第5話「完璧な女優」
月曜日の朝。
柊家のリビングで、凛が朝食を食べていた。
今日はドラマの撮影日。
重要なシーンが控えている。
「お姉ちゃん、今日も撮影?」
華が聞いた。
「うん。今日はクライマックスシーンの撮影」
「大変そう……」
「まあね。でも、頑張るよ」
凛は笑顔で答える。
だが、その笑顔は少し硬かった。
遼はそれに気づかず、スマホでニュースを見ている。
「遼、今日は何時に帰る?」
「分からん。実験次第」
「そっか」
凛は少し寂しそうに答えた。
華がそれに気づいた。
「お姉ちゃん、何か悩んでる?」
「え? ううん、別に」
「嘘。顔に出てるよ」
「……そうかな」
凛は苦笑した。
遼がチラリと凛を見た。
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫」
「なら、いいけど」
遼は再びスマホに目を戻す。
凛は小さくため息をついた。
午前10時。
ドラマの撮影現場。
都内のスタジオに、大勢のスタッフが集まっていた。
凛は控室で台本を読んでいる。
今日のシーンは、主人公が恋人との別れを決意する場面。
感情の起伏が激しい、難しいシーンだ。
「柊さん、準備できましたか?」
ADが声をかける。
「はい、大丈夫です」
凛は立ち上がり、撮影現場に向かった。
スタジオに入ると、監督が待っていた。
「柊さん、おはようございます」
「おはようございます」
「今日のシーン、理解してますか?」
「はい。主人公が恋人に別れを告げるシーンですね」
「そうです。感情を込めて、でも抑制も必要です」
「分かりました」
凛は頷いた。
監督は満足そうに笑った。
「柊さんなら大丈夫でしょう。いつも通り、お願いします」
「はい」
凛は撮影位置につく。
共演者の俳優も準備完了。
スタッフが最終確認をする。
「それでは、本番いきます!」
ADの声。
「よーい……スタート!」
カメラが回る。
凛は深呼吸をした。
そして──
表情が変わる。
主人公の感情が、凛の顔に浮かぶ。
悲しみ、決意、諦め。
全てが混ざった複雑な表情。
「……さよなら」
凛の台詞。
声が震える。
だが、それが自然だ。
共演者が驚いたような表情をする。
台本通り。
「待ってくれ! なぜ……!」
共演者の台詞。
凛は目を伏せる。
涙が一筋、頬を伝う。
「もう、遅いの……」
完璧だった。
感情が溢れている。
だが、過剰ではない。
計算された演技。
「カット! OK!」
監督の声。
スタジオに拍手が起きる。
「柊さん、素晴らしい! ワンカットでOKです!」
「ありがとうございます」
凛は笑顔で頭を下げた。
だが──
その笑顔は、どこか疲れていた。
昼休み。
凛は控室で弁当を食べていた。
一人だ。
スタッフや共演者は、別の場所で食事をしている。
凛は静かに箸を動かす。
ふと、窓の外を見た。
青空が広がっている。
「……このままでいいのかな」
凛は小さく呟いた。
誰にも聞こえない声。
完璧な演技。
監督やスタッフからの絶賛。
視聴率も好調。
全てが順調だ。
でも──
「私、成長してるのかな……」
凛は自問する。
朝ドラ主演から二年。
確かに、安定した演技ができるようになった。
どんな役でも、70点以上は出せる自信がある。
でも、それだけだ。
華のような、爆発的な演技。
監督の期待を超える、予想外の表現。
それができない。
「私は……このままでいいの?」
凛は弁当を置いた。
食欲がなくなっていた。
午後の撮影。
次のシーンは、主人公が一人で泣く場面。
凛は再び完璧な演技を見せた。
「カット! OK! 柊さん、本当にすごい!」
監督が絶賛する。
スタッフも拍手。
凛は笑顔で頭を下げる。
だが、内心は複雑だった。
「……また、計算通り」
凛は自分の演技を分析していた。
涙のタイミング。
声の震え。
表情の変化。
全て、計算している。
それが悪いわけではない。
プロとして、当然のことだ。
でも──
「華は、こんな風に計算しないんだろうな……」
凛は妹を思い出す。
華の演技は、計算ではない。
その場で生まれる、純粋な感情。
だから、予想外の表現ができる。
だから、天才と呼ばれる。
「私は……天才じゃない」
凛は小さく呟いた。
撮影が終わり、午後7時。
凛は車で帰宅していた。
マネージャーが運転している。
「柊さん、今日もお疲れ様でした」
「ありがとうございます」
「監督も絶賛してましたね」
「そうですね」
「次回の視聴率も期待できそうです」
「……そうですね」
凛の返事は素っ気ない。
マネージャーがそれに気づいた。
