第22.5話「楽屋の方程式」
楽屋の鏡は正直だ。
ライトに照らされて、メイクのよれも疲れも全部映す。誤魔化しが利かない。
遠藤美咲は鏡の前でコットンを動かしながら、隣の柊華をちらりと見た。
小柄で、表情がころころ変わる。ブラウンのミディアムヘアが少し崩れていて、収録が終わった感じがそのまま出ている。目が大きくて、笑うと少し下がる——バラエティで売っている「天然で明るい」キャラが、オフの楽屋でも全然消えていない人だ。
今日は昼の情報バラエティ。メインの美咲に呼ばれてゲスト出演した華は、スタジオで「同居人が機械ばかりいじっている」という話をして、なぜかそれが一番ウケた。
収録後、楽屋に戻ってから美咲のテンションが上がりっぱなしだ。
「ねえ華ちゃん、遼さんってどんな人?」
華は鏡越しに「普通の人だよ」と返した。
美咲のコットンの動きが止まる。
「普通?」
「うん、普通」
「でも」美咲が身を乗り出す。「ロボット作れるんでしょ。それって普通じゃなくない?」
華が少し考えた。
「……まあ、そうかも」
「そうかも、じゃないでしょ。普通に天才じゃん」
「遼に言ったら『普通だろ』って言うと思う」
「それが普通じゃないんだよ!」
美咲はコットンをテーブルに置いた。話に集中する態勢。収録後の楽屋、衣装が半分だけ戻っている状態でも、この人の「聞く気スイッチ」は常に全力だ。
「機械ばかりいじってるって、具体的にどんな感じなの?」
「リビングで普通に部品広げてる。コーヒー飲みながら基板見てる。ご飯食べながら配線の話してくる」
「えっ、ご飯中に?」
「普通に。お味噌汁飲みながら『この接触不良、根本から設計し直した方が早い』とか言ってくる」
「お味噌汁中の話題じゃないよ!!」
美咲の声が楽屋に響く。隣の仕切りの向こうから「うるさい」という声がした。二人で「すいません」と言って少し声を落とした。
「でも嫌な感じじゃないんでしょ?」
「嫌じゃない。なんか……普通に面白い」
「面白い、か」
美咲は腕を組んだ。思考中のポーズ。
「一回会ってみたい」
「喋んないよ」
「え?」
「あんまり喋らない人。というか、聞かれたことには答えるけど自分から話さない」
「へえ」
美咲の目が少し輝く。華はこの顔を知っている。「面白そうなものを見つけた」顔だ。バラエティで知らない企画に放り込まれたときの顔と同じ。
「そういう人の方が気になる」
「なんで」
「だって、喋る人は喋る分だけ読めるじゃん。喋らない人は読めないから、読もうとしちゃうんだよね」
「バラエティタレントっぽい発想だ」
「ほめてる?」
「ほめてる」
美咲はもう一度コットンを手に取って、でもほぼ使わないまま続けた。
「華ちゃんのお兄ちゃんて、どんな機械作ってるの?」
「今はプログラムかな。通信でロボットを動かすやつ」
「ロボット! かわいい?」
「かわいいというか、競技用というか……」
「競技?」
「うーん、うまく説明できない。私も詳しくないんだよね。なんかすごいのは分かるんだけど、どんなふうにすごいかは分からない」
「天才の妹っぽい!」
「そうかな」
「だって普通、身近な人の仕事ってなんとなく分かるじゃん。でも『なんかすごいのは分かる』って、レベルが高すぎて理解が追いつかない感じじゃん」
華がうーんと考えた。
「確かに、遼の話を聞くたびに置いてかれる感覚はある」
「かっこいいじゃん!」
「でも本人は全然そんな気ない。普通に話してるだけだから、こっちが勝手に置いてかれてる」
「それがまたかっこいいじゃん!!」
「みさき、テンション上がってきてる」
「上がってる!! だって面白いじゃん」
美咲はようやくコットンを使い始めた。鏡に向かいながら、でも話は止まらない。
「柊家って、どんな雰囲気なの?」
「どんな、か……」華が少し考える。「なんか、うるさい」
「うるさい?」
「お姉ちゃんがよく叫んでる。プリンがなくなったとか、遼がスーツ持ってないとか」
「柊凛さんが叫んでるの?!」
