第一章 神々のごみ
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空から、ごみが降ってくる。
正確には、降ってくるわけではない。月に二度ほど、雲より高いところから銀色の船がやってきて、村から半日ほど歩いた荒野に巨大な箱を落としていくのだ。
箱の中には壊れた道具、焦げた布、何に使うのかも分からない金属片、砕けた透明な板。空の上に住む人間たちにとっては捨てるしかない物でも、この星では鍋にも窓にも農具にもなる。
村の大人たちは、それを神々の恵みと呼んでいた。
リナは、ごみだと思っている。
「今日は一人で行くからね」
朝。ゴルの小屋で、薄い麦粥を木椀の底まできれいにさらいながら、リナは言った。
向かいに座った老人が、露骨に嫌そうな顔をする。
「わしも行く」
「足遅いじゃん」
「誰が遅い」
「ゴル爺」
「十歳のガキと六十過ぎの爺を比べるな」
「自分で爺って言った」
「うるさい」
ゴルは日に焼けた顔をしかめた。深い皺。曲がった背中。片手には、杖より使い慣れた鍬。
村では口が悪いことで有名だが、リナにとっては物心ついた頃からずっと一緒にいる家族だった。
父親の顔は知らない。母親の顔も知らない。気づいた時には村にいて、皆から飯を分けてもらい、夜はゴルの小屋で眠っていた。
「今日は子供組の日だよ。大人が先に漁ったら喧嘩になるって決めたでしょ」
「お前ら子供だけでも喧嘩するじゃろうが」
「しないよ」
「昨日ダン殴ったの誰じゃ」
「向こうが先」
「殴ったんじゃな」
「一回だけ」
「二回じゃ」
「数えてたの?」
「見とったからな!」
リナはニカッと笑った。
黙っていれば、この痩せた開拓村には不釣り合いなくらい整った顔をしている。伸ばしっぱなしの髪は肩甲骨のあたりまで届き、朝の光を受けると銀色の中にかすかな青が浮かぶ。
だが、こうして歯を見せて笑うと、妙に親しみやすい田舎の子供になった。
「大丈夫。変なの触らないから」
「お前の『大丈夫』ほど信用ならんもんはない」
「ひどい」
「前に青い石拾って三日寝込んだろうが」
「あれは勉強になった」
「死にかけて言う台詞じゃない」
ゴルは大きく息を吐いた。それから、椀の底にわずかに残っていた粥を指ですくって口へ入れる。
「昼までには戻れ」
「うん」
「変なもん拾うな」
「うん」
「喧嘩すんな」
「うん」
「返事だけはいいのう」
「じゃ、行ってきます!」
「リナ」
戸口まで走ったところで呼び止められた。
「なに?」
「腹減ったからって、道で変なもん食うなよ」
「食べないよ!」
「前に食った」
「実だったもん」
「毒の実じゃった」
「ちょっとお腹痛くなっただけ」
「三日じゃ!」
リナは笑いながら小屋を飛び出した。
*
荒野へ向かう道を、一人で走る。
十歳。同い年の子より少し背は低い。靴は持っていない。乾いた土を裸足で蹴るくらい、もう慣れていた。
丘を越えると、巨大な黒い箱が見えた。
「あった!」
すでに子供たちが群がっている。
天恵の日は、ちょっとした戦争だった。
人を殺すほどではない。けれど金属片一枚が数日分の食料に変わる村では、「先に見つけた」「俺が触った」で殴り合いになるくらいは珍しくない。
「リナ遅いぞ!」
十四歳のダンが叫ぶ。
「ゴル爺がうるさかった!」
「また何かやったんだろ!」
「やってない!」
「昨日俺殴った!」
「ダンが先!」
「二回殴った!」
「まだ言ってる!」
言いながら、リナもごみの山へ飛び込んだ。
割れた透明板。焦げた棒。半分だけ残った靴。手のひらほどの銀板。
「これもらい!」
腰の袋へ放り込む。
前世の地球の記憶があるからといって、神々のごみの正体が全部分かるわけではない。
昔、別の世界にいた。
地球という星。
空を飛ぶ機械があって、夜でも町が明るくて、遠く離れた人と話せた。そこまでは覚えている。
でも、自分が何歳だったかは曖昧だ。男だったか女だったかも覚えていない。名前も家族も、どうして死んだのかも。
知識の切れ端だけが、虫に食われた古い本みたいに頭の中へ残っている。
「リナー!」
「なにー?」
「見ろ!」
ダンが何かを掲げていた。
黒い短剣だった。
刃渡りは二十センチほど。柄から刃までほとんど黒く、握りの部分に細い銀色の線が走っている。神々の品にしては飾り気がない。
「うわ。かっこいい」
「だろ!」
「売ったら高そう」
「俺が見つけたから俺のだぞ」
「ちょっと見せて」
「やだ」
「見るだけ」
「お前絶対持ってく!」
「持ってかないって」
そのやり取りを聞いた周りの子供たちも集まってきた。
「俺にも見せろ!」
「触らせろよ!」
「鍛冶屋に持ってけば肉になるぞ!」
「だから俺のだって!」
ダンが短剣を胸へ抱え込む。
誰かが柄を掴んだ。
「離せ!」
「ちょっとだけ!」
「俺だ!」
「痛てえ!」
「あ、危ないって!」
