第58話「男に生まれたことを、後悔させてやる」
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
酒場を出る。酒のせいで火照った体を撫でる風は、冷たく心地いい。
それほど酒が強いわけではないロゼは、若干顔が赤くなっていた。
手に持つ、ハイエナ達からふんだくった布袋が揺れる。金と宝玉を入れる入れ物が無かったためついでに手に入れた。
これで一件落着だ、そう思っていた時、酒場の扉が勢いよく開く。
「ロゼちゃーん! また来てねぇ!!」
「次はおじさんとポーカーしよう」
「今度連絡先教えてください!」
群がる男達に笑みを浮かべて手を振る。
今笑顔を向けている連中に、自分が吸血鬼だと暴露したらどんな顔をするだろうか。
それを見てみたいという悪戯心が湧いてきたが、今は一刻も早くゾディアックに会いたかった。
喜んでくれるだろうか。
意中の相手にプレゼントを贈るような心境だった。ロゼは緊張し、心がざわつくのを抑えた。ただ持ち主に素材を返すだけなのに、何を緊張しているのか、ロゼも自分で困惑していた。
無性に、あの綺麗で素敵な笑顔が見たくなってきた。
そう思いながらデスタンの村を出た時だった。
背後から何者かがつけている気配を感じる。先程までの浮ついた雰囲気を霧散させ、ロゼは近くの森へと足を踏み入れる。
それからしばらくして足を止めると、木々の隙間から男達が、ロゼを囲むように現れた。全員が武器を持ち、厭らしい笑みを浮かべている。
ハイエナ連中だ。ロゼは眉一つ動かさず、男達の動きを注視する。
「おいおい。勝ち逃げかぁ、ロゼちゃんよぉ」
野太い声が正面から聞こえた。
金髪の男、グラブが巨大な片手斧を持って姿を見せる。青筋を額に浮かばせ、頬がピクピクと動いているのが見て取れる。
「あんな下らねぇイカサマしやがって。俺様をコケにしたな……!!?」
「何だ? 負けたからって泣き言か? お前あんなイカサマとも言えない物を見抜けないで、よくギャンブルなんてやってたな。顔にすぐ出るタイプの馬鹿なんだから、無理に背伸びしない方がいいぞ。このアホ面め。私に喧嘩売っている暇があるなら、今日の反省でもしておけ」
容赦のないロゼの言葉に周囲から微かな笑い声が漏れる。
グラブはわなわなと震え、歯を噛み締めながら必死に怒りを堪えている。
だが、すぐにその堤防は決壊し、怒気という名の濁流が口から吐き出される。
「このクソ女が!! お前ら、コイツ生け捕りにしろ! 女に生まれたことを後悔させてやれ!」
「へぇ?」
瞬間、グラブの背筋が耕太。
膝裏を蹴られ隙が出来ると、首元に冷たい刃が押し当てられる。
先程まで目の前にいたはずのロゼは、いつの間にか背後を取っていた。
「本当はこんな鈍を使いたくはないんだがな。流儀に反する。だがまぁ、安心しろ。意外と切れ味はいいから苦しまずにスパっといくぞ。対人を想定して作られた暗殺者のナイフだからな」
耳元で囁くようにロゼが脅す。
首元に押し当てられるナイフの冷たさを感じたグラブは震えがった。怒りは沈下しており、既に抵抗の意思を見せてはいない。子分達も身動きが取れずにいた。
「何で私が単身でお前達に絡んだと思う? それが考えられないから阿呆だと言うのだ。たかがCランク如きが私を……あの騎士を舐めるんじゃあない」
ナイフが減り込む。もしこのまま横に引いてしまえば、グラブの喉に、赤い噴水が出来上がるだろう。
「わ、分かった。謝る。もう絡まねぇし、金目の物も持っていっていい。だから止めてくれ」
「いいや、止めない。最初からこうするのが目的だったんだからな」
「へ?」
壊れかけのゼンマイ仕掛け人形のように、首をゆっくりと後ろに向ける。
「男に生まれたことを、後悔させてやる」
怪物のような、狂気に満ちた笑顔を浮かべたロゼが双眸に映る。
そして手が動くと同時に、森の中から男達の悲鳴が轟いた。
♢◆♢◆♢◆
慣れ親しんだ道に出てくる。開拓されていない獣道であるため、人が見つけることはほとんどない。ロゼは自分しか知らないその道を進んで、古城を目指していた。空を見上げると朧月夜、いつもは明るく照らされる景観は薄暗く、何処か不気味であった。
歩いていると魔力の気配を感じる。
