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姉と妹が国民的女優ですが、俺は機械をいじっていたい  作者: よんまるよん
第三部「守る人になりそうです」

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第56話「また来た」

 成田空港、第二ターミナル、到着ロビー。


 ロバート(Robert)チェン(Chen)は、スーツの内ポケットからスマホを取り出した。


 画面に「Aria - landed」と通知が出ていた。十分前に着陸したらしい。


 ロバートは到着ゲートの方を見た。


 国際線の乗客が次々に出てくる。スーツケースを引いた人、リュックを背負った人、家族連れ、観光客。その中に、少しすると、見慣れた金髪が見えた。


「Robert!」


 アリア(Aria)マクナマラ(McNamara)だった。


 大きなスーツケースを片手で押している。もう片手は手を振っている。


*"You're back."*

(また来ましたね)


*"I'm back."*

(また来た)


 二人は、しばらく見つめ合った。


 見つめ合うほどのことではないが、見つめ合った。お互い、それで全部伝わる関係になっていることを、なんとなく確認した。


*"The car is ready."*

(車を呼んであります)


*"Thanks."*

(ありがとう)


*"Same hotel as before."*

(ホテルは前と同じです)


*"Thanks."*

(ありがとう)


*"And tomorrow?"*

(明日の予定は)


*"Ryo's place."*

(Ryoのところ)


*"...of course."*

(……でしょうね)


 ロバートはスーツケースに手を伸ばした。アリアは *"I got it,"* と言った。*"I'm strong."* と付け加えた。何の話なのかは分からなかったが、ロバートは *"Sure"* と答えた。


 駐車場へ歩きながら、ロバートはふと考えた。


 三回目だ。


 三回目で、空港の出迎えが、もう日常になっている。


 慣れた、というより、慣れざるを得なかった。


   


 翌日、TechVision東京オフィス。


 (ひいらぎ)(りょう)はデスクで仕事をしていた。


 ドアがノックされる前に、向こうから「Ryo!」という声がした。ノックの前に名前を呼ぶ人は、世界に一人しかいない。


 ドアが開いた。


*"Came back."*

(来た)


*"You did."*

(来ました)


 アリアは部屋に入って、デスクの向かいの椅子に座った。座り方がいつもと同じ。三回目なのに、最初から座っていたみたいに座る。


*"Got an answer yet?"*

(答え、出た?)


*"Not yet."*

(まだ)


*"Not yet."*

(まだ)


*"Not yet."*

(まだ)


 遼は普通に答えた。アリアは普通に頷いた。三回目になると、この一往復は儀式のようになっていた。


*"Okay. Then I'll think with you."*

(分かった。じゃあ一緒に考える)


*"...what?"*

(……え)


*"I'll think too."*

(私も考える)


*"...think about what?"*

(……アリアが、何を)


*"If we think together, we'll be twice as fast."*

(一緒に考えれば、二倍速くなるかもしれない)


*"That's not the kind of thing that gets faster."*

(速くなる種類のものではないと思う)


*"You're just thinking that. You haven't tried."*

(思うだけでしょう。試してない)


*"Haven't tried, but probably——"*

(試してないが、たぶん)


*"Stop with the 'probably'."*

(『たぶん』はやめなさい)


*"......"*


 遼はキーボードから手を離した。


 アリアは、デスクに肘をついて、遼を見ていた。見る目に、特に圧はなかった。圧はないのに、なぜか、考えなければならない気がしてきた。これは、毎回、アリアが来ると起こることだった。


*"I'll come every month until you have an answer."*

(答えが出るまで、毎月来る)


*"...every month."*

(……毎月)


*"Every month."*

(毎月)


*"From America?"*

(アメリカから?)


