アズドラドは今日も雨だった
ここはアズドラド国特魔局内の談話室。
この談話室を使う人間は、実はそう多くない。そもそも特魔局に在籍している魔術師は三十人未満。その特異性から掃除や料理その他日常生活を送るためにサポートしてくれるスタッフすら立ち入り禁止なのである。故に特魔局局内には魔術師しかいない。
そして魔術師はその特性としてマイペースな性格をしているものばかりだ。協調性は非常に少なく、驚くほど人目を気にしない。自分の欲望に良くも悪くも忠実。そんなところが精霊から好かれる要因なのかもしれない。
そんな魔術師たちは揃って自分の得意分野の魔術研究に熱心である。よって自分の研究室にこもったままほとんど出てこなかったり、魔術の実践と称してフィールドワークに出たまま戻ってこなかったり、とにかく特権をフル活用して好き勝手過ごしている。
”ロングボウ”フレドリック・タリスマンは暇を持て余していた。
暇すぎてイライラするほどだ。
フレドリックは”ロングボウ”の名前があらわす「長き弓」の通り、超長距離の遠視や狙撃魔法を得意とする魔術師である。
新しい術式を思いついたら即実験してみたいタイプの性格で、まさについ先日新しく理論を思いついたところなのだ。早速試したくてうずうずしている。
そう、すぐにでも試しに行きたいのだ。
ところが生憎の雨である。
しかも雨季のないこのアズドラドで雨が続いている。もう十日以上じめじめじとじと降り続いているのだ。
とっくの昔に雨天時の実験データは取りつくし、晴れ待ちなのである。
「何イラついてんだよ?研究が行き詰まってんのか?」
「あぁ?……なんだ、お前か」
山積みの書類を抱えたノアがいた。
ノアは”勇者”の呼び名の通り、剣技・武術・魔術と何でもござれの上にリーダーシップもあり面倒見が良い。マイペース揃いの特魔局の中で、珍しくもコミュニケーション能力と良識が人並みに備わっているということで、王宮やら神殿やら関係部署との連絡役を押し付けられている。
ノアとフレドリックは魔獣討伐の際にチームを組むことが多く、気心が知れた仲間なのである。
「何なんだよ、この天気は!早く実験したいってのに、こう雨続きじゃどうしようもない」
「なるほどな。でももうしばらく諦めた方がいいと思うぞ」
「……何でだよ?」
「お前、いくらなんでもこの天気はおかしいと思わないのか?」
「おかしいとは思ってるよ。突然雨季になったわけでもあるまいし、こんなに雨が続くか?」
「だろ。そういうことだよ。思い当たることがあるはずだ」
「まさか、次長か!」
「その通り。あれはしばらくかかるぞ」
「勘弁してくれよ……」
特魔局次長であるシン・アズドラド・タリスマン。
籍を抜き王位継承権を永久放棄したとはいえ、その出自は現国王の弟である。
光に煌めくはちみつ色の柔らかそうな髪が白皙の美貌を彩り、新緑の瞳がよく合っている。程よく鍛えられた長身で、その佇まいはまるで神話から抜け出した神のよう。
魔力量、技術、どれをとっても歴代ナンバーワンの名を欲しいままにし、理論上は可能でも実践不可能と言われる魔術を息をするように自然に使いこなす。
神がもし実在するとすれば、シンにのみ依怙贔屓しまくったとしか思えないような男である。
魔術師はその魔力の強さに比例して、たまに困ったことを引き起こす。
今回がいい例だ。
魔術師は平常心を保てる訓練を積んでいる。例えば怒りの感情により魔力制御が不十分になると、放電したり雷が落ちたり火柱が上がったり竜巻が出現したりと、人災を通り越して天災を引き起こす。魔力量がショボければ従えられる精霊もたかが知れているので大したことにはならない。住宅地一区画ほどが被害にあう程度である。
ところが全てが規格外のシンだと大問題になる。
王都どころか国の半分以上が被害範囲に入ってしまうのだ。
もちろんシンのことであるから通常であれば制御できる。
