卑屈な令嬢の転落人生5 前編
シャーロットは絵を描くのが得意である。
離れで自作の絵本を作成していた。
貴族について知識のない男爵領民に貴族の恐怖を覚えてもらうために作成していた。
白黒なので絵は自身で塗ってもらう予定である。
まずは領民の子供のいる家に配る予定だった。
時間が出来たので顔を見に来たレイモンドがシャーロットの手元を覗き込んだ。
「シャーロット、何書いてるの?」
反応せずに集中しているシャーロットを見ながら机に置いてある意味深な本をレイモンドが手に取った。
表紙には「覚えよう。貴族の基本。首を守ろう」。
表紙をめくると、首を守ろう!!こんな時に首が飛ぶ!!
ギロチンと剣の絵が描かれていた。
不敬罪について詳しく書いてあった。そんな簡単に首が飛ぶのか!?と突っ込みを心の中でいれた。
後半は貴族に見つかったら!?
気付かれてなければ逃げる。見つかったら道をあけて礼をして頭をあげない。
簡単な返答と礼の仕方が書いてあった。
そして緊急時の対応がまとめてあった。貴族に会い、何かあったらすぐに男爵家に使いを寄越すように書かれていた。追伸で男爵領以外ならモール公爵家にと。
貴族のことは貴族に任せる。触るな危険。貴族のことは貴族に丸投げと強調されていた。
レイモンドはシャーロットにとって貴族は猛獣なのかと心の中で突っ込みをいれた。
2冊目には応用編。
貴族と王族との接し方。
商売等でどうしても関わらないといけない時用だった。
一定の距離を保ち、自身からは決して触れてはいけないと記載されていた。特に身分の高い令嬢、夫人にエスコートとダンス以外に触れるのは禁忌と。
レイモンドにも知らないことだらけだった。
言い回しにも解説がついていて、目を丸くした。深読みせずにそのままの意味で受け取っていた言葉ばかりだった。下位貴族のレイモンドは上位貴族の社交は知らない。全て遠回しの言い回しでやり取りされる探り合いの戦いを知らなかった。
お気遣いいただきありがとうございますはこれ以上の詮索は不要で不愉快。関わらないでほしいという注釈を読んで遠い目をした。
王族の逆鱗という項目にも。
本を書き上げたシャーロットはようやく顔をあげ、本を持ち自身を凝視しているレイモンドに気付いた。
「男爵様?」
「あ、えっとこの本はどうするの?」
歯切れの悪いレイモンドをシャーロットは首を傾げて見ていた。
「領民に配る」
レイモンドは不思議そうに自分を見つめる妻にどこから突っ込むか迷っていた。
「王族の情報をこんなに書いていいの?」
シャーロットは機密は何も書いていない。王宮に参内する者なら知っていることばかりである。たとえば、国王陛下の逆鱗は王妃である。王妃への無礼や心身の安寧を乱した者は厳しく処罰された。
「常識でしょ?」
「俺、知らないことだらけ」
気まずそうな顔をするレイモンドにシャーロットは目を見開いた。
「うそ・・・。領民向けに作ったのに。公爵領なら常識・・。もしかして下位貴族は常識が違う・・?」
ボソボソ呟き視線を逸らして、顔を顰めるシャーロットを見ながらレイモンドは頬を掻いた。上位貴族と下位貴族は立場が違う。
「教育の差じゃないか?」
シャーロットは公爵領ほど豊かでない男爵領を思い出した。給金の低さや財政に驚いたことも。一番は予備物資の少なさだった。男爵領民が貧乏でも最低限の教養は必要かと一人で頷いていた。
「でも大事なこと。印刷してこっそり配る」
「それは堂々と配ろうか。家の前に突然こんな本が置かれたら驚くよ」
「男爵領は難しい。」
「家の前に隠れて配布するのはやめて。どうしてもなら俺に相談して。領民を集めるよ。解説しないと伝わらないよ。皆は、ギロチンなんて見たことないよ」
