「柊家、満員につき」 Part 5 カオスな夜
ここで改めて、この夜のリビングにいる人間を紹介しておく。
柊遼。22歳。黒髪、178cm、整った顔立ち。本人は無自覚。フリーランスのエンジニアで、今夜もリビングのテーブルの端で基板を見ている。十二人に囲まれていても表情が変わらない。お酒はグラス一杯だけ飲んだ。
柊凛。24歳。国民的女優。外では礼儀正しくクールだが、今夜は缶ビール二本とワインを飲んで、そろそろ別の人間になりつつある。
柊華。20歳。映画界の次世代エース。日本アカデミー賞新人賞受賞済み。今夜は比較的しっかりしている。しっかりしている方で正座して笑っている。
桜井詩織。22歳。遼の幼なじみ。出版社勤務。黒髪セミロング、160cm、派手ではないが整った顔立ち。普段は穏やかで世話焼き。今夜は缶ビール二本とワインを飲んで、遼の隣で何かを決意しつつある。
遠藤美咲。20歳。バラエティタレント。華の友人。小柄でキュート、明るいブラウンのミディアムヘア。大阪出身。誰とでも三十秒で盛り上がれる。今夜も盛り上がっている。
藤枝紡。21歳。シンガーソングライター。華の友人。黒髪ロングをゆるくまとめた静かな雰囲気。ギターケースを持って来た。なぜかは「防音って聞いたので」だけだった。
佐倉ひな。20歳。グラビアアイドル兼バラエティタレント。華の友人。ピンクブラウンのミディアムヘア。可愛い系の顔立ち。遼の隣に座ると頬が赤くなる。遼は気づいていない。
室田沙衣。26歳。モデル兼女優。凛の友人。172cm、スタイル抜群、ハイブランド系の服装。歩くだけでモデルに見える。今夜は静かにワインを飲みながら全体を観察している。
春日芽衣。23歳。演技派女優。凛の友人。黒髪ロング、清楚系の顔立ち。舞台出身。遼に対して整理のつかない感情を持っている。遼は気づいていない。
鷹野千夏。24歳。女優。凛の友人で同じ事務所。ショートヘア、すっきりした顔立ち、どこか涼しげな印象。毒舌と冷静さが同居している。今夜一番しっかりしている。
そして、おまけとして。
福永颯。22歳。東大理Ⅲ五回生。チャラい。どこをどう見てもチャラい。実はこう見えて東大理Ⅲである。今夜昼一時から飲んでおり、現在呂律が完全に消えている。「いえーい」と「ブラボー」しか言えない。
上野壮介。22歳。早稲田政経三回生。眼鏡、地味な服装、低い声。ラジオ業界では「投稿の神」と呼ばれている。今夜静かに四本飲んで一度切れた。現在は反省している。
以上、十二人。
防音完備のマンション。夜九時。
カオスが始まろうとしていた。
九時を回った頃には、柊家のリビングが完全に別の空間になっていた。
ワインの二本目が空になっていた。チューハイが数本転がっていた。テーブルの上がにぎやかを通り越してカオスになっている。
そしてある時点から、桜井詩織の様子がおかしくなっていた。
詩織は普段、お酒に強い方ではない。
それが今夜は缶ビール二本とワインを飲んでいた。楽しかったからだ。久しぶりに大勢で集まって、知らない人たちと話して、笑って、気づいたら飲みすぎていた。
その詩織が、遼の隣に座っていた。
遼はまだ基板を見ていた。
詩織がじっと遼を見た。
五秒見た。
十秒見た。
「……遼」
「何だ」
「アホ」
遼が顔を上げた。
「何だ」
「アホって言った」
「聞こえた。なんで」
「なんとなく」
遼がまた基板を見た。詩織がまた遼を見た。
「ばか」
「……何だ」
「ばかって言った」
「聞こえた」
「まぬけ」
「三つ目だ」
「まだある」
