表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
姉と妹が国民的女優ですが、俺は機械をいじっていたい  作者: よんまるよん
第三部「守る人になりそうです」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

211/211

第59話「デイビッドが来る」

 羽田空港、第三ターミナル。


 ロバート(Robert)チェン(Chen)はスーツの内ポケットからスマホを取り出した。


 画面に「David - landed」と通知が出ていた。八分前。早い。デイビッドはいつも、予定より少し早く着く。十年以上見てきたが、遅れたことを、ロバートは記憶していない。


 ロバートは到着ゲートの方を見た。


 入国審査と税関を抜けてきた人々が、次々とゲートから出てくる。その中に、すぐにデイビッドが見えた。デイビッドは目立つ。背が高いからではない。立ち方が違うからだ。空港のロビーで普通に立っている人と、デイビッドのように立っている人を、ロバートは間違えない。


 ロバートは右手を上げた。


 デイビッドが気づいた。気づいたが、表情は変えなかった。表情を変えないのも、デイビッドの普段だった。


*"Welcome to Tokyo."*

(東京へようこそ)


*"Robert."*

(ロバート)


*"Yes."*

(はい)


*"I'm hungry."*

(腹が減った)


*"...we just landed."*

(……着いたばかりですよ)


*"Find me ramen."*

(ラーメン屋を探せ)


 ロバートは少しだけ、目を細めた。


 深度が、いつもの三倍だった。


   


 空港から都心への車内。


 運転は契約ドライバー。後部座席にデイビッド。助手席にロバート。


 ロバートはスマホでラーメン屋を検索しながら、横目でデイビッドを見ていた。今回の来日の目的は、書類上は「アジア事業の現地視察」となっている。なっているが、書類というのはたいてい本当のことを書いていない。本当の目的は、書類を書いた人間が知っている。今回、書類を書いたのはロバートではなかった。


 書いたのはデイビッド本人だった。


 ロバートは聞いていない。聞いていないが、ロバートにはなんとなく分かっていた。今回のデイビッドは、遼に会いに来た。遼に会いに来た理由は、聞いていないのでロバートには厳密には分からない。分からないが、遼が防衛省の案件を「直した」あとに、初めて会いに来た、という事実だけはあった。


 ロバートはCTOで、書類を読むのが仕事の一部だ。書類を読むと、書類に書いていないことも分かることがある。今回の書類は、書いていないことの方が、書いてあることより多かった。多いのが分かるくらい、デイビッドの書類は、行間が広かった。


 行間が広い書類というのは、書いた本人の腹が広い、ということだ。腹が広い相手と十年付き合うと、聞かなくても分かることが増える。増えていくのが、ロバートの仕事の一部でもあった。


*"Robert."*

(ロバート)


*"Yes."*

(はい)


*"How is he."*

(彼は、どうしてる)


 彼、というのは遼のことだ。十年付き合って、これで通じる。


*"He fixed it."*

(直しました)


*"I heard."*

(聞いた)


*"Then he said: 'I don't know what I want to do next.'"*

(そのあと、彼はこう言ったらしいです。「次、何をしたいか分からない」)


 デイビッドは、しばらく窓の外を見ていた。


*"Good."*

(結構だ)


 デイビッドは、そう言ったきりだった。


 ロバートは、それ以上聞かなかった。聞かないのが、十年の付き合いの作法だった。


   


 ホテルにチェックインしたあと、デイビッドは「歩く」と言った。


 長距離フライトのあと、デイビッドはたいてい歩く。歩いて、その都市の空気を、足の裏で確認する。それがデイビッドの習慣だった。今日も同じだった。


 ロバートは付き合った。


 デイビッドのホテルから渋谷駅まで、歩いて十五分。十五分の散歩というのは、デイビッドにとっては短い方だ。長い時は、一時間歩く。今日は、たぶん時差の関係で、短くなった。


 二人は、渋谷のスクランブル交差点を歩いていた。


 歩いていると、向こうからキャップを目深にかぶった男が歩いてきた。マスクをつけて、サングラスもつけている。完全に変装している。完全に変装しているのが、かえって目立った。


 すれ違う瞬間、その男が、ロバートを見た。


 見て、軽く、頭を下げた。


 ロバートも、軽く、頭を下げた。


 すれ違ってから、ロバートは振り返った。男は振り返らずに、人混みの中に消えていった。


 デイビッドが、ロバートを見ていた。


*"Who was that."*

(誰だ)