ごくごく稀に無意識に感情が漏れだし、その感情に精霊が呼応してしまうことが問題なのである。
今のところ例外的に無意識に精霊を呼応させてしまう件で、「エマ・タリスマンに関する場合が非常に多い」との何の検証もされていない曖昧且つ大雑把な共通認識が魔術師仲間の内で持たれているレベルだ。
「今回の原因は何なんだよ?『豪剣』の命日は鬱陶しいくらいの曇り空ってのはすっかり定着したが、あれは鬱陶しいだけでどうってことないだろ。次長が何かやらかしたのか?」
「やらかしてはいない……はずだ」
「じゃあ何なんだ」
「俺もはっきりと知っているわけではないんだが」
エマはその日、幸せを噛み締めていた。
談話室のテーブルの上に王都の有名店で買い集めたアップルパイの箱が所狭しと並べられている。比喩表現ではなく、本当に場所が足りなくて山積みだ。
エマの研究室の机の上は散らかり過ぎていてパイの箱を置けなかったので、こうして談話室で頂くことにしたのである。
「さーて、どれから行こうかな~まずは基本のタイプからだよねー」
いそいそと箱を開け、大皿に移しかえるとホールケーキに早速ナイフを入れる。バターの香りと、パイがたてるザクザクという音をしばし堪能した後、ぱくりと頬張った。甘酸っぱい林檎のフィリングが口の中で絶妙に広がる。
「あら、エマじゃないの。久しぶりね」
「あ、ふぇひぃふぁーふぁん、おひぃふぁひぃふりぃふぇふ」
「……さっぱり分からないわ。しかもあなた、口から何か欠片が大量に出てきたわよ。せめて飲み込んでから話なさい」
「ふぁーい、もぐもぐ…………」
「相変わらずね」
「…………ごくん。失礼しましたジェニファーさん!お久しぶりです」
彼女は『愛欲の魔女』ジェニファー・タリスマン。肉感的な美女である。本人曰く「愛の伝道師」として各地を放浪しているので特魔局にいるのはかなり珍しい。
「今日は定期報告で戻ってきたのよ。わざわざ顔を見せて報告しないといけないなんて、まったく面倒くさいったらありゃしないわね」
「外回りが多い方はそうかもしれませんね。ほら、私はだいたいここにいるので。あ、でも、王都の美味しいもの食べ尽くしたら私も王国内津々浦々美味しいもの発掘の旅に出ようかな~」
「それはいいわ。是非旅に出るべきよ。こんなところにこもってたんじゃ素敵な恋なんてみつからないわ」
「ですよねー。わかります」
「あなた、今恋人はいないの?そろそろ前を向いてもいいんじゃないかと、私はそう思うのだけれど」
「実は、ちょっとだけいいなーと思っている人がいるんですよ」
「あらあら、あなたも隅に置けないじゃないの!お相手はどんな男なの?」
「えーっとですね、美味しいものを発掘する同志の会みたいなものがあるんですけど、そこで知り合った人なんです。実はこのアップルパイも二人でお店巡りして買ってきたんですよ」
「共通の趣味みたいなものがあると話も合うし、いいわよね。他には?」
「十歳近く年上みたいなんです。身長が高くてがっちりしていて、性格も穏やかな感じで、頼りがいがあると思います」
「いいじゃないの、いいじゃないの!どんどん攻めなさい!花の季節は短いのよ!」
「そうでしょうか……。……そうですよね!」
「そうよ!このまま勢いに任せて告白しちゃいなさい!女は度胸よ!あわよくば押し倒して既成事実を作っておしまいなさい」
「こ、こくはく…………?押し倒す…………?」
第三者の声に振り返ると、シンがいた。
「あ、次長」
「あらぁ、シンじゃないの。…………どうしたの、顔色悪いわよ」
「エマ、さっきの話は……」
「さっきの話?って言うと??」
「エマがこ、こくはく」
「あぁ、シン、喜びなさいよ。エマがようやく恋に前向きになったのよ。思い立ったが吉日って言うでしょ。エマに、そのお相手の男に気持ちを伝えるべきだって言っていた所なの」
「……ほ、本当なのかい…………?」