「何か、悩んでます?」
「え?」
「いえ、なんとなく元気ないかなって」
「……大丈夫です」
凛は笑顔を作った。
だが、マネージャーには見抜かれている。
「無理しないでくださいね」
「はい」
凛は窓の外を見た。
夕暮れの街。
人々が歩いている。
凛の顔を知っている人もいるだろう。
でも、凛の悩みを知る人はいない。
午後8時、柊家のリビング。
華がソファでテレビを見ていた。
バラエティ番組だ。
遼は自室にいる。
玄関のドアが開いた。
「ただいま」
凛だ。
「おかえり!」
華が駆け寄ってくる。
「お姉ちゃん、お疲れ様!」
「ただいま」
凛は笑顔で答える。
だが、疲れた表情だ。
「大丈夫? すごく疲れてるみたいだけど」
「ううん、大丈夫」
「嘘。顔に出てるよ」
「……そうかな」
凛は苦笑した。
リビングに入ると、遼が自室から出てきた。
「おかえり」
「ただいま」
「撮影、どうだった?」
「うん……順調だよ」
「そうか」
遼は淡々と答える。
そして、キッチンに向かった。
「腹減ったな。何かあるか?」
「冷蔵庫に残り物があるよ」
「了解」
遼はキッチンで何かを探し始める。
華が凛の顔を見た。
「お姉ちゃん、本当に大丈夫?」
「うん」
「何か悩んでる?」
「……ううん」
凛は首を振った。
だが、華は納得していない様子だ。
「お姉ちゃん、私に話してよ」
「華……」
「私、お姉ちゃんの妹だよ? 何でも聞くから」
凛は少し迷った。
そして、小さく笑った。
「ありがとう。でも、大丈夫」
「……本当?」
「本当」
凛は華の頭を撫でた。
華は少し不満そうだったが、それ以上は聞かなかった。
その夜、凛の部屋。
凛はベッドに横になっていた。
天井を見つめている。
「……私、このままでいいのかな」
凛は呟いた。
国民的女優。
安定した演技。
好感度ランキングTOP5。
全てが順調だ。
でも──
「華みたいに、爆発できない」
凛は目を閉じた。
華の受賞スピーチを思い出す。
あの笑顔。
あの涙。
全てが自然だった。
計算じゃない。
「私は……計算してる」
凛は自分を責める。
でも、それが悪いわけじゃない。
プロとして、当然のことだ。
なのに、なぜ──
「なぜ、満足できないんだろう……」
凛は小さくため息をついた。
そして、スマホを取り出す。
SNSを開く。
自分のドラマの感想が流れている。
「今日の柊凛、泣いた」
「演技がすごい」
「さすが国民的女優」
絶賛の嵐。
凛は画面を閉じた。
「……ありがとう」
小さく呟く。
だが、満足感はなかった。
同じ頃、遼の部屋。
遼は卒論を書いていた。
だが、ふと手を止めた。
今日の凛の様子を思い出す。
疲れた表情。
どこか元気がない感じ。
「……大丈夫かな」
遼は小さく呟いた。
そして、スマホを取り出す。
凛にLINEを送ろうとした。
だが、何を書けばいいか分からない。
「……余計なお世話か」
遼はスマホをしまった。
そして、再び論文執筆に戻る。
その時──
スマホが震えた。
遼は画面を見る。
またメールだ。
差出人は同じ企業。
件名:【緊急】Our Team Will Arrive in Tokyo Tomorrow
遼は目を細めた。
「……明日?」
少し考える。
そして──
画面を閉じた。
「……忙しいんだよな」
遼はそう呟き、メールを無視した。
翌朝、柊家のリビング。
凛は朝食を食べていた。
今日も撮影だ。
だが、表情は暗い。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
華が心配そうに聞く。
「うん、大丈夫」
「本当に?」
「本当」
凛は笑顔を作る。
だが、その笑顔は少し無理していた。
遼がそれに気づいた。
「凛」
「何?」
「無理すんなよ」
「え?」
「顔に出てる」
凛は少し驚いた。
遼が、自分の様子に気づいている。
それが少し嬉しかった。
「……ありがとう」
「別に」
遼は淡々と答える。
そして、朝食を食べ続ける。
凛は小さく笑った。
少しだけ、気持ちが楽になった。
その頃、都内の高級ホテル。
とある企業の幹部たちが、チェックインしていた。
全員、スーツを着ている。
その中の一人、CTOが言った。
「今日、柊遼に会いに行く」
「はい」
「準備はいいか?」
「はい。大学の場所も確認済みです」
「よし」
CTOは窓の外を見た。
東京の街が広がっている。
「柊遼……ついに会えるな」
世界的企業が、遼に接触する。
だが、遼は知らない。
自分の運命が、大きく動こうとしていることを。




