第53話「ロゼのことを、俺は大切に思っているから」
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
毒のせいで満足に動けず、首を動かすのがやっとのインプにとって、霞がかった瞳に映る人影は、さながら処刑人のように映っていた。
ゆっくりと近づいてくる人影は、巨大な剣を担いでいる。
インプは怯えた目を震わせ、自分の足に力を込める。
ここで立ち上がらないと殺されてしまう。立たなきゃ死ぬ。
だが、体に力が入らない。
いつ訪れるか分からない、逃れられない死の恐怖に怯えながら、インプの瞳がその黒い影を映していた。
♢◆♢◆♢◆
吸血され体調も万全ではないロゼは安堵の溜息を吐く。
「お嬢様!」
ジャックが駆け寄り首を垂れる。
ロゼは口で呼吸しながら、ボロボロの姿で片手を上げる。服は破れ肌色が多くなっており、色白の肌に赤は目立っている。腹部の出血は止まっているが、大量に流れた血の痕が生々しい。
「手酷くやられましたな」
ロゼは鼻を鳴らして腕を組むと、顎を上げる。
「本当はもっと楽に倒せると思っていたんだが、どっかの騎士が私を虐めてくれたおかげで苦戦したよ」
聞こえるように大声を出す。ゾディアックは首から上をロゼに向ける。兜のせいでどんな表情を浮かべているのか、ロゼには分からないが、申し訳なさそうな雰囲気は伝わってくる。
「この借りはそいつにトドメを刺したらチャラにしてやろうじゃないか」
「ああ……」
短く答え、蹲っているインプの近くに寄り、その小さな体を見下ろす。
どこかに穴が空いたような、か細く弱々しい呼吸音が聞こえてくる。インプはもはや虫の息であり、指一本も動かせないのが見て取れる。
視界に映る、血の付いた小さな手の指が、小刻みに震えていた。
今助けようと動いても、手遅れな状態であることは明白であった。
「……いいのか」
「はぁ? 何を言っているんだ、お前」
後方に言葉を投げると、ロゼは馬鹿にするような口調でそう言った。
「ロゼが、トドメを刺さなくていいのか」
「馬鹿か。私が殺したんじゃ意味がないんだよ。冒険者のお前が殺すことに意味があるんだ」
「……そうか」
「というより、それはお前の探していた魔物だぞ。手柄にしないでどうする。もっと嬉しそうな顔をしろ」
「……仲間じゃないのか、この子は」
「……ああ。仲間だった。だけど、刃向けられたらそうも言っていられないだろう。そいつはやっちゃいけないことをした。だから死ぬ。それだけだ」
そう言ってロゼは視線を窓の外に向ける。
小雨が降っており雷の音は聞こえない。薄暗かった風景も、心なしか、少し明るさを取り戻しつつあった。
それ以降ロゼはゾディアックを見ず、何も言わなくなった。
必死に視線を逸らしているようにも見えたが、ゾディアックは何も言わず、担いでいた剣の柄を両手で握り、切先を真下に向けるよう持ち上げる。
狙いを小さなその背中に合わせる。少女の見た目をしていても、凶悪な魔物であれば、傷つけるのに何の躊躇いもない。
それはゾディアックだからではなく、冒険者であれば誰もが持たなければならない覚悟なのだ。
「……見てくれで情けをかけられると思うなよ」
びくっとインプの肩が上がる。何処か助かるかもしれないと期待していたのだろう。
だがゾディアックの言葉により、退路を断たれたインプは涙を流し始めた。
「ごめん……なさい。もう、しませ……ん。助けて……死にたくない……」
必死に声を絞り出す。遠くからロゼの舌打ちが聞こえた。
両手に力を込める。
「お前が殺してきた相手も、同じことを思っただろうな」
ゾディアックは哀れむ目を向け、冷たく言い放った。
同時に、大剣の切先が、インプの胴体を貫いた。
恨み言も叫び声もなく、一瞬で相手は絶命し、ごとんと頭を床に打ち付けて突っ伏す。
床に黒ずんだ血が広がっていく。
「……気に入っていた。それは、本当だったんだがな」
小さなロゼの呟きは誰の耳にも入らず、室内に吹いてきた風にかき消された。
♢◆♢◆♢◆
手を貸す必要などなかった。結局ロゼはひとりで魔物を討伐した。ゾディアックの出番はトドメのみという、美味しい所を頂いただけという、あまりにも呆気ない幕切れだった。
