第75話「Wet_Eyes」
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
男の背中を見ながらレオンは歩く。既に夕陽は沈んでおり、街灯が煌々と光を放っている。少なかった人影も増えてきた。亜人の数が多く、擦れ違う度に男とレオンは好奇の目で見られた。
「どこに行くんだよ」
間が持たずそう聞くと背を向けながら答えた。
「君達が集会所と呼んでいるところにだよ」
「じゃあこっちじゃない。馬車か転移か大蟲を使わないと深夜になるぞ。だいたい、集会所に行ったら俺は依頼を受注できない」
「誰がそっちに行くといった? 私が行くのは……”裏”の集会所だよ」
なんとも怪しい響きだった。レオンは今すぐ逃げ出してしまおうかと思った。ついていったら碌なことにならない可能性の方が高い。
だが、裏というのは気になる。もしかしたら、あの集会所よりもガッツリ稼げて、ランクも上げやすいかもしれない。
レオンは悩みながら歩いていると男がピタリと立ち止まった。
「ここだ」
ある店を指さした。
そこは古びた看板がかけられた酒場だった。地理的には、北地区に近い場所に存在している。周りには誰もいない。遊び場から離れたせいか、それとも北地区が近いせいかはわからないが、不気味な雰囲気が漂っていた。
男は扉を開け中に入る。レオンも続く。
狭く、小さな箱に入ったような印象だった。数週間誰も入っていないと思えるほど、酒場の床は薄汚く埃塗れだった。常夜灯かと思うほどの弱々しい光が、辛うじて店内を照らしている。4つほど設置されたるテーブルとカウンター席の上には、椅子が足を天井に向けて置かれている。
そして店の奥には、青い鱗が特徴的な老齢の竜人が、雑誌を読みながら足を組んで座っていた。男は軽い口調で竜人に話しかける。
「やぁ。依頼書の手配をお願いしたい。大至急だ」
「集会所に行け。それか直接冒険者に手渡して受けてもらえ。違法だけどよ」
酒焼けしているのか、しゃがれた声だった。どこか冗談めいた声色だったが、腹の底に響くような重低音に、レオンの足が竦む。
依頼人は“直接“冒険者に依頼を頼むことはできない。落し物を探すというものでさえ、集会所を通し、厳密な審査を通過しなければならない。
数年前までは冒険者に直接依頼ができていたのだが、不当に金をせびる、前金だけを受け取って雲隠れする、果てには依頼人を殺害し金品を奪うといった、様々な問題が発生していた。
その問題を解決するため、集会所というものが各国に作られてた。もし集会所を通さず依頼を受けた場合、厳しい罰則が待っている。
当然レオンもそれについては知っている。知っているのに、こんな怪しい場所までノコノコとついてきてしまった。今ならまだ帰れる。
だが、そんなレオンの思いを読み取ったように、射抜くような視線で男がレオンを見る。
「頼むよ、ルヴェール。彼に名誉挽回のチャンスを与えてやってくれ」
そう言ってレオンと肩を組む。
ルヴェールと呼ばれた竜人が、雑誌からレオンに視線を移す。右目には剣で切られたであろう大きな傷跡があり、両眼で瞳の色が違う。左は赤に対し右は白い。恐らく義眼だろう。
ルヴェールはレオンを一瞥すると、ワニのような顔から歯を覗かせた。
「そいつ夜伽通りで喧嘩していたクソガキじゃねぇか。お前のせいでな、俺は大好きなナーガちゃんと遊べなかったんだよ。どう落とし前つけんだてめぇ!」
「まぁまぁ。いいじゃないか。また遊んでくれるさ」
激高する竜人を宥め、男は切り出す。
「長話は嫌いだ。私の頼みを聞くか?」
「……まぁあんたの頼みだ。俺だって馬鹿じゃねぇよ」
ルヴェールはそう言って、雑誌をテーブルに投げる。そして手の平に紫炎を立ち昇らせる。紫色の炎の中から一枚の紙を取り出し、書かれてある言葉を見ると見ると、小馬鹿にするように鼻で笑う。
「そのガキひとりに、このランクの任務か? 正気かよ」
紫炎を消しながらそう吐き捨てる。レオンは口を開こうとしたが、間に男が割って入る。
「彼はDランクの優秀な冒険者だ。確かに問題を起こしたかもしれないが、それは若さゆえの、有り余る気持ちから来たものだろう。ちゃんと任務はこなしてくれるさ」
「今まではJの冒険者がいたからだろう?」
「彼自身、ちゃんと実力を持っている。少なくとも……私はそう信じているさ」
レオンが、今度は畏怖ではなく、尊敬の眼差しを男の背に向けた。はじめて、自分を見てくれたような気がしたのだ。
「……お、俺、やりますよ!!」
自然と言葉は零れ落ちた。
男は口角を上げて手を叩き、レオンに向き直る。
「では早速行ってもらおう! 敵は1体だ。夜にしか出ない魔物でね。今すぐ行けばもしかしたら会えるかもしれない」
歌うように喋ると、スーツの内ポケットから小さな本と、破れたメモ用紙をレオンに手渡す。
「場所はこの紙に書いてある。前金代わりに、転移陣が展開できる魔導書を渡しておこう。危なくなったら逃げるんだぞ。期限は3日間だ」
