SILENT AEGIS ──TechVision特殊部隊、東京作戦記録──第四話「GHOST FOOTPRINT」
六月。
午前六時三十七分。
足立区の、古い工業地帯。
倉庫が並ぶ一角。
コンクリートと鉄骨と、長年の排気ガスが染み込んだ空気。
朝の光がまだ低く、建物の影が長く伸びている。
路地の奥。
薄汚れた白いワンボックスが一台、停まっていた。
エンジンはかかっていない。外から見れば、荷待ちの業者の車だ。
助手席に、サラ・キムがいた。
ラップトップ一台。タブレット一台。小型のアンテナが車内の天井に吸盤で貼り付けてある。イヤホンを両耳に入れて、画面を見ている。
水のペットボトルが助手席のドアポケットに入っている。コーヒーは持ち込んでいない。胃に負担をかけたくない、という考え方だ。長時間の張り込みには水が一番いい。
サラ・キム、二十九歳。
この仕事を始めてから、「現場に出ない」と決めていた。
正確には——「現場に出なくても仕事ができる」と証明し続けることが、自分の役割だと思っていた。銃は持っている。Glock19。でも使わないのが仕事だ。画面の前にいる方が、自分は役に立てる。
その信念を、今日もここで実践している。
話を少し戻す。
前夜のブリーフィングで、サラは足立区の倉庫を候補地一番手として提示した。
ヴィクターの指示は「現地確認はエリックとマルクスが入る。それまでに追加情報を出せるだけ出せ」だった。
サラが夜通しかけてやったことを、順番に書く。
まず法人登記の深掘り。
笠置文雄名義の関連法人は、直接の所有ではなく、三階層の法人を経由して足立区の倉庫を押さえていた。それぞれの法人の登記住所を確認すると、同じ司法書士事務所が設立を担当していた。その司法書士事務所の過去の登記実績を洗うと、さらに七つの法人が出てきた。全部、同じ匂いがする法人だ。
次にSNS。
倉庫周辺の住民が過去六ヶ月間に投稿した写真を、位置情報で絞り込んだ。倉庫が写り込んでいる写真が三枚あった。うち一枚に、倉庫前に停まったハイエースが映っていた。ナンバープレートを読んで、照合した。盗難届が出ている車両だった。
時期は二週間前。
次に公共料金の名義。
倉庫の電気・水道の契約名義を確認した。合法的な手段では取れない情報だ。サラは「合法・非合法の境界線上」で取得した。その名義は、笠置の関連法人とは別の個人名だった。調べると、その個人は現在、フィリピンに在住していることが分かった。
フィリピン。
クルスの、出身地と同じ地域だ。
サラはそこで少し止まった。
偶然という可能性は排除できない。だが——
夜が明けて、サラは車に移動した。
足立区の倉庫から路地を一本挟んだ位置に駐車して、観測を始めた。
使っているのは、DJI製のドローンを改造した機体だ。
元の機体から、赤外線カメラに換装してある。夜間撮影と、体温検知ができる。昼間は通常カメラで動かす。飛行高度は八十メートル——倉庫周辺の住民が見上げても、普通の目には見えない高さだ。
ドローンを飛ばす前に、一つやることがあった。
倉庫の周辺には、行政が管理する街頭カメラが三台設置されていた。
サラはそのカメラの映像を、行政側のネットワークに入って引き出した。完全に合法とは言い切れない手順を一部使った。引き出せた映像は過去七十二時間分。
再生した。
倉庫に出入りする人間が映っていた。
数えた。
延べ人数で、三十一人。
三十一。
サラはその数字を見て、少し考えた。
Ouroborosの傘下にある組織の人員規模としては、多い方だ。今回の実行部隊が八名という想定なら、残りの二十三名は何をしているのか。後方支援か。別の作戦か。あるいはただの人員確認で、実際には動かない人間が大半か。
判断できる情報が足りない。
追う。
ドローンを飛ばした。
午前六時五十一分。無風に近い。ドローンの安定飛行には理想的な条件だ。
高度八十メートルで倉庫上空を旋回させながら、映像をモニタリングする。
赤外線モードに切り替えた。
倉庫内部に、体温を持つ物体が複数確認できた。
正確な人数は壁の厚みで判別しにくいが——少なくとも五名以上が内部にいる。
サラはドローンを倉庫の東側に移動させた。
シャッターが開いている面だ。朝の搬入作業が始まっているらしく、人間の出入りがある。
画面を見た。
一人の男が、シャッターの前に立っていた。
体格がいい。首が短い。肩幅が広い。
サラは画像をズームした。
男の顔が画面に大きく映った。
スクリーンショットを撮った。
顔認識ソフトにかけた。
三十秒待った。
結果が出た。
フェルナンド・クルス。マレーシア国籍。
元戦場カメラマン。武器ブローカー。
インターポールの要注意人物リストに、末尾の方だが名前がある。
サラはイヤホンの送信ボタンを押した。
「ECHO、INTEL《※1》」
※1【INTEL】Intelligence(情報)の略称。無線通信において、情報部門からの連絡であることを示す呼称。ECHOは部隊の呼称。
すぐにヴィクターの声が返ってきた。