*"From America."*

(アメリカから)


*"The flight cost——"*

(飛行機代)


*"Dad pays."*

(パパが出す)


*"...is David okay with that?"*

(……それでいいのか、デイビッドさんは)


*"He says it's fine."*

(いい、って言ってる)


「……そうですか」


 遼はもう一度、キーボードの方を見た。仕事に戻りたい気持ちと、戻ってはいけない気がする気持ちが、半々あった。


 アリアが、ふと言った。


*"Ryo."*

(Ryo)


*"What."*

(なに)


*"You just said 'そうですか'."*

(今、『そうですか』って言った)


*"...I did."*

(……言った)


*"Why suddenly Japanese?"*

(なんで急に日本語?)


*"...habit."*

(……癖で)


*"I told you. No keigo."*

(言ったよね、敬語やめて)


*"...right."*

(……そうか)


*"'そうか' is okay."*

(『そうか』はいい)


*"......well."*

(……まあ)


*"And no 'まあ' either."*

(『まあ』もやめて)


*"......"*


 ロバートが廊下を通り過ぎた。アリアの声が部屋から漏れていた。ロバートは廊下の途中で、少し立ち止まった。立ち止まってから、また歩き出した。


 歩き出した時のロバートの目は、いつもより、深い場所を見ていた。


   


 昼休み。


 桜井(さくらい)詩織(しおり)は出版社のデスクで、お弁当を食べていた。


 お弁当は自分で作った。卵焼きとほうれん草のおひたしと、ご飯。普通のお弁当。


 スマホを見た。


 遼との会話画面。


 最後のやり取りは三日前。「今日も暑い」「暑い」。情報量ゼロのやり取り。最近、こういうのが多い。


 打ちかけて、やめた。


 最近、打ちかけてやめることが、増えていた。前は「動けない」と思っていた。最近は、少し違う。「動かない」と思う。


 動かないのと、動けないのは、自分の中で別だった。


 動けないは、悲しい。


 動かないは、選んでいる。


 詩織は、しばらく前から、後者に変わっていた。


 お弁当の卵焼きを口に運んだ。卵焼きは、いつも通りの味だった。


 高瀬(たかせ)悠斗(ゆうと)が通りがかった。


「桜井さん、お弁当ですか」


「はい」


「いいですね」


「コンビニにしようか迷ったんですけど」


「自分で作ると、決まった味で安心しますよね」


「そうですね」


「では、また」


「はい」


 高瀬は通り過ぎた。詩織は卵焼きをもう一口食べた。


 高瀬の「決まった味で安心しますよね」は、最近、詩織が食事に対して持っている感覚と、たぶん、ぴったり合っていた。合っているが、合っていることを、詩織は高瀬に言わなかった。言わないのが、最近の詩織の選択だった。


 窓の外を見た。平日の昼。何もない。何もないのを、しばらく見た。


   


 夕方、柊家。


 アリアは、玄関のインターフォンを押した。二段階の認証。「アリアです」と日本語で言うのに、もう慣れていた。


「来た」と(ひいらぎ)(りん)がリビングから言った。


「また来た」と(ひいらぎ)(はな)が言った。


 二人ともソファに座っていた。今日はそれぞれ撮影が早く終わったらしい。


 ドアが開いて、アリアが入ってきた。


「こんにちは」


「いらっしゃい」と凛。


「いらっしゃい」と華。


「Ryoは?」


「まだ帰ってない」


「あら」


「七時くらいかな」


「待つ」


 アリアはソファに座った。柊家のソファに、もう何度も座っている。座り方も、慣れていた。


「凛さん、撮影、どう?」


「順調」


「華さん、刃物、走る?」


「走ってます」


「楽しい?」


「楽しい」


「いいね」


 三人は、しばらく、何の話でもない話をした。話しながら、凛は、なんとなく、アリアのことを観察していた。観察していたが、結論は出なかった。出ないまま、お茶を淹れた。


   


