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第61話「ロゼが、好きだからだ」

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

 今、何が起こった。


 剣を振り下ろしたロゼの姿が白から黒に変わっていく。銀の髪が短くなっていき、金色に変色していく。

 命まで吸い取られてもいい覚悟だったが、先程瞳に映った光景のせいで、力を注ぐ動作を止めてしまう。


 錯覚だったのだろうか。

 微かに見えた黒騎士が、自分の剣を床に突き刺し、抵抗していなかったように見えたのは、陽炎のような幻影だったのだろうか。いや、そうであって欲しい。

 ただ、相手が反撃してこなかったという事実のせいで、一概に見間違えだと思えない。


 ロゼの額に汗が浮かぶ。

 攻撃の影響で発生した煙が、割れた窓を通り外に飛んでいく。

 そして徐々に煙が晴れて行き人影が見える。


 ハッキリとそれが見えた瞬間、ロゼの顔から感情が抜け落ちていく。

 次いで、目と口が大きく開かれ、顔が青ざめていく。


 そこにいたのは、半身を血に染め、大怪我を負ったゾディアックの姿だった。


♢◆♢◆♢◆


 まだ生きている。

 荒い呼吸を繰り返しながら、満足に動かせる左手で、剣の柄を力強く握り締める。

 そして”左”の視界で、目の前にいるロゼを見つめる。目が眩んでおり、色や姿を完全には把握出来ないが、赤い瞳だけは微かに見えた。


 白い光に包まれた時は、視界と聴覚がなくなり、全身の感覚が抜けて行った。

 本当に死というものを覚悟した。だがどうやら死にはしなかったらしい。


 兜は半壊し、顔の半分が外気に晒されている。

 鎧も半身が崩れかけており、右腕が血に染まり大火傷を負い、二の腕から先が変な方向に曲がっている。籠手は消し炭にされたのか、重さを感じない。

 具足も右足だけ砕け散っており、感覚が無い。動かそうとしても、指先すらぴくりとも動かない。

 ただ、何処かが千切れ飛んだりはしておらず、なんとか五体満足だった。

 

 頭に鐘が鳴り響いているようだった。激痛が走り、熱くなっていく。顔にべったりとした暖かさと液体を感じる。頭部から出血しているのだろう。顎から血が垂れ落ち、地面を濡らす。

