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第三十五話「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」

 お久しぶりです。都合があったとは言え、約半月も更新を停止いたしまして、申し訳ありませんでした。本日より更新を再開いたします。これからもよろしくお願いいたします。

 1941年12月12日午後4時、小沢治三郎以下司令部が大和に乗り込んだ時には既に出航準備は完了していた。

 アメリカ太平洋艦隊との初対決、死ぬかもしれないと言う不安より、戦えると言う興奮が艦橋だけで無く艦隊すべてを包んでいた。

 この興奮は、今から約44年前の1905年5月、ロシアのヴァルチック艦隊を撃滅する為日本海に出撃する前の連合艦隊と同じ雰囲気だろうと小沢は感じていた。

 1905年5月27日から28日にかけて行われた「日本海海戦」は、世界最強を誇ったロシア・ヴァルチック艦隊を、日本連合艦隊が完膚なきまでに叩き勝利した海戦だった。

 雰囲気だけでなく、状況もよく似ている。日本海海戦の時も、戦艦の比率は1対2であったが巡洋艦の比率は3対1だった。

 巡洋艦が空母になっただけでほぼ同じ状況だ。しかし、中身は随分と変わった。航空機による先制攻撃、これが勝敗を決める事になる。

 小沢は艦隊の通信回路を開いた。

小沢「全乗組員に達す。」

 小沢の声が全艦艇に伝わる。

小沢「今から36年前の1905年5月27日、東郷平八郎大将率いる連合艦隊は、世界最強を誇ったヴァルチック艦隊と戦い、戦艦の艦数で劣勢にも関わらず勝利した。あの時と状況は同じだ!我々は再び強大な敵と戦わなければならない。しかし!諸君らの力を持ってすれば、例え10倍の敵来ようとも打ち倒せると信じている!!」

 この戦いで命を落とす者もいるだろう。沈む艦もでるだろう。しかし、戦わなければならないのだ。皇国と亜細亜解放のために・・・

 徐々に波が高くなってきている。天気は晴れ、あの時と本当によく似ている。

 小沢はモールス発信機に手を伸ばし、静かに電文を打った。

「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ本艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」

 全艦が真珠湾から出撃完了したのは、それから約30分後だった。

 36年前の大海戦に参加した連合艦隊の息子・娘たちが行く。目指すはアメリカ太平洋艦隊機動部隊、決戦の時は来た。

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