*"...someone I know."*

(……知り合いです)


*"Robert."*

(ロバート)


*"Yes."*

(はい)


*"You knew him from his walk."*

(歩き方で気づいただろう)


*"......"*


*"That walk was trained."*

(あの歩き方は、鍛錬してる)


 ロバートは何も答えなかった。答えるとろくなことにならない、という経験則があった。


 デイビッドは、もう一度、男が消えていった方を見た。


*"Robert."*

(ロバート)


*"Yes."*

(はい)


*"Was he, by any chance—"*

(彼はもしかして——)


*"......"*


*"—from that aurum group?"*

(——あのオーラムというグループの)


 ロバートは、空を見た。


 空は、今日も普通に青かった。普通に青いのに、ロバートには、少し遠くに感じた。


*"...he was."*

(……そうです)


*"Hm."*

(ふむ)


*"How did you know."*

(なぜ分かったんですか)


*"I told you. The walk."*

(言っただろう。歩き方だ)


 デイビッドは、満足そうに頷いた。


 満足そうに頷いた六十二歳のCEOは、世界的IT企業のトップだった。トップが、東京の路上で、変装したアイドルの歩き方だけで本人を見抜いた。


 ロバートは、深く、息を吐いた。


 (なぜ、私より先にCEOが)


 ロバートと黒瀬の関係は、表向きは秘密だった。お互いに、知り合ったきっかけを、お互いの本職の人間に話していない。話すと、たぶん、お互いの本職の人間が、複雑な顔をする。複雑な顔をされるのが面倒なので、二人とも、黙っていた。


 でも今、世界的CEOが、歩き方だけで、黒瀬綺羅を見抜いた。


 見抜かれたのは、ロバートではない。黒瀬だった。黒瀬の方が見抜かれて、ロバートはたまたま隣にいた、という構図だった。構図はそうだが、結果として、ロバートが黒瀬を知っているという事実が、デイビッドにバレた。


 バレたが、デイビッドは何も聞かなかった。


 聞かなかったのが、たぶん、デイビッドの優しさだった。


 優しさかもしれないし、興味がないだけかもしれない。


 ロバートには、判別がつかなかった。


   


*"Robert."*

(ロバート)


*"Yes."*

(はい)


*"That kid had perfect posture."*

(あの子、姿勢が完璧だった)


*"...I noticed."*

(……気づきました)


*"I want to see them perform again."*

(もう一度、見たい)


*"...we're here for business."*

(……仕事で来ています)


*"Business and pleasure."*

(仕事と趣味だ)


*"...you don't have a 'pleasure'."*

(あなたに「趣味」はないでしょう)


*"I do now."*

(今はある)


 ロバートは何も言わなかった。


 デイビッドは六十二歳になって、新しい趣味を見つけた。趣味の名前は「日本のアイドル」だった。具体的にはAURUM。さらに具体的には、たぶんセンター。ロバートは黒瀬の知り合いだ。黒瀬の知り合いとして、これは複雑な状況だった。


*"Robert."*

(ロバート)


*"Yes."*

(はい)


*"Don't tell him I'm a fan."*

(私がファンであることは、彼に言うな)


*"...understood."*

(……承知しました)


 デイビッドは満足そうに、また歩き出した。


 ロバートは、五歩遅れて、ついていった。


   


 翌日。TechVision東京支社、品川。


 CEO来日のため、執務室の準備が整っていた。整っていたが、デイビッドは「会議室でいい」と言った。会議室でいいと言われても、現場の管理職は執務室を準備してしまう。それがビジネスの掟だった。掟は、たいてい、本人の希望と関係なく動く。


 遼が訪問してきたのは、午後二時だった。


 ロバートが会議室に案内した。会議室には、デイビッドが先に座っていた。


「お疲れ様です」


 遼は、普通に挨拶した。


 普通に挨拶された相手は、世界的IT企業のCEOだった。普通に挨拶した本人は、本業のかたわら防衛省を「直した」二十二歳のエンジニアだった。この組み合わせを、ロバートは何度見ても、慣れなかった。


 慣れないが、これがTechVisionの日常になりつつあった。


*"Hello."*

(やあ)


