少女の依頼 8
「ここがお祖父様の書斎部屋よ」
カフェで昼食を取ったジオラルドとピアの二人はフリューゲル邸へと戻ると、セシアの案内で彼女の祖父の書斎へと向かう。屋敷の離れにある書斎は白い壁ではなく、ウォルナット色で落ち着いた雰囲気に包まれていて部屋が広大でもあるせいか、別世界に入った感覚がした。
年代物だと思われる本棚には世界各国の多くの書物が収められている。歴史書、専門書、魔導書、科学文書、娯楽小説、絵本とそれぞれのスペースに五十音順に並んでいた。
どうやら、ゼノン・D・フリューゲルが大の本好きだとの噂は真実のようだ。
「ホオッ!!? 素晴らしい書斎だのぉ〜!!!」
ゼノン・D・フリューゲルが愛用した書斎にジオラルドは興奮する。ちらりと見た本棚には、今では手に入りづらい書籍がそこここにあった。
「圧巻だねぇ……!」
ピアは驚きと同時に腰が引ける。なにせ、魔導学院にある図書館と同じくらいある棚と書物の量なのだ。彼女は「粗相のないようにしよう」と決意した。
「ふふっ! 凄いでしょ!」
二人の姿にセシアは鼻を、フンス! と鳴らす。少女はまろい頬を紅くしながら破顔した。
「ゼノン様はコレクターな所もありましたので。100万冊以上の書籍がこの書斎に収められています」
「ひゃっ、100万冊以上っ!!?」
「はい。ゼノン様は『書物こそ偉大な力』と、常々仰っていましたから」
ピアの驚く姿を見ながら、セシアの護衛であるカミラが涼し気な声で説明した。だが、その顔は誇らしげだ。
「街の中心地にある大図書館はお祖父様が奮闘して建てて、沢山の書籍を集めたのよ! 多くの人々が本に触れ合えるようにって!」
明るい声と笑顔で、ゼノン・D・フリューゲルの偉業の一つを話すセシア。亡くなった祖父を純真に慕う少女にカミラは優しく微笑んだ。
「ゼノン様の大図書館によって、今では文字を知らない民はいません。大図書館の建築と並行して、学び舎の併設も行っていましたから」
『―――知らないことは罪なのかもしれない。だが、最も罪深いのは知識を持っている者が、知ることができない者に教授しないことだ』と晩年のゼノン・D・フリューゲルは語っている。
文字を知らない、文字が書けない、計算を知らない。ゼノリア国以前のバージリア帝国の民衆の大半にとって、これが当たり前だった。王族と貴族達によって、民衆は学ぶことを許されなかった。書物に手を取ることすら、禁じられていたのだ。
それを打ち破ったのが、後に亡国の革命児と謳われたゼノン・D・フリューゲルだった。
彼はバージリア帝国の最後の皇帝、ガイラス・G・バージリアと彼に傅く貴族達を打倒したのだ。
『ガイラス・G・バージリア』。帝国バージリアの最後の皇帝。彼は秀でた才能は無かったが、歴史書に『血濡れの王』と評されている。
彼の皇帝は即位すると、数多の貴族達を「気に喰わない」の一言で処刑した。彼に心のない賛辞を贈った者、彼に嘲りの視線を寄越した者、彼の行いを非難した者、彼を侮辱した者。全てが一族郎党、処刑された。
都市アーシェリアより、かなり離れた場所にある寂れた地区の広場は元は多くの貴族たちの住む一角であり、皇帝によって処刑場になった曰く付きの場所だ。以前はあった断頭台に皇帝に処刑を言い渡された貴族達の首が刎ねられたと歴史書に載っている。
処刑が民衆の見世物になることはなかったが、ガイラス・G・バージリアは死にゆく貴族達を愉しげに眺めていたらしい。ただ、彼は民衆には一切手を出していない。貴族だけが皇帝の静粛の対象だった。
※
「お祖父様はここで亡くなっていたわ」
セシアの案内にて、部屋の奥にある仕切りで区切られたスペースに辿り着く。人が三人ほど座れるエクリュ色のソファが四つと、ソファの真ん中に置かれた大理石で作られたローテーブルがニ台あった。
少女は事件現場となった隣にあるソファに座り、カミラと共に自身の側にいる執事カーボン・メルクリウスに視線を向ける。
「カーボン、ここにいる全員分の飲み物を。紅茶をお願い。二人とも休憩よ」
「承知しました。お嬢様」
「カミラ、隣に座りなさい。貴方達は向かい側で」
「はい、セシア様」
「おお。悪いのぉ」
「結構歩いたよね……。私達の住んでいる街の図書館と同じ広さの書斎って、初めてだよ」
なにせ、100万冊が蔵書されている書斎だ。足が疲れるのは当たり前だった。ここはどうやら休憩スペースでもあるらしい。セシアの執事であるカーボンが淹れた紅茶の香りが辺りに漂う。
「セシアお嬢様、お飲み物をお持ちしました」
「ありがとう。貴方も私の隣に座りなさい」
「承知しました」
セシアを挟んで右にカミラ、左にカーボンが座る。横幅の広いソファは大人が三人座っても余裕があるようだ。
「カーボンが淹れた紅茶はおいしいわよ。堪能して頂戴。まあ、カミラから教わったのなら当然よね?」
