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第2話 執行

執行は5月の雨の朝に行われた。拘置所の廊下は、病院より静かで、不吉だった。刑務官たちは皆、ベルトを緩く締め、ネクタイをつけていなかった。眼鏡は軽量樹脂に換えられ、時計は禁止されている。6年間で積み上がったのは、法理ではなく、負傷を減らすための経験則だった。


三枝航は最後まで叫ばなかった。暴れもせず、足を進めた。ただ処刑台の前で立ち止まり、執行立会人たちを順番に見た。検察官、拘置所長、刑事局の官僚、そして遠隔映像の向こうで署名者として見守る榊原誠一。彼の目が、画面の一点を貫いた。


「あなたは、本当に知らないんですか」


榊原は聞こえないふりをした。しかしその問いは、映像越しでも骨に触れた。執行ボタンが作動し、白い照明が一段強くなり、記録用の時刻表示が09:02:11へ切り替わった瞬間、東京の別の部屋で、ひとつの叫びが上がった。


最高検の古賀検事正が、会議机を両手で叩き割ったのである。


同席していた秘書官の証言によれば、変化は1秒未満だった。肩が盛り上がり、背広の縫い目が爆ぜ、眼窩の奥から人間の視線が消えた。次の瞬間、そこにいたのは巨大な若い雄のローランドゴリラで、切れたワイシャツの残骸をまとい、会議室のガラスを敵のように殴打していた。


拘置所の処刑室には、遅れて報せが届いた。誰かが青ざめて通信端末を落とし、その音だけが硬く跳ねた。三枝の遺体は沈黙していたが、周囲の人間たちの沈黙は、もう別種のものだった。国家はその瞬間、ひとりの死刑囚を殺すと同時に、自分の一部が冤罪を知っていたことを認めてしまったのである。


その日の午後、記者クラブ向けの第一報はこうだった。

――「検察幹部が急性の身体変容を起こし、現在保護下にある」


夜には誰もその言い換えを信じなくなった。人々はスマートフォンの画面を見つめ、繰り返し再生された流出映像の中で、黒い巨体が会議机の上に飛び乗る瞬間を見た。日本語を失った国家の姿だった。

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