「ECHO、どうぞ」
「ターゲット確認。クルスです。足立の倉庫、シャッター前に現在立っています」
「確証は」
「顔認識で一致。確度九十四パーセント。スクリーンショットを今送ります」
少し間があった。
「受信しました。確認します」
別の声が来た。河野だ。
「INTEL、こちらINTEL。写真の確認を取りました。クルスで間違いないと思います」
「了解」
ヴィクターが言った。
「INTEL、倉庫の人員は」
「過去七十二時間の映像で延べ三十一人の出入りを確認しています。現在、内部に最低五名。ドローンの赤外線で確認しています」
沈黙が少しあった。
「三十一」
「はい」
「内部が五以上」
「壁の厚みで正確な数は取れていません。五から八の間だと思います」
また間があった。
別の声が通信に入ってきた。エリックだ。
「INTEL、聞こえてますか。これ——俺たちの六人でやるんですよね」
サラは少し間を置いた。
「……そのつもりです」
「……了解」
ヴィクターが続けた。
「引き続き監視を続けてください。車両の動きと、人員の増減を記録して」
「わかりました」
「エリックとマルクスは今日の午後に現地入りします。サラさん、彼らに引き継げますか」
「引き継げます。午後二時以降なら」
「了解。それまでよろしくお願いします」
通信が切れた。
サラはドローンの映像に戻った。
クルスはまだシャッターの前にいた。
腕を組んで、誰かと話している。相手の顔は角度のせいで見えない。
サラはドローンをゆっくりと旋回させた。
別の角度から相手の顔を撮ろうとした。
その瞬間、クルスが空を見上げた。
サラの手が止まった。
クルスの目が、正確にドローンの方向を向いた。
見えるはずがない。
高度八十メートル。機体のサイズは展開時で約二十センチ。朝の光の中では、目視での発見はほぼ不可能だ。
だがクルスは、三秒間、空を見ていた。
それから視線を下ろして、話の続きに戻った。
サラは静かに息を吐いた。
偶然だ、とほぼ確信した。
ほぼ、というのが引っかかっている。
このくらいの仕事をしてきた人間は——紛争地帯で生き延びてきた人間は——根拠のない危機感を、体が先に察知することがある。
クルスがそういう種類の人間かどうか、まだわからない。
サラはドローンの高度を九十メートルに上げた。
念のため。
そのまま、監視を続けた。
午前八時十二分。
倉庫のシャッターが閉まった。
人の出入りが止まった。
内部は静かになった。赤外線で確認すると、体温の反応は四つ。夜通し作業していた人間が眠ったのかもしれない。
サラはドローンを回収して、ペットボトルの水を一口飲んだ。
スマートフォンに、河野からメッセージが入っていた。
「三十一、多いですね。笠置の別の案件が同時進行している可能性も考えた方がいいかもしれません」
サラは返信した。
「そう思います。公共料金の名義がフィリピン在住の個人になっていました。クルスの出身地域と一致します。何年も前から笠置が準備していた拠点だと思います」
すぐに既読がついた。
「岸谷の端末、今朝は動きがありませんでした。まだ静観しています」
「わかりました。何か動いたら教えてください」
サラはスマートフォンを置いた。
GPSトラッカーのことを思い出した。
昨夜、倉庫に向かう前に、笠置の関連法人が所有する車両を一台特定していた。白のフォルクスワーゲン・トランスポーター。倉庫に出入りしていた車両の一つだ。現在は近くのコインパーキングに停まっている。
サラは車を降りた。
周囲を確認した。人気がない。
工具袋を持って、コインパーキングに向かった。
フォルクスワーゲンのリア側に潜り込み、サスペンションアームの金属部分に磁石式のGPSトラッカー《※2》を貼り付けた。
作業時間、四秒。
※2【GPSトラッカー(磁石式)】磁石で金属部分に固定する小型のGPS発信機。電池式で数週間から数ヶ月稼働するものもある。車両の動きをリアルタイムで追跡できる。民間でも入手可能だが、他人の車両に無断で設置することは違法。
何事もなかったように歩いて戻った。
ワンボックスに乗り込んで、トラッカーのアプリを確認した。
信号が出ている。正常に動作している。
これで、車両が動けば分かる。
午後一時四十分。
エリックとマルクスから連絡が入った。
「サラさん、近くにいますか」
「います。路地の一本西側です」
「合流できますか」
「そちらに行きます」
サラはラップトップを閉じて、車を出した。
一本西の路地に入ると、エリックとマルクスが乗った車が停まっていた。
二人は作業着を着ていた。電気工事業者のロゴが入ったつなぎだ。ヘルメットが後部座席に置いてある。
エリックが窓を開けた。
「どんな感じですか」
「クルス、今朝確認しました。倉庫の内部に現在四名以上。シャッターは今は閉まっています」
「車両は」
「トランスポーターにトラッカーを仕込みました。アプリのアクセス権を今送ります」
「助かります」
サラはスマートフォンを操作した。