「ですね。ちょっとだけ勇気を出して頑張ってみようかと思います。一緒にいて楽しいし。結婚を前提に、とかじゃなくて、もっと軽い感じのお付き合いからでもはじめられれば……」
『がびーーーん』と擬音でも付きそうな勢いで見事にシンが固まった。青くなった顔色はみるみるうちに白く変化していく。
「あの、次長?どうしました?」
「え、エマが。こくはく。おつきあい。けっこん。こくはく。けっこん。こくはく…………」
がーーーん。がーーん。がーん。
シンは顔面蒼白のまま、覚束ない足取りでふらふらと立ち去った。
「………………次長、なんかおかしくなかったです?」
「いつものことじゃない」
「……それもそうですね」
「前から聞きたかったんだけど、あなた、シンのことはどう思ってるの?」
「へ?それはどういった意味で」
「シンがあなたに特別構っているのに気づいていないとは言わせないわよ。あんなんだけど、優良品には違いないでしょ。恋愛的にどうなの、っていう意味よ」
「ええー…………。うーん……。私が次長を恋愛的に好きになる可能性としては……」
「としては?」
「……ゼロではないですが、限りなくゼロに近いです」
「あらまあ。理由は?」
「友人とか上司としては困った人ではありますが、付き合っていけます。でも彼氏とか旦那様としては、現状で私の中ではアレはないです」
「あははははっ、エマにかかると大陸一の色男も形無しねぇ。ないの?」
「ないです。私の理想はものすごーく高いので!もっと次長がいいオトコになったら考えます!……ってさすがに偉そう過ぎですね」
「ふふふ、いいんじゃないの?その調子よ。自信がありすぎるのは良くないけど、自分を卑下する必要はないわ。男なんて振り回すくらいで丁度いいの」
「私、いい女になれますかね」
「日々精進よ」
「がんばりますー」
「……というわけらしい」
「はぁ?それだけ?」
「それだけだ」
まったく勘弁してくれよ、とフレドリックは心中でぼやいた。
たかだかそんな事くらいで魔力制御が疎かになるほど落ち込むとかありえねぇ。
どんな不利な状況だって涼しい顔してひっくり返して、悠々と高笑いしているような鋼の精神の持ち主に限って、なにその女々しさ。
「冗談きついぜ」
「冗談だったらいいんだけどな。こう長引くとは予想外で、長雨のせいで農作物にも影響が出始めているらしい。国王サイドからそろそろどうにかしろと泣きつかれた。放っておいたらもうしばらくかかるだろうな」
ノアは恨めしげな顔で抱えていた書類に目を落とした。
フレドリックが今までの経験から推測するに、おそらくそれは国王や神殿から正式な書類で訴えられたということなのであろう。国家権力から独立している特魔局側としても、さすがに無下にはできない。こんな時にとばっちりを食うのはほとんどの場合においてノアなのである。
「……お前も苦労するよな」
「そう思うなら代わってくれ」
「断る」
じとりと横目で睨まれた。
睨まれたって嫌なものは嫌なのだ。
代わりたくはないが、研究の続きを早くしたい。
「仕方ねぇな、つきあってやるよ。これからエマのところに行くんだろ」
「だな。あれから何か動きがあったか確認しよう」
エマは自分の研究室でまったりとしていた。特に急ぎの仕事がなかったため、遺跡から出土した美術品の修復作業をぼちぼち進めていたらしい。
まったく呑気なものだぜ、とノアとフレドリックが思ったのも仕方ない。お前の不用意な一言で雨が止まないんだけどな。お前のせいじゃないけどな。
二人の問いかけにエマはキョトンとしている。
どうやら研究室に籠りきりで、天候について気づいてもいなかったようだ。
「彼氏?いないけど?何か?」
「いないのかよ!」
「えっ、なにその態度。感じわるーい。私に彼氏がいないと何か問題でもあるっていうの?」
「いやむしろ、いなくて助かった」
どっちなのよ、とエマは口を尖らせてぶつぶつ言っている。
