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天国白書  作者: 凛1129
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1章 理想郷 (1)完全幸福

挿絵(By みてみん)

「今回の対象は、この方ですか」

「はい、先生」

男はモニターを見つめた。

「これはまた……」

口元が静かに緩む——


「実に、美しい世界ですねぇ」


——————

画面には白い街が映っていた。

街頭モニターが切り替わる。

『母体精神安定率 九八・二%』

『旧時代的暴力発言検知数 十二件』

『教育矯正完了率 一〇〇%』

 

 教師に連れられた子どもたちが、その前を歩いていく。

「先生」

 一人の少女が足を止めた。

 

「生理痛って、本当に甘えって言われてたの?」

教師は少しだけ目を伏せる。

 

「そういう時代があったの」

「痛いのに?」

「ええ」


 教師は静かに頷いた。

 

「妊娠も、出産も、育児も。女性が我慢するものだと考えられていた時代よ」


 少女は街頭モニターを見上げる。

「ひどいね」

「だから今は教育矯正があるの」

 教師はそう言って歩き出した。

 

 ミヤビは、その様子をぼんやり眺めながら欠伸をした。

「ミヤビ様。一通、メッセージが届いています」

 部屋の隅で待機していたアンドロイドが告げる。

 ミヤビは目を閉じたまま、小さく返事をした。


「うん。読んで」

「パートナー様より、ご連絡です。本日の朝食は用意しております。お子様を幼稚園へ送ったあと出勤し、十八時頃に帰宅予定です……以上です」


 ミヤビは小さく息を吐いた。

「ありがとう。でも今日は生理で気分が乗らないから、午前中で切り上げてって返して」

「かしこまりました」


「パートナー様より返信です。"もちろんです。すぐ調整します。無理だけはしないでください"とのことです」

「うん」

 

 ミヤビは再びベッドへ身体を沈めた。

――午後十二時三十分。


 玄関のロックが解除される。

「ミヤビさん、大丈夫?」


 凍矢が少し息を切らして部屋へ入ってきた。

 上着を片手に抱えたまま、真っ直ぐベッドへ向かう。


 「うん。そっちこそ会社、大丈夫だった?」

「大丈夫。商談中だったけど事情を話したら、『早く帰ってあげて』って」

「そっか」


 ミヤビは少しだけ笑った。

「じゃあ腰、お願い」

「もちろん」


 凍矢はベッドの脇へ腰を下ろす。

 そっと両手を添えた。

 

 壁面モニターが静かに点灯する。

『パートナー対応評価 九六点』

『帰宅判断 適切』

『母体保護行動 優良』


 凍矢は表示を見て、小さく笑った。

「お客様には悪いことしちゃったね」

「何言ってるの」

 凍矢は即座に首を振る。


「子どもを産んだ人が最優先でしょ」

「国から三億円も支給されたんだから、もう働かなくてもいいんだよ」

「もちろんミヤビさんがやめろって望むなら、小生は明日にでも会社へ辞表を出すよ」


「え〜、当方のせい?」

 ミヤビは少し笑った。

 

「いやいや、実は小生も前からそう思ってた。でも毎日いたら鬱陶しいかなって。大丈夫ならすぐに会社はやめるよ」

 

「そっか。じゃあ、やめちゃおうか。鬱陶しい時はちゃんと言うから、その時はしばらく外にいてくれれば問題ないと思うから」

 ミヤビは笑顔になった。

 

 街頭スクリーンでは歴史教材が流れていた。

『男性社会期』

 教師が足を止める。

「ここはテストに出ます」

 

 子どもたちが一斉に端末を開いた。

「先生」

 一人の男の子が手を挙げる。

「どうして昔の人は、女の人を怖がらせたんですか」

 

 教師は少しだけ考えた。

「怖がらせようとした人もいたでしょう。でも、そうじゃない人もいたわ」

「じゃあ、どうして?」

 

「昔の人は、それが普通だと思っていたの」

 子どもたちは黙って聞いている。

「だから私たちは歴史を学ぶの」

 教師はそう言って歩き出した。

「同じことを繰り返さないために」

 

