第77話「Black_Foggy_White」
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
秒針の音が、不安を煽ってくるようであった。
レミィは落ち着かない様子で、集会所内をうろうろと歩き回る。もう何時間も待っているように感じる。
今は何よりも、2人が無事に帰ってくることを、レミィは祈り続けた。
再び時計に目を移した時だった。集会所の扉が叩かれる音が、耳に飛び込んでくる。目を見開き、駆け足で扉に向かい取手に手をかける。
扉を開くと大きな雨音が聞こえ、雨水と風が集会所内に流れ込んでくる。
次いでレミィの視線は、魔術師の格好をした冒険者に注がれる。
「君は……」
全身がずぶ濡れで息を切らしながら、大事そうに杖を胸元に抱えているアイリがそこには立っていた。
♢ ♢ ♢
手にタオルを持って、奥の部屋から出てきたレミィはアイリを見る。入口の近くにある椅子に座り、俯いてる。傘も差さず、大慌てでここまで来たというのは一目瞭然な姿であった。
「すいません。もう終了時間を過ぎているのに、押しかけてしまって」
近づいてくるレミィに向かって謝罪を述べ、少し頭を下げる。金色の髪の上を、雨水が流れ落ちる。
「気にしてないさ。今日は特別だ。明かりがついている間は営業中なんだよ」
軽い口調でそう言うと、タオルを使ってアイリの髪の毛を拭いていく。頭を撫でるような、優しい動作だ。
「ちょうど話し相手も欲しかったしね」
アイリが顔を上げる。紅潮した頬と濡れた顔のせいで、泣いているようであった。微笑むレミィの顔を見て、安心したように口角を上げる。
「それで、どうした? こんな夜更けに」
ハッとしてアイリが口を開く。
「その、レオンがまだ帰ってきてなくて。もしかしたらひとりで、それとも誰かと一緒に危険な任務に行ったのかなって思って。あいつ負けず嫌いだしプライド高いし、あんなことがあったから心配で」
「落ち着いて。大丈夫だ」
興奮していたアイリをなだめる。
「ゾディアックがついさっき捜索に行った。多分、もうすぐ帰って」
そこまで言った時、扉が大きな音を立てて開く。同時に、鎧の擦れる音が2人の耳に飛び込んでくる。
目を向けると、レオンを抱えた鎧姿のゾディアックが立っていた。
鼻をつんざく鉄の臭いに、レミィは顔をしかめ、アイリは血の気が引いた。
「レオン!!」
悲痛な叫び声を上げてアイリが駆け寄る。ゾディアックは何も言わずに集会所内へ足を踏み入れる。
「ああ、どうしよう、こんな……どうしよう……」
全身血塗れになっている姿を見て、青い顔で狼狽する。
ゾディアックの視線がレミィに向けられる。
「レミィ。奥の長机を借りる。レオンを寝かせるから。あと拭くものを」
「構わないけど、回復薬とかいらないのか?」
ゾディアックの背中についていきながらそう聞く。
「ああ。この血はレオンのじゃない。外傷もないから、安心しろ」
それを聞いたレミィはほっと胸を撫で下ろし、奥の部屋へと向かった。
♢ ♢ ♢
瞼が重い。自分は死んだのだろうか。
いや、呼吸をしているのがわかるし、淡い光が瞼の上からでも感じ取れる。まだ生きているようだ。
自分の手が何かに触れている。これは人の手だ。柔らかく、細く、安心する。
強く握ってきた。意外と握力あるなと思いつつ、握り返す。
「レオン!」
はっきりと自分の名を呼ぶ声が聞こえた。聞き覚えのある声に、笑いそうになる。起きて一発目があいつの声か。そう思いながらも、なぜか安心する。
まだ生きている。
そう思うと同時に瞼を気合いでこじ開けた。
最初に目に入ったのは、今にも泣きそうな表情を浮かべるアイリだった。
「……ぶっさいくだなぁ。お前の泣き顔」
「……くたばれっ」
アイリの弱々しい平手打ちが、レオンの頬を打った。
♢ ♢ ♢
ゾディアックはこれまでの経緯を説明した。上体を起こしたレオンは、俯いたままそれを聞き入れる。
淡々と説明を終えると、息を吐いて踵を返す。椅子に座っていたレミィが眉を吊り上げる。
