第9話「音響トラブル」
金曜日の午前。
都内のドラマ撮影スタジオ。
凛は控室で台本を読んでいた。
今日は重要なシーンの撮影がある。
主人公が恋人と再会する、感動的な場面だ。
「柊さん、準備できましたか?」
ADが声をかける。
「はい、大丈夫です」
凛は立ち上がり、撮影現場に向かった。
スタジオに入ると、監督が待っていた。
「柊さん、おはようございます」
「おはようございます」
「今日のシーン、大事なところですから」
「はい、頑張ります」
凛は笑顔で答える。
監督は満足そうに頷いた。
「いつも通り、お願いします」
「はい」
凛は撮影位置につく。
共演者も準備完了。
スタッフが最終確認をする。
「音響、準備OK?」
音響スタッフが機材を確認する。
そして──
「……あれ?」
音響スタッフの声が聞こえた。
何か困っている様子だ。
「どうした?」
監督が聞く。
「ちょっと……マイクの音が変なんです」
「変?」
「はい。ノイズが乗ってます」
音響スタッフがヘッドフォンを外す。
顔色が悪い。
「どれくらい?」
「かなり……これ、使えないかもしれません」
スタジオに緊張が走った。
三十分後。
撮影は中断していた。
音響スタッフが機材を確認している。
だが、原因が分からない。
「どうなんだ?」
監督が焦った様子で聞く。
「すみません……原因が特定できません」
「メーカーに連絡は?」
「しました。でも、今日中に来れないって……」
「は?」
監督の声が大きくなる。
「今日の撮影、どうするんだ!」
「申し訳ございません……」
音響スタッフは頭を下げた。
凛は控室で待っていた。
他の共演者も、不安そうな表情をしている。
「どうなるんだろう……」
「分からない……」
スタジオ全体に、重い空気が流れていた。
午後1時。
結局、撮影は中止になった。
音響機材が復旧しない。
メーカーの技術者は、明日にならないと来れない。
「申し訳ございません……」
音響スタッフが、何度も謝罪する。
監督は頭を抱えていた。
「明日も、別の撮影が入ってるんだぞ……」
「すみません……」
「いや、君が悪いわけじゃないが……」
監督はため息をついた。
凛は荷物をまとめながら、音響スタッフの話を聞いていた。
「突然、ノイズが乗り始めて……」
「原因は?」
「分からないんです。配線も確認したし、電源も問題ない……」
「そうなんですか……」
凛は少し考えた。
そして、ふと思った。
「……遼なら、分かるかな」
その日の夕方。
凛が帰宅すると、遼はリビングでコーヒーを飲んでいた。
「ただいま」
「おかえり」
「早かったね、お姉ちゃん」
華が声をかける。
「うん……撮影、中止になっちゃった」
「え? なんで?」
「音響機材が壊れて……」
凛はソファに座り、今日のことを話した。
遼は黙って聞いている。
「それで、明日にならないと直らないって……」
「大変だね」
華が同情する。
凛はため息をついた。
「スタッフさんも困ってて……突然ノイズが乗り始めたって言ってたけど、原因が分からないみたい」
「ノイズか」
遼が呟いた。
「うん。配線も電源も問題ないって言ってたけど……」
「どんな機材?」
「え?」
「音響機材。何使ってる?」
「えっと……よく分からないけど、マイクとミキサーと……」
「ワイヤレスマイク?」
「あ、うん。そう言ってた」
遼は少し考えた。
「ワイヤレスなら、電波干渉かもな」
「電波干渉?」
「ああ。周波数が被ってると、ノイズが乗る」
「へえ……」
凛は少し驚いた。
遼が、こんなにすんなり答えるとは思っていなかった。
「でも、スタッフさんはそれも確認したって……」
「周波数だけじゃなくて、近くに電波を出す機械があるかもな」
「電波を出す機械?」
「スマホとか、Wi-Fiルーターとか、LED照明とか」
「LED照明……?」
「ノイズを出すタイプがある。安物だと特に」
遼は淡々と答える。
凛は目を見開いた。
「そうなんだ……」
「まあ、それが原因かは分からないけど」
「でも、明日スタッフさんに伝えてみる!」
「好きにしろ」
遼はコーヒーを飲み、自室に戻っていった。
