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子猫のいる図書館  作者: 裡婀
図書館を訪れる人々

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8/30

第8話 受け容れる

見知らぬ土地の空は、どこまでも広く青かった。彼女は旅行鞄の持ち手を握り直し、大きく息を吐き出した。


額に滲んだ汗をハンカチで拭う。日差しは強く、アスファルトの照り返しが足元から容赦なく体力を奪っていく。都会の喧騒から逃れるために、あえて誰も知らないような地方の町を旅の目的地に選んだ。


最初はよかった。ガイドブックにも載っていないような風景を一人で歩くのは、確かな解放感があった。しかし、数時間も歩き続けると、次第に疲労が好奇心を上回ってくる。


休む場所が必要だった。冷たい飲み物を出してくれるカフェか、あるいは座り心地の良いソファがある喫茶店。それさえあれば何もいらないと、彼女は乾いた唇を噛み締めながら畦道を歩き続けた。


道の先に、ぽつんと一つの建物が現れた。


周囲には田んぼと畑が広がっているだけで、ほかに目立つ建造物はない。古い瓦屋根の平屋だった。外壁には枯れかけたツタが這い、建物の周囲には雑草が伸び放題になっている。


一見すると廃墟のようにも見えた。しかし、どこか人の手が少しだけ入っているような、絶妙な生活の気配があった。


彼女は足を止めた。古民家を改装した隠れ家的なカフェかもしれない。いや、そうであってほしいという切実な願いだった。足取りを早めて、建物の正面へと回り込む。そこには古びた木の看板が立っていた。


看板の文字を見た瞬間、彼女はあからさまに肩を落とした。文字はかすれていたが、はっきりと読めた。「図書館」と書かれていたからだ。彼女は思わず天を仰いだ。よりによって、一番求めていない場所だった。


彼女は本が好きではない。嫌いと言い切ってもいいくらいだった。活字の羅列を見ると、条件反射のように頭の奥が重くなる。


彼女の仕事は、毎日膨大な量の資料やデータを読み込み、間違いを修正していくことだった。文字は仕事の象徴であり、義務であり、終わりのない疲労の原因だった。


休日にまで文字を見たくない。


本に囲まれた空間など、彼女にとっては息が詰まるだけの退屈な箱でしかなかった。中に入る理由は何一つない。飲み物もなければ、気の利いた音楽もないだろう。彼女はUターンして、来た道を戻ろうとした。足取りは先ほどよりも重かった。


次の休憩場所を見つけるまで、さらに何十分も歩かなければならない。そう考えると憂鬱になった。それでも、本に囲まれて過ごすよりはマシだと言い聞かせた。


きびすを返し、建物を背にしたときだ。背後で、かすかな物音が聞こえた。風が草を揺らす音とは違う。何かが木を軽く叩くような、乾いた音だった。


彼女は振り返った。音の出所を探して、建物の窓ガラスに目を向ける。ガラスは埃で少し曇っていた。その窓の桟のところに、小さな影があった。


彼女は目を細めた。最初は丸めた布切れか何かだと思った。しかし、その布切れはゆっくりと形を変え、立ち上がった。


四本足の生き物だった。灰色と白のまだら模様。ピンと立った小さな耳。長くしなやかな尻尾。


間違いない。子猫だった。


子猫は窓ガラス越しに、外の景色を見つめていた。時折、ガラスの向こう側から前足で窓を引っ掻いている。先ほどの音はそれだった。彼女は不思議に思った。なぜ図書館に猫がいるのだろうか。


彼女の知る図書館は、静粛を重んじ、衛生管理が徹底された厳しい場所だ。紙を汚したり傷つけたりする可能性のある動物など、絶対に入れないはずである。


野良猫が偶然迷い込んだのだろうか。

それとも、誰かがここで飼っているのだろうか。


疑問が次々と湧き上がってきた。


本は嫌いだ。中に入りたくない。しかし、あの子猫の存在がひどく気になった。

静寂と規律の象徴である図書館に、自由と気まぐれの象徴である猫がいる。


その不釣り合いな光景が、彼女の好奇心を強く刺激した。ほんの少しだけ、覗いてみるだけならいいかもしれない。文字を読まなければいいのだ。猫がどうしているのかを確認したら、すぐに出よう。


