19.旅立ちと再出発 前編
真実を語り終え、女は呆然としているシーベスとその隣で意外そうな顔でこちらを見ているフランシェルに目を向ける。
「真実はこんなものさ。あたしの死に人間はこれっぽっちも関わってないよ。次元竜が我を失って力を暴走させた原因は人間だし、そのせいで閉じかけていた次元の穴が再び開き始めたのは事実さ。でもね、私の死は己の力を過信したせいで起こった、まあ事故みたいなものなんだよ」
「この場所にその、次元の穴って言うのは始めからあったのか? それはなんで?」
「人間の坊や。ここは次元竜が地上に現れた場所だったんだよ。どうやら歳のせいか力加減を間違えたみたいでね、通った時に小さな歪みを生んでしまった。だから、彼はここで身体を休めながら自身に負担がかからないようにゆっくりと歪みを閉ざしていたんだよ。そして、その最中にあんなことになってしまった」
諭すように答え、女は苦笑する。
過去を変えることはできない。それはもう遠い昔の思い出でしかない。
たとえ今もまだ、鮮やかに思い描くことができたとしても、その事実に変わりはない。
「他に訊きたいことはあるかい? ついでだから答えてあげるよ」
風に舞い、桜の花弁が降りしきる。ヒラヒラと踊るその様は、からかいを含み笑っているようだった。
「結局、次元竜は死んだのか?」
この場に姿のない次元竜。先程の話では、生きているとも死んでいるとも受け取れた。
「今は、というなら彼の寿命はとっくに尽きてしまったよ。この桜は彼が死んだ後、その代わりのように生えてきた代物だ。だけど、あの時に死んだのかと言えばそうじゃない。彼は本当に眠りについただけだった。ただし、眠りについたまま一度も目を覚ますことなく逝ってしまったけどね。とても穏やかで静かな、彼らしい死に方だったよ」
細められた眼差しの先で過去の姿を追っているのだろう。髪を掻き上げ、女は自由に舞う花弁を切なげに目で追っている。
桃色の花弁に何を託し、何を残したのか。ヒラヒラと、ヒラヒラと。
ただ散る桜花に、問う言葉も返る言葉もない。
「婆様が死んだのは、人間のせいじゃなかった…の……?」
桃色の絨毯と化した地面を見つめながら、シーベスは呟く。俯いた顔は髪に隠れて、フランシェルからは彼女がどんな表情を浮かべているのか見えない。
小さな呟きは風に乗り、女の所まで届く。仕様のない子だねぇとでも言いたそうな表情を浮かべ、女がゆっくりと肯定するように頷いた。
「ああ、そうさ。だから、私のことで人間を恨むのはお門違いだよ。今までのあんたは人間の一面だけしか見てこなかった。悪い部分にしか目が向いていなかった。誰にだって、どんな種族にだって、色々な者がいる。人間もまた、そうなんだよ。悪い面も良い面も持っている。いつまで気づかない振りをしているつもりだい?」
あんたの隣にいる坊やだって、いちおう人間だろ?
女がまっすぐにシーベスだけを見下ろす。その射るような視線の強さに、シーベスが顔を上げる。そして、一瞬だけ視線を合わせた後にまた下を向いた。
「そんなこと、言われなくてもわかっているわ」
ぽつりと呟き、シーベスは唇を尖らせる。面白くなさそうに小さく地面を蹴ったその姿は、不貞腐れた子供そのものだった。
その様子を見て、女はうれしそうに声を立てて笑う。
「相変わらず素直じゃないねぇ。これでようやく肩の荷が下りた。シーベスのことは人間の坊やに任すよ。なんたってあんたは……」
「婆様、言っちゃ駄目!」
女の言葉を遮り、突如シーベスが叫ぶ。その顔は先程とは打って変わって夕日のように真っ赤に染まっている。
「なんでだい。人間嫌いのあんたが人間の……」
「言わなくていいの! あれは不可抗力よ。緊急事態だったの。だから、そんな意味はなし。まったくなかったんだからね」
傍観していたフランシェルが首を捻る。
二人の視線はチラチラと自分に向けられているし、どうにも自分の話をされているようなのだが――意味がわからない。
「俺が何?」
訝しげに問い掛けるが、
「何でもない。何でもないから気にしないで」
シーベスはこの調子で、女はニヤニヤしながらそんな彼女の様子を見ているだけ。
フランシェルは何が何だかさっぱり事情がつかめず、しきりに首を捻った。
「……さて。時間かねぇ。これ以上ここにいても仕方ないし、私は行くよ。シーベス、私が言ったことを忘れるんじゃないよ。しっかりやりな」
枝からふわりと軽い動作で、女が地面に下りる。シーベスの頬を両手で挟み、額を軽く合わせて、その瞳を覗き込む。
「行くって、どこへ?」
女が触れているはずの頬と額が、氷のような冷たさを感じている。けれど、触れているという感触はなく、女が死者であることを物語っていた。
「死者が行く場所は一つだよ。元気でおやり」
にっこり笑いかけ、女はシーベスから離れてフランシェルに向き直る。
「不肖の孫をよろしく頼むよ」
そう言い残し、その姿は消えた。桜吹雪の中、風が女の最期の言葉を運ぶ。
「魔女の口付けには、求婚の意味があるんだよ」
笑みを含んだ女の声に、シーベスが項垂れた。
「婆様の意地悪」
恨めしげな、小さな声がフランシェルの隣から聞こえる。
そんな意味があるとは思っていなかっただけに、フランシェルはシーベスに真実を問い質そうと彼女を見た。そして、その姿に驚く。
瞬きを繰り返しても、そこにいるのは十六、七歳くらいの少女だった。なぜか急成長したシーベスだ。
彼女はまだ、自分の変化に気づいていないようで、顔を両手で覆い隠し沈んでいる。
「シーベス、大きくなってる」
フランシェルは困惑した顔でシーベスを見る。その言葉に何事かと顔を覆っていた手を外し、自分の身体の変化にようやく気づいた彼女もまた、同じく困惑した表情で彼を見た。
当然、身長も伸びたので、目線が今までとまったく違う。
「成長しているわ。もしかして、婆様が?」
真実はわからない。
常世に旅立った女から答えが返るわけもなく、ヒラヒラと花弁が二人の上にも降り積もる。それは、薄桃色の雪のようだった。