一方でノアとフレドリックはほっと胸を撫で下ろした。
ここでエマに彼氏でもできていたら更に面倒なことになるところだった。
「好きなやつ?出来たって聞いたんだが。告白しなかったのか?」
「どこからそんな情報仕入れたのよ。あんたらストーカー?好きな人っていうか、ちょっといいなーって思ったっていうか……」
「モジモジしてんじゃねぇよ。乙女か」
「乙女よ!失礼しちゃうわね!」
「で、どうだったんだよ」
ノアの問いかけにエマはがっくりと肩を落とした。
「奥さんがいたの」
「え?そいつ結婚してたの?」
「そう!奥さんがいて、子どももいたの!だってしょうがないじゃない、知らなかったんだもん」
「はぁ」
「こないだ有名店のアップルパイを食べ比べするためのお店巡りに付き合ってもらってたんだけど、どうやらそれがどこからか奥さんの耳に入ってたみたいで。今後二人きりで出掛けたりすることはできないって言われたの」
「ほぅ」
「奥さんの気持ちは理解できる。私だって旦那様が自分より十歳以上年下の女の子と、端からみたらデートまがいのことをしてるとか知っちゃったらムッとするわ」
あーあ、と肩を落としてエマは「いい男は売り切れるのも早いから仕方ないか」と乾いた笑みを浮かべた。
よし、とフレドリックはエマの肩を叩いた。
「そうかそうか!」
「……なんか人の不幸を喜んでない?!」
「不幸ってほどの不幸でもないだろ。ちょっとばかり運が悪かっただけだ。な、ノアもそう思うだろ?」
「こればっかりは仕方ないんじゃないのか?よし、エマ、出かけるぞ!」
「どこに?なんで?」
「こんな時は美味いもんたくさん食べて飲んで、ぱーっと楽しむに限るだろ」
たくさん飲み食いする、と聞いてエマは満面の笑みを浮かべた。
明らかにテンションがうなぎ登りしている。
「えっ?食べるの?飲むの?もちろん二人のおごりなんでしょ??」
「もちろんだ!……と言いたい所だが、もう一人誘うぞ」
「よし、飲み物は持ったか?……じゃあ、アズドラドの夜にかんぱーい!!」
「乾杯~!」
各々手にしたキンキンに冷えたジョッキのビールをごくごくと飲み干した。
ぷはぁ、と一息ついたエマは早速並んだ料理をギラギラとした眼差しで物色している。
「ぷはぁ、ってなんだよ。女らしさの欠片もねぇなぁ。だからフラレるんだよ」
「はぁ?!それとこれとは何の関係もありませんー」
「いやいや、今日もなんか親密過ぎやしないかい?ノア、エマの方を見るの禁止。エマはノアが話しかけてきても返事しなくていいからね!」
「(……あいかわらず面倒くさい……)」
食事会のメンバーはエマ、ノア、フレドリック、そしてシンである。
シンのご機嫌はすっかり浮上しているようだが、十日以上の不摂生が祟ったのか頬はげっそりとこけ疲れがにじんでいる。そんな様子もかえってオトコの色気を増していて、なんだか狡いとフレドリックは思うのであった。
やつれてもモテモテとか嫌味かよ?!と突っ込むのは心の中だけにしておく。さらに面倒くさいことになりそうなので。
シンは甲斐甲斐しくエマに料理を取り分けてやっている。
ちなみに取り分けるのはエマの分だけ。自分はツマミも口にせず、酒を優雅に飲んでいる。
清々しいほどに分かりやすい。
たまにフォークに刺した料理をエマの口元に運んでは、エマから本気で拒絶されて凹んでいるようだ。
エマは幸せそうに料理を頬張ってはもぐもぐと咀嚼している。
シンはそんなエマを穏やかな表情でじっと見つめている。
二人から見えないテーブルの下で、ノアとフレドリックの二人はぐっと親指を立てた。
これでしばらくアズドラドの気候は安定が約束されたも同然だ。
ノアはシンの手綱を見事にとったとされて、王宮や神殿からの評価がさらに上がる。
フレドリックも明日からようやく新しい魔術の実験に向かえる。
二人はカチンとグラスを合わせてニヤリと目配せをした。