六人ほどが一気に重なった。
リナも止めようと手を伸ばす。
「刃物で喧嘩すんなって!」
「お前も来るな!」
「私持ってないじゃん!」
肩を押された。押し返す。肘が頬に当たった。腹が立って、相手の腕を払いのける。
誰かがリナの服を掴んだ。
「ちょ――」
引かれる。
足元の金属片を踏んだ。
身体が傾く。
その瞬間。
「あ」
妙に間の抜けた声が出た。
胸が、冷たかった。
視線を落とす。
黒い柄が見えた。
「……え?」
短剣が胸に刺さっていた。
刃の半分以上が身体の中へ消えている。
一瞬だけ、痛くなかった。
次の瞬間。
「――っ!」
身体の中を焼けた鉄棒で貫かれたような激痛が走った。
息が止まる。膝から力が抜ける。
「リ、リナ?」
ダンの顔が真っ青になった。
「抜い……」
「俺じゃない!」
「……抜いて」
「俺、刺してない! ほんとに!」
誰が刺したのか。
たぶん、誰にも分からなかった。
押した手。引いた手。短剣を奪おうとした手。転んだ身体。
全部が重なっただけだった。
けれど子供たちは怖かった。
「大人呼んでくる!」
一人が走った。
それを合図にするように、他の子も逃げる。
「待って……」
ダンまで数歩下がった。
「ご、ごめん」
「ダン……」
「俺じゃないから!」
走っていった。
リナは地面へ倒れた。
胸から血が広がる。
息ができない。
空が青い。
――あ。
これ、死ぬな。
妙に冷静に思った。
十歳で。
神様のごみを取り合って。
前の世界でも死んだのに、今度もこんなところで死ぬらしい。
「……二回目、早くない?」
声になったかも分からない。
ゴルの顔が浮かぶ。
朝、昼までに帰れと言われた。
喧嘩するなとも。
「……怒るだろうなあ」
まだ飯も返していない。
今朝の粥だって、ほとんどゴルの分を分けてもらった。
「ごめん、ゴル爺……」
視界が暗くなる。
その時。
胸に刺さった短剣の銀線が光った。
「……?」
黒い文字のようなものが、刃から浮かび上がる。
蛇のような線が短剣を伝い、リナの胸へ入り込んだ。
身体の奥で。
何かが。
切れた。
――ぷつん。
小さな感覚だった。
けれど。
十年間閉ざされていたものを開くには、それで十分だった。
*
心臓が大きく脈打つ。
一度。
二度。
三度。
胸から流れていた血が止まった。
リナはもう気づいていない。意識は沈んでいる。
代わりに、生まれた瞬間から押さえ込まれていた膨大な魔力が、行き場を求めて全身へ流れ込んだ。
血管。骨。筋肉。皮膚。髪の一本一本。
短剣が胸から押し出され、乾いた音を立てて地面へ落ちる。
傷が塞がる。
肉が戻り、血管が繋がり、皮膚が閉じ、傷跡すら消える。
それでも、魔力は余った。
あまりにも多すぎた。
リナの身体だけでは抱えきれなかったものが、荒野へ溢れる。
最初に反応したのは、十年以上壊れていた照明具だった。
ぱっと白い光が灯る。
次に銀色の箱が唸り、用途不明の筒へ青い線が走った。
一つ。
十。
百。
ごみの山が、一斉に目を覚ます。
まだ荒野にいた大人が顔を上げた。
「なんだ……?」
「神の、奇跡……?」
甲高い音が響いた。
壊れた魔道具へ、処理しきれない魔力が流れ込んでいく。
「逃げろ!」
誰かが叫んだ。
直後。
世界が白くなった。
*
惑星軌道上。
第七植民星管理ステーションの警報が、一斉に鳴り響いた。
「地表で大規模魔力反応!」
「何だこの数値!」
「測定器、上限突破!」
「廃棄集積所で連鎖爆発!」
「居住区への被害予測を!」
「待ってください。爆心に生体反応!」
「誰だ!」
「子供です!」
監視員が画面を拡大する。
巨大なクレーター。
その中心。
青銀の髪の少女が、一人倒れていた。
「救難艇を下ろせ!」
「まだ魔力反応が収まりません!」
「だから急げ!」
*
ゴルが荒野へ着いた時には、銀色の船が降りていた。
村の若者から話を聞き、年齢を忘れた勢いで走ってきた。
「リナ!」
白い装甲の兵士たちが爆心の周囲を封鎖している。
「通せ!」
「危険です。下がってください」
「わしのガキじゃ!」
「負傷者は生きています!」
その一言で、ゴルの足が止まった。
「……生きとる?」
「はい。ただし原因不明の高魔力反応があります。軌道上の医療設備へ搬送します」
「わしも行く」
「今は無理です。周囲の安全確認が終わっていません」
「ふざけるな!」
担架が運ばれてくる。
そこにリナがいた。
服は焼け、煤だらけなのに、胸に傷はない。
「リナ!」
瞼は閉じたまま。
返事はない。
ゴルが担架へ近づこうとする。兵士が止める。
「離せ!」
「必ず状況を伝えます!」
「そんなもん信じられるか!」
船の扉が閉まっていく。
最後まで。
ゴルは怒鳴っていた。
「リナ! 起きたら飯食えよ! 聞いとるか!」
銀色の船が浮かぶ。
雲の向こうへ消える。
その日。
リナは初めて。
ゴルと離れて空へ上がった。