凛は少し考えた。
そして、スマホを取り出す。
音響スタッフにLINEを送った。
翌朝、土曜日。
ドラマ撮影スタジオ。
音響スタッフは、昨夜から凛のLINEを何度も読み返していた。
「LED照明……電波干渉……」
半信半疑だった。
だが、試してみる価値はある。
メーカーの技術者が来る前に、自分でできることはやっておこう。
音響スタッフは、スタジオの照明を確認し始めた。
三十分後。
音響スタッフは、一つの照明を見つけた。
最近、新しく設置されたLED照明。
それも、かなり安価なモデル。
「まさか……」
音響スタッフは、その照明の電源を切った。
そして、マイクをテストする。
ヘッドフォンを装着。
音を確認する。
そして──
「……ノイズが消えた!?」
音響スタッフは驚愕した。
完全に、ノイズが消えている。
クリアな音だ。
「本当に……LED照明が原因だったのか……」
音響スタッフは信じられない様子だった。
すぐに監督に報告する。
「監督! 直りました!」
「え? 本当か!?」
「はい! 原因はLED照明でした!」
「LED照明?」
「はい。電波干渉してたみたいです」
監督は驚いた表情をした。
「よく分かったな……」
「実は、柊さんが……」
「柊さんが?」
「はい。昨日、アドバイスをもらって……」
監督は少し考えた。
そして、笑った。
「柊さん、音響にも詳しいのか?」
「いえ、柊さんの弟さんが……」
「弟?」
「はい。弟さんが技術に詳しいらしくて……」
監督は興味深そうに頷いた。
「へえ……そうなのか」
午前10時。
撮影が再開された。
凛が控室から出てくると、音響スタッフが駆け寄ってきた。
「柊さん! ありがとうございます!」
「え?」
「LED照明が原因でした! 弟さんのアドバイス、的確でした!」
「本当ですか!?」
凛は驚いた。
遼の何気ない一言が、問題を解決した。
「はい! おかげで撮影できます!」
「良かった……」
凛は安堵した。
そして、少し誇らしい気持ちになった。
遼が、役に立った。
それが、嬉しかった。
撮影が始まる。
凛は完璧な演技を見せた。
音響も問題なし。
全てが順調だった。
「カット! OK! 柊さん、素晴らしい!」
監督が絶賛する。
凛は笑顔で頭を下げた。
撮影が終わり、休憩時間。
監督が凛に声をかけた。
「柊さん、弟さんって技術者なの?」
「え? いえ、大学生です」
「大学生?」
「はい。工学部で……」
「へえ……詳しいんだね」
「まあ、機械いじるのが好きみたいで……」
凛は少し照れくさそうに答えた。
監督は興味深そうに頷いた。
「機会があれば、紹介してよ」
「え?」
「うちの現場、技術トラブル多いから。相談できる人がいると助かる」
「あ、はい……でも、遼は嫌がるかも……」
「そう?」
「人前に出るの、苦手なので……」
「なるほど」
監督は笑った。
「まあ、機会があれば」
「はい」
凛は小さく笑った。
その日の夕方。
凛が帰宅すると、遼は自室にいた。
凛はドアをノックする。
「遼?」
「何?」
「入っていい?」
「開いてる」
凛は部屋に入った。
遼は机に向かい、卒論を書いている。
「今日ね、撮影できたよ」
「そうか」
「遼のアドバイス、的確だった」
「へえ」
「LED照明が原因だったって」
「やっぱりな」
遼は特に驚いた様子もなく、答える。
凛は少し笑った。
「ありがとう」
「別に」
「でも、すごいよ。遼は」
「普通だろ」
「普通じゃないって」
凛は遼の肩を叩いた。
「音響スタッフさんも、すごく感謝してたよ」
「そうか」
「監督も、遼のこと興味持ってた」
「……面倒だな」
遼は少し嫌そうな表情をした。
凛は笑った。
「安心して。紹介しないから」
「ありがとう」
「でも、遼って本当にすごいんだね」
「だから、普通だって」
「普通じゃないよ」
凛は優しく笑った。
遼は何も言わず、再び卒論に戻る。
凛は部屋を出ていった。
だが、その顔は嬉しそうだった。
その夜、凛の部屋。
凛はベッドに横になっていた。
今日のことを思い出している。
遼の何気ないアドバイス。
