第19話「見えない距離」
金曜日の夕方。
都内、カジュアルなイタリアンレストラン。
窓際の席に、三人の女性が座っていた。
柊凛、柊華、桜井詩織。
テーブルには、パスタとサラダ、ピザが並んでいる。
「詩織ちゃん、久しぶり!」
華が嬉しそうに言った。
「久しぶり。華ちゃん、主演映画決まったんだって?おめでとう」
「ありがとう!でもプレッシャーすごくて……」
「大丈夫だよ。華ちゃんなら」
詩織は優しく笑った。
凛がワインを一口飲んだ。
「詩織ちゃんも就活、順調?」
「まあ、なんとか。いくつか内定もらえたし」
「すごいね」
「凛さんとか華ちゃんに比べたら、全然普通だよ」
「そんなことないよ」
三人は笑いながら食事を続けた。
華がふと思い出したように言った。
「そういえば、遼は?」
詩織の手が、少し止まった。
「遼?」
「うん。最近どう?」
「……普通だと思うけど」
詩織は曖昧に答えた。
凛が少し笑った。
「遼、TechVisionのオファー、まだ決めてないらしいね」
「……うん。聞いた」
「あんなすごい条件なのにね」
華が言った。
「CTOが直接来たんでしょ?普通すぐ決めるよね」
「詩織ちゃん、心配してるでしょ」
凛の言葉に、詩織は少し驚いた。
「え……分かる?」
「分かるよ。幼馴染だもんね」
華も頷いた。
「詩織ちゃん、昔から遼のこと気にしてたもんね」
詩織は少し照れた。
「気にしてるっていうか……心配なだけだよ」
「心配ねえ」
華がニヤリと笑った。
凛がワイングラスを置いた。
「詩織ちゃん、正直に聞いてもいい?」
「何?」
「遼のこと、どう思ってる?」
詩織は少し固まった。
「ど、どうって……」
「好きでしょ」
華がずばり言った。
詩織は真っ赤になった。
「ち、違うよ!幼馴染だから心配してるだけで……」
「嘘ー」
華が笑った。
「詩織ちゃん、遼の話する時、顔変わるもん」
「変わらないよ!」
「変わる変わる」
凛も笑った。
詩織は顔を伏せた。
「……ずるいよ、二人とも」
「ごめんごめん」
華が笑いながら謝った。
「でも、詩織ちゃんが遼のこと好きなの、私たちも嬉しいんだよ」
「え?」
「だって、詩織ちゃんなら安心だもん」
凛が静かに言った。
「遼のこと、ちゃんと分かってくれてる人だから」
詩織は少し驚いた。
「……ありがとう」
しばらく食事を続けた後、凛が少し真剣な顔で言った。
「でもね、詩織ちゃん」
「うん」
「遼って、どこか遠いよね」
詩織の手が止まった。
「遠い……?」
「うん」
凛は窓の外を見た。
「私も華も、ずっと一緒に暮らしてるけど」
「……」
「遼が何考えてるか、よく分からない時がある」
華も頷いた。
「遼、いつも穏やかで優しいけど」
「でも、本当のところは見えない」
凛が続けた。
「機械が好き、っていうのは分かる」
「でも、それ以外のことは……」
「全然分からない」
詩織は、二人の言葉を黙って聞いていた。
凛がワインを一口飲んだ。
「詩織ちゃんは、遼のこと分かる?」
「……分からない」
詩織は正直に答えた。
「私も、よく分からない」
「だよね」
華が少し笑った。
「遼、謎だもんね」
凛が静かに言った。
「詩織ちゃん、遼がもし海外に行くことになったら、どうする?」
詩織の手が止まった。
「海外……」
「TechVisionって、アメリカの会社でしょ」
「……うん」
「本社で働くことになったら、アメリカに行くかもしれない」
華が続けた。
「遼、自分で選ぶって言ってたけど、何を選ぶかは誰にも分からないし」
詩織は黙っていた。
答えが出なかった。
凛は詩織を真っすぐ見た。
「詩織ちゃん、どうする?」
詩織は黙っていた。
答えが出なかった。
華が少し心配そうに言った。
「お姉ちゃん、詩織ちゃん困ってるよ」
「ごめん。でも、考えておいた方がいいと思って」
凛は静かに言った。
「遼は、自分の価値が分かってない」
「……」
「でも、世界は分かってる」
凛はワイングラスを見つめた。
「遼を奪いに来る人たちは、たくさんいると思う」
詩織は、その言葉に少し胸が痛くなった。
同じ頃、柊家。
遼の部屋。
遼はデスクに向かっていた。
ノートパソコンが二台、モニターが一台。
机の上には、小型のロボットが置いてある。
市販のロボットキットを改造したものだ。
遼は画面を見つめながら、キーボードを叩いていた。
プログラムコードが流れていく。
「……よし」
遼は小さく呟いた。
卒論が終わって、久しぶりに自由な時間がある。
何をしようか考えて——
遼は、ずっと作りたかったものを作ることにした。
通信対戦ロボットゲーム。
コンセプトはシンプルだ。
距離が離れた場所にいる二人が、それぞれ自分のロボットを操作して戦う。
ただし——
操作は通信で行う。
実際のロボットは、会場に送る。
遠隔地から、リアルタイムで操作して戦う。
遼は、この仕組みを実現したかった。
「通信遅延が問題だな」
遼はメモを取った。
リアルタイムで操作するには、遅延を最小限にしなければならない。
でも、それは技術的に可能だ。
プロトコルを最適化すれば——
遼は、すでに構想を持っていた。
「プログラムは、大体できそうだ」
遼は画面を見た。
通信プログラムのプロトタイプが動いている。
遅延は、約二十ミリ秒。
十分実用的だ。
