第3話「朝ドラの国民的女優」
翌朝、柊家のリビング。
遼は朝食を食べながら、スマホでニュースを見ていた。
技術系のサイトだ。最新の半導体ニュースや、新しいコンピューターの記事。
「遼、今日何時に帰る?」
凛が聞いた。
「分からん。実験室次第」
「そっか」
凛は少し残念そうに言った。
「どうした?」
「ううん、別に」
凛は微笑む。
だが、どこか寂しそうだ。
華が不思議そうに姉を見た。
「お姉ちゃん、何かあったの?」
「ううん。ただ……今日、ドラマ放送日だから」
「ああ! そっか!」
華は手を叩いた。
「今日、例のシーンでしょ? すっごい話題になってるやつ!」
「うん……」
「絶対盛り上がるよ! お姉ちゃん、すごいもん!」
「ありがとう」
凛は笑った。
そして、チラリと遼を見る。
遼は相変わらずスマホを見ている。
全く話を聞いていない様子だ。
「……遼」
「何?」
「今日のドラマ、見る?」
「用事がなければ」
「用事って?」
「実験室」
「…そっか」
凛は小さくため息をついた。
華が遼の頭を叩いた。
「遼! たまにはお姉ちゃんのドラマ見てあげなよ!」
「痛い」
「痛くない!」
「分かった、考えとく」
「嘘だ」
「……否定しない」
華はもう一度叩いた。
遼は頭を押さえた。
その日、昼過ぎ。
遼は大学の学食にいた。
詩織と向かい合わせに座り、昼食を食べている。
「ねえ、今日凛ちゃんのドラマ放送日だよね」
「らしいな」
「見るの?」
「どうかな」
「あんた……」
詩織はため息をついた。
「凛ちゃん、すっごい頑張ってるんだよ? たまには見てあげなよ」
「別に、俺が見なくても視聴率に影響ないだろ」
「そういう問題じゃないの!」
詩織は箸を置いた。
「家族なんだから、応援してあげなきゃ」
「応援はしてる」
「してないでしょ」
「心の中で」
「嘘つき」
詩織は頬を膨らませた。
遼は何も言わず、味噌汁を飲む。
詩織はため息をつき、再び箸を取った。
「まあいいけど……でも、凛ちゃんも華ちゃんも、本当にすごいよね」
「そうか?」
「そうだよ! 凛ちゃんなんて国民的女優だよ? 街歩けないレベルじゃん」
「へえ」
「へえ、じゃない! あんた、本当に自覚ないの?」
「何の?」
「あんたの姉妹が、どれだけすごいか」
「まあ、仕事頑張ってるんだろうな、くらいは思ってる」
「……あんたって、ほんと……」
詩織は言葉を切った。
そして、小さく笑った。
「まあ、遼らしいけど」
「そうか」
遼は淡々と答える。
詩織は遼の顔を見た。
本当に、何も気にしていない様子だ。
「……ねえ、遼」
「何?」
「あんた、凛ちゃんがどれくらい有名か、知ってる?」
「さあ」
「Twitterのフォロワー、150万人だよ?」
「へえ」
「へえ、じゃない! 普通の人が一生かけても届かない数字だよ!」
「そうなのか」
「そうだよ!」
詩織は少しイライラしてきた。
「もう、あんたって本当に……」
「悪かったな」
「謝ればいいってもんじゃない」
詩織はため息をついた。
だが、すぐに笑顔に戻る。
「まあいいや。とにかく、今日は見てあげなよ」
「考えとく」
「嘘」
「多分見る」
「多分って……」
詩織は頭を抱えた。
その日の夕方。
遼は実験室にいた。
ドローンの飛行テストを準備している。
障害物回避アルゴリズムの検証だ。
実験室の隅に、簡易的な障害物コースを作った。
「よし、いくか」
遼はドローンの電源を入れる。
プロペラが回り始める。
制御プログラムを起動。
ドローンがゆっくりと浮上した。
「障害物回避、スタート」
遼はタブレットで指示を出す。
ドローンが動き始めた。