それが、現場を救った。
「遼って……本当に、すごいんだな」
凛は小さく呟いた。
今まで、遼を「機械オタクの弟」としか見ていなかった。
でも、違う。
遼は、本当に技術を持っている。
プロのスタッフも気づかない問題を、一瞬で見抜く。
「私、気づいてなかった……」
凛は天井を見つめた。
姉として、弟のことをどれだけ知っているだろう。
凛は、少し反省した。
同じ頃、華の部屋。
華もベッドに横になっていた。
凛から、今日の話を聞いていた。
「遼、すごいんだね……」
華は小さく呟いた。
いつも、機械をいじっている遼。
家では、パシられる遼。
でも、実はすごい人なのかもしれない。
「私も、ちゃんと見てなかったかも……」
華は少し反省した。
その頃、遼の部屋。
遼は卒論を書いていた。
淡々と文字を打ち込む。
今日のことは、もう忘れている。
遼にとっては、普通のことだった。
LED照明のノイズなんて、基本中の基本。
それを指摘しただけ。
特別なことではない。
「……よし、これで一段落」
遼はファイルを保存した。
そして、伸びをする。
スマホを見ると、凛からLINEが来ていた。
「今日はありがとう。助かったよ」
遼は少し考えた。
そして、短く返信する。
「別に」
それだけ。
凛からスタンプが返ってきた。
笑顔のスタンプ。
遼は小さく笑った。
「……まあ、役に立ったなら良かった」
そして、再び卒論に戻る。
遼のペースは、変わらない。
その頃、撮影スタジオ。
音響スタッフは、今日の出来事を同僚に話していた。
「それでさ、柊さんの弟が教えてくれたんだ」
「へえ、柊さんに弟がいるんだ」
「うん。大学生らしいけど、めちゃくちゃ詳しかった」
「すごいね」
「LED照明が原因なんて、俺も気づかなかった」
「プロでも気づかないよな」
「本当に。その子、天才じゃないか?」
音響スタッフは感心していた。
そして、ふと思った。
「……柊さんの弟、名前なんだろう」
音響スタッフは、メモを取り出した。
次に何かあったら、また相談したい。
そう思った。
翌朝、日曜日。
柊家のリビング。
三人が朝食を食べていた。
「遼、昨日ありがとうね」
凛が言った。
「別に」
「でも、本当に助かったよ」
「そうか」
遼は淡々と答える。
華が口を挟んだ。
「遼って、音響にも詳しいの?」
「別に。基本だろ」
「基本……」
華は呆れた表情をした。
「遼、それ基本じゃないから」
「そうか?」
「そうだよ!」
華は笑った。
凛も笑った。
遼は首を傾げた。
「……よく分からんけど、まあいいか」
三人は笑った。
普通の、うるさい三兄妹。
でも──
凛と華は、少しずつ気づき始めていた。
遼が、ただの機械オタクではないことを。
遼が、本当にすごい技術を持っていることを。
それが、これから大きな変化をもたらすことになる。
その頃、都内のホテル。
ロバート・チェンは部屋でマンガを読んでいた。
コスプレ衣装は丁寧に畳んで、スーツケースに収納してある。
昨日買ったフィギュアは、ベッドサイドのテーブルに飾られている。
「Beautiful...」(美しい……)
ロバートは満足そうに呟いた。
スマホが鳴る。
部下からのメッセージだ。
「Sir, the new proposal is ready. When should we approach Hiiragi?」(サー、新しい提案書が準備できました。いつ柊にアプローチしますか?)
ロバートは少し考えた。
「Wait until next week. Let him finish his thesis.」(来週まで待て。卒論を終わらせてもらおう)
「Understood.」(了解しました)
メッセージを送り終える。
ロバートは再びマンガに目を戻した。
柊遼の確保。
それが任務。
だが、今はこの時間を楽しみたい。
「Japan is amazing...」(日本は素晴らしい……)
ロバートは小さく笑った。
そして、ページをめくる。
世界的企業のCTO。
そして、秘密のアニメオタク。
その二つの顔を持つ男の、静かな休日が続く。