 遼が帰ってきた。


 玄関で「ただいま」と言ったら、リビングから「おかえり」が三つ返ってきた。三つあったので、遼は少しだけ立ち止まった。


 リビングに入った。


「来てる」


「来てる」とアリア。


「飯、何かあるか」と凛に聞いた。


「お母さんがミラノから持ってきた肉を、田中のおばちゃんが調理してくれてる」


「……どういう状況」


「ミラノの肉を、品川で、田中さんが」


「……分かった」


 台所では、田中のおばちゃんが、フライパンに向かっていた。


「あら、遼ちゃん」


「ただいま」


「お母さん、もう寝ちゃったよ」


「……早いな」


「ミラノに戻る前の準備で、疲れたみたい」


「そうですか」


「アリアちゃんも、夕食食べていきなさい」


「……いいんですか」と台所の方を見たアリア。


「肉、多めだから」


「ありがとうございます」


 田中のおばちゃんは、フライパンを揺すりながら、にこにこしていた。


   


 夕食。


 肉、サラダ、ご飯、味噌汁。それから、ミラノから持ってきたチーズ。


「Italian beef cooked by 田中さん」とアリアが言った。


「Italian beef cooked by 田中さん」と凛が繰り返した。


「文化が混ざってる」


「混ざってる」


 アリアは肉を一口食べた。


「おいしい」


「でしょ」と田中のおばちゃん。


「日本の家族の食卓、面白い」


「どの辺が」と凛。


「会話、多い。情報、多い」


「情報量?」


「うん。一つの夕食で、たくさん、同時。みんな、話す」


「……そう?」


「アメリカの食卓、一つずつ。順番に話す」


「ちゃんと話してるってことね」と華。


「そう。日本の家族、ちゃんと話してない」


 凛と華が顔を見合わせた。


「悪い意味、ない」とアリアが続けた。


「分かってる」


「分かってる」


「ちゃんと話してないのに、伝わる。私、それ、面白いと思う」


 アリアの観察は、的確だった。的確すぎて、家族は、しばらく、何も言わなかった。


 遼は肉を食べていた。食べながら、家族の話を聞いていた。聞いていただけだが、聞いていたから、伝わっていた。これがアリアの言う「ちゃんと話してないのに伝わる」現象だ、ということに、たぶん、誰も気づいていなかった。


「Ryo」とアリアが言った。


「なに」


「あなた、ちゃんと話してない側?」


「……たぶん」


「自覚、ある?」


「家族からよく言われる」


「言われるんだ」


「言われる」


 凛と華が、また顔を見合わせた。


 遼は、肉をもう一口食べた。


   


 夕食の後、田中のおばちゃんが帰った。


「ごちそうさまでした」


「またね」


「アリアちゃん、また来てね」


「来ます」


「おやすみなさい」


 田中のおばちゃんが玄関を出た。出る背中は、いつもの田中のおばちゃんの背中。柊家の家族の一員のような背中。アリアは、その背中を、しばらく見ていた。


「あの人、家族?」と凛に聞いた。


「家族みたいなものだけど、家族じゃない」


「……?」


「うちが昔住んでた家の隣で、惣菜屋やってる人」


「昔の家?」


「引っ越す前の家」


「そう」


「二十年くらいの付き合い」


「二十年」


「うん」


「家族みたいなもの」


「うん」


「分かった」


 アリアは納得したような顔をして、ソファに座った。


   


 九時。


 迎えの車が来た。


 ロバートからの連絡。「下に着きました」。


 アリアは立ち上がった。


「明日も来る」


「明日も?」


「明日も」


「……毎日来るのか」


「来る」


「Ryoの仕事、邪魔しない?」


「邪魔、する」


「邪魔するの?」


「邪魔、する。でも、毎日」


「……」


 アリアは靴を履いた。履きながら、振り返って、遼を見た。


「Ryo」


「なに」


「答え、急がなくていい」


「うん」


「でも、考えていて」


「考えてる」


「考えてるなら、いい」


「……」


「おやすみ」


「おう」


 アリアの顔が、一瞬、輝いた。


「『おう』、二回目」


「……一回目、いつ」


「前に来た時」


「覚えてるんだ」


「覚えてる」


 アリアが玄関を出た。出てから、ドアが閉まった。


 遼は、しばらくドアを見ていた。


 なんとなく、見ていた。なんとなく、を、最近、よくする。


   


 車中。


 アリアは後部座席で、シートにもたれていた。


 ロバートは助手席。運転手はTechVisionの契約ドライバー。


*"Aria."*

(アリア)


*"Yes."*

(はい)


*"Are you really planning to come every month?"*

(本当に、毎月来る気ですか)


*"I'm coming."*

(来る)


*"...what about David's approval?"*

(……CEOの許可は)


*"You think Dad won't allow it?"*

(パパが許可しないと思う?)