問題は、ロボットの方だ。
遼は机の上のロボットを手に取った。
関節が少ない。
これでは、戦闘の幅が狭い。
もっと自由に動かすには——
関節を増やさないといけない。
肩、肘、手首、指。
腰、膝、足首。
全部で、少なくとも二十関節は欲しい。
遼は紙に図を描いた。
関節の配置。
モーターの選定。
制御回路の設計。
「……これ、一週間では無理だな」
遼は小さく呟いた。
関節を増やすと、制御が複雑になる。
各関節の動きを同期させないといけない。
バランス制御も必要だ。
転倒しないようにする仕組みも。
遼は少し考えた。
設計だけなら、できる。
でも、実際に組み立てて、調整して——
一週間では足りない。
二週間でも厳しい。
「まあ、ゆっくりやるか」
遼は画面に戻った。
まずはプログラムを完成させよう。
ロボットは、後から作ればいい。
二時間後。
遼は椅子の背にもたれた。
プログラムの基本部分が完成した。
通信、操作入力、ロボット制御。
全部、動いている。
遼は満足していた。
テストで、二台のロボット(簡易版)を動かしてみる。
片方を自分で操作。
もう片方は、別のパソコンから操作するシミュレーション。
ロボットが動いた。
遅延なく、スムーズに。
「……いいな」
遼は笑った。
これを完成させれば——
世界中の人が、会場に来なくても戦える。
自分で改造したロボットを送って、家から操作する。
遼は、その光景を想像した。
面白い。
絶対に面白い。
遼はスマホを取り出した。
詩織にLINEを打った。
「面白いもの作ってる」
すぐに既読がついた。
「何作ってるの?」
「通信対戦ロボット」
「……難しそう」
「そうでもない」
遼は少し笑った。
詩織から返信が来た。
「遼、楽しそうでよかった」
「楽しい」
「卒論終わったもんね」
「ああ」
遼はスマホを置いた。
また画面に向かう。
次は、関節制御のアルゴリズムを考えよう。
多関節ロボットの動きを、どう最適化するか。
遼は、紙に数式を書き始めた。
夜、詩織の部屋。
詩織はベッドに座って、スマホを見ていた。
遼からのLINE。
「通信対戦ロボット」
詩織は少し笑った。
遼らしい。
卒論が終わったら、また何か作り始める。
でも——
詩織は、凛の言葉を思い出した。
「遼って、どこか遠いよね」
そうだ。
遼は、いつも何かを作っている。
機械をいじっている。
それが楽しそうで、幸せそうで。
でも——
詩織には、その世界が見えない。
遼が何を考えて、何を目指しているのか。
よく分からない。
詩織はスマホを握りしめた。
もし、遼が海外に行ったら——
詩織は、ついていけるんだろうか。
遼の隣に、いられるんだろうか。
詩織は、答えが出なかった。
詩織は、遼に電話をかけた。
数回コール音が鳴って、遼が出た。
「もしもし」
「遼、今大丈夫?」
「ああ」
詩織は少し間を置いた。
それから、思い切って聞いた。
「遼、もし海外に行くことになったらどうする?」
「海外?」
「うん。TechVisionって、アメリカの会社でしょ」
「まあな」
「もし、向こうで働いてくれって言われたら」
遼は少し考えた。
「……行かない」
「本当に?」
「うん」
「なんで?」
「面倒だから」
詩織は少し笑った。
遼らしい答えだ。
「でも、すごいチャンスなんじゃないの?」
「そうかもしれない」
「それでも行かない?」
「行かない」
遼は静かに言った。
「俺、海外に興味ないし」
「……そっか」
詩織は少し安心した。
でも——
完全には安心できなかった。
遼が「行かない」と言っても。
世界が、遼を放っておくんだろうか。
電話を切った後、詩織はベッドに横になった。
天井を見ている。
凛の言葉が、頭の中で繰り返される。
「遼を奪いに来る人たちは、たくさんいると思う」
詩織は、それが怖かった。
遼は、自分の価値が分かっていない。
でも、世界は分かっている。
いつか——
遼が、遠くに行ってしまうかもしれない。
詩織の手が届かないところへ。
詩織は、目を閉じた。
でも、眠れなかった。
同じ頃、遼の部屋。
遼は、また画面に向かっていた。
関節制御のアルゴリズムを書いている。
詩織からの電話を思い出した。
「もし海外に行くことになったら?」
遼は少し首を傾げた。
なんで、そんなことを聞いたんだろう。
海外に行く予定なんて、ない。
TechVisionのオファーは、まだ保留だ。
どうするか、まだ決めていない。
でも——
海外は、たぶん行かない。
面倒だし。
日本でいい。
遼は、そう思っていた。
遼は、ロボットの設計図を見た。
多関節ロボット。
二十関節。
バランス制御。
転倒防止機構。
通信遅延の最小化。
リアルタイム操作。
遼は、紙にスケジュールを書いた。
設計:二週間。
部品調達:一週間。
組み立て:二週間。
調整:一ヶ月。
プログラム統合:二週間。
テスト:一ヶ月。
合計:約四ヶ月。
「まあ、夏までにはできるか」
遼は満足した。
ただ——
もっと早くできる方法があるかもしれない。
遼はスマホを取り出した。
ロバート・チェンにメールを書いた。
Mr. Chen,
I'm working on a remote-controlled battle robot system with 20 joints.