「ドローンの映像、見ますか」
「見たい」
サラがタブレットを渡した。
エリックが映像を確認した。
マルクスが後部座席から身を乗り出して、同じ画面を見た。
しばらく、二人とも無言だった。
エリックが言った。
「シャッターは電動ですか」
「外観から判断すると電動式です。ただし手動でも開けられる構造だと思います」
「側面のドアは」
「人員用の出入り口が一つ。普通の鍵式です。南京錠の追加はなし」
「二階の非常口は」
「外から鉄製のはしごがついています。ただし上から施錠されていれば使えません」
エリックはタブレットをマルクスに渡した。
マルクスが映像を見ながら、何かを手帳にメモした。
「ブリーチングは側面ドアから行きます」とエリックが言った。「シャッターは音が大きい。側面の方が制御できます」
「壁の素材は」
「外観から見て、軽量鉄骨にALC板《※3》の組み合わせだと思います。薄い。フラッシュバン《※4》の跳弾リスクがあります」
※3【ALC板(Autoclaved Lightweight aerated Concrete)】軽量気泡コンクリートのパネル。工場や倉庫の外壁に多用される。断熱性はあるが、強度は低い。
※4【フラッシュバン(Flashbang)】閃光手榴弾。爆発と同時に強烈な閃光と轟音を発生させ、周囲の人間を一時的に無力化する。殺傷力はないが、密閉空間では跳弾(壁に当たって跳ね返る)のリスクがある。
「スタングレネードにします」とマルクスが言った。「ドアを開けてから投入。ガスを先行させてから入ります」
「同意します」とエリックが言った。
二人のやり取りに、サラは口を挟まなかった。
この種の判断は、現場の人間がする。サラの仕事は情報を渡すことだ。
「サラさん」とエリックが言った。「鮎川さんの狙撃陣地、北側のビルが最有力でしたが、確認しましたか」
「昨夜、ストリートビューと航空写真で確認しました。六階建て。屋上へのアクセスは外付けの非常階段があります。鍵は——」
「開いていますか」
「昨日の段階では、鍵がかかっていない写真がありました。ただし現時点での確認はできていません」
「明日、確認に行きます」
「了解です」
マルクスが手帳を閉じた。
「サラさん、今日は何時間ここにいましたか」
「朝の六時半からです」
「食事は」
「していません」
「……」
マルクスがバッグから何かを取り出した。
チョコレートバーだった。
「食べてください」
「いらないです、集中が——」
「食べてください」
サラは少し間を置いてから受け取った。
「ありがとうございます」
「ジュリアが『サラに渡せ』と言っていました」
「……ジュリアが」
「チョコレートは集中力に必要だそうです」
サラはチョコレートバーを見た。
それからひと口食べた。
悪くなかった。
エリックとマルクスが現地確認に入った。
作業着姿で、電気工事業者を装って倉庫周辺を歩く。
周囲のビルの電気系統を確認している業者——そういう体裁で、地形と建物の構造を目視で把握していく。
サラは車から二人の動きを見守りながら、ドローンの映像をモニタリングし続けた。
午後三時すぎ、倉庫のシャッターが再び開いた。
人の出入りが始まった。
サラは映像を録画しながら、人員を数えた。
出てきた人間が六名。入っていった人間が二名。
顔を一人ずつスクリーンショットに切り出して、顔認識にかけた。
クルス以外のメンバーの顔を、少しずつ割っていく作業だ。
六名のうち、二名が照合に引っかかった。
一人はマレーシアの犯罪データベースに名前がある。
もう一人はインターポールのリストに、クルスよりも上位で載っている人間だった。
サラは河野にメッセージを送った。
「構成員の顔を二名割りました。クルス含めて三名の身元確認済み。全員、東南アジア系の犯罪組織の関係者です」
河野からすぐに返信が来た。
「八名の実行部隊のうち、三名が特定できた、ということですか」
「そうです。残りは継続して確認します」
「お疲れ様です。サラさん、今日はそろそろ上がってください。明日も早い」
サラはメッセージを見た。
画面を閉じようとして、止まった。
ドローンの映像に、また動きがあった。
シャッター前に、新しい人間が出てきた。
小柄な男だった。
スーツを着ている。東南アジア系のメンバーとは明らかに違う。
サラはズームした。
五十代後半から六十代。白髪。
顔認識にかけた。
結果が出るまで、四十五秒かかった。
笠置文雄。
本人が、倉庫に来ている。
サラはスクリーンショットを撮った。
ヴィクターと河野に同時送信した。
そのまま、画面を閉じなかった。
笠置がクルスと話している。
二人の会話は当然聞こえない。
ただ、笠置の表情だけは見えた。
笑っていない。
真剣な顔だ。
何かを確認している——そういう表情だった。
サラは録画を続けた。
「上がってください」という河野のメッセージには、まだ返信しなかった。
次回、第五話「THE CALL TO DAVID」――デイビッド・マクナマラ、動く。




