第81話 論功行賞と七本槍の喧伝
天正11年(1583年)5月上旬 近江・安土城 羽柴源一郎秀成
かつて織田信長が天下布武の象徴として築いた安土城は、初夏の温かい風に包まれ、若葉の香りが漂っていた。
しかし、その穏やかな季節の訪れとは裏腹に、城内の御殿に満ちる空気は、鋭い緊張感に支配されていた。
広間の中央、上段の間にどっかと腰を下ろしているのは、羽柴筑前守秀吉。
その傍らには、羽柴秀長、私、軍師・黒田官兵衛、堀秀政が控えていた。
黒田官兵衛がぼっそと口にした。
「……信孝様、ついに自害なされましたか」
賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が滅んだ後、美濃・岐阜城に立て籠もっていた織田信孝は、別働隊として美濃へ向かった羽柴軍と、尾張の信雄の軍に包囲され、降伏を余儀なくされた。
信孝は尾張の野間・大御堂寺へと送られ、そこで信雄から切腹を命じられた。
享年二十六。
その最期は、自らの腹を切り裂き、内臓を掴み出して天井に投げつけたという凄絶なものであったと伝わる。
「跡目を争う兄弟がいたままでは、混乱が続くだけよ。ここらで、どちらかに退場いただく必要があった」
「信雄殿に『排除するのは今においてない』と囁いたかもしれんが、切腹を命じたのは信雄殿よ」
「これで、織田の血を引く者同士が潰し合った形になった。わしの手は汚れておらん……」
秀吉は、手元の扇子を膝に叩きつけ、低く笑った。
信孝の切腹に留まらず、秀吉は人質であった信孝の母・坂氏と、その幼い娘までもを磔刑に処した。
これは、自分に抗う者には、たとえ信長公の血縁であろうとも容赦はせぬという、天下への強い示威であった。
秀長が静かに言う。
「そうですな。あのお二人がそのままでは天下は落ち着きません」
「残った方が三介殿(信雄)というのも、こちらにとって好都合」
「何をなさるかわからんのが怖いところですが」
官兵衛がそう言って低く笑うと、秀吉もつられて笑った。
「ふふっ、そう言うな官兵衛。あの御方なりの考えがあってのことだ。まぁ悉く上手くいかないのだがな」
堀秀政が少し明るい口調で言った。
「伊勢の滝川殿も踏ん張ってはおりますが、もう限界でしょうな」
官兵衛が答える。
「柴田殿も信孝殿もいなくなってしまえば、何のために戦っているのやら」
「筑前守様、いかがいたしますか。このまますり潰すか、滝川殿の能力を買うか」
秀吉が顎をさすりながら、しばらく考え答えを出した。
「すり潰すには、惜しい男ではある」
「それに、織田家の重臣のうち明智、柴田は消え、丹羽、池田は羽柴についた。滝川を味方につけることで、織田の主が誰かを誇示できる...」
「降伏を勧告せよ。気が変わらんうちに決めよとな」
「ははっ」
官兵衛が頭を下げた。
羽柴源一郎秀成
秀吉は、地図の上に視線を落とした。
「さて、本題だ」
「北陸の地、そして美濃、伊勢。誰に与え、誰に守らせるべきか」
これから、賤ヶ岳の戦いの論功行賞について話し合おうとしていた。
注目すべきは、秀吉が織田当主・三法師や、名代である織田信雄の裁可を仰がず、自らが国替と加増を決定し、それを実行しようとしている点であった。
これは事実上、羽柴の織田家からの独立宣言に他ならない。
秀吉が、父の方を見て、
「わしの考えを述べる。疑問や誤りがあれば述べてくれ」
そう言って、再び地図に目を落とした。
「まずは丹羽殿。旧領の若狭に加え、越前一国と加賀の南半国を任せる。北ノ庄へ入ってもらう」
丹羽長秀は、賤ヶ岳での積極的な参戦を高く評価され、百二十万石を超える大領を得た。
しかし、それは秀吉の臣下として、組織の一員として組み込まれることを意味していた。
座にいる者全員が、首を縦に振った。
特に異論はない。
「又左(前田利家)には能登に加え、佐久間盛政の旧領(加賀の北部)をくれてやる。金沢に入り、羽柴の北の盾となってもらう」
前田利家は、賤ヶ岳の戦いにおける羽柴軍勝利の立役者でもある。
