表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
71/71

第71話:心鎧の稽古と、黒い招待状

第71話をお読みいただきありがとうございます!

今回は、前回クロードの精神魔法に触れられたセレナが、アレン流の精神防御訓練に挑む回です。

魔法ではなく、覚悟と誠を心の芯に置く「心鎧」。リナやフェリスも交えつつ、次の不穏な舞台へつながっていきます。

 翌朝。

 聖アイビス国立魔法学園の外れにある、使われなくなった小さな演習庭。かつては薬草学の実地授業に使われていたらしいその場所は、今ではところどころ石畳が割れ、雑草が伸び、貴族の生徒たちが好んで近づくような華やかさは欠片もなかった。

 だが、アレンにとっては十分だった。

 足場は悪い。人目は少ない。余計な装飾もない。

 鍛錬場としては、むしろ上等だ。

「――昨日の続きだ。今日は、心の斬り合いをやる」

 アレンは黒い木刀――神木烏木から削り出した『黒誠』を肩に担ぎ、セレナとリナを見据えていた。

 セレナは昨日の泥稽古のせいで、制服の下にいくつもの打ち身を抱えている。それでも背筋を伸ばし、顎を引き、逃げるような目はしていなかった。

 隣のリナも、いつもの杖ではなく木刀を手にしている。彼女はセレナをちらりと見て、少しだけ眉を寄せた。

「心の斬り合いって……昨日、クロードって人がやったみたいな、精神魔法への対策ってこと?」

「そうだ」

 アレンは短く答えた。

 昨日、クロード・ヴァン・オルタニアが放った不可視の精神魔法――『囁き糸』。セレナの心の傷へと忍び込み、彼女の足を止めかけたあの術は、魔法の威力だけで見れば大きなものではない。

 だが、厄介さで言えば、火球や雷撃よりもよほど性質が悪い。

 剣で斬られた傷は塞がる。骨が折れれば繋げばいい。

 だが、心へ入り込まれた傷は、自分で傷だと気づく前に、足を止める。

 ――その理屈を、アレンは昨夜、特級魔導書庫の管理室で聞いていた。

「精神魔法というのはね、相手の心を直接壊す魔法ではないわ」

 散らかりかけた机の上に積まれた魔導書を片手で押さえながら、エレノア・フォン・ローゼンバーグは、珍しく教師らしい声でそう告げた。

 アレンは紅茶を淹れ直しながらも、その一言一句を逃さず拾っていた。白手袋の指先は茶器を扱い、黒い瞳は開かれた魔導書の術式を読み解いている。

「精神魔法の多くは、心の表面にある傷や迷いに、魔力の糸を引っかけるの。本人が忘れたつもりでいる劣等感、恐怖、後悔。そういうものを軽く撫でて、本人自身に足を止めさせる。だから厄介なのよ」

「つまり、術者が心を折るんじゃない。本人の中にある折れ目を、外から押すわけですか」

 アレンが即座に言うと、エレノアは感心したように目を細めた。

「理解が早いわね。そう。剣で言えば、鎧の上から斬るのではなく、すでに空いている継ぎ目に針を通すようなものよ」

「なら、継ぎ目を自覚して、そこへ間合いを作ればいい」

「……普通は、そんな結論に一息で辿り着かないのだけれど」

 エレノアは呆れたように笑った。だがアレンは、笑わなかった。

 セレナの顔が脳裏にあった。泥にまみれながらも、決して木刀を手放さなかった公爵令嬢の背中。魔力を持たないという一言で、何度も心を斬られてきた少女。

(あのお嬢様がまた同じ刃で足を止めるってんなら、先に斬り方を覚えておくしかねえ)

 だからアレンは、夜更けまでエレノアの講義を聞き、精神魔法の術式図を頭へ叩き込んだ。魔力は使えない。だが、理屈を知れば、刃を入れる隙は見える。

 京の路地裏で、敵の呼吸と視線から斬撃の筋を読んできた土方歳三にとって、魔法の理もまた、形を変えた「間合い」に過ぎなかった。

「精神魔法ってのはな、正面からぶつかってくる刃じゃねえ。襟首から忍び込む小刀みてえなもんだ。気づいたときには、もう急所に当たっている」

 アレンの声は淡々としていた。

 だが、その奥には、前世の血と泥の匂いがあった。

 京の街。味方と思った者の裏切り。罵声。風評。政争。

 剣で斬られるより、言葉と噂に首を絞められた者を、アレン――土方歳三は何人も見てきた。

「だから、心にも間合いを作る」

「心の……間合い?」

 セレナが小さく呟く。

 アレンは頷き、黒誠の切っ先で地面に一本の線を引いた。

「ここから先に、相手の言葉を入れるな。相手が何を言おうが、何を覗こうが、自分の中の一番奥までは踏み込ませない。そこに置くのは、他人から貰った評価じゃねえ。自分で決めた法だ」

