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第90話:開幕の鐘と、帝国の影

第90話をお読みいただきありがとうございます!

今回は、魔法競技大会の開幕回です。

国王やガラルド、帝国側の来賓、そしてボルテール家までが集まり、華やかな学園行事の裏に不穏な気配が漂い始めます。

シオンの久々の登場にも注目していただけると嬉しいです。

 聖アイビス国立魔法学園の中央競技場は、朝から別世界のように塗り替えられていた。

 白亜の観覧席には王国旗と各家の紋章旗が並び、空には属性を示す七色の魔法旗が浮かんでいる。火は紅、風は翠、土は黄、氷は淡青、光は金。風に揺れるはずのない旗が、魔力の波に合わせてゆっくりとたなびいていた。

 貴族の学生たちは、いつも以上に整えた制服で胸を張っている。

 だが、アレンの目には、ここが祝祭の場には見えなかった。

(陣幕、見物席、査定役。祭りに見せかけた品定めだな)

 王族席、有力貴族席、他国使節席、辺境伯関係者席。

 それぞれの視線が、生徒たちの魔法だけでなく、家名、態度、護衛、従者、交友関係まで舐めるように見ている。笑顔の奥で、誰もが相手の値段を測っていた。

 王族席の中央には、聖アイビス王国国王レオンハルト・ヴァン・アイビスの姿がある。豪奢な椅子に深く腰掛け、何もかもを面白がるような目で競技場を見下ろしていた。その斜め下、有力貴族席にはガラルド・ド・グランヴェルもいる。表情は岩のように動かないが、視線だけは冷たく鋭い。

 そのガラルドの背後に、浅葱色の羽織を纏った華奢な少女が立っていた。

 シオンだ。

 特務隊一番隊隊長にして、アレン不在時の局長代行。普段のぽわぽわした空気を完全に消し、護衛として周囲を見ている。その姿だけで、スラムの少女ではなく、刃そのものだった。

 アレンはわずかに目を細めた。

(シオンまで来てやがるのか。聞いてねえぞ)

「ずいぶんと大げさなことだな」

 ルシアンの背後に控えたまま、アレンは低く呟いた。

 公的な場だ。今日の彼は、完璧なグランヴェル家の執事である。黒い燕尾服に白手袋。腰には式典用の装いに隠す形で黒誠を佩き、和泉守兼定は厳重に封じている。

 ルシアンは前を向いたまま、口元だけで小さく笑った。

「これでも控えめな方だよ。王族の方々がいらっしゃる時点で、学園側も失礼のないように整える必要がある」

「学生の腕比べに、他国の連中まで来るとはな」

「腕比べだからこそだよ。次代の当主、騎士、宮廷魔導士、外交官候補が一度に見られる。向こうからすれば、宝石箱を開けてもらうようなものさ」

「なるほど。宝石のふりをした刃も混じっているかもしれねえ、というわけか」

「君は本当に物騒な見方をするね」

「綺麗な箱ほど、底を確かめた方がいい」

 ルシアンはくすりと笑い、それ以上は返さなかった。

 その時、アレンの足元の影が、ほんのわずかに揺れた。

「局長」

 声は小さい。だが、耳慣れた柔らかさがあった。

 シオンが、観覧席から一瞬だけ抜け、通路の死角へ降りてきていた。護衛の位置を崩さないぎりぎりの距離。相変わらず、無邪気な顔に似合わぬ足運びだ。

「お前、ガラルド様の護衛か」

「うん。国王陛下もガラルド様も見てるよ。あと、特務隊のこと、すぐ報告できなくてごめんね」

「何かあったのか」

「帝国の動きが少し変だったんだ。北方から入ってきた商隊の護衛が、護衛にしては軍人っぽすぎた。だからミアたちにも調べてもらってた。ボクも王都側の護衛に回されて、局長にゆっくり話す時間がなかったの」