「帰んのか?」
「ああ。どうやって依頼を受けたのか、誰が唆したのか。色々と聞きたいが、レオンは疲れてる。今日はゆっくり休んでほしい」
振り返らずそう告げ、扉に手をかける。
「レオン」
レオンの肩が上がる。
「無事でよかった」
柔らかく優しいその言葉は、レオンの心にすっと入り込んできた。
ゾディアックが小さく笑う声が聞こえると同時に扉が開く。
強く降り注いでいた雨は、いつの間にか小雨になっていた。
♢ ♢ ♢
集会所内に沈黙が流れ、重苦しい雰囲気に包まれる。
「まぁ、ペナルティ云々はまた今度だな。奥に部屋に引っ込んでるよ」
レミィが沈黙を破るようにそう言って窓に向かうと、施錠の確認を行う。
「動けそうだったら一声かけてくれ。もし無理そうだったら泊まっていいぞ」
「ありがとうございます」
アイリがそう言って頭を下げ、レオンも小さく頭を縦に動かした。
窓に鍵を確かめながら、霧がかった夜道を確認すると、レミィは書類を持って受付の奥にある部屋へ入っていった。
再び沈黙が流れる。とりあえず冷静になろうと、アイリは琥珀箱を取り出し、ある人物に連絡を入れる。
だが、気まずい空気は解消されない。なんと声をかけようか、琥珀箱をポケットにしまいながら、頭の中にいくつかのワードが渦巻く。
言い過ぎてしまった。あんな神経を逆撫でするような発言をすれば、自分だって腹が立ってしょうがないだろう。
「あ、あの。レオン」
いつもとは正反対な、弱々しい声を絞り出す。
「その、私。あの時は言い過ぎたわ。あなたの気持ちも知らないで好き勝手に。だからごめ」
「俺さ」
レオンが言葉を遮る。アイリは口を閉じて、続きを待つ。
「……俺さ。もっと自分が出来る奴なんだって思ってた。強い人と一緒に任務を行なって、今まで戦ったことのない敵と、命をかけて戦ってきたから、勘違いしちゃったんだろうな」
顔を上げ喋っているが、目は虚空を見つめている。
「本当のことを言われて怒って、仮初の力を見せびらかしてさ。全員俺じゃなく、俺の後ろにいるゾディアックさんを見てたんだろうな」
力のない笑い声が響き、泣きそうな笑顔を向ける。
「だっせぇな。俺」
その言葉が引き金になったかのように、目から溢れた一滴の雫が、レオンの頬を濡らした。
「レオン」
「怖かった。怖かったんだ」
心の底から溢れ出てくる感情を、言葉にして吐き出す。
「今日、死ぬかもしれないって、本当に思ったんだ。死にたくなかった。あんな寂しいところで、ひとり寂しく、死にたくなかった。怖かったよ」
再び俯き、静かに肩を揺らす。弱々しいその姿を見て、アイリは口を強く結ぶと表情を引き締める。
「レオン」
呼びかけても反応はない。それでも構わず、言葉を続ける。
「怖かったのは、私も同じよ。あんたが死んだらどうしようって、私も、みんなも必死だったんだから。ここにいないエリーだって、琥珀箱を急いで買ってまで、亜人達と一緒にサフィリア中探し回ってくれたんだから」
レオンの嗚咽が響く。
「ねぇ。私達って、まだまだ弱いのよ。偉そうなこと言ってる私だって、全然ダメダメなの。だから、一緒に強くなろうって約束したじゃない」
肩の揺れが収まり、肩が上がる。柔らかなアイリの微笑みが双眸に映る。
「ごめんね。あんなこと言って。レオンは、レオンなりに頑張ってたもんね」
自分が何をしてきたのか、後悔の念が押し寄せる。口を大きく開け、唇を震わせながら、充血した目でアイリを捉える。
「ごめん……アイリ。本当にごめん……。迷惑、ばっかりかけて」
アイリは力強く頷きを返す。
「いつものことよ。気にしてないわ」
そう言って微笑む。眩しい笑顔を見て、レオンの涙も自然と止まっていった。
雰囲気が柔らかくなり、安心したように嘆息すると、アイリはレオンを指差す。
「でも!!」
いきなりの怒気を混ぜた声色に、レオンが驚く。
「まだ感謝すべき人も、謝らなきゃいけない人も大勢いるんだからね!」
「わ、わかってるよ。ちゃんと謝る」
「本当? 反省してる?」
「してるって!」
「よし! じゃあ、明後日みんなに謝るように!」