回復系の魔法だが、誰かが襲われたのだろうか。
ロゼの脳裏に一瞬、ゾディアックの姿が過ぎる。城の方角から感じ取れたからだ。
足を速め、森を抜け出し城の門前まで来ると、壁に背を預け、片膝を立てて座っているゾディアックが目に入る。何故か兜を外している。祭りの時にすら見えなかった寝顔が見え、輝く星の様な色をした銀髪が風でなびいている。
「ゾディアック!!」
焦りの色を浮かべて駆け寄る。
もし先程の回復魔法が彼に使われているのだとしたら、かなりの大怪我を負っている可能性がある。鎧だけでは全てを防ぎきれなかったのだろうか。
様々な不安が胸中を渦巻く中、近くに寄って膝を折ると、浅黒い頬に手を振れる。手の平から暖かさを感じ取る。
顔色はよく穏やかな寝息を立てており、目立った外傷もなかった。
「よかった」
安堵の溜息を吐く。
本当に死んでいたりしたら、あの村を冒険者の墓場にしていた。
よく見ると鎧にもほとんど傷が無く、回復魔法を使う必要があったのか疑うほどの外傷の無さだった。
ロゼは頬を膨らませる。
心配して駆け寄ったのが馬鹿らしい。焦らせたこいつが悪い。
「気持ちよさそうに寝やがって」
小さく呟き小突いてやろうと手を伸ばす。そして、その手に髪が触れる。
肌触りが意外に良かった。もっと固いと思っていたため、少し目を開く。
眠っているしバレないだろうと、何度か頭を撫でる。途中でゾディアックが呻き声を漏らしたがお構いなしだった。
満足すると柔らかい表情で寝顔を見つめる。
何処か幼い、可愛らしい寝顔だった。
近くに寄ってじっと見つめ続ける。恐らく、どれだけ見ていても飽きないだろう。近くで見れば見るほど、整った顔立ちをしていることが分かる。
「睫毛長いなぁ……」
呟いてから、はたと気づく。顔が近い。首を少し前に出せば、額がぶつかり合いそうなほど近かった。
ロゼはそれに気づきながらも顔を逸らそうとせず、むしろ近づけていく。
自分でも何故そうしているのか分からない。無意識で動いていた。
そして、互いの距離が零になる瞬間、ロゼは目を閉じる。
同時に、唇に柔らかい物が触れる。ゾディアックの唇が当たったのだ。
ただ重ね合うだけの、生娘が行うような拙い接吻、それはロゼにとって、初めての経験だった。口と口が触れ合っただけなのに、顔が火のように熱くなる。血を吸う時、首元に噛みつくのとはわけが違う。
一瞬頭が呆け、何も考えられなくなり、何も聞こえなくなった。
世界で2人しかいない感覚に襲われたかと思えば、心臓が高鳴りその音が徐々に大きくなっていく。
行為を終えるため、唇を歯餡巣。時間にすれば5秒と経っていない。
ゾディアックは相も変わらず、穏やかな顔で寝息を立てている。対しロゼは、耳元まで真っ赤になった、切なげな顔でゾディアックを見つめ続けている。
寝てる隙にキスをするなどという、ある意味卑怯な行いをしてしまった。
だが何故か興奮しているし、もう一度したいと思っている自分がいる。
「変態か、私は」
呟く。その吐息ですら触れるほど顔が近い。
邪な思いを振り払うように、ロゼは顔を遠ざけ、ゾディアックの寝顔を観察する。もはや愛しさすら感じるそれを見続けると、自然と頬が緩んでしまっていた。
だからだろうか。心の底にしまっておいたあの言葉を零してしまう。
花火のせいで聞こえなかったであろう、あの言葉を。
「好きだよ、ゾディアック」
恐らく届いてはいない。言って自分が満足したいだけだった。本音を言えば前向きな答えを聞きたいが、それは高望みという物だろう。
2人は戦わなければならない運命からは逃れられない。
吸血鬼と冒険者、敵同士で相容れることは決してない。だからこの思いだけは吐き出しておきたかった。
命を懸けてぶつかり合う前に、言っておきたかった。
ロゼは満足そうに笑みを浮かべると、布袋をゾディアックの隣に置き、立ち上がって城を見上げる。
表情から既に笑みは消し去っている。
後は待つだけだ。
ゾディアックとの戦いに、備えるだけだ。
ロゼは力強い足取りで、自分の城であり牢屋である古城の玉座へ向かって飛んだ。
朧月が笑うかの如く、ロゼを照らす。そして両者の間を、まるで袂を分かつかのように、一陣の風が吹いた。