そんなアズドラドの夜空には雲ひとつなく満天の星。
「………うわー」
シンに割り当てられた個室の前にやってきたノアとフレドリックとエマは、それまで見知っていた風景とあまりにも差がある光景にドン引いていた。
扉につづく廊下は湿っていてびちょびちょしていてムシムシジメジメで不快である。熱帯地方でしか見かけないような植物が生えて、その根本にはキノコがびっしり。カエルもいる。ナメクジも這っている。
「私帰ってもいいかな……」
エマが踵をかえそうとすると、すかさずノアに腕を捕まれた。
「お前が帰るなら今日の飲み会は無しだ!」
「そんなぁ」
「仕方ないだろ。ほら、見てみろ」
ノアに促されてフレドリックを見ると、シンの部屋のドアノブに手を伸ばして、結界にバチリと拒まれたところだった。はぁ、とため息を押し殺してエマがそのノブに触れると、あっさりと扉が開いた。
フレドリックは「何なんだよ!」と憤慨している。それなりに痛かったらしい。
そっと室内を覗いてみる。
隙間からもわぁっと黒い霧状の何かが漏れだしてきて、三人はまた引いた。ヤだなぁ、と顔に書いてあるエマはそれでも食べ放題のご飯の誘惑に負けて、室内に頭を突っ込んで声をかけた。
「次長~エマですけど~!」
返事がない。しかし中にいる気配はする。ここで頑張らなければただ飯にありつけない。
「次長~!ご飯に一緒に行きましょー!」
「私というオトコを捨てて結婚して人妻になったエマが一体何の用だい……?」
どんよりと暗いシンの声がした。しかも聞き捨てならない内容を含んでいた。シンを捨てるもなにも拾った覚えもなければ、結婚もしていない。
シンの脳内妄想劇場はまだ続いていた。
「人妻になったというのに、他の男を食事に誘う……。はっ、もしやエマには不倫願望が……?!不倫はいけない、いやしかしエマがそれを望むのならば私は」
面倒くさいことになりそうな空気を察したノアは声を張り上げてシンの一人言をぶったぎった。
「エマはフラれたみたいですよ!綺麗さっぱりふっ切るために、次長に慰めて欲しいらしいですよ!」
「(えっ私フラれてないし!諦めただけだし!いい加減なこと言わないでくれる?!)」
「(いいから俺に合わせとけって!ほら、エマからももう一押ししろよ)」
「(ええ~しょうがないなぁ)私、やっぱり(食事をおごってくれる)次長がいてくれないと駄目みたいですぅ。次長と一緒に美味しいご飯を食べたいです!」
それを聞いたフレドリックは遠い目になった。シン・アズドラド・タリスマンを食事をする際の財布代わりにできる猛者はこの失礼な女くらいだ。
シンのおずおずとした声が聞こえる。
「でもエマはこくはく……結婚……」
「告白してませんよ!彼氏もいませんよ!当然結婚なんて論外です。次長と一緒にご飯を食べに行きたいだけなのに…………駄目ですか?」
「駄目じゃない!」
シンが飛び出してきた。髪は乱れて心なしかやつれている。その勢いのままエマに詰め寄る。
「告白したというのは?」
「してませんよ。次長の勘違いです」
「好きな男は?」
「好きっていうか。もう忘れちゃいました。それより次長、早くご飯に行きましょう」
「それがエマの望みなら」
シンの気分が上向いてきたらしい。黒い霧は霧散してバラ園のような芳香がしてきた。フレドリックが廊下を覗くと謎の熱帯植物は消え失せて色とりどりの花園が出現している。
シンがエマの指先に口づけを落とそうとしたところで、エマはいい笑顔で言い放った。
「よし、じゃあ早速出発しましょう!ノア、フレドリック、行くぞー!」
「え、二人きりじゃ」
「四人で楽しく、ぱーっと飲んじゃいましょう!…………駄目ですか?」
「だ、駄目じゃない……」
シンはがくりと肩を落とした。
フレドリックはさすがにちょっとだけシンが可哀想になった。
ノアは「次長チョロすぎる」と呆れた。
エマはウキウキとシンの手を引いてシンの部屋を後にした。