「法……」

「俺で言えば、誠だ」

 その一言に、リナの表情が引き締まった。セレナの胸も、小さく震える。

 アレンは続ける。

「お前らは、魔法があるとかないとか、貴族だとか平民だとか、そういう外側の言葉に振り回されすぎる。敵はそこを突く。だったら先に、自分の中に一本、折れねえ杭を打ち込め」

 アレンは黒誠を肩から下ろし、地面に立てた。

「俺はこれを、心鎧と呼ぶことにする」

「しんがい……?」

「心に鎧と書いて、心鎧だ。魔法じゃねえ。詠唱も魔力もいらねえ。ただ、自分が何のために前へ出るのかを、戦う前から決めておく。それだけの話だ」

 聞くだけなら簡単だ。

 だが、セレナには分かっていた。

 それは、決して簡単なことではない。

 昨日、クロードの囁き糸が触れた瞬間、自分の中に眠っていた惨めさが、まるで昨日のことのように蘇った。魔力を持たぬ令嬢。家の名にふさわしくない娘。兄の陰にいるだけの落ちこぼれ。

 何度忘れたつもりでも、傷は消えてなどいなかった。

「……アレンさん」

 セレナは、かすかに震える声で問う。

「もし、その一番奥に置くものが、まだ見つかっていなかったら……どうすればいいのですか」

 アレンは、すぐには答えなかった。

 ただ、セレナの目を見た。

 逃げ場を与えない、しかし突き放すわけでもない、奇妙に温かい黒い瞳だった。

「なら、仮でいい。今は借り物でも構わねえ」

「借り物……?」

「お前が自分の法を見つけるまで、俺の法を貸してやる」

 セレナの瞳が大きく揺れた。

 アレンは、黒誠の柄を軽く叩いた。

「前へ出ろ。膝をついても、泥を啜っても、後ろへ退くな。守りたい奴を背に置いたら、そいつを置いて逃げるな。今はそれだけでいい」

「……っ」

 セレナは胸の奥に、何か熱いものが落ちるのを感じた。

 それは魔力ではない。高貴な血筋の誇りでもない。

 もっと不骨で、泥臭く、けれど確かに自分の足を地面へ縫い止める重りだった。

「ちょ、ちょっと待ってよアレン」

 横からリナが口を挟む。頬が少し膨れている。

「なんか今、セレナにだけすごく大事なもの貸したみたいな雰囲気だったんだけど。私には?」

「お前は昔から勝手に俺の背中を追いかけてきただろうが」

「そ、それはそうだけど! そういう言い方ずるい!」

 リナは顔を赤くしながら木刀を握り直した。セレナはその様子を見て、少しだけ口元を緩める。

「リナさん。では、私もアレンさんからお借りした法で、貴女に負けないよう前へ進みますわ」

「ふふん、望むところよ。私だって、アレンの隣は譲らないんだから」

「……お前ら、張り合う方向を間違えるなよ」

 アレンはため息をついたが、その声音はどこか柔らかかった。

 少し離れた木陰では、フェリスが腕を組んだまま、その光景をじっと見つめていた。

「……精神魔法への対策を、魔術理論ではなく覚悟で構築するなど、非合理にもほどがあります」

 冷ややかな口調。

 しかし、その琥珀色の瞳は、言葉ほど冷めてはいなかった。

 昨日までのフェリスなら、そんなものは根性論だと切り捨てていただろう。けれど、彼女はすでに見ている。アレンが魔力を持たず、理屈の外側から理屈そのものを叩き斬る姿を。

