32話 降臨、或いは離別
「止まれ! 怪しいやつめ!」
「貴様、どこからやってきた!正規の客の類ではないな、もしや魔族の手のものか!」
全ての闇を暴く太陽の光の中、人の世界の、文明のその高さを象徴する気高い白亜の壁の前に、神経質な声が響いた。
王城の正面、各国の来賓、商人、国民すら迎え入れる、高貴なる顎、その大門を護る2人の衛兵の放った言葉だった。
彼らは、門番として与えられた長槍の切っ先を構え、突然に現れた怪しげなな少年に向かい怒鳴った。
昼間の雑踏すら、その真っ黒な衣をすっぽりとかぶった少年の前には森閑としか影が落ち、物体の動きすら音をたてない。
しかし、門番達はその闇より深い衣を、口元だけを覗かせる少年の雰囲気に飲まれず、切っ先はぶれない。
が、それ以上に少年の纏う空気は底知れぬ深遠だった。彼らの生きる世界とは一線を画していた。
少年は、漆黒のフードから唯一のぞかせた口元に、緊張のかけらもない笑みを、ふにゃりと浮かべた。
「そういう台詞ってさ、聞き覚えはあるけど本当に聞くことってまずないよね」
少年の背丈から換算すれば連嶺以上に幼くすら映る言動と所作は、むしろ門番たちの心を不気味さにゆらしていた。
しかし、切っ先はけしてぶれなず、真っ黒なトガの少年を捉える。鈍い銀色の刃を埋め尽くす様に黒が映る。
「本当はさ、こう言う機会もうちょっとは楽しみたかったんだよね、せっかくマンティスがくれんだしね」
――けど、と少年は続ける。昼とは思えないほど、周りの音は沈み、心の中の静寂が降る。
「そうも、言ってられないよね。ごめんね、門番さん、おやすみ」
少年の口が動いた瞬間、門番である彼らの体が回避の姿勢をとるより一瞬早く、石柱が彼らに突き立った。
「ふぅ……ん、人間に使うのは初めてたけど、うまくいったかな?」
ぼくは、ほんの数秒前に自分の魔力で生み出した石柱に手を触れた。冷たい、ヒヤリとした石の感触が手から伝わる。
石柱を挟んで、ぼくと反対側、いつの間にか閉ざされた城門の足元には、ぼくの石柱を鳩尾に食らって気を失っている門番さんたちが転がっていた。
ふぅ……ん、最初から殺すつもりなんかなかったけれど、石柱の材料になる石畳が周りに少なかったのもあってダメージは少ないみたい。これなら早く行った方がいいね、いきなり目を覚まされても面倒だし。
ぼくは、目の前で閉ざされた城門を睨みつけた。大まかな材質は鉄に木か……普通に開けるのはちょっと難しいかな。
気を失ったまま呻く門番さんを跨ぐと、その門のすぐ横、大理石の分厚い壁を触った。
ぼくの作った石柱なんかよりもずっと滑らかで、綺麗。素材がいいこともあるだろうけど、魔力に頼らないで一から手作業で磨いたからこそ、ここまで綺麗になってるんだろうね。感服するよ。
――でも。
「まさか、城内を護る為の石壁が、侵入者の為の足がかりになるなんて、飛んだ皮肉だよね」
ぼくは、大理石に触れている右手に魔力を込めた。
「お、おい! 大丈夫か?!」
勇者たちが王城に着いたとき、彼らの目に飛び込んだのはあまりにも悲惨な光景であった。
門を守るはずの衛兵は気を失って倒れており、何より、門をが失われていた。文字通り、周りの壁ごと根こそぎ消え失せていた。
「一体、何が……」
茫然とした面持ちのまま、門を見上げ言葉を漏らすタケル。その隣には沈痛な顔で門を睨みつけるカタリナ。
「しっかりしろ! 目を覚ませ!」
「っ外傷は、ありません! すぐに、目を覚ますと思います」
気を失い、呻いていた門番を揺すり、語りかける竜登と、倒れる2人に治療の魔術を施すルチア。
その、ルチアの言葉の通り、やや辛そうながら、1人の門番が目を覚ました。
「っ……勇者、さま……王女様、もうし……わけ、ありません。魔族の侵入を……ゆるし――」
しかし、その門番の謝罪を途中で遮るようにカタリナの制止の声が、凛と貫いた。
「いえ、良いのです……この重大事に城を開けていた私がいけないのですわ……」
その言葉の響きは、門番への謝罪以上に、独白の如く、聞くものの胸を締め付けた。
だが、カタリナは、痛みをこらえる以上の顔を、決意の光を再び紫の瞳の中に燃やしていた。
高貴なる者の足音が、一歩踏み出し、吠える。
「……行きましょう」
