやすいです」


「名前で呼べばいいでしょう」


 そこでモニカは、肝心なことを思い出した。


「あっ、そういえば、まだ名前聞いてない」


「朝、聞かれましたよ」


「先生が教えなかったんでしょ!」


 男は少し考えてから、「そうでしたね」と頷いた。


「もう先生でいいです」


「よくありません」


「先生♪」


 返事はなかったが、モニカは気にせず隣を歩き続ける。


「先生、この辺りに美味しい店ありますよ」


「もう定着したのですか?」


「しました♪ 先生の奢りですよ」


「なぜですか?」


「私が案内するからです。ラテン式ですよ♪」


「なるほど」


 本気で納得しているらしい。モニカは数秒我慢したものの、堪えきれずに笑った。


「嘘ですよ♪」


「そうですか」


「もう少し疑ってくださいよー!」


 やっぱり変な人だ。


 そう思いながらも、モニカは少しだけ歩調を速め、今日から一緒に働くことになった《先生》の隣へ並んだ。

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