福は内、君も内
翌日。王立ラプラス魔導アカデミーは、かつてないほどの多幸感に包まれていた。
学食の厨房からは、肉の焼ける香ばしい匂いが漂い、生徒たちの顔には「勝利者」の歓喜が浮かんでいる。
レイモンドは、漂ってくるその匂いを嗅ぎながら、生徒会執務室のデスクに突っ伏し、絶望の声を漏らした。
「……クソッ、最悪だ」
昨日、数百人の生徒に揉みくちゃにされ、挙句の果てにセオドリックに抱きかかえられて「回収」された疲労は、一晩の眠り程度では癒えない。全身を走る筋肉痛は、昨日どれほど必死に、そして無駄に逃げ回ったかの残酷な記録だった。
そんなレイモンドに、セオドリックは軽やかな足取りで近づき、湯気の立つカップを差し出す。
「随分と情けない姿だね、レイ。……ほら、栄養満点の特製ハーブティーだよ」
「……誰のせいだと思っているんだ」
レイモンドは、恨みがましくセオドリックを睨みつけた。
昨日、自分と同じように動き回ったはずのセドリックは、疲れ一つ見せていない。どころか、肌も髪も艶やかに輝いている。
「……セオドリック。……俺は、昨日のお前の『裏切り』を、一生忘れないからな!」
「『一生忘れない』だなんて、君は本当に僕を喜ばせるのが上手だね」
「……いい加減にしろ。あまり調子に乗っていると、その舌を引っこ抜くぞ」
「はははは! いいね、最高にクレイジーだ! ――でも、君が野蛮な生徒たちに無理難題を押し付けられずに済んだんだのは、僕のおかげだろう? 僕を恨むのは筋合いってものだ」
「何だと!? そもそもは、お前が急に『鬼ごっこ』などと言い出したせいだろう!」
レイモンドは激怒するが、セオドリックはどこ吹く風で優雅に椅子を引き、レイモンドの向かい側に腰を下ろした。
そして、胸ポケットから一枚の、上質な羊皮紙を取り出す。そこには昨日、彼が手に入れた『命令権』の証が、学園公式の魔導印と共に記されていた。
「さて、レイ。……約束の『命令』を執行させてもらおうかな」
レイモンドの背筋に、戦慄が走る。
「……ま、待て。常識の範囲内だぞ。公序良俗に反することや、俺の尊厳を著しく……」
「ふふ、そんなに怯えなくていい。僕はいつだって、君の『健康』を願っていると言っただろう?」
セオドリックは身を乗り出し、レイモンドの耳元で、甘く、逃げ場のない声で囁いた。
「命令だ、レイモンド・アシュクロフト。――君には今日から一ヶ月、僕の私邸で過ごしてもらう。僕が選んだ最高の食材で、僕が君のために栄養バランスを考えた食事を用意する。それを完食し、僕の目の前で八時間の睡眠をとること。……これが、僕の行使する権利だ」
「…………は?」
レイモンドは絶句した。
それは、奴隷のような強制労働でもなければ、屈辱的な行為でもない。だが、レイモンドにとっては、それ以上の恐怖。
「一月も、お前の家で……? 寝るまで、監視されろと?」
「寝るまで、じゃない。睡眠中も、だよ」
「――ッ!」
セオドリックは、レイモンドの青白い頬に指を伸ばし、愛おしげになぞる。
「君は放っておくと、すぐに無理をして、自分を削ってしまうからね。……僕がこうして、物理的に繋ぎ止めておかなければならないんだ」
碧眼の奥に揺れるのは、底知れない執着。
レイモンドは悟った。
昨日の鬼ごっこは、この「合法的な監禁」を実現するための巨大な前座に過ぎなかったのだと。
「……お前、最初から……」
「さあ、そうと決まれば今日の仕事は早めに切り上げよう。僕のキッチンでは、特上のジビエが君を待っているよ」
窓の外では、ワイバーン肉に歓喜する生徒たちの声が響いている。
彼らが手に入れたのは一時の美食。だが、セオドリックが手に入れたのは、この先一ヶ月間の、レイモンドとの濃密な時間だった。
「ああ、今夜が楽しみだよ、レイ。――あ、そうだ。どうせならお風呂も一緒に――」
「ふざけるなッ!! 誰が入るかッ!!」
レイモンドの一喝に、「照れなくてもいいのに」と朗らかに返すセオドリック。
結局、レイモンドは筋肉痛と屈辱に震えながら公爵家へと連行され、セオドリックの成すがままにされるのだが――それはまた、別の話。
To be continued.




