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姉と妹が国民的女優ですが、俺は機械をいじっていたい  作者: よんまるよん
第一部「機械をいじっていたい、それだけなのに」

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第9.5話「王子様曰く、墓まで持ってけ!」

 その日、(ひいらぎ)(はな)は秋葉原にいた。

 厳密に言えば、仕事で来ていた。

 所属事務所のYouTubeチャンネル企画、タイトルは「人気女優がオタク文化に挑戦!」。担当マネージャーの田村が、ロケ前日に満面の笑みで言ったのだ。

「華ちゃん、秋葉原って行ったことある?」

「ないです!」

「じゃあ完璧。素直な反応もらえるから」

 華は元気よく返事をしたが、実のところ、秋葉原にはそれなりの興味があった。兄の(りょう)がたまに部品を買いに来るらしいと聞いていたし、アニメも好きだし、何より「オタク文化」という言葉に特に構えるものがなかった。

 メイドカフェは楽しかった。

 フィギュアコーナーは面白かった。

 そして今、華は五階建てのビルの四階にいた。


 同人誌フロア。

 棚が天井まで続いている。ジャンルごとに仕切られた棚。カバーがポップに並んでいる。

 カメラマンの中村が横でレンズを向けていた。

「どうですか、華さん」

「なんか……すごい密度ですね」

「ここ、女性向けのフロアなんですよ」

「へえ!」

 華は素直に棚を眺め始めた。

 ファンタジー系、学園系、スポーツ系。

 表紙のイラストがどれも丁寧で、思わず足が止まる。

「あ、このカバー絵きれいじゃないですか」

「分かります。その作家さん人気で……」

 会話しながら歩いていると、フロアの奥にある一角が見えてきた。

 少し薄暗い、棚が密集したコーナー。

 「BL」と書かれたプレートが、静かにそこに存在していた。


 華は特に躊躇なく入った。

 なんとなく棚の並びがそちらに続いていたから。

 カメラの田村が「あ、このへんは……」と言いかけたが、華はもう棚の前に立っていた。

「これも同人誌なんですね。表紙のデザインって、ジャンルによって全然違うんだ」

「そうですね、華さん、でも一応このコーナーは――」

 そのとき、気配を感じた。

 棚と棚の間。

 身長が高い。

 黒いキャップ、黒いマスク、モード系の長袖。

 芸能人オーラが、変装を完全にごまかしきれていない。

 その人物が手に持っていたのは、分厚いBLアンソロジーだった。


 目が合った。

 三秒、沈黙。

 華は頭の中で情報を整理した。

 身長。骨格。目。目だけじゃ分からないはずなのに、なぜか分かった。

「……綺羅(きら)くん?」

 黒瀬(くろせ)綺羅きらは、その瞬間、表情が消えた。

 世間に「王子様」と呼ばれる顔が、みるみる絶望に変わっていくのを、華は初めて目撃した。


「ちょっと来い」

 低音の声だった。ただし全力で小声だった。

 気づけば華はビルの非常階段の踊り場にいた。

 田村とカメラマンには「知り合いに会ったのでちょっとだけ」と伝えてある。田村は若干困惑していたが、「五分だけ」と言ったら頷いてくれた。

 黒瀬くろせ綺羅きらが壁に背を預け、帽子のつばを深く下げながら言った。

「……見なかったことにしてくれ」

「え、なんで」

「なんでじゃない」

「でも何も悪いことしてないじゃないですか」

「俺は王子様なんだよ」

 黒瀬くろせが絞り出すように言った。

「王子様がBL読むとか、終わるんだよ。分かるか。王子様が、だぞ」

 華はしばらく考えた。

「終わります?」

「終わる」

「なんで?」

「なんでじゃない!」

 声が裏返りかけて、黒瀬くろせは慌てて口を押さえた。


 華は笑った。

 こらえようとして、失敗した。

「笑うな」

「ごめん、でも……」

「笑うなって言ってる」

「だって綺羅きらくんが『王子様が終わる』って本気で言うから……」

「本気だから言ってんだ!」

 黒瀬くろせが低く、切実に言うほど、華の笑いはとまらなかった。

 非常階段に、くぐもった笑い声が響く。

 黒瀬くろせは盛大にため息をついた。

「お前、最悪だわ」

 あ、と華は思った。

 今、語尾が少し違った。

「ごめんごめん、落ち着く、落ち着くから」

 華は深呼吸した。

 それから、素直に言った。

「でも、最高じゃないですか」

「何が」

「王子様がBL好きって」

 黒瀬くろせが固まった。


「……普通、そういう反応しないんだけど」

「そうなんですか?」

「普通は驚くか、笑い飛ばすか、どっちかよ。最高とは言わない」

 また変わった、と華は思った。

 さっきより少しだけ、柔らかい言葉だった。

「え、でもギャップって一番尊いじゃないですか。完璧な王子様が秘密のオタクって、それ普通に物語として成立してますよ」

 黒瀬くろせは少し間を置いた。

「……物語として」

「はい」

「お前、割とおかしい思考してるわね」

 華はぴくっとした。

 今度ははっきり聞こえた。

(あれ、「わね」って言った?)

