色々な意味で便利なもの
「そうそう、それでそこ押して――ええそうです。よくできました!」
「はい、いや、あの、いや無理です無理です無理です変わってください変わってください」
「シエルさん、そろそろスタンバイを」
「は〜い!」
「聞いちゃいねえ」
僕、天城空は今上空にてヘリコプターを操縦していた。先に言っておくが、僕にヘリの操縦技術なんてまったくない。というよりそれ以前に車の免許すら持っていない。隣で彰亜さんが押してなり引っ張れなり言ってるものをそのままに操縦しているのであるが両手両足を使うため、足なのか手なのか左なのか右なのかが途中でこんがらがり、何度か墜落しそうになった。本当に洒落にならない。
何故こんな事になったのかといえば、おおよそ1時間前まで遡る。
◇◇◆◆◆
―1時間前―
源委亭の案内も一通り終わり何をするかと手持ち無沙汰になったところに水撒き帰りだったのか、どろどろでびちょびちょの橙逢さんとばったり鉢合わせた。
「橙逢さん! 昨日ぶりですね」
「えーっと、そう! 天城だ天城! 天城空くんね」
「お疲れ様です。橙逢さん」
「あ、彰亜さん。お疲れ様です」
「どろどろのびちゃびちゃで、す、ね……」
そういいながらふと橙逢さんが通ってきた道を見ると、床が彼と同様にどろどろでびちゃびちゃになっていた。
「……」
「てへ」
僕が虚無っていたところに反省してないような声色とともにその言葉が返ってきた。多分これ、てへで済ましていい問題じゃない気が……。
「これ……大丈夫なんですか……?」
「決して汚していいわけではないですがある程度はこの空間を維持している現能者が直してくれますよ。あ、ほら」
そう言って汚れていたところを指差す夜桜さん。改めてそこを見てみると、先程確かにあった汚れがスゥッとバグ修正が行われるかのように消失した。それと同時に橙逢さんについていた泥や水も消えた。
「今のって……?」
「あれは修正です。あれがあるのでなにか緊急の用事とかがあった場合は土まみれでも水まみれでもここに入ってきてしまって構いません。さすがに火はあまり持ち込んでほしくないですが。まあ、面倒くさいという理由だけで汚れながら入ってきてもいいんですよ? 修正を行うのは僕ではないので、ええ」
「いや、悪かったって。思ってないけど」
「あなたがこんな事で本気で反省をしたら誕生日以上に盛大に祝われますよ」
少し険悪な雰囲気の中で、夜桜さんのスマホが鳴った。彼は失礼、と一言いって電話に出ると、単調な返事をいくつかした後電話を切った。
「用事が入りました」
「時間帯から察するに……シエルさんか?」
「えぇ、迎えに行ってきます」
僕は夜桜さんが言った言葉に硬直した。
シエルさん……って言ったか……? あのシエルさん……? そういえば昨日シオンさんがここに所属しているとか言っていたっけ……。
「興味ありますか?」
「へ?」
夜桜さんに話しかけられてどきりとした。
そりゃ興味はある。今や大統領より知名度があるのではとも言われるほどの有名人でありどちらの意味でも異常者なのだ。異常者なんて言われるのにももちろん理由がある。あの人のお得意技と呼ばれる瞬間移動でホワイトハウスに行き大統領に寝起きドッキリを仕掛けたり、銀行へ不法侵入し中の金だけ全部出して何も盗らずに金庫の中で寝たり、雨がふらず不作の地域で変な祈りを捧げたら雨が降ってきた、などという類の話がご万とあるのだ。そんなにないが。
まあ、彼女に関する逸話は全部が全部本当だと言われてるわけでもない。あからさまに嘘のような情報も混じっている。例えば彼女の正体がそもそも人間じゃないとか、卑弥呼が憑依してるだとか。
そんな事を考えていたときに、橙逢さんからため息が聞こえた。
「は〜。そっちでは大層な有名人だからなあ、シエルさん。あー、羨ましい」
「戦場で笑いながら敵を殲滅し自身が血を流しながらも心の底から笑えるなら変わってもらえるのでは?」
「あ、やっぱいいっす」
「まあ、あの人はほとんどいい意味で例外ですからね……さて、空さん。お返事は?」
「あ、えっと……」
少し迷った。シエルさんを迎えに行く、それつまり紛争地域に足を踏み入れるとほぼ同義であるからだ。深夜テレビで何度かシエルさんがヘリに乗って退場する姿が見られたが、それはこの人たちだったのだろう。