「Hello」


 遼は短く返した。短く返してから、椅子に座った。座り方が、デイビッドと似ている、と、ロバートは気づいた。気づいたが、口には出さなかった。


 通訳役のロバートは、椅子を少しだけ後ろに引いた。会話の邪魔をしないためだ。デイビッドは英語で話す。遼も英語で答える。ロバートが訳す必要はない。ロバートはただ、立ち会いとしてそこにいるだけだった。


*"You fixed it."*

(直したそうだな)


*"Yes."*

(はい)


*"Was it hard?"*

(難しかったか)


*"No."*

(いえ)


*"Hm."*

(ふむ)


 デイビッドは少しだけ、目を細めた。


*"Robert told me you said you don't know what to do next."*

(ロバートから聞いた。次、何をしたいか分からないと)


*"Yes."*

(はい)


*"Why?"*

(なぜ)


*"...I don't know."*

(……分かりません)


*"Hm."*

(ふむ)


 デイビッドは、それ以上、追求しなかった。


 追求するつもりがなかったわけではない。たぶん、追求しても、遼の答えは変わらない、と判断したのだろう。判断が速いのは、デイビッドの普段だった。


*"What do you want, right now?"*

(今、何が欲しい)


 遼は、少し考えた。


 考える時、目線をテーブルの一点に落とすのが、遼の癖だった。妹の華の、目線を斜め下に落とす癖と、似ているような、似ていないような癖だった。


*"Time to think."*

(考える時間が)


*"Good."*

(結構だ)


*"...is that all?"*

(……それで終わりですか)


*"That's enough."*

(十分だ)


 遼は、もう一度、目線をテーブルに落とした。


 ロバートは横で、二人を見ていた。見ていて、ある事に気づいた。デイビッドの「Hm」「Good」「That's enough」と、遼の「はい」「いえ」「分かりません」の音程が、同じだった。


 二人は、ぜんぜん違う人間だった。


 違う人間なのに、相槌の音程だけが、同じだった。


 たぶん、本人たちは、気づいていない。


 ロバートだけが、気づいていた。


 気づいていたが、これも、口には出さなかった。


*"Ryo."*

(遼)


*"Yes."*

(はい)


*"What did you feel after you fixed the system."*

(直したあと、何を感じた)


 遼は、また少し考えた。


*"...nothing in particular."*

(……特には何も)


*"Hm."*

(ふむ)


*"Just tired, I guess."*

(ただ、疲れたかもしれません)


*"That's the right answer."*

(それが、正しい答えだ)


*"...is it?"*

(……そうですか)


*"When you fix something for real, you don't feel proud. You just feel tired. That's the engineer's correct response."*

(本当に直したとき、誇らしくはならない。ただ疲れる。それがエンジニアの正しい反応だ)


 遼は、はい、と言いかけて、いえ、と言いかけて、最後に、そうですか、と言った。


 デイビッドは、また少し笑った。


*"Ryo."*

(遼)


*"Yes."*

(はい)


*"When you find what you want, come tell me."*

(やりたいことが見つかったら、言いに来い)


*"...you'll be in San Francisco, right?"*

(……サンフランシスコに、いますよね)


*"I'll come to you."*

(私が、こっちに来る)


*"...that's a long flight."*

(……遠いですよ)


*"I know."*

(知っている)


 デイビッドは、初めて少し笑った。


 遼も、少し、何かに気づいた顔をした。


 それから、二人とも、もう何も言わなかった。


   


 会議が終わって、遼が帰ったあと、ロバートとデイビッドは会議室に残った。


*"Robert."*

(ロバート)


*"Yes."*

(はい)


*"He's still the same."*

(あいつは、変わっていない)


*"...is that good?"*

(……それは、いいことですか)


*"It's the best."*

(最高だ)


 デイビッドは、テーブルに置かれていたコーヒーを、ひとくち飲んだ。


*"He needs time. Give it to him."*

(あいつには時間が必要だ。与えろ)


*"How much?"*

(どのくらい)


*"As much as he needs."*

(必要なだけ)


*"...that's not a number."*

(……それは数字じゃないですよ)


*"I know."*

(知っている)


 ロバートは、少しだけ、笑った。


 久しぶりに、心からの笑いだった。最近のロバートの笑いは、たいていアリアの来日と関係していて、心が摩耗していくタイプのものだった。今日のは、違った。


*"By the way, Robert."*

(ところで、ロバート)


*"Yes."*

(はい)


