20.旅立ちと再出発 後編
どうしてこの場所に桜の木が生えたのか、それは誰にもわからない。
けれど、これは偶然に生えたわけではなく、次元竜が残したものではないか。
シーベスはそんな気がしていた。
次元竜が最後に見た白き天の使者も、こんな風に潔く舞っていたのではないだろうか。
「……そういえば、私。あなたに訊きたいことがあったの。今更だけど、フランは国王の座に興味なかったの?」
唐突な問いに、フランシェルは不思議そうな顔になる。視線は散る花弁に向けられたまま、彼は淡々と答えた。
「初めから俺は国王になるつもりなんて、全然なかったよ。弟が継げばいいとずっと思っていた。現正妃の方は俺を無茶苦茶嫌っていたけどな。兄弟仲はそれほど悪くなかった、と俺は思っている。あんな母親だから弟も表立って俺に会いにくることはなかったし、俺は俺でこんな体質だからそうそう気軽に会えるわけでもなかったけどさ。多少、気が弱い所もあるけど、俺よりも弟の方がよほど王に向いていた。だから、もし決まり通りに俺が王になってしまったら、すぐに王位を弟に譲位するつもりだった。古いしきたりに従うなんて馬鹿らしいだろ? 向いている者が王になった方が、下にいる者達だって良いはずだ」
シーベスがキョトンとなる。彼女は不思議そうに首を傾げた。
「それなら命を狙われる必要なんて、どこにもなかったんじゃないの?」
王位を譲ると言うのに、それでも命を狙われなければならない理由があるのか。
彼女には想像もつかず、理解もできそうにない。
「相手に話が通じる場合は、な。現王妃は俺の存在そのものが疎ましかったんだよ。王位を譲ったとしても、俺が生きていること自体が目障りだった。王の目がしっかり届いている内はまだ、嫌がらせ程度で済んでいたけどな。今や、王は寝たきりで意識が無い。現正妃はこれ幸いと、俺の毒殺や暗殺を企んでもなかなか死なないから、痺れを切らして罠を張り巡らしたのさ。間抜けにも俺はその罠にまんまと引っ掛かった」
フランシェルは苦虫を噛み潰したような表情になり、言葉を吐き捨てる。
「罠?」
「俺が王の毒殺をして失敗した。それが本当なら反逆罪だ。そんな話が真しやかに王宮内に流れ、審議を問われた。身に覚えのない証拠を上げられ、だけど、俺にはそれに反論できる、対抗できるだけのものがあの時にはなかった。すべては現正妃とそれに追随する者達が仕組んだ罠。気づいた時には遅かったんだよ。そろそろこのまま城にいるのはやばいと思っていた時期でもあったから、殺される前に城から逃げ出した」
シーベスは言葉の続きを静かに待った。フランシェルが吐息をつき、続きを語る。
「王を毒殺未遂した大罪人。反逆者という、大義名分ができた。それがこの、一連のゴタゴタだ。これほどしつこく、無茶苦茶なほど現正妃に憎まれているとは、さすがに俺も思っていなかったよ。その理由も俺にはいまだに理解できないけどさ。俺の事情にこの森を巻き込んでしまったのは、本当に悪いと思っているんだ」
悲しげに顔を歪め、フランシェルは空を見上げる。桜花の隙間から満月が見え、その光が地上を静かに照らし出していた。
「どうして今更そんなことを訊いたんだ?」
シーベスは少しだけ目線を彷徨わせた後。
「もしかしたらお節介をしちゃったかと思ってね。フランを追い掛けていた男達に、遅効性の周囲に広がる忘却粉の特別版を吸わせておいたの。まだ試作段階だから効果の程ははっきり言えないけど、ある一定の期間内で接した者すべてに特定のことを忘れるよう作用するものなの。本当にゆっくりじわじわと、本人も周りも気づかない内に違和感もなく忘れる。今回、あなたの存在を忘れるよう作用するはずだけど、使って本当によかったのかと思ってね」
彼の顔を窺うように見る。
フランシェルは無言だった。そのままの態勢で満月を見つめている。
沈黙に耐えかねて、シーベスが口を開く。