 一歩足を動かそうとする度に、激痛が全身を駆け巡る。意識が朦朧としているが、ここで倒れるわけにはいかない。恐らく倒れたら、二度と起き上がれない。

 剣に体重を預け、息を整えようと荒々しい呼吸を繰り返す。


「ゾディアック……」


 目の前から泣きそうな声が聞こえる。そちらに目を向けると、ロゼが目に涙を浮かべていた。


「どうして……何で剣を振らなかった!!?」

「……」

「私を侮辱するつもりか! 決闘を踏みにじるつもりか! なんで、どうして……私の一撃に打ち勝つことなど出来ただろう!!」

「……」

「……薄汚い、吸血鬼だろう? 私は。何でお前……」

「……そういう、ロゼは」


 口から声を吐き出すと、喉が焼かれるように痛い。胸に毎秒大きな釘が打ち込まれる感覚に襲われる。

 それでもゾディアックは声を絞り出した。


「そういう、ロゼは、どうして、攻撃を外し、たんだ?」

「え……?」

「真っすぐ、俺を、狙えば……消し炭に、出来ただろう……」


 ロゼは押し黙った。視線を逸らし、何も言わない。


「同じだよ……」


 膝が折れそうになり、ゾディアックは柄を握る手に力を込める。


「俺は、ロゼを殺せない」

「……どうして」

「決まっているだろ」


 半壊した兜から見える、夜明けを告げるような透き通る青い瞳が、力強く輝きながらロゼを射貫く。




「ロゼが、好きだからだ」




 その言葉が嘘でないように。

 本心から言っていることを告げるかのように。


「薄汚い、なんて言ったこと……謝るよ。こんな傷じゃ、償いきれないかもしれない」


 全身の傷口から血が溢れ出てくる。力が抜けていく。右手の感覚が無い。


「それでもこの思いは嘘じゃない」


 奥歯を噛み締める。こんな大事な時に倒れそうになってどうする。

 体内に残った(ちり)のような魔力を全部使い、ゾディアックは一瞬だけ体の痛みを消し、姿勢を正す。

 真剣な顔は、ロゼの瞳にしっかりと映っていた。


「お前と一緒にいたいんだ、ロゼ……だから、俺と一緒に生きてほしい」


 刹那の回復。瞬きの痛み止め。

 その効果が消えていく。全身が悲鳴を上げ始める。せり上がってくる血を止める力もないため、口から血が吐き出され、零れ落ちる。


 それでも視線は外さなかった。

 随分と都合のいいことを言っていることはわかるし、ロマンチックなシチュエーションでもなければ、男らしい台詞でもない。ただの欲望を吐き出しているだけだ。誰が(なび)くものか。

 それでもこれしか言えないのだ。

 命を懸けて告白しているのだから、言葉なんて選ぶ贅沢は言えない。


 その時だった。黙っていたロゼが、駆け寄ってくる。

 閃光のような速度はない。魔力が枯渇し、震える足取りで必死にゾディアックに駆け寄ると、剣の柄を握るゾディアックの手に、自身の小さな手を重ねる。


「ふざけるな!! そんな、そんな、ふざけたことを言うなよ」


 ロゼは見上げて声を荒げる。ゾディアックの瞳に赤い瞳が映る。

 声は震えていた。ロゼは、尖った歯を見せながら怒りの表情を浮かべ、言葉を続ける。


「戦え! 私はお前の敵だ、吸血鬼なんだぞ! 私を殺せ!」


 重ねた手を必死に動かし、ゾディアックに剣を抜かせようとする。だが、びくともしない。吸血鬼特有の剛力すら、満足に発揮出来なくなっていた。


「もう私に魔力はない! お前が一振りすれば……私は……」


 ロゼは黙ってしまう。

 傷だらけのゾディアックを見て、それでもなお生きているその眼差しに気圧されてしまう。

 両者の間に沈黙が流れる。


「……出来ない」


 黙っていたロゼの耳に、ゾディアックの小さな呟きが入ってくる。


「もう、ロゼに……剣を振ることなんて、出来ないよ……」


 ゾディアックは剣の柄から手を放し、ロゼの手を握りながらフッと笑う。


「殺せよ」


 すべてを受け入れるように、胴体をがら空きに見せる。

 ここで殺せなかったら、それは負けである。ロゼはそれを重々承知していた。もしここで殺せなかったら、吸血鬼の誇りも、自分の生き方も、捨ててしまうことになる。


 それでも、それでも。


「……」


 ロゼの唇が震える。


「……ないだろ」


 頬に雫が伝う。


「出来るわけないだろ……」


 ロゼは小さな声でそういう。

 言ってはいけないことを言おうとしている。それは、駄目なことではないかと心が叫んでいる。


 それでも。

 それでも。


「私も」


 ロゼは告げる。自分の思いを。


「お前と一緒にいたいよ……ゾディアック」


 ロゼが思いを告げた瞬間、太陽の光が、荒れている玉座に差し込む。

 かたや半身を照らされる傷だらけの暗黒騎士。かたや半身を照らされる吸血鬼。

 どちらも太陽の明るさが似合わない2人だった。




「お前が、好きだよ、ゾディアック」




 なのに。

 涙を流し頬を赤くしながらそう告げるロゼの姿は、なんとも美しかった。

 なんとも太陽が似合う吸血鬼の姿が、ゾディアックの瞳に映った。


 もうロゼに戦う意思はない。

 剣を振るわず、ゾディアックは思いだけで勝利を掴んだ。

 それを理解すると、ゾディアックは。


 太陽の暖かさを感じながら、ロゼの手を握りしめ、ゆっくりと意識を手放した。


 都合6度目の勝負。

 お互いの全てをぶつけ合った勝負は、ゾディアック・ヴォルクスが勝利を収める結果に終わった。


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