彼女は自分に対する言い訳を頭の中で組み立てると、ゆっくりと建物の入り口に向かって歩き出した。


入り口は引き戸だった。すりガラスがはめ込まれた、古い木枠の戸である。手をかけて横に引くと、鍵はかかっていなかった。木と木が擦れる、低くて重い音が響く。


戸の隙間から、ひんやりとした空気が流れ出してきた。外の熱気とはまるで違う、別の季節のような空気だった。


匂いも違った。古い紙とインクが混ざり合った匂い。それに、少しの埃の匂い。彼女は思わず息を止めた。やはり本の世界の匂いだ。彼女は眉をひそめながら、一歩だけ中に足を踏み入れた。


中は薄暗かった。窓から差し込む光が、空気中を舞う埃の粒をキラキラと照らしている。高い天井の下には、木製の本棚がいくつも並んでいた。背表紙の色は褪せているものが多いが、数は圧倒的だ。


彼女は視線を下げた。本を見ないようにするためだ。文字の塊が視界に入るだけで、少し気分が重くなる。足元の古い床板だけを見つめながら、彼女は忍び足で本棚のあいだを進んだ。


誰もいなかった。管理人のような人の姿も見えない。ただ静寂だけがそこにあった。彼女の足音が、無人の空間に小さく響く。床板が一歩ごとにわずかに軋む。


先ほど窓辺にいた子猫は、もうそこにはいなかった。どこかへ隠れてしまったのだろうか。


彼女は本棚の脚の周りや、棚と棚の隙間を慎重に覗き込んだ。自分がひどく滑稽なことをしている自覚はあった。


本を読まない女が、図書館で這いつくばるようにして猫を探しているのだ。もし誰かに見られたら、どう説明すればいいのか分からない。


奥から三列目の本棚を曲がったときだった。彼女は不意に立ち止まった。足先に、柔らかな何かが触れたのだ。驚いて視線を落とす。


そこには、灰色と白の子猫がいた。


子猫は彼女の足元で、丸くなって床の匂いを嗅いでいた。彼女が立ち止まると、子猫はゆっくりと顔を上げた。青みがかった灰色の目が、彼女を真っ直ぐに捉えた。


彼女は息を呑んだ。逃げられると思ったのだ。


しかし、子猫は逃げなかった。ただ一度だけ小さく瞬きをして、再び床の匂いを嗅ぎ始めた。


子猫の動きは、とてもマイペースだった。床の木目に沿って歩き、小さなゴミを見つけると前足で軽く叩く。本棚の角に体を擦り付け、背中を大きく反らせて伸びをする。


そのすべての動作が、無防備で自然だった。


彼女はしゃがみ込み、その様子をじっと観察した。子猫の毛並みは、外の光を浴びてわずかに輝いている。まだ小さな体だが、以前に誰かに守られていたような、確かな安心感に包まれているように見えた。


彼女は立ち上がり、近くにあった木製の椅子に腰を下ろした。背もたれが少し傾いている、古い椅子だった。座ると、かすかに木の軋む音がした。


子猫はその音に反応して耳を動かしたが、やはり逃げることはなかった。


彼女は椅子に座ったまま、周囲を見渡した。


壁一面の本。無数の言葉が、沈黙の中で眠っている。しかし、今の彼女にはその圧迫感が少し和らいで感じられた。なぜなら、目の前には言葉を持たない存在がいるからだ。


子猫は本を読まない。


当たり前のことだ。


子猫にとって、ここは知識の宝庫でもなければ、義務を強いる場所でもない。ただ少し薄暗くて、雨風をしのげる静かな場所に過ぎない。本棚は隠れんぼをするための障害物であり、窓辺は日向ぼっこをするための特等席だ。


