第三十四話 海軍甲事件
日米関係悪化、最大の原因はこの事件でした。前話の内容とも関連しています。
日米関係の著しい悪化は、1940年頃から目立ち始めたが、最悪の一撃を打ち込んだのが1941年11月6日から1週間に渡って発生した『海軍甲事件』と呼ばれる事件だった。
1941年11月6日午後7時過ぎ、広島県呉市呉鎮守府のある広島城城内において、一発の銃声が発生、すみやかに呉市一帯に厳戒令が敷かれた。
調査の結果、日本人1名が死亡、呉市在住の大原隆二(15歳)と判明した。
それから1週間の間、日本各地で同様の銃撃事件が発生、北海道札幌から沖縄那覇まで述べ14都道県に及び、死者1名・重体3名・重傷14名にのぼった。
被害者は僅か四歳の少女(札幌事件)から、86歳の高齢者(福岡事件)まで含まれており、日本中が怒りで震えた。
内閣特別諜報機関『八咫烏』並びに、在日邦人調査部直属の特別調査部隊『草薙』は懸命に犯人を調査、そして最後の事件(大阪事件)発生から2日後、八咫烏が札幌・東京・高知で発生した事件の容疑者を検挙、家宅捜索の末事件に使用された『ワルサーPPK』3丁を押収、弾痕の一致と容疑者の自供により犯人と断定、即日逮捕した。
逮捕されたのは、オリバー・マクラミン(35歳)、アメリカ人だった。
更に捜査を続行した結果、日系人15名を含む53人を検挙・逮捕した。
この事件により、日本のみならず亜細亜連合諸国の対米感情は最悪なものとなり、アメリカ側が『自作自演』と言ってきた事も相重なって、対米戦争止むなしの声が響き渡った。
一般市民を巻き込み、挙げ句死者まで出した『海軍甲事件』は、後の歴史の教科書には必ず掲載される大事件となったのだった。
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