第76話「Red_Foggy」
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
馬に跨り雨で濡れた道を進んでいると、橋が見えてきた。男に指定された場所は、サフィリアから馬を使って20分ほどの場所にある、木造橋の下だった。合羽を着たレオンは馬を止め、地面に降り立つ。
相手はグレムリン3匹らしい。妨害系の魔法を得意とする厄介な魔族だ。だが、あくまで妨害に関してだけ。個々の強さはスライム並みだ。
油断をしているわけではなく、これまでの経験から、レオンはそう思っていた。
橋の下へ向かうため、茂みに身を隠しながら坂を下っていく。夜に雨、視界は最悪だった。かと言って、カンテラを使えば、明かりと蛍光雷虫の羽音で、こちらの位置がバレる。
気休めだが、腰に付けた道具袋の中から双眼鏡を取り出す。すると、微かに影が見えた。
手が自然と腰に装備している、今日購入したナイフの柄を握る。そして、その影が何なのかを捉えた瞬間、レオンは双眼鏡を下げた。
「……死体?」
双眼鏡を袋にしまうと、腰を低くしたまま距離を詰めていく。その間も柄から手を離さなかった。
橋の下に到着すると、ようやく手を離し、立ち上がった。もう隠れる必要がなくなったからだ。
壁を背にして死んでいる冒険者らしき人間、その周辺には緑色の鱗が特徴的な、爬虫類のような見た目をしたグレムリンの死骸が横たわっていた。全部で3体。依頼内容通りの敵だ。
なぜ冒険者がここにいるのか。なぜ両者死亡しているのか。相打ちにでもなったのか。これは、任務完了と言っていいのか。
レオンには判断がつかなかった。とりあえず亡骸をどうにかしようとした時、違和感に気づく。
冒険者の顔は絶望に染まっており、口を半開きにし、目が見開かれている。喉元は手で掻き毟ったような痕が残っており、真っ赤になっている。それ以外、特に目立った外傷はなかった。
そして、武器を取り出していない。男の腰を見ると、剣はまだ鞘に収まったままだった。近くにいるグレムリンも同じく、戦った痕跡がない。
「戦って死んだわけじゃないのか……?」
レオンは疑問を口に出しながら、冒険者の目を閉じようと手をかざす。
そして、気づいた。男の口の奥から、ボコボコという音が鳴っていることに。
「え」
殺気。
それを感じ取ると驚愕の表情を浮かべ、冒険者から離れる。同時に死体の腹が一気に膨張し、破裂した。
周囲に血と臓物が散らばり、血の海を作り出す。次いで連鎖するように、グレムリン達の体も膨張し、破裂を繰り返した。まるで風船が割れるような音が、雨音に混じる。
突然の出来事に尻もちをついてしまう。グロテスクな光景を目の当たりにしたため、呼吸が荒くなる。
さらに不可解なことが起ころうとしていた。
血の海が音を立て泡立つ。そして、一か所に集まっていき、大きな球体になる。何が起きているのか理解できず、歯の奥が揺れ始める。
球体は重力を無視し、宙に浮かび始めた。そして、再び形を変えていく。
やがて泡立つ音が止まり、形の変化も止まる。そうして目の前に現れたのは、血液で作られた、真っ赤な人間の女性だった。
というより、その形を模しているだけの、何かだ。
顔も何もなく、のっぺらぼう。華奢な体に胸元の控えめな膨らみ。液体だけで生成されているだけなのに、その物体はしっかりと形を成していた。
なんとも不気味な雰囲気を纏っていた。それが何なのか、見当もつかない。ただ、ここにいたらマズいということだけは理解できる。
遠くから雷の音が聞こえる。震える手で柄を握り、ナイフを抜く。目の前にいる血の女はユラユラと動いている。
戦うのか。得体の知れないコレと。正直戦う意味などないため、逃げた方が得策だ。武器を手にしたまま、馬のいるところまで行けば。
レオンの目が、血の女から外れた。
その瞬間、血の女が頭の上をグルンと動かす。目も口も存在しない平たい顔が、レオンを”見た”。
驚いている暇もない。
女は距離を詰め、右手を突き出してきた。紅に染まった腕が、レオンの顔に迫る。
「うぉっ!!?」
ナイフが腕に触れる。しかし、血で生成されているためか、勢いを殺すことはできなかった。
物理攻撃が通用しない。レオンは両膝を折り、攻撃をやり過ごす。
魔法は多少使えるが、こいつ相手に何が効くのか。
舌を鳴らし、雷撃弾を放とうと、体内にある僅かな魔力を指先に集める。
その魔力の充填に気づいたのか、女は再び液体になった。
「な」
なんだ。