男爵領には公衆の前で処刑する慣習はなかった。
「週明けの朝が一番多いよ。一度見てもらったほうがわかりやすい?でもあれを見たら魚が捌けなく」
震えるシャーロットの頭をレイモンドが撫でた。
「魚は捌かなくていい。あえて見せるものでもないよ。俺、王都育ちじゃなくて良かった」
「後宮も王宮も遊び場だったから。初めてギロチン見た時は怖かった。殿下は顔色を変えないけど。ミズノ、これを領民の数だけ印刷して配って。説明はヒノトに頼もうかな」
シャーロットは書けた本をミズノに預けた。勢いのすごい民の前で説明するのは怖かったため民に好かれるヒノトに頼むことにした。レイモンドが優しいため、男爵領民は貴族の怖さを知らないと思っていた。
シャーロットはレイモンドほど優しく善良な貴族を知らなかった。優しい兄でさえも貴族の顔は狡猾である。賢くなければ公爵は務まらないので当然とシャーロットは思っていた。
****
アリシアはレイモンドの説得を失敗したと話すと伯爵が激怒した。
もともと少なかった交友関係も全て切られていた。
この件はアリシアが原因だった。
金策はつきてコメリ男爵に頼るしかなかった。爵位を返上し平民として生きる道は避けたかった。
アリシアは学園と同じことをしようと思っていた。
シャーロットに意地悪されたと落ち込めば第一王子は慰めてくれた。領民を大事にしているレイモンドが領民に好かれない男爵夫人を大事にするとは思えなかった。
シャーロットはヒノトと一緒にカミラ夫妻の食堂に来ていた。
「カミラさん、絵本どうだった?」
「シャーリーが書いたんだろう?しっかり読むように皆に伝えたよ。ヒノトの話もわかりやすかった」
「ありがとう」
にっこり笑ったシャーロットにカミラは苺を与えていた。
「どうしてもお貴族様が怖いのがよくわからないんだよ」
「わからないほうがいい。覚えてくれればいい。何かあったらすぐに男爵邸に報告を。シャーリーは貴族が相手だと変身するから」
「男爵様は卒業していいって」
「あの人はな。でもできないだろう」
「殿下の説明書も必要かな・・。男爵様には荷が重い。」
ほんわかとした雰囲気を出し不穏な会話をしているのはよくあることだった。
シャーロットの服を一番多く献上しているのはカミラ夫妻だった。
シャーロットとヒノトが時々遊びに来て、客席で食事をするので二人目当ての客が増えていた。忙しくなるとヒノトが手伝いシャーロットが座って待っている光景に出会えたら運が良かった。
コメリ男爵領でシャーロットはマスコット的扱いを受けていた。
カミラ夫妻の食堂は大人気で人が多い。
アリシアは食堂に入って、椅子に座り憔悴した顔をした。
ただ誰も声を掛けなかった。真っ青で震えるシャーロットを見慣れている領民は多少弱った顔をされても気にしない。
誰も反応しないのに首を傾げた。
「注文は?」
カミラに声を掛けられたので、アリシアは飲み物だけ注文した。アリシアは素っ気なく離れるカミラを見て唇を噛んだ。
ヒノトとシャーロットが籠を持ち扉を開けて入ってきた。
モール公爵家から大量の苺が届いたので、いつものお礼に訪問した。
「珍しい時間に来たね。」
「おすそ分け。お兄様達から。皆の分には足りないから、男爵様が内緒って」
カミラは大粒の高級な苺を見てシャーロットの頭を撫でた。
「今度はいつ来るんだい?」
「明日は午前中に視察」
「男爵様と二人で食事においで」
「うん。男爵様がここの料理美味しいって。男爵様は料理はしなくていいって・・・」
「また時間があるときおいで。教えてあげるよ」
「シャーリー、行こう。暗くなる前に帰る約束」
アリシアが美少年に手を引かれるシャーロットを見て、笑みを浮かべた。
