34話 推理、或いは決意
さい、あく、だね。
本当に最悪の気分だよ。
僕は、徐々に遠ざかって行くご主人サマの気配に対してそう毒づいた。
自然と目元に深いシワが寄って、険しい目つきで虚空を睨みつける。
「……ど、どうしたんだよ、魔蔵」
不意に立ち止まって、突然にあらぬ方向を睨みつけ出した僕に、愚かなグラスホッパーが不審げに問いかけてきた。
きみは……ちょっとの間、黙っていることはできないのかな。
「――土蔵、進路は今、どうなっている?」
「え? 魔蔵が言ったとおり……西の聖都に……」
ふん、なるほど……そうだったね、でも……。
「仕方ないね、最後のグリモワールを、……に入れたいところだったけど」
僕は、怪訝な視線のまま、僕を見下ろすグラスホッパーを一瞥し、また言葉を紡ぐ。
「じゃあ、このまま進路を王都、人の国の都に移して」
それを扱う者がいないのなら、グリモワールなんて精霊を閉じ込めるための蛹に過ぎないからね。
僕ラは、精霊だ。今代の精霊の中で、最も早くに目の覚めた、魔道書の守護者だ。
全てを捨て、全てを得た。僕ラはそんな、哀れな存在だ。だからこそ、他の精霊は過去を知らない。
土蔵でさえ、僕との過去を覚えてはいない。いい、それで構うことはない。
なぜなら、忘れるということは、僕に言わせれば滑稽で、それこそ悲嘆の極まだけれど、彼女ラは、土蔵は、忘れることで、今が幸せなんだろうから。
僕は、前を進みゆく2人の、大きな背中と小さな背中を見やる。ご主人サマが、“ダレか”の指示で、王都で勇者たちを襲撃した。
それが、どんなことになるかもしれないで、140年前の、悲劇の引き金を、ご主人サマは知らぬとはいえ、その手で、その引き金を引いてしまった。
もう戻れないところまで、魔道の渦は沈んで行ってる。本当は、こんなことは僕ラだけで片付けてしまいたかったけど。
ぼくは、前を歩く、大きい方の背中を強く見つめる。瞬間、僕の胸に走る、甘く、切ない疼き。
飛蝗――グラスホッパー。ご主人サマが創り出した。人身御供。サウルちゃんの代わり。
僕は目を細める。狭まり、暗がる視界の中に、それでも2人の背中は消え失せない。
もう、こうなったら、枢密院も、マンティスの兄弟どもも信用する事はできない。
140年前の……ひいては、8年前に起きたっていうテンペストが……何者どもかの、複雑に絡まり合った目的の中で、再び引き起こされようとしている。
そして、その渦中には、何も知らない、その複雑な糸に縺れて、身動きを失ったご主人サマがいる。
僕は、そんなことは認めない。何も知らないご主人サマが、そもそも、この世界での住人ですらないご主人サマが、その渦の中に穂おり出されることはない。
――この世界の、住人じゃあ、ない。
――引き起こされかけている、140年前の悲劇の再現。
――そして、事実、8年前に再び行われた、テンペスト。
皇帝の生まれた年、8年前、サウルちゃんのお母さんが死んだのも、8年前。
ッ……――!?
そうか、なら……僕ラは、それを利用してやればいい。ここまで、これまでサウルちゃんのエゴによって召喚され、無垢のままこき扱ってきた報いだ。
枢密院も、サウルちゃんも、マンティスも、パピヨンも。全て、今までの報いを与えてやろう。
彼らが行おうとしているテンペストを利用して、ご主人サマを……ついでに、竜登たちを。
元の、世界に返そう。