*"I think I'll stay a bit longer."*

(もう少し、日本にいる)


*"...how long?"*

(……どのくらい)


*"A week. Maybe two."*

(一週間。あるいは二週間)


*"...what about your work?"*

(……お仕事は)


*"I can do it from here."*

(ここからできる)


*"......"*


*"Robert?"*

(ロバート)


*"Yes."*

(はい)


*"Why are you making that face."*

(なぜ、その顔をしてる)


*"...this is my normal face, sir."*

(……これが、私の普通の顔です)


*"Hm."*

(ふむ)


 デイビッドは納得しなかった。納得しなかったが、それ以上は聞かなかった。


 ロバートは、心の中で、明日からの予定を組み直した。


 CEOが二週間、東京に滞在する。執務室の確保、会議室の確保、ホテルの延長、車の手配、それから、AURUMのコンサート情報の収集。最後の項目は、業務外だ。業務外だが、たぶん、これから二週間で、何度か聞かれることになる。


 ロバートは、深く、息を吐いた。


 (私の遠い目は、まだ深くなれるんだろうか)


 答えは、たぶん、出る。


 二週間のうちに、必ず、出る。


   


 夜、デイビッドは一人でホテルの部屋に戻った。


 部屋の窓から、東京の夜景が見えた。


 六十二歳のCEOは、しばらく窓の外を見ていた。


 仕事で世界中の都市を見てきた。ニューヨーク、ロンドン、上海、シンガポール、ドバイ、サンパウロ。どの街も、それぞれの顔を持っていた。それぞれの顔が、デイビッドにとって、勉強の材料になった。


 東京は、最近、特別だった。


 特別な理由を、デイビッドは、明確には言葉にしていない。していないが、感覚として持っていた。この街には、何かが、宿っている。鍛錬の文化。本物を見抜く目を持った若者。フリフリの衣装の下にある武術の体幹。CEOにラーメン屋を探させる遠慮のなさ。それから、自分のことを「変わっていない」と言わせるような、二十二歳の青年。


 ぜんぶ、東京で見つけた。


 デイビッドは、もう一度、窓の外を見た。


 ネオンが、街の輪郭を描いていた。


 ふと、亡き妻のことが、頭をよぎった。


 妻が生きていたら、今日のラーメン屋の話を、面白がっただろう。CEOがラーメン屋を探させる話と、変装したアイドルの歩き方を当てた話を、夕食のテーブルで話したら、妻はたぶん、笑った。笑い方は、低い笑い方だった。妻の笑い方を、デイビッドは、まだ覚えていた。


 妻が亡くなって十年。


 十年というのは、長いようで短い。長いと感じる日と、短いと感じる日の両方がある。今日は、短い方の日だった。


 アリアにも電話したかった。したかったが、たぶん今、アリアは寝ている。サンフランシスコは朝。アリアは朝が弱い。起こすと「パパ、なんで今」と言うのが分かっていた。


 明日にしよう、とデイビッドは思った。


 明日というのは、たぶん、明日の夜。アリアの夜。デイビッドの夜。同じ「夜」という時間を、別の場所で迎える。それが普通だった。普通だが、ときどき、不思議に思った。


「……また見せてくれるんだろうな、この街は」


 誰も聞いていない部屋で、デイビッドは小さくつぶやいた。


 つぶやいたあと、自分でも、少し驚いた。普段のデイビッドは、独り言を言わない。今日は出た。出たのは、たぶん、東京のせいだった。


 東京のせいにして、デイビッドはカーテンを閉めた。


 閉めたあと、机の上のスマホを取った。検索バーに、ローマ字で「AURUM concert schedule」と打ち込んだ。


 打ち込んでから、削除した。


 削除して、もう一度、打ち込んだ。


 今度は、エンターを押した。


 画面に、結果が並んだ。


 デイビッドは、しばらく結果を見ていた。


 見ていたあと、ベッドに腰掛けた。腰掛けて、また画面を見た。明後日、東京ドーム。チケットは、たぶん、もう売り切れている。


 売り切れているチケットを、明後日までに、CEOが手に入れる方法は——あった。


 あるが、それは、ロバートに言わなければいけない。


 ロバートに言うと、ロバートはまた、あの顔をする。


 あの顔を、明日の朝、見るのが楽しみだった。


 六十二歳のCEOは、ベッドに横になりながら、少しだけ笑った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