「まだあるのか」
「うすのろ」
「四つ目だ」
「とんちんかん」
「五つ目だ」
「このぼんくら」
遼が基板を置いた。
「詩織」
「なに」
「飲みすぎじゃないか」
「飲みすぎてない」
「さっきから俺の悪口を言い続けている」
「悪口じゃない」
「ではなんだ」
「……愛情表現」
五秒、沈黙があった。
「……そうか」と遼が言った。
「そうだよ」と詩織が言った。
「分かった」
「分かってくれた?」
「よく分からないが、まあ」
「まあ、じゃない!! このまぬけ!!」
「まぬけは二回目だ」
「二回言いたかったの!!」
その一部始終を、遠藤美咲が見ていた。
隣の佐倉ひなをつついた。
「ひなちゃん見た?」
「見た」とひなが小声で言った。
「愛情表現だって」
「……聞こえた」
「遼さん、分かったって言ってたよ」
「……分かったの意味が遼さんとこっちで違う気がする」
「そうだね」
二人がこっそり笑った。
美咲がひなの顔をちらっと見た。
ひなは笑っていた。でも目が少し違う笑い方をしていた。
「ひなちゃん」
「なに」
「大丈夫?」
「……大丈夫だよ」
「そっか」
美咲はそれ以上聞かなかった。ひなも何も言わなかった。二人でまたこっそり笑った。笑いながら、ひなはお茶を一口飲んだ。
少し離れた場所で、春日芽衣も詩織と遼を見ていた。
室田沙衣が隣に来て、静かに座った。
「芽衣ちゃん」
「……なんですか」
「見てた?」
「……少し」
沙衣がワインを一口飲んだ。
「詩織ちゃんって、幼なじみなんだって」
「知ってます」
「小学校から」
「……知ってます」
芽衣が視線を詩織から外した。
「別に、何も」
「うん」と沙衣。「何も言ってない」
二人しばらく黙っていた。
「……遼さんって、気づかないんですね」と芽衣が小声で言った。
「気づかないね」と沙衣。
「詩織ちゃんが好きなのも」
「気づいてないだろうね」
「……なんか」
「なんか?」
「……なんでもないです」
沙衣が少し笑った。何も言わなかった。
リビングの反対側では、柊凛が福永颯の肩に腕を回してケラケラ笑っていた。
颯ではなく、凛の方から絡んでいた。
国民的女優が。
好感度ランキングTOP5常連が。
颯の肩に腕を回して、ケラケラ笑っていた。
何がそんなに面白いのか、傍から見ると全く分からない。
「いえーい!!」と颯。
「いえーい!!」と凛も言った。
柊華が固まった。
上野壮介も固まった。
二人が気づいたらなぜか正座していた。
華が壮介を見た。壮介が華を見た。
「……凛ちゃんが」と華。
「……笑ってる」と壮介。
「颯くんと」
「颯と」
「あんなに」
「あんなに」
「……お姉ちゃんってあんなに笑う人だったっけ」
「あんなに笑う人だったかは分からない」と壮介。「でも楽しそうだ」
「うん」
二人がしばらく正座のまま眺めていた。
颯が「わたしだってけっこうゆうめいなんだぞ!!」と凛の口調を真似ながら言った。
凛が「ちがう!! わたしがゆうめいなんだぞ!!」と言った。
「そっち!!」と颯。
「そっちって何!!」
二人でまたケラケラ笑った。
颯がふと何かを思い出したような顔をした。
「そういえばさ、凛ちゃん」
「なに」
「おれとそうすけって、よみがなが同じじゃん」
「そう、ね」
「そうとそうで、そうそう!!」
凛が少し止まった。
「……曹操?」
「そう!! むかし曹操コンビっていわれてた!!」
凛が「ばっかじゃねーの!!」と言いながら颯の頬を強めにビンタした。
「いってーっ!! ブラボー!!」
颯がそのままケラケラ笑った。凛もケラケラ笑った。