 禁忌。

 異常。

 理解不能。

 そう呼ぶのは簡単だ。

 だが、目の前の男は、理解できないからこそ危険で、そして理解できないからこそ強い。

「サボりメイド」

「誰がサボりメイドですか」

 即座に返したフェリスへ、アレンは顎で訓練場を示した。

「お前も手伝え。気配遮断を使って、二人の背後に立て。殺気は薄くていい。心拍が乱れた方に、軽く短刀を突きつけろ」

「……私を、訓練用の脅し役に使う気ですか」

「適任だろうが」

「不本意ですが、否定できないのが腹立たしいですね」

 フェリスは小さく息を吐くと、次の瞬間、ふっと姿を消した。

 リナとセレナが同時に息を呑む。

 足音がない。衣擦れもない。気配そのものが闇に溶けたようだった。

「来るぞ。二人とも、目で追うな」

 アレンの声が鋭く飛ぶ。

「相手がどこにいるかじゃねえ。自分が何を守るかを見ろ」

 直後、セレナの背後に、冷たい刃の気配が立った。

「っ……!」

 昨日の記憶が、ほんの一瞬、胸の奥を掠める。

 魔力なし。

 役立たず。

 誰にも必要とされない令嬢。

 囁き糸の残響が、セレナの足首へ絡みつくように蘇った。

 だが、セレナは歯を食いしばった。

(前へ出る。膝をついても、泥を啜っても、後ろへ退かない)

 セレナは、あえて一歩前へ踏み出した。

 フェリスの短刀は、彼女の背中を掠める寸前で止まっていた。

「……合格だ」

 アレンが静かに告げる。

 セレナは息を吐き、膝が笑いそうになるのを必死で堪えた。

「私……今、逃げませんでしたわ」

「ああ」

「逃げませんでしたわ、アレンさん」

「二回言わんでも分かってる」

 アレンの返答は素っ気ない。だが、セレナにはそれで十分だった。

 次に狙われたリナは、フェリスの気配が背後に立つより早く、木刀を肩越しに振り抜いた。

「うりゃあっ!」

 カンッ、と短刀と木刀がぶつかる。

 フェリスが目を細めた。

「……粗いですが、反応は速いですね」

「褒めてるの? それ」

「半分だけ」

「なら半分だけ喜んでおくわ」

 リナは得意げに笑ったが、すぐに表情を引き締めた。

「でも、分かった。心に入られるって、怖いね。目の前に刃がないのに、足が止まりそうになる」

「そうだ」

 アレンは黒誠を構え直す。

「だから、心の稽古を怠るな。剣も魔法も、最後に動かすのは心だ。そこを折られた奴から死ぬ」

 その時だった。

 演習庭の入口から、ぱちぱちと乾いた拍手の音が響いた。

「素晴らしいですね。まさか精神魔法対策を、ここまで原始的で、ここまで実戦的に組み上げるとは」

 現れたのは、黒い制服を一分の隙もなく着こなした少年。

 クロード・ヴァン・オルタニアだった。

 リナが即座に杖を構え、セレナの表情が強張る。フェリスもまた、音もなくアレンの斜め後ろへ滑り込んでいた。

 アレンだけが、黒誠を肩に担いだまま、少しも動じていない。

「盗み見とは、趣味がいいな。オルタニアの坊ちゃん」

「これは失礼。精神魔法師として、昨日の続きを確認したくなりまして」

 クロードは穏やかに微笑む。

 その笑顔は礼儀正しい。だが、薄皮一枚の奥に、冷たい観察欲が潜んでいる。

「ご安心を。今日は、セレナ嬢の心へ無断で触れるつもりはありません。昨日の件については、非礼を詫びましょう」

「言葉だけなら、いくらでも並べられる」

「でしょうね。ですから、正式な場を用意しました」

 クロードは懐から、一通の黒い封筒を取り出した。封蝋には、オルタニア家を示す仮面と月の紋章が刻まれている。

「明後日の放課後、学園北棟の静謐温室にて、精神魔法の基礎講義を開きます。招待したいのは、アレン殿、セレナ嬢、リナ嬢、そしてフェリス嬢。もちろん、ローゼンバーグ教授の立会いも歓迎します」

