第83話「Stormy」
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
仕事の依頼を受けると、リリウムが先に出て、一同が続いていく。最後に残ったのは金田だった。
「金田、置いてくよ」
【……】
微かな声が聞こえる。返事をしているのだろうか。
数分後、靴を履いて金田がやってくる。
【お待たせいたしました】
「それでは出発しましょう」
リリウムは階段を下りながら、レオンから受け取ったアイリの顔写真を金田に渡す。金田はそれを一瞥すると、上着のポケットにしまった。
そうしてエントランスまで戻ると、猛烈な風が吹いている光景が目に入る。どこから飛んできたかわからないゴミ袋や壊れた傘が、勢いよく転がっている。
雨は荒れ狂い、暗雲からは雷の音が轟いている。まるで生き物の咆哮のようだ。
外の様子に釘付けになっている仲間達の目を盗み、ロゼがリリウムに話しかける。
「なぁ。どうしてお前、サフィリアにいるんだ」
「それは事件が解決してから、ゆっくりお話ししましょう。お互いそっちの方が、都合がいいのでは?」
わざとらしい語尾の上げ方に、神経を逆撫でされる。
「調子に乗るなよ。私は正体バラされても構わない」
「あなたが構わなくても、大好きなゾディアックが困るでしょう。無駄な問答は時間の無駄です」
「じゃあ別の質問だ。この雨の中を行く気か? 嵐が過ぎ去ってから行ってもいいだろう」
「それだと、遅くなる可能性があります」
ロゼが首を傾げると、近くにいた金田が割り込んでくる。
【こっちの世界、というより、この国に自警団はいますか?】
ロゼは一瞬戸惑う。異世界人と話したことなど、400年近く生きてきた中で一度もない。ある意味では神と出会うよりも、貴重な体験をしている。
この世界に生きる者なら必ず持っているはずの、微量の魔力すら感じ取ることのできない不思議な生き物に対し、口を開く。
「似たようなことをしている冒険者がいる。だけど、活動はそれほどだ。こんな嵐の中でも働くような真面目な連中じゃない。あとは、キャラバンガードナーか」
「しかし、ガードナーはいわゆるボディーガード。金で雇われるのが大半で、自身の雇い主しか守らない存在」
【赤の他人のために、自発的に動く連中ではない】
独り言のように呟いて顎をさする。金田の考える時の癖なのだろう。
【であれば、犯人が油断している可能性は高いです。今もどこかで息を潜めて、嵐が過ぎたら国を出る。もしくは、もし犯人が、魔術師を殺し髪を奪う極悪犯だとしたら、また新たな殺人を行うでしょうね】
「じゃあ嵐のあとでいいじゃないか」
【そうとも限りません。少しでも頭が回る相手なら、「ここいらが潮時だ」と判断するかもしれない。信心深い相手なら、「神様がやめろと言っているんだな」などと思って……】
金田の目が暗雲を睨む。
【嵐に紛れ、逃亡を試みるかもしれない】
「ふざけやがって」
レオンが怒りの言葉を吐き出す。もし犯人がいたら、今すぐにでも武器を手に取るだろう。
【もっと頭の回る犯人なら……この国の事情を知っているなら、もう一度犯行現場に来ているかもしれない】
「……証拠隠滅、されるとか、か?」
ゾディアックが聞くと頷きが返される。身長が同じくらいであるため、目と目が重なるようであった。
「じゃあ早く行かねぇと!」
「でも、この嵐じゃもう馬車も電雷大蟲も運行が止まってるよ……」
エリーの言う通りだった。どちらの移動手段も嵐の日は基本的に動かない。地下を走る土竜がいれば話は別だが、サフィリアにその移動手段は存在しない。飛竜など、この天気ではもっての外だ。
歩いて向かうしかない。濡れる覚悟を決める一同だったが、リリウムが一歩前に出る。
「濡れるのも、風で髪が荒れるのも、好きじゃない」
そう言うと、右手の人差し指が光った。正確には、付け根に装備している指輪が、蒼く発光している。
光が徐々に集まり、直後、ガラスが割れるような音がエントランスに木霊する。
次いで、周囲に蒼い雪のような結晶が舞っている。視界の邪魔になるほどではないが、はっきりとそれは存在感を示していた。