あの裏切りがなくても、史実とは違って十分勝てていたとは思うが、あのタイミングで兵を引いたことで、流れが一気に傾いたのは事実。
お市の方を保護するという功も立てているので、これくらいの恩賞があってもおかしくはない。
しかも、一度裏切った身だ、再度裏切るということはできないだろう。そんなことをすれば、戦国大名として信用は失墜する。利家の性分として、それはできないだろう。
北の抑えとして、ある程度は信頼できる。
これについても、異論はないようだ。
秀吉が続けて言う。
「信雄殿には北伊勢を加増、蒲生氏郷には亀山を加増。中川殿と高山殿には加増せず銀で恩賞を取らす」
信雄は、柴田と信孝を刈り取った功労者でもある。
美濃を与えない代わりに、ゆかりのある北伊勢を加増するのは妥当だろう。
しかし、与えたところで、そもそも羽柴に頭を下げるつもりはなく、全く懐柔にはならないのだが。
蒲生の地盤は、安土の南東にある日野だ。そこから鈴鹿山脈を越えると北伊勢の亀山に出る。
氏郷は、滝川一益の蜂起に最前列で対応し、支城を確実に落としていった。
今も長島で滝川勢を包囲しており、これらの功績への褒美としては順当だ。
中川清秀と高山右近は、羽柴の家臣というよりも織田家時代からの協力大名という関係。
山崎の合戦からずっと協力してくれてはいるが、家臣ではない。
加増でもして力を蓄えられるのは避けたいということだろう。
誰も意見は言わなかった。
すると、秀吉が懐から一枚の書状を取り出し、不敵な笑みを浮かべた。
「此度の戦さで、特に目覚ましい活躍をした武者たちだ」
「中川清秀、福島正則、加藤清正、加藤嘉明、脇坂安治、糟屋武則、平野長泰」
官兵衛が顎をさすりながら、口角を上げて答えた。
「筑前様の子飼い、馬廻りの者達ですな。中川殿は異色ですが...」
「なるほど。この戦さで、殿の身内や側近の活躍を広く喧伝しようということですか」
「その通りよ」
秀吉はニヤリと笑っていう。
「民も商人も公家、僧侶らも、分かりやすい物語に飢えておる。正則や清正ら、我が子飼いの若衆が獅子奮迅の働きをし、そこに中川のような重鎮が花を添える。これを『七本槍』として喧伝すれば、世の者は『羽柴の勢いは止められぬ』と錯覚しよう」
秀吉の狙いに気づいた父も話に参加する。
「それと、羽柴の直臣らを加増、出世させる口実を作る必要もありますな」
「よくわかっておる。さすが小一郎よ」
「いつ裏切るか分からん者ばかりを加増させるのも、問題じゃろうて」
秀吉は、そう言うとふっふっふと笑った。
史実では中川清秀は賤ヶ岳の序盤で戦死する運命だった。
しかし、私が「山路殿を使った埋伏の毒」を仕込んだ結果、清秀は死地を脱し、その剛勇を戦場に轟かせた。
秀吉は、それを、最大限に利用するつもりなのだ。
「……武勇の喧伝という名の、政治工作ですね」
私は、ぼそっと呟いた。
それを聞いた秀吉の目が細くなり、私の顔を見つめて言った。
「源一郎、そのとおりだ。特に清秀は、三好とも凌ぎを削った歴戦の荒武者だ。それが今は羽柴のために槍を振るう。そんな中川が七本槍に加われば、信憑性も増すというものよ」
「彼奴ならわしの魂胆を見抜くだろうが、そこは、銀を大盤振る舞いして恩賞を与え、吹聴させる」
秀吉は、低い笑い声を上げ、
「官兵衛、この話を大々的に喧伝せよ。近江、京、摂津を中心に流せば、あとは自然と広まろう」
私はその様子を見ながら思った。
(七本槍から片桐且元が外され、中川清秀が組み込まれた)
(小さなことだが、ここでも歴史が変わった)
(摂津の古参大名が世代交代せずに残ったことが、今後にどう影響するのだろうか...)
<続く>
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
稚拙な部分があるかもしれませんが、日々推敲しながら加筆修正していっています。
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