彼女は、まさしく王者として、彼らを引きいていた。
「サンティオ、あなたはどうする?」
ふと、突然、ナギが静かに声をあげた、その視線はいままで竜登に担ぎ上げられてきたサンティオに向けられていた。
全員の視線が、彼に集中する。
当の彼は大勢の視線を一身に浴び、居心地が悪そうにうつむきながらも、声はしかし震えない。
「一緒に行っても……いいの、か」
躊躇いがちに、途切れながらも覆らないことを予測させる固い声が、精霊達の耳にも届く。
一瞬間、誰もが沈黙したが、しかし。
「もちろんだよぉ、だってきみ、りゅぅと君が選んだんだもんね、きっとタダモノじゃないんだよ」
不安そうに小さく震えるサンティオの背中を抱きすくめながら甘い声を囁く精霊、ラキ。
涼やかな象牙の肌が、薄汚いサンティオの褐色の細い体を包み込み、柔らかく力を込める。
「それに……キミ、とってもわたし気になるんだ……」
ラキの言葉に、誰も反応しないが、しかし彼らから臨む影には、ラキの言葉への全面的な肯定が描かれていた。
「決まり、だな……」
肩をすくめながら仕方なし、とでもらいいたげなタケルの声が響く。しかしその声の中には若干の嬉しさと多分の優しさが含まれていることは誰の耳にも明らかだった。
「……行きましょう!」
勇者たちは、王女へ足を踏み入れた。
俺は、相変わらず竜登のにいちゃんに抱えられたまま、一生足を踏み入れることなんてないと思って居たお城の中を突き刺すんでいた。
うしろに続く人たちまで、慣れた様子で廊下を走って続く。祭典の時などでしか見ることのできない王女様まで、紫色の綺麗な目を、時期王位継承者の証を必死の色に染めて勇者様たちに続いていた。
俺は、肩に抱きかかえてくれる竜登のにいちゃんの横顔を見た。にいちゃんも険しげに眉を釣り上げて走り続けている。まるで、どこへ向かうか最初からわかっているみたいに。
そわならことを思いながらふと視線をずらすと、竜登のにいちゃんの横を飛ぶように浮かんでいるナギ、精霊の姉ちゃんと目が合った。
どうやらさっきからずっと、俺のことを見つめていたみたいだった。瞬間的に逸らされる真っ赤な目が、とても不思議だ。
さっき聞かれた時もそうだけど、ナギの姉ちゃんはかなり俺のことを気にしてくれているみたいだった。ナギの姉ちゃんほどじゃないけど、ラキの姉ちゃんも、街道を走っている時やなんかにも話しかけてくれていた。
タケルのにいちゃんは、そんな俺に、精霊に好かれやすいのかもな、なんて笑いかけてくれた。
王城の廊下は綺麗だ、本当は侵入者が現れたなんて、嘘みたいに、綺麗だった。
そして、ついに竜登のにいちゃんは足を止めた。
「――ここから、だよな」
今まで聞いてきた竜登のにいちゃんの声で、一番緊張感を持った声が、耳に届く。
しかし、止まっていたのは一瞬だけだった。
「お父様! お母様!」
青ざめた顔をした王女様が突然、その今までの扉とは比べものにならないほど大きな扉を開いて、部屋に飛び込みかけたからだ。
「ッあぶねぇ! カタリナ!」
王女様が部屋に飛び出しかけたその瞬間、開け放たれた扉の向こう側から、突然灰色の闇が……灰塵が吹き上げた。
灰塵に巻き込まれる寸前だった王女様を竜登のにいちゃんがとっさに腕の中にかばった。
迫りきた灰色の闇は王女様の鼻の残り数センチというのところまで迫ると勢いをなくし、床へと落ちて行った。
そして、俺は目を見張った。
「っにいちゃん、あれ!」
俺がとっさに指差した床下、そこに王女様とにいちゃん、ナギの姉ちゃんの視線が集中した。
「――な、なによ……これ」
三人の視線が集まるさなか、灰をかぶった床下は、みるみるうちに、その元の色を失って行って、ついに……
「……石に、なったの?」
後ろからルチアの姉ちゃんのほうけた声が聞こえる。
その通り、たった数秒、僅かの時間の間に、俺たちの目の前で床が灰色の命を感じさせない石に変わってしまった。
「っな……?!」
とっさに、誰かの声が上がる、それ以外の人達はまるで声が出ないって感じだった。でも、沈黙は一瞬だった。
「――お父様っ!」
誰よりも早く我を取り戻した王女様はにいちゃんの腕を振り払って半ば石となって色を失った扉の中へかけて行った。