何をされたのか、レオンとエリーは理解できず、目を白黒させている。
「さぁ。参りましょう」
そう言うとリリウムは悠々と進み、外に出てゾディアック達を見るように振り返る。ゾディアックは驚愕した。
雨と風が、リリウムに触れていない。まるで、リリウムが立っている空間だけ、削り取られたように、何者も干渉できずにいた。よく見ると、蒼い結晶が雨風を防ぐよう動いていた。
「……空間魔法だ。あんなもん、一生で一回発動できるか否かだぞ」
ロゼが唇を震わせる。
「空間魔法って何?」
「大魔法のひとつ……らしいです。魔法の存在自体は認められているのですが、大半は正式な名前すらなく、詳細な能力なども解析不足で……。使える魔術師が極端に少ないせいで、まだ研究段階らしいです。噂では、極めれば次元を超えられるとかなんとか……」
レオンとエリーの会話を尻目に、金田も外に出る。同じように、風と雨が干渉しなかった。
自分だけでなく、他人にも魔法をかけている。あんな短時間で、術式もなく、顔色ひとつ変えずに。
これがD.E.C.Kの力か。ゾディアックは知らず知らずのうちに、拳を握っていた。悔しさや妬ましさではない。
ただ、恐れていたのだ。
【全員にかけたのか。魔法】
「ええ。私は優秀なので」
【優秀か。俺のことを実験台にしたこと、忘れてないぞ】
「あ……だ、だから。あれはごめんって謝ったでしょ」
それを皮切りに、ふたりはギャアギャアと言い争いを始める。
「だいたい! あなたが勝手な行動をとったのが悪い!」
【自分に任せておけば大丈夫ですよ、と胸を張って言ったのにも関わらず、上手くいかなければ人のせいにする。大した騎士様だな】
リリウムが肩で軽くぶつかると、金田が大袈裟にのけぞった。
【暴行罪だ】
「当たっちゃっただけですー」
そう言ってリリウムは視線を逸らし、金田は肩を竦めた。
煌めく結晶に紛れるふたりの背中を見ながら、ゾディアックも外へ足を踏み出した。
♢ ♢ ♢
雨が降っているのに濡れない。目の前で雨が軌道を変えるのを見るのは、貴重な体験だ。
徒歩での移動は大変だったが、さほど体力を消耗せずに目的地にたどり着く。道には住民達が人っ子一人いなかったため、移動中も目立っていないだろう。
家はカーテンも閉めておらず、当然だが光はついていない。扉を開けたら、ひょっとしたらアイリが出てくるんじゃないんだろうか。
もはや夢物語であることは、理解している。だがそれでもどこか期待している自分が、情けなかった。
レオンは覚悟を決めた瞳で、アイリが住んでいた一軒家の扉を見ると、ドアノブに手をかける。
「待った」
リリウムの声に、手が止まる。
「失礼」
そう言って間に割り込むと、手の平をドアに当てる。真剣な表情は、整った顔立ちと非常に合っており、凛々しさが感じられる。
長い睫毛を何度か上下させ、納得したように頷く。
「トラップがありますね」
「トラ……え!?」
ゾディアックも声を出したかった。それはありえない。
自分達がアイリの死体を見た時、ドアには鍵がかかっておらず、トラップの類は発動しなかったはずだ。
「複雑な術式ですね。特定の人物以外がドアを開けようとした瞬間、魔法が起動するようになっている……。おまけに転移魔法。警戒を怠らない、優秀な魔道士だったんですね」
「特定の、人物?」
「レオンさん。あなたのことですよ。アイリさんは、あなたのことだけは信頼していたんでしょうね」
ドアを撫でるように指先を動かしていく。レオンは何も言えず、唇を噛み締めてその動作を見るしかなかった。
「犯人は来ていないことが確定しました。やります」
【ゾディアックさん。周囲を警戒してもらってもよろしいでしょうか。私の目では、限界があるので】
もしかしたら、犯人が近くで見ているかもしれない。
理解したゾディアックは警戒心を強める。だが、周りからは風と雨の音以外、何も聞こえはしない。
ドアの表面に紫色に輝く魔法陣が浮かび上がると、リリウムが忙しなく指先を動かしていく。
「術式を書き換えている。リリウムは魔法も一流ということでしょうか」
「……じゃないと、副団長なんて務まらないってことかな」