最初の障害物に近づく。
センサーが反応し、自動で回避する。
「よし」
次の障害物。
再び回避。
完璧だ。
遼は満足そうに頷いた。
その時、実験室のドアが開いた。
「柊くん」
田中教授だ。
「教授」
「テスト中か?」
「はい。障害物回避のアルゴリズム検証です」
「どう?」
「問題ないです」
田中はドローンの動きを見た。
滑らかに障害物を回避していく。
「……素晴らしいな」
「普通ですよ」
「普通じゃない。このアルゴリズム、どこで学んだ?」
「独学です」
「独学って……」
田中は頭を抱えた。
「柊くん、君はやっぱり学会で発表すべきだ」
「いえ、遠慮します」
「なぜだ?」
「恥ずかしいんで」
「……」
田中はため息をついた。
「まあいい。でも、一つだけ」
「何ですか?」
「企業からの連絡、ちゃんと見てるか?」
「……まあ」
「嘘だろ」
「否定しません」
「柊くん……」
田中は肩を落とした。
「せめて、メールくらい読んでくれ」
「後で読みます」
「本当か?」
「多分」
「多分って……」
田中はため息をつき、去っていった。
遼は再びテストに戻った。
その夜、午後8時。
凛のドラマ放送時間だ。
遼は実験室にいた。
テストは終わったが、データ整理をしている。
ふと、時計を見た。
「……8時か」
遼は少し考えた。
そして、スマホを取り出す。
凛にLINEを送った。
「ドラマ、頑張れ」
短いメッセージ。
数秒後、凛から返信が来た。
「ありがとう! 見てくれるの?」
「いや、実験室」
「そっか」
「でも、応援してる」
「ありがとう。嬉しい」
遼はスマホをしまった。
そして、再びパソコンに向かう。
その頃、日本中で。
凛のドラマが放送されていた。
街のカフェ。
「今日、柊凛のシーンでしょ? 絶対泣くやつ」
「録画した。後で見る」
電車の中。
「昨日の再放送見た? すごかったよね」
「今日はもっとすごいらしいよ」
大学の寮。
「みんな、8時から柊凛のドラマ見るよね?」
「当然!」
SNSでは、ハッシュタグがトレンド入りしていた。
#君がいた季節
#柊凛
#今日のシーン絶対泣く
そして──
午後8時30分。
ドラマのクライマックスシーン。
凛が涙を流しながら、台詞を言う。
「私は……あなたを忘れない」
画面の中の凛は、完璧だった。
感情が溢れている。
自然で、美しい。
視聴者は涙した。
SNSが爆発した。
「泣いた」
「柊凛すごい」
「演技が神」
「国民的女優の本気」
午後9時、柊家のリビング。
華がソファで拍手していた。
「お姉ちゃん、すごかった! 私、泣いちゃった!」
凛はテレビを見ながら、少し照れくさそうに笑った。
「ありがとう」
「SNSもすごいよ! 見て見て!」
華がスマホを見せる。
画面には、無数のツイートが流れている。
全て、凛を称賛するものだ。
「……みんな、優しいね」
「優しいんじゃなくて、本当にすごかったんだよ!」
「ありがとう」
凛は微笑んだ。
そして、玄関の方を見た。
遼はまだ帰ってきていない。
「……遼、まだかな」
「また実験室でしょ。相変わらずだよね」
「そうだね」
凛は少し寂しそうに笑った。
華がそれに気づいた。
「お姉ちゃん……」
「ううん、別に」
「でも……」
「いいの。遼は遼だから」
凛は笑顔を作った。
だが、その笑顔は少し寂しげだった。
午後10時、遼が帰宅した。
「ただいま」
「おかえり!」
華が駆け寄ってくる。
「遼! お姉ちゃんのドラマ見た!?」
「いや」
「は? なんで!?」
「実験室にいた」
「もう! お姉ちゃん、すっごかったんだよ!?」
「そうか」
「そうかじゃない!」
華は頬を膨らませた。