明後日、と言う単語を聞いて反応を示すと、アイリが歯を見せて笑う。
「そしたら、私の誕生日、祝ってちょうだい」
あどけない少女の笑みを見たレオンは、自分の胸が高鳴るのを感じながら、ゆっくりと頷いた。
♢ ♢ ♢
雨はまだ降っているが、先程よりは幾分マシになった。
ただ新たな問題が発生している。
霧だ。
夜に漂う白い霧は、なんとも不気味な雰囲気を醸し出している。
ゾディアックは霧が覆うサフィリアの通りを進み、帰路についていた。
霧を突き抜けて進む、漆黒の鎧を身に纏った大柄な冒険者。その風体は夜ということも相まって、魔物にしか見えない。
今冒険者に見られたら、戦闘が始まるかもしれない。そう思うと兜の下で小さく笑う。
次いで顔をしかめる。
視界も悪ければ、地面の状態も最悪だった。水溜りに足を踏み入れ水飛沫が上がる。特に冷たさは感じないが、憂鬱な気分になる。
空を飛んで帰ることも考えた。この濃霧に夜の雨。見られたとしても鳥か、それとも見間違えですむだろう。
だが、飛ばない理由は別にあった。ただならぬ気配を感じていたからだ。警戒心を緩めず歩いていると、霧の奥から、何かが来る気配を感じ取る。
同時に、その場で立ち止まり、槍の柄に手をかける。
「おお。これはこれは。気配でもしやとは思ったが」
灰色のスーツを着た壮年男性がゾディアックを見て、わざとらしく頭を下げる。この霧でも、なぜか男の姿と動作はハッキリと見えた。
警戒心が強くなる。まだ雨も降っているにも傘を差していない。確かに小雨になっているから、差す必要がないと考えているのかもしれない。
だがどういうわけか、服がまったく濡れていない。それどころか、靴にすら水滴がついていない。
まるで雨が、風が、霧が、”男を避けている”ようであった。
魔法を使っている様子もない。訝しむゾディアックに対し、男は顔を上げ、飄々とした態度を崩さない。
「こんにちは。いや、初めまして? どちらがいい?」
「……誰だ。お前」
「おや。私を覚えてない。なんてことだ、ゾディアック”様”。あれだけの死闘を演じた私という親友を忘れるなんて」
大袈裟に両手を広げて悲しむ男に対し、ゾディアックは槍を抜いて矛を向ける。
「おおう。銀の槍。一突きされれば、人間も魔物も悶え苦しむなぁ」
両手をそのまま上げ続け、男は無抵抗を示す。
「お前は誰だ。俺の元配下か?」
「配下、ではないかな」
「じゃあ」
「ああ、そうそう。レオン君は大丈夫かな?」
ゾディアックの兜が動く。
「私が渡した任務をこなしてくれたかな? まぁどうせ失敗しただろう。で、君が救った。おしいなぁ。彼が死んでくれれば、君の悲しむ顔が」
矛が突出する。だが、鋭い光の一閃は霧に飲み込まれた。
男の姿が一瞬で消えた。瞬きの突きを躱された。
「まぁ元気そうで何よりだ。魔王、ゾディアック・ヴォルクス」
声がする。だが、どこにいるかが察知できない。構えを解かず集中する。
「ただひとつ忠告を」
「忠告?」
「もうすぐ私のもとに、魂が運ばれてくる。それは君の大切な人だ」
男の姿が霧の中に現れる。既に背を向け、遠くにいた。なのに声は、まるで隣にいて話しかけてくるような音量だ。
「せいぜい気をつけろ。親友からの伝言だ」
「……名はなんだ。お前の、名は」
男は一度止まり、顔の半分だけを見せた。
口角が上がっており、目元が楽しそうに歪んでいる。
「ハーデス」
そう言うと、たちまち男の姿は濃霧に飲まれ、見えなくなった。
後には武器を持ったゾディアックひとり。最早気配も感じない。雨が鎧を打つ音が、いやに大きく聞こえた。
「ハーデス……」
どこか懐かしさを感じる言葉を呟きながら、頭の中を落ち着かせようとした。
大切な人の魂が運ばれる。
それはつまり、死ぬ、ということではないだろうか。
ゾディアックは自宅の方向を見る。
「ロゼ……!」
最早見られても構わない。
マントを翻し、ゾディアックは跳躍した。
一瞬で空に飛び上がったゾディアックの姿は、黒と白が混ざった霧に飲み込まれ消えていった。