数秒返事に迷った後、決心していった。
「行ってみたいです」
「えぇ、そういうと思っておりました。では早速行きましょうか」
◇◆◆◆◆
あれから夜桜さんに連れられて鳥居の前までやってきた。鳥居と言っても昨日の巨大なものではなく、高さ3メートルほどの小さなものだった。どうやら敷地内には鳥居が数個あり、そこがあっちの世界の至る所とつながっているらしい。
「それで、まさか戦場にそのままワープする気じゃ……」
「まさか。僕の能力は戦闘向けじゃないんでそんな無謀なことはしません」
それはつまり戦闘向けだったら戦場に直で行くのだろうか……。思ったが口に出さずにいた言葉はお決まりとでも言うように読まれたようで、夜桜さんににっこりとした笑顔で振り返られた。
「安心してください。戦闘向けの能力を持っていたとしても直接行くことはありません。危ないというのも理由の一つですが、それ以上にシエルさん一人という認識を揺らがすわけには行きませんからね。念の為です。いえいえどういたしまして」
「喋らなくてよくて楽っちゃ楽なんですが『なんでですか?』はともかく『ありがとうございます』くらいは言わせてくださいよ」
「おっと失礼。つい次言われることがわかると言いたくなっちゃうんでうよね」
答えながら慣れた手つきで鳥居の横にあったパネルを操作している。横から覗き込んでみるとキーボードはアルファベットだったが画面に表示されているものは見たことのない文字だった。ここでしか使われてない文字なのだろうか。
すると突然夜桜さんがくるりと振り返った。
「ええそうです」
「いやだからなんで心読めるんですか!? いま表情見てませんでしたよね!? あれ??」
キラキラした笑顔でこちらを見てきた夜桜さんに思わずそう突っ込む。だが彼はお淑やかに笑うばかりであった。この人怖……。
「よし、準備ができました。行きますよ」
「あ、はい」
彼が鳥居をくぐるのとほぼ同時にくぐる。次の瞬間僕はヘリの助手席に座っていた。……なんで、立っていたのに座っているんだろう。ていうか夜桜さん普通に私服だけどこういうのって専門の服があるんじゃないのだろうか。着なくていいのか。
「あ、説明は要りません」
「おっと、先を越されてしまいました」
また説明が入りそうだったので先に言っておく。別に聞きたくないわけでは断じて無いのだが、もし説明をされながらヘリを飛ばし始められたらこっちが気が気じゃない。……という僕の懸念もきっと読まれてるんだろうな。うん。半目で諦めた顔をしつつシートベルトらしきものを装着した。いや、装着しようとした、という言い方が正しいだろう。僕が何故それをできなかったのかといえば、もうしてあったからである。シートベルトを。因みにだが、僕自身が自分でつけた覚えはまったくない。……これ、軽くホラーでは?
そのとき、ふと違和感を感じ横を見た。窓から見えたその先は空であった。つまるところ、このヘリはもう飛んでいたのだ。音も出さず、一ミリの揺れもせず。
「これは乗り物のみを対象とし、それを自在に操れる能力者さんのものです。なかなかの乗り心地でしょう?」
「もはや乗ってる感覚すらなくてびっくりなんですが」
「それはよかったです。あ、見えてきましたよ」
驚きを残しつつも、夜桜さんに言われ下を見てみるとそこには草木一つ無い荒野があった。テレビで見たことがある光景だった。というのも、そのシエルさんが派手な技を好むためあの人が紛争地帯に行くとそこは荒野となるのだ。森林破壊になってしまいそうな気もするが、そのへん場所はしっかりと選んでるらしく、誤って火事になったなんてことは今のところ一度もない。僕が知る限りでは、であるが。
そんなことを思っている間にいつの間にかヘリは着陸していた。まじで一ミリの音も揺れもなかった。ここまで来ると逆に怖くなってくる。
そこでガチャリと後ろのドアが開いた。欠伸の声とともに乗ってきた声の方へと目を向けると、そこには今までずっと画面越しで見てきた一人の姿があった。
「ふわぁ……。……お迎えご苦労! 感謝の意を示す!」
「はい、お疲れ様です。あとまた日本語間違って覚えてます」