子猫はこの重苦しい活字の森の中で、完全に自由だった。


彼女はその事実に、奇妙な救いを感じた。本に囲まれていながら、本を無視しても許される存在。それが目の前にいることで、彼女自身の「本を読まない」という罪悪感のようなものが、薄まっていくのを感じたのだ。


時間がゆっくりと流れていった。彼女はカバンからスマートフォンを取り出すこともしなかった。ただ椅子に座り、子猫の動きを目で追っていた。


子猫は時折、彼女の足元までやってきて、靴の匂いを嗅いだ。


彼女は手を伸ばさなかった。触れて嫌がられるのが怖かったし、どう接していいか分からなかったからだ。子猫もそれ以上は近寄ってこなかった。


お互いに、干渉しない距離感を保っていた。言葉のない生き物との間に生まれたその距離感が、彼女にとってはひどく心地よかった。


観光地を巡っているときは、常に何かをしなければならないという焦りがあった。名物を食べ、絶景の写真を撮り、お土産を買う。限られた時間を有効に使わなければと、自分で自分を急かしていた。


しかし、ここでは何も求められない。読書すら強制されない。彼女はただそこに座り、子猫が時折立てる小さな足音を聞いていた。


外の風の音が、遠くの波のように聞こえる。呼吸が次第に深く、ゆっくりになっていく。


仕事の疲れも、旅行の疲れも、この静寂の底に沈んでいくようだった。


子猫が少し離れた本棚の陰で、丸くなって目を閉じた。どうやら昼寝を始めたらしい。小さな胸が、規則正しく上下している。彼女はそれを見届けると、自分もそっと目を閉じた。


古い紙の匂いは、最初は不快だったが、今では不思議と心を落ち着かせる香りに変わっていた。背もたれに体を預け、完全に力を抜く。


誰の目も気にしなくていい。


何の文字も読まなくていい。


ただ、時間が過ぎていくのを感じるだけの贅沢。彼女はいつの間にか、浅い眠りに落ちていた。


目が覚めたとき、図書館の中は少し暗くなっていた。窓から差し込む光が、オレンジ色に変わっている。夕暮れが近づいていた。


彼女はゆっくりと目を開け、軽く背伸びをした。首の裏にあった強張りが、すっかり消えている。時計を見ると、二時間近くが経過していた。


彼女は驚いた。退屈で息が詰まると思っていた場所で、こんなにも長い時間、深くリラックスしてしまっていたのだ。


子猫の姿を探したが、どこにも見当たらなかった。きっとさらに奥の暗がりへ移動してしまったのだろう。彼女は立ち上がり、スカートの皺を軽く手で払った。椅子を元の位置に戻し、入り口へと向かう。


引き戸に手をかけ、ゆっくりと開けた。外の空気は、昼間よりはずっと涼しくなっていた。夕焼け空が、田んぼの水面に赤く反射している。


引き戸を閉める前に、彼女はもう一度だけ図書館の中を振り返った。薄暗い本棚の列が、静かにそこにある。


彼女は今日、この場所で一冊の本も開かなかった。活字には一切触れていない。それでも、ここは彼女の旅の中で、最も満たされた時間を与えてくれた場所だった。


本嫌いの人間をも受け入れてくれた、寛容な空間。


彼女は小さく会釈をして、引き戸を閉めた。木が擦れる音が響き、静寂が元に戻る。彼女は旅行鞄を肩に掛け直し、来た道とは違う方向へと歩き出した。


足取りは、驚くほど軽かった。


偶然訪れる人もいるなら、その性質は様々で。

猫が苦手な人もいれば、本嫌いの人もいる。


という感じで、この間の男性との対比……というほど深くは考えてなかったんですが、今回女性にしてましたね(笑)

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