*"...he might not, actually."*

(……しないかもしれないですね)


*"See."*

(でしょう)


*"I'm worried."*

(私は心配しています)


*"About what."*

(何を)


*"About you."*

(あなたが)


*"You're worried about me?"*

(私を心配?)


*"Yes."*

(はい)


*"Why."*

(なぜ)


*"Because the answer might not come."*

(答えが、出ないかもしれないから)


 アリアは、しばらく、窓の外を見ていた。


 窓の外には、夜の東京が流れていた。流れている景色を、しばらく、見ていた。


*"Robert."*

(ロバート)


*"Yes."*

(はい)


*"Even if the answer doesn't come, I'll keep coming."*

(答えが出なくても、来る)


*"...even if it doesn't come."*

(……答えが出なくても)


*"Coming has become the point."*

(来ることが、目的になってきた)


*"...that's——"*

(……それは)


*"I know. At first I came for the answer."*

(分かってる。最初は、答えのために来てた)


*"Yes."*

(はい)


*"But somewhere along the way, the coming itself started being fun."*

(でも、来てるうちに、来ることそのものが、楽しくなってきた)


*"...that's——"*

(……それは)


*"I know what you're thinking."*

(ロバートが思ってることは、分かる)


*"I haven't said anything."*

(私は何も言ってません)


*"Your eyes are saying it."*

(目で言ってる)


 ロバートは、目を細めた。深度が、また増えた。


*"But I'm okay with that,"* と続けた。*"The answer will come eventually. Until then, the one who's having fun is winning."*

(でも、私はそれでいい。答えは、いつか出る。出るまでは、楽しんでいる方が、勝ち)


*"...winning."*

(……勝ち)


*"Yeah."*

(うん)


*"Aria, your way of thinking lately is hard for me to follow."*

(アリアの、その考え方は、最近、私には、よく分かりません)


*"You don't have to follow it."*

(分からなくていい)


*"Right."*

(はい)


*"Robert."*

(ロバート)


*"Yes."*

(はい)


*"You're a good person."*

(あなたは、いい人)


*"Thank you."*

(ありがとうございます)


*"Worry more."*

(もっと心配して)


*"...okay."*

(……はい)


 ロバートは、窓の外を見た。


 夜の東京は、流れていた。流れているのが東京の夜だ、ということは、ロバートが日本に来てから、何度も確認していた。何度も確認しているのに、毎回、新しく見えた。


 助手席で、ロバートはため息をついた。


 ため息は、車のエンジン音に混ざって、誰にも聞こえなかった。


   


 その夜、遼の部屋。


 遼は机に向かっていた。机の上には、空白があった。空白は昨日と同じ場所にあった。


 ノートを開いた。


 書こうとして、やめた。


 最近、ノートを開いて書かないことが、増えていた。


 今日のことを思い出した。


 アリアが来た。「答え、出た?」「まだ」「分かった。じゃあ一緒に考える」。


 一緒に考える、というのは、遼にとって、新しい提案だった。これまで、遼は、答えを出すのは自分の仕事だと思っていた。一人で考えて、一人で答えを出す。それが普通だった。


 でも、アリアが「一緒に考える」と言った。


 一緒に考えるとは、どういうことなのか、遼にはまだ、よく分かっていなかった。


 分かっていないが、悪い気はしなかった。


 悪い気がしない、という感覚を、遼は、最近、よく自分の中で確認していた。確認している、ということは、それが珍しい感覚だということ。


 遼はノートを閉じた。


 窓の外を見た。窓の外で、夏の夜が広がっていた。今日も、広がっていた。


 遼はなんとなく笑った。


 今日も、理由は分からなかった。

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