「お、お嬢様!」
仕えている主人の突然の褒め言葉に慌てるカーボン。彼の狼狽える姿をセシアは楽しそうに見ている。
「あら、どうしたの? 褒めているのよ。貴方とカミラを」
「お褒め頂きありがとう御座います、セシア様。よかったわね、カーボン」
「う、うぅ……!」
カミラにも揶揄られ、カーボンは羞恥から頬が紅くなった。そんな彼らを敢えて無視し、ピアは紅茶を一口飲む。
「わあっ?! この紅茶、とてもおいしいねっ! この香りはアッサムかな?」
アッサムを使ったミルクティーの甘く芳香な香りと、まろやかな渋みを堪能するピア。優しい味に彼女はふわりと微笑む。
「オレはどっちかというとコーヒー派だが、紅茶も悪くねえの」
ジオラルドは紅茶をグビグビと飲み下す。二人の紅茶の楽しみ方の違いが現れたようだ。
「……フドゥー、貴方はもう少し紅茶を嗜みなさい。香りを味わうのも大事よ?」
セシアは不満そうにジトっとした目で、ジオラルドを見る。ジオラルドは少女の指摘に少し罰が悪そうに苦笑いをした。
「でも、不思議だね? この紅茶、微かに魔力の匂いがするよ?」
ピアはクンクンとカップを近付け、香りを嗅ぐ。茶葉の香りだけでなく、魔力の香りが紅茶から漂う。
「このアッサムは、ビシュディー大陸にあるイェンディル国の魔法農園で作られた茶葉です」
「えっ!? 魔法農園で作られた茶葉っ!!?」
カーボンの説明にピアは驚き、仰け反る。
『魔法農園』とは、その名の通り魔法を使った農業だ。だが、魔法使いを雇うにもかなり人件費が高いため、あまり見かけない。世界各国でもこの農場が一つあるだけで、その国の発展具合がわかると言われている。
魔法によって成長した作物は丈夫かつ栄養豊富で、災害によって収穫が出来なくなることは滅多に無い。味も香りも格段に飛躍しているため、魔法農園で作られた作物の多くが富裕層(王族や貴族、大富豪)に買われている。一般的に出回らない、貴重な農産品だ。
ちなみに、ピア達が飲んでいる紅茶は特殊な製法で作られている。魔力の香りがするのは大地に宿る魔力の残り香だ。
「あわわわわっ!? ジオ! ボク達、凄いもの飲んでるよ!?」
茶葉が魔法農園で作られたと知り、ピアは隣にいるジオラルドにわたわたと身振り手振りで興奮しながら話す。一人称も無意識にボクに戻っていた。
「落ち着け、ピア。嬢ちゃん、美味い茶をありがとうな」
ピアの慌てぶりを宥めながら、飲み干したティーカップを机に置くジオラルド。
「構わないわ。貴方達は私が選んだ探偵なのだから」
カチャリと紅茶が半分程になったティーカップをローテーブルに置く。セシアは二人に向けて、ニマリと笑った。
「しっかり働いて頂戴ね?」
「生意気な子供だの〜」
「ハハッ、がんばるよ……」
見た目は可愛らしい少女の有無を言わせない一言にジオラルドとピアは苦笑いで返す。だが、二人を見る少女の瞳には熱があった。
紅茶を飲み休憩を充分に取ったジオラルドとピアは早速動き出す。ふと、ピアは棚の上に飾られているぬいぐるみを見た。
「へえ、テディベアが飾られているなんてカワイイね?」
「お祖父様が『この部屋は少し物々しいからアクセントのある物を飾りたくなってね』って、言ってたわ。テディベアなのは私がお勧めしたからよ」
「そうなんだ。確かに、このテディベアはアクセントになっているね。ここにぬいぐるみがあるだけで、優しい雰囲気になってるよ」
セシアの答えにピアは同意しながらも、テディベアに違和感を抱く。そのテディベアはくったりと静かに佇んでおり、どこか寂し気にも見えた。主人が亡くなったことを知っているかのように。自由に空を漂う雲を彷彿とさせる白色のテディベアをセシアは悲しげに見た。
「…………この子だけは、お祖父様の死を知っているわ」
セシアの言葉にピアは複雑そうにテディベアを見る。不思議とテディベアは休憩スペースを見渡せる位置に置かれていた。ピアは杖を出し、テディベアに探査魔法を唱える。
「うーん、ダメだ。反応なしかあ……」
なんの反応も示さなかったテディベアを見て、がっくりを肩を落とす。
「まあ、あのぬいぐるみが気になるのはわかるがの」
ジオラルドはピアを慰めるように言葉を掛ける。それでもピアはしょんぼりと肩を落としたままだ。
「位置的に気になったんだけどねえ……。ふう、切り替えて他の所を調べようか」
「そうだの。できるのなら、ここの本も読みたいが」
「構わないわよ? しっかり依頼を成し遂げられるならね?」
セシアはニマリと悪戯をする猫のように笑った。
「うむ、存分に期待していろ小娘!」
「ええ、楽しみにしているわ!」
(この二人、なんかちょっと怖いな……)
ニヤニヤと、お互いの顔を見ながら笑い合うジオラルドとセシアに引き気味になるピア。今日もまた手掛かりなく、一日が終わるのだった。




