第十六話 静かな朝
忙しない足音が、マルクの耳に届いた。それと同時に、胸元を鈍痛が襲う。その苦しさに、思わず呻いた。
「ん……」
「――兄さんっ?」
足音が近付いて、やがて止まる。先程の忙しない足音の主は、彼の妹のミリアだった。
「あれから……どのくらい経った?」
「えーと……アイギスが起動してから、十六時間とちょっとくらいよ」
昨日の騒動から、既に半日以上が経っていた。一夜明けた王都は何事も無かったかのように静かな朝を迎えていて、昨日の妖精達が夢や幻のようにすら思わせてしまう。そんな中、マルクが胸に感じる痛みがそれらを現実だと知らしめていた。
ミリアはマルクが横たわっているベッドの横に膝をつくと、彼の胸元に手を伸ばす。
「待ってて、痛み止めを用意するから」
「あぁ……ありがとう」
言いながら、ミリアは予めベッド脇に用意していた薬を手に取った。容器に収められた塗り薬と、小さな球状の飲み薬だ。
果たして、その薬の出所はどこか。この王都には、病院も無ければ薬屋もない。当然医者もおらず、法術をもってして傷を癒す救命師もいない。そんな王都で暮らす人間の為に、マルクは様々な傷や病に効く薬を集め、小さな箱に詰め込んだ。彼が人間の為に用意した薬が、彼自身を助けたのだ。
服をはだけさせると、マルクの白い肌に痛々しい痣ができている様がミリアの視界に広がった。胸に薬を塗るミリアの手を見つめながら、マルクが呟く。
「……薬、」
「ん?」
「また、補充しないといけないな……」
心配そうな表情で呟くマルクに、ミリアは肩を竦めた。飲み薬の準備をしながら、彼女は溜め息を吐く。
「んもー! そういう心配してる場合じゃないでしょ! ほら、飲んだ飲んだ!」
ずい、と突き出される水と薬。マルクはそれを黙って受け取ると、小さな丸薬を水で腹の中へと流し込む。ミリアはマルクから水の入っていたコップを受け取ると、自分より少し華奢な印象を受ける手を優しく握った。
「無理しないで、寝てて。兄さんの場合、怪我は自然に治るのを待つしかないんだから」
「……あぁ。大人しくしている」
心配そうな表情を浮かべるミリア。憂いと悩ましさを帯びたその表情は、彼女を淑やかな女性のように見せていた。ここまで普段と異なる印象を受けるのも、マルクへのミリアの感情あってのことだろう。
「ところで……フォリンと妖精王は?」
「フォリンちゃんは王都の見回り。妖精王はまだメンテナンス中みたい」
マルクを此処に寝かせた後、フォリンは灯りの乏しい王都中を駆けずり回った。老人達は恐らく妖精の攻撃は受けないだろうとはいえ、彼らの生活と命を繋ぎとめているシステムを担うのは妖精なのだ。以前より素直ではなくなったとはいえ人間の生命の維持という役割は放棄しなかったのは、妖精に求められた根本の役割がそこにあったからに他ならない。とはいえ、妖精そのものが機能していない今、造りモノではない天然のヒトが彼らの面倒を見ざるを得ないのである。
「そもそも応答すらしない妖精もいるみたいだから、それで手間取ってるみたいよ」
街灯を管理しているはずの妖精も、その一種だろう。呼びかけに応じないというのは、妖精にはあるまじき状態なのだ。それを含めてグリムは修復を試みていているものの中々上手くいかず、頭を悩ませているのだという。