華と壮介が正座のまま、一緒にケラケラ笑い始めた。
壮介だけが「……曹操は一人だ」と静かに言った。
颯が「そこ!!」と言った。凛が「そこだよ!!」と言った。二人でまたケラケラ笑った。
「なんで正座してんの二人とも」と春日芽衣が言った。
「なんとなく」と華。
「なんとなく」と壮介。
芽衣が「……そうですか」と言った。
室田沙衣はワインを飲みながら、リビング全体を眺めていた。
詩織が遼にまぬけと言っている。凛と颯がケラケラしている。華と壮介が正座でケラケラしている。美咲とひなが小声でこそこそ話している。芽衣が「正座ってなんですか」と華に聞いている。遼だけが基板を見ている。
沙衣が鷹野千夏——今夜遅れて来た凛のもう一人の友人——に話しかけた。
「千夏ちゃん、見てる?」
「見てる」と千夏が静かに言った。「なんか、すごいね」
「すごいね」
「遼くんだけ普通だね」
「普通だね」
二人がワインを一口飲んだ。
遼が顔を上げて部屋を見渡した。
颯と凛がケラケラしている。壮介と華が正座でケラケラしている。詩織がまた「このぼんくら」と言っている。
「……うるさいな」
「ごめん!!」と颯。呂律が回っていない。
「ごめんね!!」と凛。凛も少し回っていない。
「ごめんなさい」と壮介。壮介は普通に言った。
「ごめんなさい」と華も普通に言った。
「謝るなら静かにしてくれ」
「はーい!!」と颯。
「はーい!!」と凛。
「……はい」と壮介と華が同時に言った。
十秒静かになった。
十一秒目に颯が「いえーい!!」と言った。
凛が「いえーい!!」と言った。
また笑い声が弾けた。
遼が基板に向き直った。
詩織が遼の横顔をじっと見た。
「……遼」
「何だ」
「だいすき」
三秒、止まった。
「……何本飲んだ」
「三本くらい」
「飲みすぎだ」
「飲みすぎじゃない」
「飲みすぎだ」
詩織がふふっと笑った。
遼は基板を見たまま、何も言わなかった。
ただ、少しだけ、耳が赤かった。
美咲がそれを見逃さなかった。ひなの腕をつついた。ひなが「え」という顔をした。美咲が遼の耳の方向に目配せした。ひなが見た。
二人が声を殺して笑った。
深夜十一時。
颯がソファで眠っていた。「いえーい」と言いながら眠った。
壮介がテーブルに肘をついて、静かにお茶を飲んでいた。アルコールはもう飲んでいない。
「楽しかったな」と壮介が言った。独り言のように。
「そうか」と遼が答えた。
「そうだ」
「珍しいな、壮介が楽しかったと言うの」
「言わないだけで、いつも楽しい」
遼が少し考えた。
「そうか」
「そうだ」
華が台所でお湯を沸かしていた。凛は沙衣の膝の上でつぶれていた。珍しいことに、台本を読んでいない。目が閉じている。沙衣がそれを見て少し笑いながら、静かに凛の髪を撫でていた。詩織は遼の隣でうとうとし始めていた。千夏と芽衣がこそこそ話していた。美咲とひなが携帯を見ながら笑っていた。
遼は基板の最後の接点を確認した。
直っていた。
「直った」
「何が」と華が台所から聞く。
「基板」
「今日ずっとそれやってたの?」
「やってた」
「来客中に」
「来客と作業は別だ」
「……遼らしいね」
華がお茶を人数分持ってきた。テーブルに並べた。眠っている颯の分だけそっと置いた。
沙衣の膝で凛がぼそっと言った。
「今日、たのしかったね」
「楽しかったね」と沙衣。
「また集まろうか」
「集まろう」
凛はそのまままた眠った。
遼は直った基板をケースに戻した。
まあ、悪くない夜だった。
もう一度だけ、そう思った。