剣を突き刺したまま、魔物の傍に跪いて喉に指を当てる。生体反応はなく、魔力も切れていた。完全に死亡していることを確認し、立ち上がって剣を引き抜くと血を振り払う。
これで自分の仕事は終わり、任務を報告すれば報酬も貰えるだろう。
そう思いながら、剣を背負う。
だが、ここで帰るわけにはいかない。
ゆっくりと振り返ると、ロゼもまた、立ち塞がるように移動し始める。
顔色が悪く、疲弊しているのが見て分かる。体中の傷は何とか治したらしいが、服の損傷はそのままだ。
ロゼはその姿のまま敵意を剝き出しにし、ゾディアックに対し微笑む。
「ご苦労、ゾディアック」
「……ああ」
柔らかい物言いが不気味で、ゾディアックは動けずにいた。
「駆けつけてくれて感謝する。お前がトドメを刺してくれたおかげで、私達は殺されずに済みそうだ」
ロゼの顔から笑みが消える。
「だがこのまま消えるわけにはいかない。まだ私にはやり残したことがあった……。お前との決着だよ、ゾディアック」
「……」
「もうじき、ここに冒険者が来るだろう。さっさとお前と戦って、どちらが上か決めたい」
ロゼの真剣な声色に、ゾディアックも身構える。
だがそこまで言ってから、ロゼが表情を崩し、肩の力を抜いた。
「そう言いたいところなんだがな」
「……どうした」
「魔力切れだ。度重なる強敵との戦闘で、もう上手く体が動かせん」
右手を上げてみると、小刻みに震えていた。魔力が切れると、目に見える様々な不調が体に現れる。時には内面にも。ロゼの場合は一種の神経麻痺状態に陥っていた。
「私を殺してくれ、ゾディアック」
疲れ切ったロゼは、弱々しい声でそう言い放つ。
出来ない。そうゾディアックが言おうとした時、耳に音が飛び込んでくる。馬の音、冒険者達が来る音だ。どうして今と思うと、ジャックが顎に手を当てる。
「ゾディアック様がここに来た影響ですかな?」
その通りだとゾディアックは思い、歯を噛み締める。
Jランク、という高位すぎるランクを所持しているゾディアックは、冒険者達の間に姿が当然知られている。
そんな有名な者が馬に跨り城に単身向かったのを見て、おこぼれを頂戴しようとする輩が追ってきていた。
流石のロゼも、この状態では抵抗もままならない。
よしんば抵抗した所で状況は悪くなる一方だろう。ロゼの代わりにジャックが戦った所で、騎士団やより強力な武闘派集団が押し寄せてくるだろう。
「ゾディアック。殺してくれ。お前になら殺されていい。名も顔も知らない愚か者の冒険者達に嬲られたくない。お前に殺されたい……」
声が若干震えていたが、力強さを感じる。死への信念は曲げないつもりだろう。
それに対しゾディアックは、頭を振って否定の意思を示す。
「……汚い吸血鬼は嬲られろってことか」
「違う」
落胆するロゼの言葉を遮る。
「俺が、ロゼを守る」
「……え?」
「時間を稼ぐ。その隙に魔力を回復させて、ジャックと一緒にこの城から逃げろ。ジャックに抱えてもらうより、そっちの方が確実で安心だろう」
その言葉を聞いてロゼは慌てて声を張り上げる。
「ふざけるな!! お前にそこまでしてもらう義理はない! 連中が、このインプの死体だけで納得するかどうかは分からない以上、お前が不自然な態度を取ったら争いごとになるかもしれないんだぞ!」
「わかってる。争いごとになっても、ここに迷惑はかけないさ」
「わかってない! もしランクが取り上げられたらどうする! 努力して掴んだ証だろう? ここで手放していいのか!」
「……俺にとってはランクなんかより、ロゼの方が大事なんだよ!」
力強く言い放つ。ロゼは黙り、ゾディアックは頭を下げる。
「剣で斬ったり、酷いことを言って本当にすまない。どの口が言っているんだ、って思うかもしれないが……君には生きて欲しい。ロゼのことを、俺は大切に思っているから」
「……ゾディアック……」
それ以上、2人は言葉を交わさなかった。
ゾディアックは返事を待たずインプの死体を抱きかかえると踵を返し、部屋から出ていく。
その大きく黒い背中を、ロゼは黙って見送ってしまった。止める間もなく、何を言っていいのか分からなくなっていた。
ジャックが動き始めたのは、ゾディアックが完全に部屋を出てからだった。




