第八話 エラー
ベッドに横たわる老婆の手を、フォリンは黙って握っていた。まだ温もりがあるものの、生命力を感じることができないその手からは、死の香りが漂っている。先日のゼクト・シュタインのようにいつの間にか命の灯火が消えてしまうのは、いくら墓守の少女とて嫌だった。彼女は多くの人間の死を知ってはいるが、死を恐れない者などでは決してない。
「……フォリン」
「ん。なぁに、パトリシアばーちゃん」
かすれた声がする。それに、フォリンのみずみずしい声が答える。老婆はすっかり落ちくぼんだ目を未来ある少女へ向けた。
「そろそろ、杜人の姉妹が帰るんじゃ無いかね」
「うん。もう夕方だからね」
この老婆にとって、マルクとミリアは”姉妹”だった。マルクに最初に出会った時、淑やかな娘のように見えたというのが老婆の弁だ。杜人にはそもそも性別が存在しないから、人間が彼らを男女どちらとして扱おうとも異論が唱えられることは無い。仮の性別というのも、あくまでも人間本位の我が儘でしかないのだ。
「見送りに行っておいで。お客様だろう」
「ちゃんと行くよ。ばーちゃんが寝るの見てからね」
ぎゅう、と。フォリンの手を握る力が強くなる。だが、この老婆はフォリンの心情を察しながらもそれを良しとしなかった。
「私は大丈夫だから。行っておいで、ほら」
老婆は死に逝くばかりの自分よりも、これからを生きていくヒトの関わりを大切にして欲しかったのだ。彼女はその全てを直接的な言葉で語らないが、少女にはその真意が伝わっていた。フォリンはゆっくりと老婆の手を離し、ベッドからも離れていく。
「……また明日ね、ばーちゃん」
少女の別れの言葉に、老婆は微笑みだけを返す。返事は、とうとう聞くことができなかった。
◆
夕暮れ色に染まる王都の石畳の上で動くのは、三つの人影。フォリンとミリアが並んで歩き、その後ろにマルクがついて行く。フォリンの背丈はミリアよりも少し低く、髪もまた短い。この前王都に来た際にミリアが異様に短く切ってしまってから、ようやく肩に届く位まで伸びたのだ。
朽ちかけた門の前で、三人は足を止めた。マルクもフォリンの隣に並び、彼女に向き直る。微妙に違うシルエットが、少女の前に並んだ。
「じゃあ、私達はこれで」
「うん、二人とも気をつけて」
「貴女もね、フォリンちゃん。兄さんの獣避け、ちゃんと付けていくのよ」
「わかってるって、大丈夫」
ミリアの言葉に、フォリンは笑顔で返した。マルクもまた微笑みを浮かべ、二人の様子を見守っている。そんな穏やかな空気が流れている中、マルクはある異変に気が付いた。視界の端――門の頂点部分が、不穏な音を立てながら発光していたのである。
「――二人共、門から離れろ!」
「へ?」
マルクが声を上げたのとほぼ同時に、門の外縁部が一際大きな音を立てながら雷鳴のような光を放った。バチバチとした鋭い光が、辺りに弾け、飛び回る。縦横無尽に駆け回る光を見て、フォリンの頭に嫌な単語が浮かんだ。
「……エラー?」