「今ならまだ間に合うわ。あの男達に魔女の薬を無効化させる薬を吸わせれば、粉の効果は消えてあなたの存在は記憶に残る。まあ、死んだことになっているのは変わらないけど――」
困った顔で早口に捲くし立てる彼女に視線を向け、フランシェルは微笑んだ。
「別にそのままでいいよ。俺はあそこでは死人になるんだから、その上存在が消えたってどうってことないさ。その方が後腐れなくて良いかもしれない」
成長したとはいえ頭一つ分は低い位置にあるシーベスの頭を、彼は子供にするように撫でる。頭を撫でられたことなどずいぶん昔のことで、シーベスは思わず身を硬くした。
「さてと。これからどうするかなぁ」
明るく呟き、フランシェルは伸びをする。
「……旅にでも出るか」
頭や服についた花弁を払い、シーベスはその顔に意味深な笑みを浮かべる。
「何、寝惚けたことを言ってるの。魔女に貸しを作ると高いのよ。きっちりと払ってもらうからね」
シーベスの発言にギョッとした顔になり、フランシェルは彼女の顔をマジマジと見つめる。そして、ふいっと視線をそらした。
出会った時から、それなりに整った容姿をしているとは思っていた。それが突然成長して、今のシーベスは愛らしい年頃の少女だ。当たり前のことだが、容姿が大人に近づき、意味深な笑みがその顔に妙に似合っている。
今でも十分だろうが、後二、三年もすれば確実に男泣かせの美女に変貌しそうだ。
そこまで考え、フランシェルは自分の考えに笑った。魔女の外見がどういう時間で変化していくのか知らないが、今のこの状態からもわかるように人間の時間で考えても意味がないだろう。
「何よ。何かおかしい?」
自分から視線をそらしたと思ったら突然笑い出すという挙動不審なフランシェルに、シーベスは子供のように唇を尖らせた。
その姿が、余計に彼の笑いを誘った。
肝心なことを忘れていた自分に気づく。
外見が変わろうと、彼女は何も変わっていない。
彼女にとって、外見の変化はあまり気にすべきことではないのだろう。気にした様子も、あまり見られなかった。
「私は怒っているんだからね。私に眠り粉を投げつけたことも、きっちりその身体で返してもらうわ。あなたは今日から私の使い走りよ」
鼻先に指を突きつけ偉そうに宣言されても、フランシェルの笑いは止まらなかった。
理由は何であれ、居場所を失った自分に新しい居場所をくれるというシーベスの好意をありがたく受け取る。
「はいはい。わかったよ、お姫様。俺は旦那候補みたいだし、責任は取るよ」
からかい半分で、すっかりどこかに忘れ去られていた話を蒸し返す。
シーベスは本気ですっかり忘れていたらしく、彼の言葉に頬を赤く染めて慌て出した。
「だから、あれにそんな意味はないんだって。あなたがしろしろって急かすから、しただけじゃない。だから無効よ、無効。そんな責任、取らなくていいからね」
目を吊り上げ抗議するシーベスの姿は、それでも可愛らしく彼の目に映る。
尽きることなく桜花が二人の頭上からヒラリヒラリと舞い降り、足元に新たな薄桃色の絨毯を形成していた。
「フランは王子廃業して正解よ」
シーベスがそっぽを向き、口を尖らせる。
「何で?」
フランシェルが首を捻った。
「だって、全然王子らしくないもの」
「ああ、そういうこと。俺もそう思うよ」
納得して頷く彼を、彼女はクスクスと笑って上目遣いで見る。
「でもね。王様には向いていたかもしれないわ。きっと良い王様になったと思う」
わけがわからないという顔になり、フランシェルが反論する。
「王子らしくないのに、王には向いている? それってすごく矛盾してないか」
「全然。王子らしくないから、王様に向いているのよ」
フランシェルが唸る。やはりよくわらない理屈に、彼はしばし悩んだ後、深いため息をついた。
その様子を見て、シーベスがおかしそうに笑う。
花弁を散らす桜の大木と、夜空を照らす満月と、穏やかに吹く風と。
止まっていた時間は完全に過去へ。新たな時間は未来へと歩み出す。
新たな関係へと、二人は進み出す。