その短い単語を言う暇もなく、後方から水の音が聞こえた。
振り向いた瞬間、レオンの首から上が、血で作られた球体で覆われる。視界が真っ赤になり、呼吸ができない。開いた口が一気に鉄臭くなり、錆びた鉄の臭いが鼻を潰す。
「……っ!!」
突然の呼吸遮断に混乱する。頭を覆う球体をどかそうにも、液体であるため触れても意味がない。
息苦しくて喉を掻き毟る。
ああ、そうか、と思った。
冒険者もグレムリン達も、なんで武器を抜いていないのかわかった。
溺死したんだ。
こいつのせいで。
そこまで理解したが、もう何もかも遅かった。
ごぼっ、と一際大きい空気が零れる。体内中の空気が吐き出され、レオンは徐々に意識が薄れていくのを感じ、目を閉じた。
その時、何かが破裂するような音が聞こえたような気がした。
♢ ♢ ♢
サフィリアを出て、僅かに残った馬の足跡を追って正解だった。
木造橋まで近づくと、レオンが乗ってきたであろう馬が放置されていた。
いつもは身に着けていないマントを羽織ったゾディアックが、地面に”着地する”。黒いマントから雨水が落ちる。
家を出る前にロゼが、防具兼移動用として昔使っていた装備を、移動が大変だろうとゾディアックに渡したのだ。
「お馬さんが魔力酔いして死んじゃいます。これ使ってください」
「ロゼ。これ吸血鬼の装備だ。使えないって前に言っただろ」
「今は夜だから、大丈夫ですよ!」
そう言われ、ゾディアックは渋々装備したのを思い出す。
渡されたマントには術式が描かれてあった。内容は防護魔法と、飛行魔法。ゾディアックは魔力をマントに注ぎ込みながら、空を飛んでここまで来た。
移動は中々に快適だが、顔が水滴が当たりまくって痛い。兜の隙間から入ってくるため完全には防げなかった。
今度は雨の降っていない日に使おうと思いながら、マントを翻し周囲を見渡す。
すると、すぐに魔力を感知した。橋の下だ。鎧を揺らしながら感知した場所に向かうと、レオンが赤い球体に取り込まれかけていた。
ゾディアックは背中に装備した槍の柄を握り、穂先をレオンに当たらないよう、球体に突き刺す。
瞬間、球体が形を変えながら暴れだし、弾け飛んだ。まるで悲鳴を上げるかのように。
周囲に血のような水が散らばり、赤い霧が立ち込める。
散らばった水は、自分で意思を持っているかのように動き、ゾディアックから離れていく。それを見て、ゾディアックは歯嚙みした。
雨が降った時だけに現れる水球の魔族。水玉精霊、ヴォジャノーイだ。普段は青色か緑色の、水で生成された球体であり、特に何もせずその場に留まり、雨が降り終わると同時に溶けてしまう。どんな生態なのか謎に包まれているが、留まっている最中に触ったり話しかけても、特に何かはされない。触ると感触はブヨブヨしているらしい。
もし清潔な水を持っているなら、かけてあげると回復の魔法を使ってきてくれる。触り続けると形を変えて、冒険者を喜ばせようともする。
その行動から知能があると思われ、冒険者達の間では「心優しい精霊」「癒し系魔族」と言われている。
しかし攻撃をしてはいけない。また、嵐の日は近づいてはいけない。
ヴォジャノーイは色で機嫌を現す。赤色になると、暴走上体となり、適切な装備がなければ一瞬で殺されてしまう程の力を見せてくる。間違っても、心優しいとは言えない。
しかし、それでも知能は失われていない。
ゾディアックは息を吸い込み、激しくなってきた雨音に負けないくらいの大声を出し始める。
「聞け!! この者は”お前達”を傷つけはしない! 嵐に飲み込まれるは魔獣のみ! 我らは水龍の使い! 清めた水姫を求める者である! どうか嵐の中を切り抜けることを許したまえ!!」
魔族に詳しい冒険者が教えてくれた、ヴォジャノーイの動きを止める祝詞である。
どういうわけか知らないが、ヴォジャノーイは「お前達」「嵐」「魔獣」「水龍」「水姫」というワードに反応するらしい。
完全にこれで封じ込めるわけではないが、効果はある。ヴォジャノーイの動きが止まり、殺気がなくなった。
ゾディアックは急いで意識を失ったレオンを担ぎ、その場を飛び立った。
今のように動きを止める以外に、ヴォジャノーイを倒す術はある。ゾディアックの力をもってすれば、問題なく屠ることは可能だろう。
木造橋を消し飛ばしていいのであれば、だが。
仲間のいない今の状況では、そういった力任せの解決方法しかない。
逃げることは決して恥ではない。
担いだレオンを気遣うように、荒れ狂う雨雲を切り抜けながら、ゾディアックはサフィリアへと向かった。