「シャーロット様、ひどい!!」
大きい声をあげたアリシアに視線が集まりシャーロットは固まった。
「私からレイモンド様を奪って。レイモンド様を騙すなんて」
突然泣き叫ぶアリシアにシャーロットは首を傾げた。
「私はレイモンド様だけを。」
「酔っぱらいかい。嬢ちゃん、飲みなさい」
一番に反応したのはカミラだった。
カミラが水を渡したがアリシアは首を横に振った。
「私はレイモンド様と結ばれるはずだったのに、彼女が強引に」
「シャーリー、帰んな。酔っ払いは相手にしなくていいよ」
カミラは弱気な男爵夫人に酔っ払いの相手は荷が重いとシャーロットをそっと背に庇った。
「私はレイモンド様に近づくなって彼女に言われたんです」
「嬢ちゃん、旦那に女を近づけたくないのは当然だよ。まして二人は新婚だ。男爵様に恋しても人のものを奪ってはいけないよ」
「奪ったのはあいつなの。もともと私が婚約者だったのに」
シャーロットは自分を指さすアリシアとカミラの激しい攻防に怯えていた。声を荒げる女性の罵り合いは初めての体験だった。
アリシアの一言でレイモンドの元婚約者の心象は最悪のため食堂の空気が下がった。酔っ払いとカミラの攻防を気にせず食事をしていた客達の視線も集まった。
アリシアの心象が悪くなったのは男爵領でレイモンドに贈られた花を帰りに捨てたのを目撃されてからだった。子供の悪戯でも大事な坊ちゃんへの酷い行為の噂が一気に広がった。その後も払拭されることはなくレイモンドの酷い婚約者の存在は男爵領民の常識になっていた。
「シャーリーに冤罪きせて、第一王子殿下と婚約破棄させて、強引にコメリ男爵との婚姻を整えたのに。自分の婚約者が好きならどうして無理矢理婚姻させたの?」
食堂の隅にいた男が口を挟んだ。
シャーロットは聞き覚えのある声に首を傾げた。
「君達のおかげで僕の予定が狂ったんだけど。シャーリー元気そうでよかったよ」
ローブの男がフードを脱いでシャーロットに近づいた。ロレンス・コノバは留学中の従弟だった。コノバ公爵家の次男だが、実は王弟の実子であり、近々王太子襲名予定である。
シャーロットはアリシアと違い領民に相手にさせられない高位な存在に礼をした。
「殿下、お久しぶりです。お戻りになられたんですね」
頭をさげたシャーロットの頭にロレンスは手を置いて乱暴に髪を撫でて笑った。
「ロレンスでいいよ。慣れない」
頭を上げたシャーロットはにっこり笑った。王族として扱わなくていいというので態度を変えた。
「ロレンス、お帰りなさい」
「ただいま。僕も男爵に挨拶していい?」
「碌なおもてなしもできないけど、気にしないね」
「行くよ」
ロレンスに差し出される手をシャーロットは繋いだ。
シャーロットの幼馴染は第一王子とロレンスである。人見知りのシャーロットも優しい王弟そっくりのロレンスには懐いていた。留学したため同じ学園に通えないのは残念だった。
アリシアがシャーロットを節操無しと罵っていたのでヒノトが丁重に追い出した。
レイモンドはシャーロットの帰りが遅いため迎えに出かけると仲良く手を繋ぎながら歩いているシャーロットとローブの男に顔を顰めた。
「男爵様?急なお仕事ですか?」
レイモンドはシャーロットの明るい声に戸惑いながら頬を掻いた。
「いや、遅いから迎えに」
シャーロットは優しいレイモンドに嬉しくなり、ニコッと笑った。
「遅くなってごめんなさい。カミラさんが明日の視察の時に二人でおいでって」
「うん。わかった。帰ろうか」
レイモンドが手を出すとシャーロットはロレンスの手を離して手を重ねた。レイモンドは嬉しそうに自身の手を取ったシャーロットに笑った。
