間話 茶々の揺れる心
4章に突入するはずでしたが、賤ヶ岳前の一コマとして、お付き合いください。
天正11年(1583年)2月 (賤ヶ岳の戦いの2ヶ月前) 茶々
北国の冬は深く、柴田勝家の本拠・北ノ庄城は厚い雪に閉ざされていた。
織田家筆頭家老としての矜持を胸に、勝家が宿敵・羽柴秀吉との決戦に向けて牙を研ぐ中、城内の一画にある御殿では、静かな時間が流れていた。
「……ねぇ、茶々姉様。また、戦になるの?」
末っ子の江が、厚手の布団の中から、隣で横になる長姉・茶々に問いかけた。
窓の外では、地吹雪が城壁を叩く音が絶え間なく響いている。
「わからないわ。でも、新しい御父様は『鬼柴田』と恐れられる強い方」
「たとえ戦になっても、心配しなく大丈夫よ」
茶々が優しく返すと、次女のお初が不安そうに呟いた。
「でも、この間、長浜城が落とされ、織田信孝様も降伏なさったとか」
「城中、大騒ぎでした。丈夫なのでしょうか?」
「本当に、母上や私たちを守ってくれる?」
茶々は、その言葉に少し無言になった。
母は、織田家中の揉め事を治めるために、柴田様に嫁がれると言っていた。
しかし、嫁いでからわずか2ヶ月足らずで、戦が始まってしまった。
母の思いは無駄だったのだろうか。男同士の争いに、結局女は、振り回されるだけなのだろうか...
「江、初。私達が不安になっていては母上が心配します。きっと母上が一番心を痛めているはず」
「私たちが励まして差し上げましょう」
茶々は、江、初の問いには正面から答えることができなかった。
戦の勝ち負け、武略の強い弱いは、女の私では分かりようもない。
ただ、信じることしかできない...
それを聞いた江は黙って、枕元に置いていた小さな「匂い袋」を手に取った。
「……この前、母上が言ってました。北近江の者が私たちを見守ってくれているって」
「本当の御父様が、お母様や私たちをきっと守ってくれるよね..….」
その言葉に、初が小さな声で、江を嗜めるように言った。
「江、滅多なことを口にしてはいけません。ここは柴田様のお城。前の御父様のことは...... 」
茶々が沈む江の表情にまずいと思い、初の口をとっさに押さえた。
しかし、間に合わなかった。
「ふ……ふぇ、…っ……ぐすっ...」
江が大粒の涙を流して、口元を布団で隠しながら声にならない泣き声をあげた。
江が握っているのは、去年の秋、長浜に立ち寄った際、北近江の町衆から届けられた贈り物だ。
噂では、羽柴筑前の弟の嫡男が、気をきかせて贈ってくれたと聞く。
浅井家の家臣・磯野殿の息女の子だとか。
母上が、北近江の者と口にしたのも、この贈り物を受け取ったときだ。
大事にするようにと言ってくれたこともあり、三人は、この品を宝物のように大切にしていた。
淡い美しい色合いの仕立てのよい生地。そこから仄かに漂う匂い。
戦の気配が濃くなる北ノ庄において、それは、三人の心の安らぎになっていた。
茶々は、匂い袋を握りしめながら咽び泣く妹の頭をやさしく撫でた。
「私も、これが好きよ」
「義父上(勝家)と敵対する羽柴の方から、これほど細やかな贈り物が届くなんて……贈ってくださった方は、きっと……争いよりも、人を慈しむことを知っている方」
「北近江のゆかりの者とも聞きます。亡き御父様が力を貸してくれているのかもしれません」
「きっと、私たちを守ってくれるはず」
初も、自分の一言で江を泣かしてしまった自責の念もあり、慰めるように言った。
「そうよ。御父様が守ってくださるわ。江、安心して」
そして、チラッと茶々の方を見て、
「それにしても、茶々姉様は、あの時からその話ばかり...どうしてかしら?」
と、冗談めかしていった。
江が泣いていた目を擦り、初の耳に口を近づけてヒソヒソ言った。
「あのね、初姉様。姉様ったら、夜中に一人で匂い袋の香りを嗅いでいるの」
「えっ本当?茶々姉が?」
「江! 余計なことを……!」
「それは……ただ、色が珍しいと思っただけです!贈り主は関係ありません」
茶々が、江の口を塞ごうとして布団の上でじゃれ合う。
「きゃーお姉様、くすぐったい」
江が、身体をよじって茶々の手から逃げる。
その瞬間、北ノ庄を覆う重苦しい空気が消え去っていた。
その様子を見ていた初が、いたずらっぽく笑う。
「…でも、茶々姉様が、袋を見つめてため息をついている姿を何度か見ましたけど?」
茶々は、これ以上抵抗しても無駄だと思い、ため息をついた。
そして、二人の妹の顔が明るくなったことに気づき、ふふっと小さく笑った。
「そうね、聞く話では、私たちより幼いのに、民の諍いを治めたり、米の値を操作したり、商人と懇意にして新しい防具を作ったり……そんな出鱈目な子が本当にいるのかしら」
「羽柴筑前は大殿様に『猿』と呼ばれて可愛がられていたそうだから、きっと同じように猿っぽいんじゃない?」
そう言って、くすくすと笑った。
「あら、私はきっと凛々しい方だと思うな」
江が楽しそうに笑う。
「そうね。どんな方なのかしら」
茶々はそう言いながら、自分の薄青色の匂い袋を手に取った。
その瞳には、不安を隠しきれない少女の震えと、口に出せない期待が混ざり合っていた。
茶々が優しく江の頭を撫でると、江は、安心したように目を閉じた。
凍てつく北ノ庄の夜空には、冷たくも美しい星々が瞬いている。
その星の向こう側で、自分たちの運命を絶望から救い出そうとしている少年が、今この時も歴史を書き換えようとしていることを、彼女たちはまだ知らない。
ただ、枕元から漂う香が、雪に閉ざされた北国の夜に、微かな希望を運んでいた。
次回から第4章がスタートでします。よろしくお願いいたします。
これに合わせて、羽柴竹若の元服後の諱を「秀成」としていましたが、通り名(通称名、仮名)を付与しました。
秀吉が「藤吉郎」、父・秀長が「小一郎」と名乗っているにも関わらず、秀成に仮名がないことから、会話のバランスが悪かったこともあります。
元服した「第50話」に遡り、「源一郎」という通称名・仮名を名付けております。
以降の各話において、呼び名の修正を行っています。
今後、羽柴源一郎秀成としてよろしくお願いいたします。