「家では普通に叫ぶ」
「あの柊凛が!!」
「外と全然違う」
「それはそれで見てみたい……」美咲が少し遠い目をした。「で、スーツ?」
「最近買ったけど。サイズが微妙だったって」
「通販?」
「通販」
美咲が「あーーー」と声を上げた。
「通販で買って、サイズ確認しないやつだ!!」
「そう」
「それもまた天才っぽい! 細かいことに気が回らない感じが!」
「みさき、「天才っぽい」の使い方が広がりすぎてない?」
「広がってるね! でも全部そう見えるんだよ!!」
華が笑った。鏡の中で、二人分の笑いが重なる。
収録が終わった後の楽屋。ライトが明るい。外からかすかに廊下の音。
美咲はもう一度腕を組んで、天井を見た。
「一回、柊家に行ってみたい」
「……なんで」
「だって気になるじゃん。遼さんが普通にいる空間」
「でも遼、客が来ても特に愛想ないよ」
「それが見てみたい!」
「え?」
「愛想ないのに、でも部品はいじってるんでしょ? それって遼さんが一番くつろいでる状態じゃん。その状態の人間見てみたい」
華は少し目を丸くした。
「みさき、人間観察系?」
「バラエティやってると、人間の自然な状態が一番面白くて。作ってる状態の人より、作ってない状態の人の方がずっと面白い」
「……確かに」
「遼さん、絶対作ってない状態じゃん」
「作ってないね。作る気がたぶんない」
「最高じゃん」
美咲のメイク落としが終わる。華もちょうど一段落した。
楽屋のソファに二人で移動して、マネージャーが出してくれたお茶を飲む。
美咲が「で、」と続けた。
「具体的にどう行けばいいと思う?」
「え」
「柊家。行くとしたら」
「もう行く前提なの?!」
「行きたいもん。ダメ?」
「ダメじゃないけど……遼は基本、来客に反応しないよ。『どうも』って言ってまた作業に戻る」
「その『どうも』が聞きたい!!」
「ハードル低!」
「低くていいじゃん。会えばいい。話せればもっといい。私、喋るの得意だから引き出してみせる」
華が少し不安そうな顔をした。
「……引き出せるかな」
「なんで不安そうなの」
「だって遼、引き出そうとしても引き出せないんだもん。技術の話になると少し喋るけど、それ以外はほぼ一言」
「技術の話をすればいいじゃん」
「みさき、技術の話できるの?」
「……できないかも」
「だよ!」
「でも質問ならできる。興味あることを聞けば話してくれるんでしょ」
「まあ、そうかも。遼は聞かれたら答えるから」
「じゃあ聞く。何でも聞く。何なら褒める」
華が少し考えた。
「褒めても、あんまり喜ばないかも」
「喜ばないの?!」
「『普通だろ』ってなる」
美咲が「ぷっ」と吹き出した。
「普通じゃないのに、普通だろって言うの?」
「言う。毎回」
「それ!! それが面白いんだよ!!」
「みさきが楽しんでることは分かった」
「楽しいよ!! 華ちゃんのお兄ちゃんの話、毎回面白いもん」
お茶が冷めてきた。
マネージャーが「そろそろ」と声をかけてくる。撤収の時間。
美咲は荷物をまとめながら、まだ話している。
「ひなも連れていきたい」
華が「ひな?」と聞く。
「佐倉ひな。知ってる?」
「知ってる、会ったことある。グラビアの子でしょ」
「そう。最近うちの番組によく来てて、仲良くなって。ひなも芸能界の友達少ないタイプだから、華ちゃんとも合うと思う」
「へえ」
「柊家、何人まで行っていい?」
「人数の問題じゃない気がするけど……お姉ちゃんに聞いてみる」
「やった! ……でも、お姉ちゃんも家にいるんでしょ」
「いることある」
「柊凛さんが、家に」
「いるよ、普通に」
美咲が少し止まった。
「……それはそれでハードル高いな」
「家ではうるさいだけだから、大丈夫」
「そうは言っても」美咲が苦笑いする。「私、凛さんの朝ドラ見て女優さんってすごいなって思ったクチだから。楽屋で会うのとまた違うじゃん」
「慣れると普通だよ。プリンの争奪してるから」
「……プリン争奪」