「男爵様、ロレンスを泊めてもいいですか?ロレンスは外でも眠れるのでおもてなしは特にいらないんですが」
「構わないけど、誰?」
「ロレンス・コノバ。従弟です。今度、第二王子になります」
「シャーリーがお世話になってます。」
ロレンスは軽く会釈をした。
コノバ公爵家は王妃とモール公爵夫人の生家であるがレイモンドは知らなかった。
シャーロットの従弟なら家格が高いのかと考え込んで固まっているレイモンドの手を引っ張っりシャーロット達は帰路についた。
「男爵様帰ろう。ロレンスは殿下みたいに意地悪しないから平気だよ。それにまだ儀式をおえてないから王族の権利は使えない。しがない公爵次男だよ。コノバよりもモールのほうが強いから何があっても大丈夫」
レイモンドにとっては公爵家は雲の上の存在である。
「先触れのありがたみがよくわかった・・・。」
「カミラさんの所で会ったの。留学から帰ったばかり」
呆然と呟くレイモンドの心情を全くわかっていないシャーロットにロレンスが苦笑した。
「シャーリーの周囲には先触れという文化はないから。そのうち父上も来るだろうし、殿下は来た?」
「まだ来ない。また何か企んでるのかな。でも頑張るよ」
「しっかりやりなよ。」
「もちろん」
レイモンドは親しそうに話す二人を静かに眺めていた。王都から離れた田舎の男爵領に貴族が訪問することはほぼなかった。上位貴族の訪問にシャーロットの貴族についての絵本を普及しておいてもらって良かったと現実逃避していた。明日はシャーロットに上位貴族との付き合い方を教えてもらうことを決めた。領民の前にレイモンド自身が一番学ばないといけないとわかった。
男爵邸に帰りロレンスのために客室を用意した。
シャーロットが離れでもいいと言ったがレイモンドは許さなかった。
晩餐が終わり、離れで3人で過ごしていた。
ロレンスはクッションの上に寝転がり、シャーロットはヒノトを膝の上に乗せて撫でていた。レイモンドはシャーロットの隣に座っていた。
「シャーリー、眠いならベッドに」
ころんとクッションに倒れ込み目を擦っているシャーロットにロレンスが苦笑した。
クッションに埋もれてシャーロットが眠るのはいつものことだった。
「眠くない」
「そうだね。なんでもないよ。続きを話そうか」
ロレンスの留学の話を聞きながらしばらくしてシャーロットは眠りについた。
「シャーリーは手が掛かるでしょ?周囲が溺愛していたから・・・。でも安心したよ。僕は礼儀は気にしないから、楽にしていいよ。王子なんて柄じゃない。気にするなら命令してもいいけど」
「最初は戸惑いました。俺なんかに嫁ぐ立場じゃない」
「巡り合わせかな。平民に恋して全てを捨てて飛び出したお姫様もいる。コノバは身分を気にせず、心を優先する。シャーリーはコノバとモールとどっちの血が濃いかわからないけど。もし相応しくないと思うなら頑張ってよ。シャーリーは弱気で寂しがりやで甘えん坊だ。実は馬が怖いから、一人では乗せないで。平気なフリして苦手なことだらけだから。そろそろ休もうか。ミズノ、シャーリーよろしくね」
「はい。おやすみなさいませ」
ロレンスが立ち上がったのでレイモンドはシャーロットを抱き上げ、ベッドに運んだ。
シャーロットにとってロレンスが家族のようなものとわかっていても、少し悔しかった。馬には一人で乗馬させていたので、次は馬車か相乗りしようと思いながらロレンスを追いかけた。ロレンスは一人で客室に戻り休んでいたので声を掛けるのはやめた。
レイモンドは古びた離れに誰も気にしないのが不思議で堪らなかった。
愛犬を連れて来ていいと話せば本邸に引っ越すだろうかと悶々と考えながら眠りについた。