「……何が目的だ」

 アレンの声が低くなる。

「私は、あなたの黒い木刀が精神魔法の糸を断った理由を知りたい。そしてあなた方は、精神魔法への正しい対処を知る必要がある。利害は一致しているはずです」

 クロードはそこで、少しだけ目を細めた。

「それに、黒の円卓の名が学園で囁かれ始めている今、心を狙う術への備えは、早い方がいい」

 その一言に、空気が変わった。

 リナもセレナも、黒の円卓という名を直接聞く機会は多くない。だが、アレンとフェリスは違う。

 あの魔物狂乱。赤い魔導具。遠隔呪印による口封じ。

 アレンの三白眼が、冷たく細められた。

「お前、黒の円卓について何を知っている」

「断片だけです。ですが、彼らは肉体より先に、心を壊す術を好む。そういう記録が、オルタニア家には残っています」

 クロードは封筒をアレンへ差し出した。

「罠だと思うなら、来なくても構いません。ただし、彼らが次に狙うのは、強い者の身体ではなく、強い者の心かもしれない」

 アレンは封筒を受け取らなかった。

 代わりに、黒誠の切っ先で封筒の端を軽く押さえた。

 その瞬間、封蝋に仕込まれていたごく微細な精神感応の糸が、ぷつりと切れた。

 クロードの片眉が、初めてわずかに動く。

「……念のための検知術まで斬りますか」

「招待状に小細工を仕込む奴を、信用しろって方が無理だろうが」

「これは失礼。本当に、興味深い」

「次に同じ真似をしたら、封筒じゃなくお前の指を落とす」

 アレンは封筒を受け取り、懐へしまった。

「だが、行ってやる。精神魔法の土俵とやらを見ておくのも悪くねえ」

「アレンさん……!」

 セレナが不安げに名を呼ぶ。

 アレンは振り返らずに言った。

「逃げる理由がねえ。心を狙う敵がいるなら、先にその間合いを知っておく。戦場じゃ、知らねえ攻撃から死ぬからな」

 クロードは満足げに一礼し、そのまま静かに去っていった。

 その背中が完全に見えなくなった後、リナが深く息を吐いた。

「……なんか、嫌な感じ。笑ってるのに、ずっとこっちを測ってるみたいだった」

「精神魔法師なんざ、大体そんなもんだ」

 アレンはあっさりと言う。

 フェリスが冷静に補足した。

「ですが、黒の円卓の情報があるなら無視はできません。ルシアン様にも報告すべきです」

「ああ。だが、余計な心配はかけねえ。話す内容は選ぶ」

「また一人で泥をかぶるおつもりですか」

「泥は慣れてる」

 アレンの言葉に、セレナは胸を締め付けられた。

 この人はいつもそうだ。

 誰よりも先に泥へ足を踏み入れ、背中で道を作る。

 だからこそ、自分もそこへ続きたい。

「アレンさん」

 セレナは一歩前に出た。

「私、行きます。昨日のように心を覗かれるのは怖い。けれど、怖いからこそ、逃げたくありません」

 リナも隣へ並ぶ。

「私も行く。セレナだけに格好つけさせないし、アレンを一人で変な温室に行かせる気もないから」

「……お前らな」

 アレンは呆れたように息を吐いた。

 だが、その口元には、わずかに笑みが浮かんでいた。

「上等だ。なら、明後日までに心鎧の基礎だけは叩き込む。泣き言を言う暇はねえぞ」

「望むところですわ」

「やってやるわよ」

 二人の少女が同時に答える。

 その声には、まだ震えが残っていた。

 だが、後ろへ退く気配はなかった。

 アレンは黒誠を握り直し、冷たい朝の空気を吸い込む。

 魔法の学園。

 精神魔法の温室。

 黒の円卓。

 目に見えない刃が、少しずつ彼らの心へ迫っている。

 ならば、斬るだけだ。

 たとえ相手が炎でも、雷でも、心の奥へ忍び込む糸であっても。

「さあ、稽古再開だ」

 アレンの低い声が、静かな演習庭に落ちる。

「心を守りたきゃ、まず泥に立て。綺麗なまま強くなれると思うなよ」

 セレナとリナは顔を見合わせ、同時に頷いた。

 そして再び、泥の中へ足を踏み入れる。

 その背後で、アレンの懐にしまわれた黒い招待状の封蝋が、誰にも気づかれぬほど微かに、赤黒く脈打っていた。

第71話をお読みいただきありがとうございました!

今回は派手な戦闘よりも、セレナの心の成長と、アレンの不器用な優しさを中心にした回でした。

リナがちょっと嫉妬しながら張り合うところも可愛く、フェリスが訓練補助に回る流れもじわじわ賑やかになってきましたね。

そして最後には、クロードからの黒い招待状。

精神魔法、黒の円卓、静謐温室と、次回からまた不穏な空気が濃くなっていきます。

続きが気になる!と思ってくださった方は、ぜひブックマークや広告下の【☆☆☆☆☆】での評価で応援をよろしくお願いします!

皆さんの熱い一票をお待ちしております!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