「遼のプリンには手を出さない方がいい。あと凛のも」
「遼さんもプリン食べるの?」
「食べる。しかも争奪戦になる」
「争奪戦?!! お兄ちゃんとお姉ちゃんで?!」
「三人で」
「華ちゃんも!!」
「……まあ」
美咲が楽屋の出口で立ち止まった。目がきらきらしている。
「柊家、絶対行く。絶対に行く。来月までに予定押さえる」
「そんな本気で言われると逆に怖い」
「来月、空いてる日ある?」
「あるかもしれないけど」
「よし。日程調整する。ひなにも言う。凛さんにも根回しお願いしていい?」
「……分かった」
「華ちゃん!」
「何」
「遼さんに会うの、楽しみ」
華が少し笑った。
「会っても、部品しか見てないと思うよ」
「それも見てみたい!!」
廊下に出る。
マネージャーたちが待っている。それぞれの車に乗る前に、美咲が振り返った。
「今日の収録、楽しかった」
「私も。また呼んでね」
「呼ぶ呼ぶ。次もよろしく」
美咲が笑う。華も笑う。
「じゃあね」「うん、またね」。それだけ言って、それぞれ別の方向へ歩いていく。
その夜、美咲のアパート。
ベッドに寝転んで、スマホを見た。
ひなのLINEが来ていた。「今日の放送見てた!華ちゃんの話面白かった」
美咲は少し笑いながら返す。
「華ちゃんのお兄ちゃんに会いに行く計画立ててる。一緒に行かない?」
既読がついて、すぐ返信が来た。
「え、どういうこと」
「柊家に遊びに行く。華ちゃんがいいって言ったから」
「……遼さんって、どんな人なの」
美咲は一瞬止まった。ひなの返信を見る。
遼さんって、どんな人なの。
柊家の話は今日の放送で初めて知ったはずだ。なのに、もう名前で聞いてきた。
美咲はしばらくスマホを眺めた。
それから「面白い人だよ」とだけ打って、スマホをテーブルに置いた。
天井を見る。
なるほど。
そういうことか——かもしれない。
美咲はひとりで小さく笑った。ひなには何も言わない。華には絶対言わない。でも、自分の中で一個、アンテナが立った。
柊家訪問計画、楽しくなってきた。
翌日の昼。
華はマネージャーの田村と移動中、ふと思った。
「あ、遼に言わないといけない」
「何を?」田村が聞く。
「友達が来たがってる」
「遼さんに、お友達が?」
「違う、私の友達が遼に興味あって」
「……遼さん自体に、ですか」
「遼ってなんか面白いらしくて」
田村がハンドルを持ちながら少し黙った。
「それ、遼さんに言ったら何て返ってくるんですかね」
「多分『そうですか』」
「……そうですか、か」
「で、また作業に戻る」
田村が小さく笑った。
「柊家、いつも楽しそうですね」
「楽しいよ」華が窓の外を見ながら言う。「なんかいつも何かあるから」
その夜、柊家のリビング。
遼はモニターの前にいる。プログラムの作業。コーヒーが冷めかけている。
華がソファから声をかけた。
「遼、友達が来ていい?」
「いいけど」モニターから目を離さずに返す。「何人」
「二人くらい」
「来たら来たで」
「遼のこと、会いたがってる子がいるんだよね」
少し間があった。
「なんで」
「面白いって」
また間があった。
「俺が?」
「そう」
「普通だけど」
華が「ほら」と思った。やっぱり「普通だけど」って言う。
「まあ、来るかもしれないから。その時よろしく」
「どうも、くらいしか言わないけど」
「それでいい。みさきはそれを聞きたいんだと思う」
遼が少し首をかしげた。よく分からない、という顔だ。
「……まあ、いいけど」
それだけ言って、またモニターに向き直った。
華はソファで台本を開いた。
窓の外に夜の東京。柊家のリビングは、今日もいつも通りうるさくて、いつも通り静かだ。
来月。遠藤美咲と佐倉ひなが来る。
華はそのことをもう一度思って、なんとなく楽しい気持ちになった。遼は多分、何も変わらない。部品を見て、「普通だろ」と言う。
でも美咲は絶対それを「最高!」と言う気がする。
それはそれで、見ものかもしれない。