「来年も更新してもらえるよう頑張るね、ミヤビさん」

「うん」

ミヤビは笑う。

「凍矢さんで五人目だからね」

「今のところ問題なし」

凍矢は何度も頷いた。

 

「昨日の日記の結果を教えて」

 ミヤビが声を掛ける。


 アンドロイドが静かに近づいた。

「かしこまりました。どの項目ですか」

「数字だけ」

「昨日の閲覧数は十億件です」


「そっか……」

 ミヤビは少しだけ眉を寄せる。

「思ったほど伸びなかったね」

  

 凍矢は悔しそうに唇を噛み、ミヤビへ言った。

 「みんなどれだけミヤビさんが苦労されているか、まるで分かっていない。日記の内容も世界のために慈愛に満ちた御言葉だという事が、全くもって理解されていない。今日、文部省に連絡して、世界のリテラシーがどうなっているのか抗議する」  


 ミヤビは少しため息をついた。

「抗議は止めないけど、やりすぎないようにね。凍矢さん、私の事になると熱くなっちゃうから。みんなも忙しかっただけだと思うし、まだ書いてから八時間しかたってないからさ」  


 凍矢は納得していない顔をしている。

「全く分かっていないよ。子を産み育てることのできる唯一無二の存在を。今、西暦何年だと思っているんだよ」  


 ミヤビは苦笑しながら、話題を変えた。

「それより凍矢さん。幼稚園のお迎え」

「あっ」  

 

 凍矢は目を見開いた。

「ありがとう。子どもを迎えに行く時間まで教えてくれて。ミヤビさんが言ってくれなかったら忘れていたよ」


「じゃあ後でね」  

 凍矢は慌てて家を飛び出していく。玄関が閉まり、

 部屋に静寂が戻った。

 

「ミヤビ様」

アンドロイドが告げる。

「現在の幸福指数は九三%です」

「そっか」


 ミヤビは天井を見つめた。

 しばらく黙る。

「……ねぇ」

「はい」

「たまに思うんだ」

ミヤビは小さく笑った。

 

「この世界って、完璧すぎて気持ち悪くない?」

アンドロイドは一秒だけ沈黙した。

「その質問の意図が理解できません」

ミヤビは答えなかった。

 

外では母体保護ドローンが変わらず巡回している。

街頭モニターが切り替わる。

『母体精神安定率 九八・二%』

『文明維持指数 良好』

『ミヤビ様関連投稿 拡散中』

 白い街の中央広場。

少女が像を見上げた。

「先生」

「なんでしょう」

「どうして、この人は世界を平和にできたの?」

 

 教師は像を見上げる。

 しばらく黙ってから、小さく笑った。

「一つの質問を、諦めなかったからよ」

「質問?」

「ええ」

教師は像の台座へ目を落とす。

『子を産む者を軽んじる文明は、必ず滅びる』

少女も、その言葉を読んだ。

「難しい……」

教師は頷く。

「大人になったら分かるわ」

少女はもう一度像を見上げた。

その時だった。

『被験体 MYB―01』

『幸福指数 九三%』

『軽度違和感 発生』


空間に浮かぶ壁一面の映像。

その中央には、ミヤビの部屋が映し出されている。


男は静かに画面を見つめていた。


その時、画面の右下に新しい表示が浮かんだ。


『被験体 MYB―01』

『幸福指数 九三%』

『軽度違和感 発生』


「先生……今のは」

 女性が小さく尋ねる。

 男は目を細めた。


「ええ」

「出ましたね」

「何がですか」

「違和感です」

 

 女性は画面へ目を向ける。

「九三%しかありません」

『軽度違和感 発生』

「たった七%ですよ」


 男は首を横に振った。

「違います」

「そこではありません」


 しばらく沈黙が流れる。

 男は静かに笑った。

「完璧な幸福を与えても」

「人は、自ら穴を探す」

 助手は言葉を失う。


 男は画面から目を離さなかった。

「実に興味深い」

「やはり幸福とは、完成形ではないのかもしれませんね」


 画面の中では、ミヤビが静かに眠っている。

 男はその姿を見つめたまま、小さく呟いた。

「さて」

「あなたは、どこまで辿り着けますか」

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