エピローグ
「はー……サイアク……。十日間の公演が全部タダ働きだなんて。前金でもらっとけばよかったわ……」
抜け道から屋敷へ進入していたリカードが堂々と正面から出なければならないミーシャとクロードのふたりと玄関近くで別れ、再び抜け道から宿へと戻って待つこと丸1日と半分が経っていた。
ふたりは屋敷を取り巻いていたファンの中に潜んでいたクリゾリートに保護を求め、待機していた警官隊が踏み込んで双子をはじめとする構成員を軒並み――リカード同様に抜け道から脱走した奴が少なからずいるが――捕らえられた。
ようやく事情聴取から解放されて戻ってきたミーシャはベッドに倒れ込んだきり、ゴロゴロしてはいつまでもぶつぶつと文句を繰り返している。
「命があっただけでもありがたいと思え」
クロードはそのまま自首し、現在も拘留されている。
人身売買の仲介や孤児院放火の他にも余罪は多々あるので暫くは出所することはできないだろうが、顧問として持っている情報各種を司法取引に使って可能な限り刑期の短縮を謀る心積もりのようだ。
そのうちのひとつである首領から持ち逃げした血判状の本当の隠し場所だが――現在警官隊が確認にあたっている――ナポリにある銀行の貸金庫だ。しかもその鍵はパレルモの銀行の貸金庫、さらにその鍵がエトナ村の銀行に保管されている。
「いつ報復されるとも知れない」
「私は逃げ隠れなんかしないわよ。狙われてるなら怯えて逃げ隠れするよりも返り討ちにして牢に放り込んでやったほうがよほど安全じゃない」
姿を隠している首領やヴァランタンはもちろん、屋敷のあちこちにある抜け道から逃げた構成員――報復の危険は掃いて捨てるほどある。今回の一件にしても、相手がせいぜい親の威光を笠に着た小物で、しかも後継者争いのために互いに足を引っ張り合ったが故の、幸運に恵まれた生還に過ぎないという自覚がないのだ。
「それに、あなたがちゃんと護衛するんでしょ?」
(助けに行ったら何しにきたとか言ったくせに)
わずかに眉を寄せると、ベッドの上でゴロゴロしていたミーシャはリカードの心の声が聞こえたかのようにぴたりと動きを止めた。
「今はあなた再契約中だからね、解雇中と一緒にしないでよ」
「…………無報酬でな」
「無償じゃないわ、給金を全額孤児院の修繕費に充てるだけ。火事の修繕費を購うだけで目を瞑ってあげるって言ってるんだから寛容じゃないの」
ようやくむくりと起き上がったミーシャが刺すような眼で睨んでくるので、リカードもため息一つこぼして睨み返す。
「……クロードに請求しろ」
「実行犯はあなたでしょ?」
「主犯はクロードだ!」
(付き合ってられん……!)
ぷいと体ごと向きを変え、荷物を抱えようと手を伸ばしたところで、不意にクロードの言葉が蘇って手を止める。
――ミーシャを、頼みましたよ。
それはもう、さながら神の下僕たらん優しく穏やかな笑顔で。
――傷ひとつ、虫一匹でもついたら容赦しませんから。あぁ、もちろん黒猫も同様です。
誰が!と怒鳴る気が起きないほど凍てつく空気を思いだすだけで今もぞっとする。
(……くっそ……!)
悔しいが、クロードには昔から逆らえないのだ。それはまるで本能に刻まれているかと思うほど自然に、なおかつ絶対的に。
もしかしたら洗脳されてるのかもしれない。
(……有り得る!あいつなら!!)
その可能性を思いついてしまったリカードは強く拳を握った。
しかしこれ以上ないほどに背筋が凍えたが故に本能的に考えることを忌避したリカードはさりげなく自分の背中をさすりながらミーシャを振り返り見る。
「おまえ、あいつの本性知らないだろ……」
ミーシャには一生その本性を隠し、聖人ぶる気だろうか?
あの笑顔であの殺意を醸し出せるあいつが、人類で最も聖人に程遠い人間だとリカードは思うのだが。
「お前が信じてるほど善人じゃないぞ、あいつ」
それに、一家の全容を把握し首領の信頼も厚く、顧問を任されていたくせに利己的な理由のためにその情報を量り売りしようというのだ。それで日の下に出てきたとして、改心だの信心だのと嘯くだけでも厚顔甚だしい。それでどこのどんな神に仕えるつもりなのか。
「人はみんな善と悪の葛藤の間で生きてるのよ?」
「……それ、クロードの受け売りだろ?」
「それが何よ?」
ミーシャは腕組みで仰け反って堂々と言い放つ。
(頭も口もくるくるとよくまわるくせに、なんで気づかないんだよ!)
言葉が口から出せなくて、やっぱり洗脳されてるんじゃないかと不安になる。
(まさかミーシャの盲信も……?)
はたと浮かんだ疑問。
(なんとかクロードの魔手からこいつを――って、なんで俺がこいつの心配しなきゃならないんだ?)
さらに浮かんだ疑問にも答えはでないが。
かくして聖なる舞姫と黒猫笛吹の公演は、各地で大好評を博すことになる――。
~Fin~