他人の書いた術式を、上書きしたり消したりするのは容易である。極端な話、術式が書いてある物を破壊すれば、魔法は発動しない。
だが、書き換える、となると高度な知識と高い技術が要求される。自分の魔力を流し続けるため体力も消耗するし、失敗すれば魔法が発動する。できるとしても、積極的に行う者はそういないだろう。
だが、リリウムは涼しい顔で、アイリの術式を書き換えた。紫色の光に蒼色が混ざり、不規則に発光している。
「これで全員中に入れますね。さっさと中に入りましょう」
一同は中に足を踏み入れた。
瞬間、足が止まる。おびただしい血痕を目の当たりにし、レオンが膝をついた。
「レオンさん!」
エリーの悲痛な声が響く。レオンの肩を抱いて、倒れないよう支えている。
「しっかり! 気分が悪いなら外に」
「だ、大丈夫だ」
【顔色が悪い。君は外で見張りをしてくれると……】
「は、話しかけんな。異世界人」
金田に対しては敵意を見せる。まだ信頼してはいないのだろう。
心配そうに差し伸べられた手を振り払う。金田は手の平を握り、視線を血痕の方に向けた。
「さて、調べますか」
【こういうのは鑑識の仕事なんだがな】
「自分の手を動かすこと」
【わかってる】
リリウムは膝を曲げ、血痕の一部を爪で取る。
「完全に変色してますね。少し時間を戻します」
指先ですり合わせながら、魔力を流し込む。黒が赤に変わっていき、流体に戻ると地面に落ちた。
「お前そんなこともできるのか」
「これくらいが限界ですけどね」
ロゼが頭を振る。
「で、巻き戻した結果、何がわかったんだよ」
【死亡した場所はここで、凶器はナイフ。胴体を十数か所刺されて絶命、か】
そう言いながらポケットから何かを取り出す。手袋だ。
金田はそれを装備すると、リリウムと共に中に入っていく。リビングを一通り見ると、エリーを見た。
【コスプレ……じゃなかった。猫耳の、エリーさんでしたっけ?】
「は、はい!」
【リリウムと一緒にアイリさんの部屋を調べてもらってもよろしいでしょうか。何か、手掛かりがあるかもしれませんからね】
「あ、あの」
おずおずとした様子で手を挙げる。
「いいんでしょうか。こんなことを勝手にして……」
「常識人ですね、ケット・シーのお嬢さん。ですが」
【管理者からは既に許可を取っております】
「え、うそ。いつの間に?」
【事務所を出る前です。出るのに遅れたのは、管理者から許可を貰っていたからです。確か、エミーリォさん。それと、レミィさんという方が。勝手ながらゾディアックさんの名前を出すと「好きにしていい」と】
そう言って金田は黒い長方形の箱を見せる。
「琥珀箱」
【そうです。これを使いました。ちなみに、私の世界にも似たようなものがあって、スマートフォン、と呼んでおります。……操作方法も似ているので、本当助かってます】
金田はポケットに琥珀箱をしまう。リリウムはエリーと共にアイリの部屋へ向かった。
残った者達は、その様子を黙って見ていることしかできなかった。
一通りリビング調べると、再び血痕の方に戻る。レオンは三和土に佇んでいる。それを無視して、金田はしゃがみながら入念に血痕の付近を調べている。
「……なにを、探してる?」
ゾディアックの質問に答えようと、口を開いた瞬間、ある物を見つけたのか、目を見開いて手を伸ばした。床の溝に挟まっていた細いそれを持ち上げると、ゾディアックに見せる。
【これです】
指先でつまんでいたのは、金色に輝く髪の毛だった。
【件の殺人鬼の所業ですね。これは】
膝を曲げながらゾディアックとロゼ、そしてレオンを見る。そして再び血痕へ視線を戻した。
金田は被害者のアイリを、顔以外よく知らない。だが金田の脳内には、殺された少女の姿と様子が浮かんでくるようであった。
【……許せん】
小さく呟いた言葉には、腹の底から沸き起こった怒りが込められていた。
【必ず捕まえる。こんな非道な奴を、野放しにしてたまるものか。必ず、捕まえてやるからな】
金田の言葉は独り言ではない。
芯に響くようなその声は、レオンに向けられていた。
レオンが視線を金田に向ける。
金田は眉間に皺を寄せ、鬼の形相で血痕を睨んでいた。