 黒瀬くろせは気づいていないようだった。


 それから、なんとなく話が続いた。

 華が棚を眺めながら何気なく言った。

「さっき持ってたアンソロ、あれ幼なじみ系のカップリングのやつじゃなかったですか?」

 黒瀬くろせの目が、一瞬だけ動いた。

「……なんで分かる」

「表紙に見覚えがあって。あの絵の人、構図が特徴的なんですよ。子供のころの二人が背中合わせで、大人になってから正面で向き合うやつ」

「……詳しいじゃない」

「好きなんですよ、幼なじみ系」

 黒瀬くろせが、静かに壁から体を起こした。

「……攻めと受けは」

「えっ、聞きますか」

「聞くわよ」

 もう完全に出ていた。

 華は内心で「あーやっぱり」と思いながら、さりげなく流した。

「年下攻めが好きです。でも年上攻めも捨てがたくて、結局カプによるかな、って」

「……それ、私も全く同じ結論に至ったわ」

「ですよね! カプによる! これ大事なんですよ!」

「そう、これが理解されないのよね」

「分かります、なんか攻めか受けかで話が進んじゃうじゃないですか、でもその前にそもそもこのカップリングにとって何が自然かを考えないと」

「そう!! 関係性の文脈を無視してどっちが攻めかの話をするのは、本質を見失ってるのよ!!」

 黒瀬くろせが声を上げていた。

 次の瞬間、ハッとして口を閉じた。

 静寂。

 華がにやにやしていた。

「……今、素が出ましたね」

「……出てない」

「めちゃくちゃ出てましたよ。あと」

 華は少し笑いをこらえながら言った。

「さっきから『わよ』とか『のよ』とか言ってますよね、綺羅きらくん」

 黒瀬くろせの動きが、完全に止まった。


 五秒、沈黙。

 黒瀬くろせが、ゆっくりと天井を仰いだ。

「……殺してくれ」

「生きてください」

「お前の前だと出やすいんだよ」低音が、若干うめき声に近くなった。「なんか……圧がないから」

「褒め言葉として受け取ります」

「褒めてない」

「でも嬉しいです」

 黒瀬くろせがもう一度、深く息を吐いた。

 それから、諦めたように言った。

「……幼なじみ系の話、続けていい?」

「もちろんです!」


 そこからの十分間は、非常階段とは思えない濃度だった。

 黒瀬くろせは最初こそ「俺は」「俺が」と言っていたが、話が盛り上がるにつれてどんどん崩れていった。

「あのカプのさ、子供時代のエピソードが尊すぎてね、もう何度読んでも泣けるのよ」

「分かります! 特に体育倉庫のシーン!」

「そう! あそこの二人の間の空気感! 言葉にしてないのに全部伝わってくるじゃない!」

「伝わってきますよね!」

「これが天才の仕事よ!」

 華はもう突っ込まなかった。

 突っ込んだら止まると思ったから。

 黒瀬くろせ綺羅きらが、王子様の仮面を外して本気で語っている。

 その顔が、思いのほかきれいだった。

 格好よくて、それ以上に、楽しそうだった。


 田村に呼ばれる声が下から聞こえた。

 華が「もう行かないと」と立ち上がった。

 黒瀬くろせは踊り場から離れようとして、ふと気づいたように言った。

「……俺、さっきかなり出てたか」

「かなり出てました」

「どのへんから」

「『最悪だわ』のあたりから」

「……そんな早い段階で」

「はい」

 黒瀬くろせが額に手を当てた。

「今日のこと、墓まで持ってけよ」

「任せとけ」

 華がすたすたと階段を下りかけたとき、背後から声がした。

「……今度さ」

 華が振り返った。

 黒瀬くろせが、かすかに笑っていた。さっきの王子様の顔でも、絶望した顔でもない、どちらでもない顔だった。

「推し語り、しよ」

 華は一秒だけ目を丸くして、それから満面の笑みになった。

「するする! 絶対しよ!!」

「……その時も、今日みたいな感じでいい?」

 華は一瞬だけ意味を考えて、それから頷いた。

「もちろん」

 黒瀬くろせが、小さく笑った。

「……ありがと」

 低音だった。でも、さっきとは少しだけ違う低音だった。


 ロケは無事終わった。

 メイドカフェの映像が一番使われることになったが、華はその日一日、妙に機嫌が良かった。

 帰りの車の中で、マネージャーの田村が言った。

「今日、いい感じだったね。秋葉原、楽しかった?」

「楽しかったです!」

「四階のフロアで知り合いに会ったって言ってたけど、誰だったの」

 華はシートベルトを締め直しながら、何でもない顔で答えた。

「内緒です」

 田村が「え」と言ったが、華はもうイヤホンをつけていた。


 その夜、柊家のリビング。

 凛が帰ってきてソファに倒れ込んだ。

「疲れた。お腹空いた」

「カップラーメンある」

 遼がモニターから目を離さずに言った。

「それで済まそうとしないで」

「作ってないのに文句言うな」

 華がキッチンから顔を出した。

「今日さ、秋葉原行ってきたんだよね」

「あ、ロケね」凛が体を起こした。「どうだった?」

「楽しかった! あとすごい人に会った」

「誰?」

「内緒」

「なんで」

「墓まで持ってくって言ったから」

 遼が少しだけモニターから目を動かした。

「墓まで?」

「そう」

「何があったんだ」

 華は笑いを噛み殺しながら言った。

「内緒」

 遼は三秒ほど華を見て、それからモニターに向き直った。

「……まあ、いいか」

 凛がソファの上でうめいた。

「なにそれ気になるじゃない!」

「内緒って言ってるじゃん」

「姉に内緒なんてある!?」

「ある」

 華はにこにこしながら、冷蔵庫を開けた。

 プリンが一個あった。

 迷わずつかんだ。

「……あ、それ私のだから」

「知ってる」

「華!」

 リビングに凛の叫び声が響く。

 華はスプーンを持ちながら、今日の記憶を少し反芻した。

 王子様が、本気の顔で「墓まで持ってけ」と言った瞬間。

 そのあとで、少しだけ恥ずかしそうに「ありがと」と言った瞬間。

 あれは格好良かった。

 格好悪くて、格好良かった。

 芸能界って、意外と面白い人がいる。

 そんなことを思いながら、華はプリンを食べた。


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