Network latency minimization and real-time control are the main challenges.
My current schedule is about 4 months for completion.
Do you know any way to shorten this timeline?
Ryo Hiiragi
(チェンさん
20関節の遠隔操作対戦ロボットシステムを作っています。
通信遅延の最小化とリアルタイム制御が主な課題です。
現在のスケジュールは完成まで約4ヶ月です。
この工期を短縮する方法をご存じですか?
柊遼)
送信。
遼は画面に戻った。
返信は、たぶん明日くらいに来るだろう。
三十分後。
スマホが鳴った。
メールの通知だ。
ロバートからだ。
早い。
遼はメールを開いた。
Ryo,
Are you SERIOUS!?
A 20-joint robot with real-time network control would take a professional team 2-3 YEARS minimum!
And you're saying 4 MONTHS!?
That's not "shortening the timeline" - that's already INSANE!
There's no way to make it faster. 4 months is already impossible for most companies.
How are you planning to do this alone!?
Robert
(遼
本気で言ってるのか!?
20関節のリアルタイムネットワーク制御ロボットなんて、プロのチームでも最低2〜3年はかかる!
それを4ヶ月だと!?
それは「工期短縮」じゃない——すでに正気の沙汰じゃない!
早くする方法なんてない。4ヶ月でも大半の企業には不可能だ。
一人でこれをやるつもりなのか!?
ロバート)
遼は少し首を傾げた。
そんなに難しいのか?
設計は頭の中にある。
プログラムも、大体書けた。
あとは組み立てて調整するだけだ。
遼は返信した。
Mr. Chen,
Thank you for the feedback.
I didn't realize it was that difficult for companies.
I'll proceed with my 4-month plan.
Ryo
(チェンさん
フィードバックありがとうございます。
企業にとってそんなに難しいとは知りませんでした。
4ヶ月計画で進めます。
遼)
送信。
遼は画面に向かった。
また、プログラムを書き始める。
夜は、まだ長い。
同じ頃、アメリカ。
ロバートは自宅のオフィスで、遼からのメールを読んでいた。
「I didn't realize it was that difficult...」(そんなに難しいとは知りませんでした……)
ロバートは頭を抱えた。
「This kid... he doesn't understand his own genius at all.」(この子は……自分の天才性をまったく理解していない)
ロバートはもう一度メールを打った。
Ryo,
Please send me updates on your progress.
I want to see what you create.
And seriously, 4 months for this project would be a world record.
Good luck.
Robert
(遼
進捗状況を教えてください。
君が何を作るのか見てみたい。
そして本気で言うが、このプロジェクトを4ヶ月で完成させたら世界記録だ。
頑張ってくれ。
ロバート)
送信。
ロバートは椅子にもたれた。
柊遼。
やはり、ただ者ではない。
翌朝、土曜日。
柊家のリビング。
凛と華が朝食を食べていた。
遼はまだ寝ているらしい。
「お姉ちゃん、昨日の詩織ちゃん、心配してたね」
華が言った。
「うん」
「遼、海外行かないって言ってたけど」
「……でも、分からないよ」
凛は静かに言った。
「遼は、自分で決めるって言ってた」
「うん」
「何を選ぶか、私たちにも分からない」
華は少し黙った。
それから、言った。
「詩織ちゃん、大丈夫かな」
「……分からない」
凛はコーヒーを一口飲んだ。
「でも、詩織ちゃんなら、遼のこと信じて待てるんじゃないかな」
「そうだね」
二人は、窓の外を見た。
春の朝。
桜が、もうすぐ咲く。
新しい季節が来る。
遼の未来も——
どこかで、動き始めている。