「そんなにいらないさ。今日中に倒してきてやる!!」
意気揚々と酒場を出て、レオンは紙を頼りに討伐対象のいる場所へ向かった。
最初は怪しさしか感じなかった、あの男の期待に応えたい。レオンの心は、まるで洗脳されたかのように、その思いを掲げていた。
♢ ♢ ♢
ルヴェールに金の入った布袋が手渡される。それはレオンが持っていた金だった。
「いつ抜いたんだよ」
「肩を組んだ時さ。あれだけ警戒していたくせに、気づかないなんて」
「無能か?」
「想像以上にね。フォルリィアで会った獣人の子の方が、よっぽど優秀で、よっぽど”生きていた”」
それを聞いたルヴェールは鼻で笑うと雑誌を手に取る。
「しっかしお前も酷い奴だな」
「ん?」
「とぼけんなよ。あのガキの任務。あれ、Aランクの討伐任務じゃねぇか。それをソロだ? 死んだぜ、あいつ」
男は肩を竦めた。
「死んでもいいよ。あんなの。小汚い魂だったしね」
堪えきれず、ルヴェールは大きく笑い声を上げた。
♢ ♢ ♢
サフィリアの集会所は、朝から夜中まで、一日中開いているわけではない。営業の時間帯はしっかりと決められている。
集会所に祖父であるエミーリォと共に暮らしているレミィは、壁にかけてある大型時計を見る。あと10分ほどで終了時刻だ。
大きく伸びをして、がらんどうになった集会所を見渡す。耳を澄まさずとも聞こえてくるのは、秒針の音と、大きい雨音が窓の外から聞こえてくる。
先程までは降ったり止んだりを繰り返していたのだが、嵐が近づいているせいかどんどん強くなっているようだ。
しかし、夜も更けこんな雨が降っていたら、訪れる者など誰もいないだろう。早めに閉めてしまおうかと扉に近づいた時だった。
ガタン、と音を立てて入ってきた人影、漆黒の鎧、ゾディアックだ。
ゾディアックのことが好きな、隠れファンクラブ会員であるレミィは変な声を出す。
「レミィ。まだ開いてるか」
「私の隣も空いてます……」
「は?」
「い、いや。何でもない!! ど、どうしたんだよ」
よく見ると雨でずぶ濡れだった。ゾディアックは兜を外し、銀髪を外気に晒す、整った顔立ちが目の前に現れ、レミィは鼻血が出そうになるのを必死に堪えた。
「レオンを見てないか」
「え? ああ……あいつなら、昼間また任務を受けようとしたから叱ってやったよ。その後は知らない。どうしたんだよ」
「家に戻ってない」
「……え?」
「西地区も見たが、あいつの姿はなかった。まずいぞ。もし勝手にパーティの中に入って、討伐任務なんて行ってたら……」
焦り顔のゾディアックを見てレミィは苦笑いを浮かべる。
「お、おい。落ち着けよ。あいつだって一応実力は持ってる。Dランクの任務だったら仲間がいれば大丈夫……」
「……この雨はマズい。いやな魔力を帯びている。嵐も近いから、水玉精霊が出てくる可能性が高い」
ヴォジャノーイ。その単語を聞いた瞬間、レミィの頬が引き攣った。
ある特定の条件下で現れる魔族や亜人達は、「特別討伐対象」と呼ばれている。滅多に人を襲ったりはせず、むしろ知能があるため争いを好まない傾向すらある。
だが、暴れだしたら知識があるがゆえに、さらに並外れた力を持っているため、手が付けられない。
特別討伐対象を討伐するのは、Aランク以上でなければならないと定められている。理由は至極単純であり、強すぎるからだ。ヴォジャノーイもその内のひとつである。雨が降っているとき、特に豪雨の時によく現れる魔族だ。
「もし心優しいヴォジャノーイが、嵐のせいで感情が高ぶっているとしたら、あの子達は容赦なく冒険者を襲う。レオンが安全に任務を達成してたとしても、ここに戻ってこれない可能性が高い!!」
ゾディアックは再び兜を被る。レミィはゾディアックの籠手を掴んだ。
「すまない。私は、彼がどこに行ったのか知らない……私が、あんな酷いことを言ったせいで……もしかしたら」
「……いや。レミィは悪くない。俺が悪い。しっかりと監視すべきだったんだ。だから責任を持って、レオンを見つけるよ」
「頼む、ゾディアック。レオンが任務に行ったかどうかはわからないけど、もし行っていたのなら……無事にここまで帰ってきてくれ。2人で。私はずっと起きてるから」
レミィの手に力が込められる。
「帰ってきて。冒険者が死ぬところなんて、見たくないよ」
いつもの気丈な態度とは一変し、ゾディアックに懇願する姿は、弱々しい女性の姿だった。
瞳が、涙で潤んでいる。
ゾディアックは兜を装備すると、レミィの手を両手で優しく包み込む。
「温かい飲み物でも用意して、待っていてくれ」
そう言って外に出ると同時に、黒い影がゾディアックを包み込んだ。突風が発生し、レミィは顔の前に腕を出して、風と雨水を防ぐ。
腕を下ろすと、雨音しか聞こえなかった。薄暗い虚空を見つめながら、レミィは小さく呟いた。
「……かっこいいなぁ、やっぱり」
レミィは目元を擦ると表情を引き締め、扉を閉めた。