 シオンの声はいつも通り柔らかい。

 だが、その瞳は笑っていなかった。

「今日、帝国からも来てる。バルディア帝国皇太子、ヴィルヘルム・フォン・バルディア。それと、クラウス・フォン・バルツァー少将」

 アレンの視線が、他国使節席へ滑った。

 黒に近い軍装の青年が、退屈そうに頬杖をついている。若い。だが、空気が妙に重い。隣に立つ灰色の瞳の軍人は、隙なく軍服を着こなし、葉巻の紫煙越しに競技場を見ていた。

 クラウス。

 前に見た、あの合理だけで人を切り分ける目だ。

「なるほど。祭りに帝国の刃物まで混じってるわけか」

「気をつけてね、局長。あの人たち、学生じゃなくて戦場を見に来てる顔をしてる」

「上出来だ。戻れ、護衛が穴を空けるな」

「うん」

 シオンはにこっと笑い、次の瞬間には観覧席の影へ戻っていた。

 観覧席の一角では、リナが落ち着きなく周囲を見回している。平民特待生としてこの場に立つ緊張があるのだろう。けれど、その隣のセレナが胸を張って何かを言うと、リナはむっとして言い返した。

「だから、私は別に緊張なんかしてないってば!」

「声が裏返ってますわよ、リナ。そんなことでは、アレンに笑われますわ」

「セレナだってさっきから髪いじってるじゃない!」

「こ、これは身だしなみですわ! 公爵令嬢として当然です!」

 二人のやり取りを見て、アレンはわずかに肩の力を抜いた。

 さらに少し離れた席では、エレナ・ド・フロストハイムが扇子で口元を隠しながら、こちらを冷たい目で見ている。

 その目は冷たい。

 だが、視線の向きはどう見てもアレンの腰元だった。黒誠の位置、足の置き方、呼吸。彼女はあれから、アレンの動きを観察することを半ば習慣にしている。

(監視のつもりか。熱心なこった)

 背後の柱の陰には、フェリスもいる。

 気配は消している。だが、アレンには分かる。彼女は王族席、使節席、ルシアンの足元、そしてアレンの手元を順番に見ている。表情は変わらないが、仕事はしている。

 悪くない。

 ふと、アレンは有力貴族席の端に、雷を刻んだ紋章を見つけた。

 ボルテール家。

 その中央に座るグスタフ・ヴァン・ボルテールは、固い表情で腕を組んでいた。息子レナードが停学処分を受けて以降、ボルテール家への風当たりは強い。学園内でも、勇者一行の名門が平民の執事に面目を潰されたという噂は、尾ひれをつけて広まっている。

 周囲の貴族たちは表面上こそ礼を保っているが、ちらちらと向ける視線には嘲りが混じっていた。

 グスタフのこめかみが、ぴくりと跳ねる。

 膝の上で握られた拳には、抑えきれない雷の魔力が細く滲んでいた。

(面子を潰された家の当主か。あの顔は、火薬庫の前で煙草を吸ってる馬鹿と同じだな)

 そう思った時、競技場全体に、澄んだ鐘の音が響いた。

 開幕の合図だった。

 中央壇上に立ったヴァルター学園長が、穏やかな声で口を開く。

「諸君。本日ここに、聖アイビス国立魔法学園、魔法競技大会の開幕を宣言する」

 拍手が、波のように広がった。

 華やかな拍手の中で、アレンは笑わなかった。

 王、領主、帝国、ボルテール家。

 今日この場には、祝祭にしては多すぎる刃が集まっている。

 次に鳴る鐘が、ただの競技開始を告げるものとは限らない。

第90話をお読みいただきありがとうございました!

今回は、大会の華やかさと、その裏にある情報戦の匂いを両立させるのがポイントでした。

シオンが護衛として現れる場面は、可愛さと頼もしさの両方を意識しています。

そして帝国側、ボルテール家と、不穏な視線も増えてきました。

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