凛がリビングから顔を出した。
「おかえり、遼」
「ああ」
「お疲れ様」
「おう」
遼は靴を脱ぎながら言った。
「ドラマ、どうだった?」
「え?」
凛は少し驚いた。
「反応とか」
「ああ……SNSがすごかったよ。トレンド1位」
「へえ、すごいな」
「ありがとう」
凛は嬉しそうに笑った。
遼はリビングに入り、ソファに座った。
「見れなくて悪かった」
「ううん、いいの」
「録画してあるなら、後で見るけど」
「ほんと!?」
凛の顔が明るくなった。
「ああ。まあ、時間があれば」
「嘘だ」
華がツッコむ。
「……多分見る」
「多分って……」
「なるべく見る」
「もう!」
華はクッションを投げた。
遼はそれを受け止め、頭の後ろに置いた。
凛は笑った。
「ありがとう、遼」
「別に」
その夜、遼の部屋。
遼は机に向かい、録画されたドラマを再生していた。
画面には、凛が映っている。
涙を流しながら、台詞を言う。
「私は……あなたを忘れない」
遼は無表情で見ていた。
だが、最後まで見た。
「……演技、上手いんだな」
遼は小さく呟いた。
そして、スマホを取り出す。
凛にLINEを送った。
「見た。良かった」
短いメッセージ。
数秒後、凛から返信が来た。
「ありがとう! 嬉しい!」
「おやすみ」
「おやすみ!」
遼はスマホをしまった。
そして、再びパソコンに向かう。
卒論の続きだ。
その時──
スマホが震えた。
遼は画面を見る。
またメールだ。
差出人は同じ企業。
件名:【重要】Meeting Request - This Week
遼は数秒見つめた。
そして──
画面を閉じた。
「……明日読むか」
遼はそう呟き、再び論文執筆に戻った。
翌朝、柊家のリビング。
凛がスマホを見ながら、朝食を食べていた。
事務所からLINEが来ている。
「昨日の視聴率、17.2%でした! おめでとうございます!」
凛は目を見開いた。
「17.2%……」
「お姉ちゃん、どうしたの?」
華が聞いた。
「視聴率、出たみたい」
「ほんと!? どうだった!?」
「17.2%」
「すごい! やったね!」
華が抱きついてくる。
凛は嬉しそうに笑った。
その隣で、遼は相変わらず朝食を食べている。
スマホでニュースを見ている。
「遼」
「何?」
「昨日のドラマ、視聴率17.2%だったって」
「へえ、すごいな」
「……それだけ?」
「他に何か?」
「もうちょっと喜んでよ!」
華がツッコむ。
「喜んでるよ。心の中で」
「嘘つき!」
華はクッションを投げた。
遼はそれを避け、淡々と答えた。
「でも、本当にすごいと思うぞ」
「ほんと?」
「ああ」
凛は少し嬉しそうに笑った。
「ありがとう」
「別に」
遼は朝食を食べ続ける。
華はため息をついた。
「もう、遼は相変わらずだね」
「そうだね」
凛は笑った。
だが、嬉しそうだった。
遼が見てくれた。
それだけで十分だった。
その頃、世界のどこかで。
とある企業の会議室。
スーツを着た男たちが、モニターを見つめていた。
画面には、遼の技術論文が映っている。
「この設計者を、まだ見つけられないのか?」
一人が言った。
「はい。メールを送っていますが、返信がありません」
「電話は?」
「大学に問い合わせましたが、本人が拒否しているとのことです」
「……なぜだ?」
「理由は不明です」
男は顔をしかめた。
「この技術者が欲しい。何としてでも」
「はい」
「来週、日本に飛ぶ。直接会いに行く」
「了解しました」
会議室に緊張が走った。
世界的企業が、一人の学生のために動き出す。
だが、遼は知らない。
自分がどれだけ求められているかを。