「あれ」
後方座席に乗ったシエルさんと夜桜さんでの会話を聞きながら、僕は自分がいま幻覚を見ているのかと疑った。
世界的有名人が目の前にいるのだ。少し、いやかなり動揺する。別に好きだとか推しだとかそういうたぐいのあれでは全く持ってないのだ。だ普通に有名人眼の前にいたら本物かと疑うあれ、あれと同じ感覚。
言葉をどう発したらいいのかもわからず前を向き微動だにしないでいると、バックミラー越しにシエルさんと目があった。
「あ、君もしかして新入りくん的な?」
「アッ……ハジメマシテ。ボクガシンイリデス」
「がっちがちですね」
隣から夜桜さんに軽く笑われたので恨みがましい目を向けた。一方シエルさんはと言うと、何かを企んでいる子どものような笑みでミラー越しに僕を見つめていた。なんでそんなに見られてるの僕。つい先日まで有名人系統の人たちには生涯関わることのなかったような一般市民だったんですけど、視線が辛い……。
「ふんふん、なるほどねぇ〜。亭主がひさっしぶりに緊急じゃない方の緊急番号で電話かけてきたからなにかと思ったらそういうことだったのねえ」
「あ、この緊急のところの矛盾は気にしないでください」
「あ、ハイ」
相変わらず心読まれてるなあ、と虚無顔をしていると、ヘリがもう既に飛んでいることに気づいた。先ほどと同じ音がないその様に、慣れと関心を覚えながら左の窓から外を眺めていると、急に視界に夜桜さんが入った。操縦席、つまるところ僕の右側にいた人物が、左側を向いていた僕の視界に入ったのだ。……え? なんでそっちにいらっしゃるの……?
まさかと思って前を向くと、そこにはヘリの操縦桿があった。それは先程まで夜桜さんが操作していたものであり、操縦主を失ったヘリは、空中でピタリと止まった。そして当の僕はといえば操縦席に座っている。……ゑ?
「あ、あああああのよよよ夜桜さん?これは一体……」
「僕は最近ずっと組織内の掃除当番だったため忙しかった故に、十分な睡眠を取っていなかったのです。こんなフラフラした状態で仮にも英雄を乗せたヘリを操縦するなど以ての外。というわけで任せました」
そして僕はこう思った。「顔色もよく特にくまもできてないその満面の笑みで何を言っているんだ」と。そんな僕が突っ込みたかったところにシエルさんは興味が無かったようでへぇ、と一言呟いた後に薄い笑みで夜桜さんに話しかけた。
「仮にもって酷いなあ。一応私も個の独立した存在としての現能力を用い活躍してる部分も多いというのに」
「それはもちろんわかっていますよ。いつもお疲れ様です」
「でたなー、この薄っぺら笑みめ! 亭主に向ける眼差しをもう少し私達に向けてくれたっていいのに」
「それは致しかねますね」
ははっ、と笑いながら何やら談笑している二人。対して僕は操縦桿に手をおいたまま虚無りながら静かに状況分析をしていた。足元にペダル。一つだけでも勘弁してほしいというのに2つあり、前方やら横やらの画面に表示されている言葉や数字は理解不能。つまるところ何だ、勘で操縦できるわけではないことは重々承知であったがこれは一体どうすればいいというのだ。助けてくれ。
そう思って夜桜さんに目線を向けると、こちらに気づいたようで楽しそうな顔をしながら「ちゃんと教えますから」とほわほわした笑みを向けられた。いやそうだけどそうじゃないんです、隣で説明聞くだけで操縦できたら誰も苦労しないんです。
無駄とは思いつつもシエルさんに視線を向けると、ぐっと親指を立てられた。澄み切っている僕を信じ切った瞳で。一体その自信はどこから湧いてくるの……。
そんなこんなあって操縦し始めたのだがまあ酷い。ペダルは踏み間違えるわボタンは押し間違えるわ地面に突進しそうになるわ。そのたびにシエルさんの現能力と夜桜さんの素早いフォローに助けられている。いや助けられてるじゃないよ。元凶に助けられるとか嫌だよなんか。
「そうそう、じゃあ次は引っ張って――あ、僕のことは彰亜でいいですよ」
「地面に突進しそうになった直後にそれいいますか普通!?」
先程めでたく十回目の墜落事故を起こしそうになった直後、夜桜さん改め彰亜さんにそう言われ思わず突っ込む。
そんなこんなで冒頭に戻るのであった。